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文化
2022.03.28
映画「千と千尋の神隠し」。
言わずと知れた宮崎駿監督の代表作の1つだ。
大ヒットもした映画だが、私がそのすごさを実感したのはことし1月、小学校低学年の娘の反応を見たときだった。
初めての鑑賞で、怖がるかなと思った場面にも大興奮。
すべてのシーンに目を輝かせていた。
そんな“名作”が、初めて舞台化された。
私が見た第一印象は「そのまま」。
決して悪口ではない。
あの映画の世界が、舞台上でそのまま繰り広げられていくのだ。
ただ、異なる点もある。
それは俳優たちの肉体と個性が生み出す迫力。
そして舞台と観客の一体感だった。
「千と千尋」の演出を手がけたのは、ジョン・ケアードさん。
シェークスピアを生んだ演劇の本場・イギリスで学び、「レ・ミゼラブル」など多彩な作品を演出してきた。
アメリカ演劇界で最高の栄誉とされるトニー賞を2回受賞している。
「千と千尋」舞台化の企画が立ち上がった2017年、ケアードさんは、みずからスタジオジブリを訪問した。
本当に承諾してくれるのか、不安は大きかったらしい。
現れたのは、鈴木敏夫プロデューサー。
なんとサプライズで、宮崎駿監督も同席した。
申し出に対する宮崎監督の反応は「いいよ」だったという。
そのとき、舞台化は決定した。
なぜ、そんなにあっさりと?
鈴木プロデューサーは「映画は多くの人に支持された。もう自分の手を離れたと思ったのでは」と話した。
ケアードさんは、宮崎監督の初演出作品「未来少年コナン」以降の作品を繰り返し鑑賞してきた。
そこで気づいたのは、次のようなことだったという。
(ジョン・ケアードさん)
宮崎監督の作品には、環境問題や男女の平等、人間と動物の共生など、とても知的で高貴なものがテーマとして含まれている。
何より天才的だと思えるのは、子どもの心に入り込んでいくこと。
その才能は、ディケンズやアンデルセン、ルイス・キャロルに匹敵する。
歴史に名を残す人だ。
ケアードさんは宮崎監督をクリスマス・キャロルや人魚姫、不思議の国のアリスの作者と並ぶ存在だと位置づけた。
尊敬する人物の作品とはいえ、2時間5分の映画を舞台化するには、きっとどこかで要素を省かなければならないだろう。
誰もがそんなふうに思うのではないか。
しかし、ケアードさんは、何一つとして省略しなかった。
あのストーリーを、そのまま舞台に持ってきたのだ。
必然的に上演時間は、映画の1.5倍の3時間に膨れ上がった。
それだけの時間をかけなければ、映画へのリスペクトを表現することができない。
ケアードさんにとっては、“何も省かないこと”が、とても重要だったのだろう。
映画「千と千尋」には多彩なキャラクターが登場する。
アニメならではの独特の動きもある。
釜爺やススワタリを思い出してみてほしい。
「油屋」での群衆シーンも圧巻だ。
もしかすると、立体物の表面にプロジェクターで映像を投影する「プロジェクションマッピング」など、最新のテクノロジーを活用すれば、再現は簡単かもしれない。
でも、ケアードさんは、あえて選択しなかった。
「徹底的にアナログでいく」と宣言したのだ。
それは、演劇に命をかけてきたケアードさんの矜持だったのだろうと私は思う。
舞台化実現への答えの1つは、「パペットの駆使」だった。
パペットとは、英語で操り人形のこと。
舞台では、着ぐるみなども含めてパペットと呼ぶ。
活躍するのは、「黒子」のような役割を果たす俳優たち。
黒子と言っても、顔を出している。
黒い服を着ているわけでもなく、衣装はカーキ色だ。
俳優たちは手や棒、ひもなどを使いながら、パペットを動かす。
ススワタリも、白龍も、釜爺のたくさんの手も、すべて人の手が操作して“命”を与えていく。
今回出演した俳優たちがパペットを操るのは、初めてのことだったという。
しかし、それぞれが個性を持った演者として、パペットの動きを追求した。
何度も何度も練習するうちに、ケアードさんを納得させるだけの表現が出来上がっていった。
では、映画でのハイライトの1つ、「カオナシ」についてはどのように表現されたのか。
カオナシをダブルキャストで演じたのは、いずれもダンサーの菅原小春さんと辻本知彦さん。
菅原さんは、大河ドラマ「いだてん」や連続テレビ小説「おかえりモネ」にも出演し、演技の幅を広げてきた。
辻本さんは、日本人の男性ダンサーとして初めてシルク・ドゥ・ソレイユに出演し、その後も数々の振付などを担当した。
果たして2人は、どんなカオナシを演じるのだろう。
初めての稽古場。
大勢が固唾をのんで見守るなか、2人は順番に少しだけ体を動かしてみせた。
そのたたずまいには、カオナシの持つ“寂しさ”が漂っていたそうだ。
細かい動きから生み出された“表情”は、全員を魅了したという。
映画でのカオナシは、「欲」に縛られた者を次々と飲み込んで肥大化していく。
寂しさから激しさへと、動きは変化し、千尋を追い詰めようとする。
舞台では、肥大化したカオナシを、菅原さんあるいは辻本さんを含む、12人もの俳優が表現した。
お面と大きな黒い布を使いながら、全員が一体となり、迫力のある動きを生み出した。
ここで私は思った。
ケアードさんの言う「アナログ」とはこういうことなのではないか。
出演者の肉体の能力が最大限に引き出され、演劇として昇華していく。
そこには映画と同じ題材を扱いながらも全く別の表現があった。
私は、舞台版「千と千尋」の醍醐味を、このとき味わった。
世の中ではコロナ禍が続いている。
「千と千尋」の現場でも、感染対策のため、定期的に出演者やスタッフが検査を受けている。
感染者が出たら、公演はストップするという危機感を全員が共有している。
そうした困難を乗り越えた先に、舞台の幕は開き、観客は全力で楽しむことができる。
観客の笑い声やため息、そしてワクワクは舞台上の出演者に伝わり、一体感が生まれる。
映画に勝るところがあるとすれば、この一体感なのだろうと私は思う。
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは、次のようなコメントを寄せている。
(鈴木プロデューサー)
演出とキャストの皆さんが素晴らしくて、原作へのリスペクトが感じられて嬉しかったです。
映画の公開から20年が経っていることを考えると、キャストの方々の中には当時まだ生まれたばかりだった方もいて、幼い頃に映画「千と千尋の神隠し」をご覧になっている方もいる。
その経験が舞台の迫力に繋がっているような気がして感慨深いです。
皆さんがんばってください!
舞台「千と千尋の神隠し」の東京での公演は3月29日が千秋楽。
その後、大阪や福岡などでも公演が予定されている。
多くの人が目を輝かせ、出演者との一体感を感じられる。
そんな舞台がこれからも続いていくことを、私は期待している。
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