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現役最高齢の歌舞伎俳優 市川寿猿さん 92歳で宙乗り!

2022.09.01 :

市川寿猿さん。 ことしで92歳となる、現役では最高齢の歌舞伎俳優です。 2022年8月に東京・歌舞伎座で行われた「八月納涼歌舞伎」の公演で、寿猿さんがゴンドラに乗って「宙乗り」を披露しました。 92歳で宙を舞う寿猿さんの姿は、最高齢の歌舞伎の宙乗りとして、観客から拍手喝采を受けました。 寿猿さんに宙を舞った感想や舞台に立ち続ける秘訣を聞きました。

92歳?!

スキップで稽古場に入ってきた寿猿さん
インタビューのために歌舞伎座の稽古場に現れた寿猿さん。
なんとスキップで部屋に入ってきました。
(寿猿さん)
「スキップは苦手なんだけど、一度役でやったことがあって。何とか覚えてましたね」
舞台の寿猿さんは見たことがありましたが、直接、お会いするのは初めてです。
お元気そうなその姿は肌がつやつやで、92歳だということを忘れてしまいそうになります。
(記者)
「よろしくお願いします!」

取材は新型コロナウイルス対策のため、換気の良い部屋で、距離をあけて行いました。
最近、耳が聞こえにくいということだったので、大きめの声で質問したつもりだったのですが・・・。
記者にダメ出しをする寿猿さん
(寿猿さん)
「歌舞伎座の3階席まで届くように、もっと声を張ってください!!」
驚いたのは、そう言ってだめ出しをする寿猿さんの声です。
腹の奥に響くような声量と張り。
歌舞伎俳優のすごさがひしひしと伝わってきました。
私も負けじと必死に大きな声を出して、どうにかインタビューが始まりました。

澤瀉屋の“生き字引”

若い頃の市川寿猿さん(寿猿さん提供)
市川寿猿さんは、1930年、東京・浅草で生まれました。
3歳で初舞台を踏み、今の市川猿之助さんの曽祖父にあたる、初代市川猿翁(二代目猿之助)から直接指導を受けるなど、当代まで三代の猿之助を支えてきました。
まさに澤瀉屋一門の“生き字引”です。
歌舞伎界で、澤瀉屋といえば古典歌舞伎に新演出を取り入れたり、「スーパー歌舞伎」のように新しいジャンルを開拓するなど、代々、進取の気風に富むことで知られています。
寿猿さんは、二代目猿翁を舞台上で補助する「後見」を長く務めていて、猿翁さんが宙乗りをする際には、機具をつける役目をしていました。
(寿猿さん)
「今の二代目猿翁さんが初めて宙乗りしたときは国立劇場でした。そのとき僕は立ち会っていたんです。はじめにお弟子さんが試しで乗るんだけど、僕は乗ったことはなかった。今回の宙乗りは、まさかまさかですよ。考えてもいませんでした」

劇中では92歳の「名物店長」に

92歳の名物店長を演じる寿猿さん(中央)と喜多八役の市川猿之助さん(右)弥次郎兵衛役の松本幸四郎さん(左)
寿猿さんの宙乗りが披露された演目は十返舎一九原作の「東海道中膝栗毛」です。
今の猿之助さんが、脚本と演出を手がけました。
江戸の町人、弥次さん、喜多さんの珍道中を描いた作品で、2016年から松本幸四郎さんの弥次郎兵衛、市川猿之助さんの喜多八というコンビで上演されてきました。
今回、寿猿さんは、街道沿いにある商店の店長というオリジナルの役で出演しています。舞台では、猿之助さん演じる喜多八から「92歳の名物店長」と紹介されると、舞台と客席が一体となったような温かな拍手が湧き上がりました。
92歳の名物店長らしく、足取りも確かで、声は誰よりも響いています。

現役最高齢の歌舞伎俳優、ただ者ではありません。

「鳩の精」になる寿猿さん

花道にゴンドラで登場した「鳩の精」役の寿猿さん
待ちに待った見せ場は中盤に訪れます。
寿猿さんが、鳩をかたどった衣装、というかほとんど着ぐるみのような衣装を身につけ、花道から登場します。
実は、名物店長とは仮の姿、その正体は平和の象徴である「鳩の精」だったのです。
鳩の精こと寿猿さんは、あるメッセージを語りかけます。
その相手は舞台上の役者たちです。
(舞台の寿猿さんのセリフ)
「私はね、あなたたちのおじいさんもひいおじいさんも間近で見てきたけれど、もっともっとすごかった。あのすばらしい舞台姿が、この目に焼き付いて忘れられない。お前たち、もっともっと精進して、先祖たちが守り伝えてきたこの歌舞伎を、ずっとずっと後の世までも伝えておくれ。私は見届けられるかどうかわからないが、おまえたちの成長を、歌舞伎界の発展を、心から楽しみにしているよ。頼んだぞ」
実感のこもったセリフです。

寿猿さんに、このセリフを語るときの心境を聞きました。
(寿猿さん)
「もちろん役として読んでいるんですが、自分の気持ちがリンクしてしまう。ただ読んでいるのではなしに、その中にどうしても自分の感情が入っていますよね」
寿猿さんは、このセリフについて面白いエピソードを教えてくれました。
この演目に出演した市川團子(だんこ)さんは、二代目猿翁が祖父、そして初代猿翁が曾々祖父に当たります。つまり、寿猿さんは團子さんの「ひいおじいさん」どころか「ひいひいおじいさん」も間近で見てきたのです。
そこで脚本、演出を手がけた猿之助さんが、後からセリフに「ひいひいおじいさん」と追加したそうです。
(寿猿さん)
「猿之助若旦那が後から『ひいひいおじいさん』と入れたんです。僕は全員見ているから、それを言ってくれと。ひいおじいさん、ひいひいおじいさんも見ている。読みながら、本当に走馬灯のようにあの立派な姿が浮かびます」

いざ、宙乗りへ

「鳩の精」として、見得をする寿猿さん
若い(寿猿さんからみれば、ですが)歌舞伎俳優たちに檄を飛ばしたあと、いよいよクライマックスです。

寿猿さんはゴンドラから「さらばじゃ~」と見得をしました。
実は寿猿さん、舞台で見得をするのも歌舞伎俳優人生で初めてのことなのだそうです。
初めての見得の際に寿猿さんの頭に浮かんだのは、20代の時に見て圧倒された初代猿翁の「勧進帳」での見得です。
寿猿さんによると、初代猿翁の見得は「目がかぁーっと開いて、そしたらぱぁーっと華があってね。本当にすごかった」そうです。
寿猿さんは「僕はとてもまねできないですけど」と言いながら、目の前で、初代猿翁の見得を再現してくれました。
私は初代猿翁の舞台を当然見たことはありませんが、寿猿さんの見得、まるで何かが乗り移ったような目力と迫力で、一瞬でその場の空気が変わりました。

歌舞伎俳優ってすごい。
宙乗りでゴンドラから手を振る寿猿さん
閑話休題、
舞台では、見得を切った寿猿さんを乗せてゴンドラが静かに宙に釣り上げられていきます。

92歳の「宙乗り」です。

寿猿さんが空に舞い上がろうとしていることに気づいた客席からはどよめきが起こりました。
寿猿さんのことをよく知る歌舞伎ファンほど寿猿さんが宙乗りをすることのすごさが分かっています。
当の寿猿さんは笑顔で翼を広げて(鳩の衣装を着たままです)、ゴンドラとともに舞い上がっていきました。

劇場内を飛び回りながら手を振ります。
(寿猿さん)
「怖くないかといえば嘘になるよね。でも、ふっと舞台を見たら、猿之助若旦那や幸四郎若旦那、客席の人たちも僕に手を振っている。そしたら怖さが吹っ飛びました」

仕掛け人の猿之助さん「少しでも観客の力に」

喜多八の衣装でインタビューに応じる市川猿之助さん
今回の寿猿さんの宙乗り、やはり仕掛け人はこの人、市川猿之助さんです。
お客さんの反応について猿之助さんは一言、「狙い通りです」。
(猿之助さん)
「寿猿さんはこれまで誰かの宙乗りの機具を準備する方だったので、それを知っているお客さんは寿猿さんが舞い上がると驚きますよね。何より本人がうれしそうなので、それが一番よかったと思います。
健康でないと役者という商売はできませんが、寿猿さんは健康で現役で舞台に立ち、何でも挑戦する意欲を今も持ち続けているので、お願いしました。92歳でも現役で舞台ができるという姿を見て、少しでも観客の力になれば、これほどうれしいことはないと思います」

92歳 若さの秘訣は

寿猿さんは92歳になった今もほぼ毎月舞台に立ち、特に猿之助さんの演目には欠かせない存在となっています。
寿猿さんにその若さの秘訣を問うと、真剣な顔で次のように答えました。
(寿猿さん)
「年齢を考えないんです。だから、人から『おじいさん』と言われてもピンとこないんです。自分の考えでは、そうですね・・・40代くらい。そんな感じに思っていますよ。
毎日、自宅のある5階まで階段で上がるんです。これがリハビリになる。体を動かすから、毎日元気でいられるんだと思っていますよ。家のことも全部1人でやっていますが、苦痛ともなんとも感じないですね。これが元気の素かなと思ってやっていますよ」
インタビューで笑顔を見せる寿猿さん
寿猿さんに今後の目標を聞きました。
(寿猿さん)
「はっきり言って何もないです。舞台に立って役をもらったら、それをきっちりやって、お客さんに満足してもらいたい。もちろん、この年だからどうなるかわからないけどね。100歳まであと8年。星になるかも知れないけど、そんなに深刻に考えることなく、1つ1つの役ををまっとうしたいですね」
そして千穐楽(注:歌舞伎界では、秋の漢字に火が入っていることから、ゲンを担いで千穐楽という表記が使われます)を前に寿猿さんはこう話しました。
(寿猿さん)
「星にもならず、コロナにもならないように頑張りますので、これからも見ていてくださいね」

取材後記

若さと元気さが印象に残る寿猿さんですが、最近は耳が遠くなって舞台上で掛け合いのセリフが聞こえない時があるそうです。そんな時は、聞こえていないことにお客さんが気がつかないよう、ほかの役者たちの動きでタイミングをはかってセリフを話しているということです。さすがですね。
観客のどよめきも聞こえていないという寿猿さんですが、「でも、ゴンドラから見下ろす客席の様子でわかるんです」とうれしそうに話してくれました。
今回の公演は8月30日で千穐楽を迎えました。その際、例の「私は見届けられるかどうかわからないが」のセリフのあとに「いや、きっと見届けるーーー!」と加えたそうです。
私も次の寿猿さんの宙乗りを楽しみにしたいと思います。

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科学文化部記者

信藤敦子

平成21年入局。新聞記者を経てNHKに。平成23年から科学文化部。関心のある医療分野のほか、元芸能マネージャーの経験を生かして、主に文化全般・芸能取材を担当。性暴力被害や虐待問題、ジェンダーの取材も。

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