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“危機感が伝わらない” 新型コロナ 専門家たちの闘い

“危機感が伝わらない” 新型コロナ 専門家たちの闘い

2024.03.29

2024年3月末で、厚生労働省に新型コロナ対策を助言してきた専門家会合「アドバイザリー・ボード」が終了となった。

このほかさまざまな政府の新型コロナ対策がひと段落し、日本はパンデミック後の社会に本格的に踏み出すことになると言える。

2020年から始まった日本のコロナ禍。

専門家たちの闘いを振り返る。

 

(科学文化部 三谷維摩 メディアイノベーションセンター 水野雄太)

伝わらない危機感

新型コロナの感染が国内で初めて確認されたのは、2020年1月16日。
それから2週間ほどたった2月初旬には横浜の港に入港したクルーズ船の乗客乗員から相次いで感染者が確認され、その対応に大きな注目が集まっていた。
船から次々と運び出される感染者、防護服を着けて対応に当たる人たちの物々しさも相まってどこか非日常の光景の様に感じられた。

取材していた感染症対策の専門家が船に乗り込んだ直後のクルーズ船を撮影 2020年2月11日

当時、対策の中心はいわゆる水際対策だった。

「国内にウイルスを入れない」ために、空港では航空機の消毒が行われ、中国湖北省・武漢から政府が用意したチャーター機で帰国した人たちは厳重に隔離されていた。

中国の武漢から帰国する日本人を乗せた政府のチャーター機

そのさなかの2020年2月13日、神奈川県の80代の女性が新型コロナウイルスに感染し死亡したことが発表された。国内で初めての死者であった。

女性に海外への渡航歴は無かった。

水際対策の徹底が進められる中で、渡航歴、接触歴の無い感染者はその後も相次ぐ。

私たち取材班のこの頃の取材メモには、感染症の専門家が吐露した次のようなことばが書かれている。

危機感がまったく伝わっていない。感染者をこれ以上ひとりも出さないことを目指すようなフェーズはもう終わっている。感染者のなかでも肺炎になって重症になりそうな人を早く見つけて病院でちゃんと診られるように、医療体制の確保などを直ちに始めないといけない段階だ。このままでは、かなりまずいことになる。

当時の取材メモ

大型クルーズ船からの感染者を受け入れるだけで、関東各地の感染症対応ができる病院はすでに一杯になりかかっていた。

「拡大避けられず」 非公開の“尾身提言”

2020年2月13日。
尾身茂氏は厚生労働省に対し、「アドバイザリーボード・メンバーからの新型肺炎対策(案)」と題された文書を提出した。

「無症状の感染者が、感染に関与していると考えられ、報告されている患者の背後で感染が進行していると判断すべき」
「軽症の人は自宅待機してもらう」
「水際対策で抑え込むことは極めて困難で、徐々に地域の感染対策に重点をシフトすべき」

当時まとめられた文書

尾身氏や過去にSARS=重症急性呼吸器症候群に対応した経験のある専門家たちが作成したこの提言は、感染がすでに国内で拡大している可能性が高いことを国民に伝え、国全体で対応にあたるべきだと訴えるものだった。

提言は当時非公開とされた。

尾身茂氏
“無症状者から感染が広がる”という新型コロナウイルスの本質的な特徴が徐々にわかりつつあった。拡大そのものを防ぐのは極めて難しく、これを早く国民に伝えるべきだという思いがあった。

尾身茂氏

提言を出した翌日の2月14日。

内閣官房の政府対策本部に「新型コロナウイルス専門家会議」が設置され、2月16日には初めての会合が開かれる。

政府の専門家会議

しかし、提言に対する反応は薄かったという。

尾身茂氏
2月13日に提言を出してから反応があまりなく、引き続きクルーズ船のことを聞かれるばかり。むしろ提言を示したあとのほうが、よけいに危機感が高まってきた。

専門家会議のメンバーの1人で東京大学医科学研究所の武藤香織教授は当時、メンバーに次のようなメールを送っていた。

いまの状況をみていると、科学的な根拠が付加されてきた段階での、タイムリーな国民への警告やワーストシナリオの迅速な提示は、かなり困難だろうと認識している。専門家独自に危機感と伝えたい対策をまとめて公表してはどうか。

武藤香織氏

武藤香織氏
2020年の2月時点で、シンガポールでは医療機関で感染者を受け入れのトレーニングが始まり、アメリカからは治療薬の臨床試験に参加するかどうか、日本の医療機関に対して打診が来ていた。初動から違うと痛感していた。
専門家会議として危機感を伝えても、いろんな段階を経て国民に伝わるまでにメッセージが弱まってしまう。直接、自分たちが危機感を伝える方法をとらないとだめなのではと考えた。

そして2月24日、尾身氏は専門家としての見解を独自に公表し、NHKニュースにも出演して協力を呼びかけることとなった。

この1、2週間の動向が国内で急速に感染が拡大するかどうかの瀬戸際だ。

ただ、これには副作用とも言える問題があった。
緊急事態宣言をはじめとするコロナ対策をすべて専門家が決めているかのような印象を与えることとなったのだ。
通常、こうした対策は専門家がリスクの評価・分析を行い、それを参考にしながら政府が政策を決定する。
その役割分担が見えにくくなり、専門家たちのもとには政策や対策についての政策や対策についての非難が直接届くようになっていった。

尾身氏は、政府と専門家の関係のあり方を見直すことは、次のパンデミックが起きるまでに改善するべき大きなポイントのひとつだと指摘する。

尾身茂氏
政府の発信を待てずに専門家が独自に見解の公表を始めたことがきっかけになって、専門家が対策の前面に出てしまった。当時としてはそうするしかなかったが、緊急事態宣言発出などの重要局面で専門家が判断したのか、政府が判断したのか、市民にとってよく分からなくなってしまった。
感染症対応が特殊なのは、政府が多くの市民に信頼され、同じ方向を向いて行動しないといけないということ。信頼を得られないと、対策は効果が上がらない。

そして、尾身氏は信頼を得るためには不都合な事実も伝えないといけない場面もあるという。

尾身茂氏
例えば初期の段階で「水際で防ぐことは難しい」ということは聞きたくない事実だ。
行政や政治は間違えてはならないというプレッシャーにさらされているし、パニックになることを避けたいという懸念もある。
けれども、聞きたくない悪い事実も含めて、正しい情報を発信して、判断の過程や理由をしっかり説明する。このリスクコミュニケーションが、信頼を得ることにつながるはずだ。

新たな"武器"は生かせたか

新型コロナウイルスと闘う新たな武器として注目を集めたのが、感染症の動向を「数理モデル」という技術を使って解き明かす「数理疫学」と呼ばれる分野だった。

数理モデルとはこの世界で起こる様々な現象を数学で表せるよう数式にしたもので以前から感染症の流行予測やワクチンの効果のシミュレーションなどに応用されてきた。
今回の新型コロナウイルスのパンデミックでも世界中で数理疫学に基づいたシミュレーションが行われた。

日本でその役割を担ったのが、当時、北海道大学教授だった西浦博・現京都大学教授だ。

西浦博氏

数理疫学は、日本では感染症の治療やウイルスそのものの研究などに比べ、決して盛んに研究されている分野とは言えないのが現状だ。
そんな中、西浦教授はイギリスやオランダでこの分野を研究してきた日本の第一人者と言える存在だった。

新型コロナウイルスのパンデミックに際して、ほかの専門家から求められて対策の立案などに関わることになった西浦教授は、東北大学の押谷仁教授たちとともに、初期の感染拡大のパターンを詳細に分析し、感染が広がりやすいいわゆる「3密」の考え方を世界に先駆けて見いだした。

その西浦教授が2020年4月に発表したシミュレーションは、大きな議論を呼んだ。

「何の対策もなければ日本全体で42万人が死亡する可能性がある」

それは、新型コロナの脅威を具体的な数値で示した試算だった。
そして流行を抑えるには、人と人との接触を8割削減する必要があるという考えを示した。これをきっかけに「8割おじさん」という呼び名で知られるようになった。

西浦教授によると、このシミュレーションは、対策を求める以上、どれほど「威力」のあるウイルスなのかを示す必要があるという考えから、計算で出てきた結果を公表したという。
しかし、センセーショナルすぎるといった批判が多く寄せられた。
公表の仕方について、西浦教授は、「押谷教授からものすごく怒られた」と振り返る。

西浦博氏
押谷教授からは「(8割削減が)できなくても、それでもこのくらい(感染者数が)減りますよといった、いっぱいシナリオ出すべきだ」と言われました。

押谷教授からは、社会とのコミュニケーションをする際に、「恐怖の感情」を呼び起こすようなやり方ではなく、丁寧な説明を重ねることが重要だと伝えられたという。

西浦博氏
誠心誠意やるのが大事だと言われました。「対策に疑問を持つ人は一定の割合いるので、絶対に批判的な議論は起こる。そのとき致命的に信頼を失うような状態にしてはならない。分析ひとつにしても、説明の会見にしても、相当力を入れて誠心誠意やりなさい。しばらくしんどいかもしれないけれど、全部100の力で投げなさい」というアドバイスをもらいました。大変でしたが、あのアドバイスはとても重要だったと思っています。

変異ウイルスの広がりを予測

緊急で分析したところでは再生産数が1.9倍くらいになる。これは大問題。このウイルスの本質は患者が増えて医療がひっ迫することであって、変異株が広がることで間違いなく医療を受けられなくなる人が出てくる。

これは2020年12月22日の西浦教授への取材メモだ。
このころ、イギリスで見つかった、後に「アルファ株」と呼ばれることになる変異ウイルスが広がっていた。「再生産数」とは、数理疫学で使われる、1人の感染者が何人に感染させるかを示す数値で、変異ウイルスの分析から、この数値が大幅に高まっていることが分かってきたという。
その後も、アルファ株、デルタ株、オミクロン株と、変異ウイルスは次々と現れ、そのたびに異なる性質が明らかになっていく。

変異ウイルスへの対応の必要性を感じた西浦教授は、北海道大学の伊藤公人教授と共同で、数理モデルを使って変異ウイルスの広がりをシミュレーションする仕組みを開発し、新たな変異ウイルスが出てくる度に、国に報告を行った。

そして、2021年、専門家たちの危機感が高まる局面が訪れていた。

直近のデータでは人流が減っていない。減ったとしても、デルタ株だし(緊急事態宣言の)効果が出てくるのか不明。効果が見えなかった場合にどうするのか、プランBを考えておいてくださいと(専門家会合で)発言。(当時の西浦氏への取材メモ)

当時流行の中心となっていたデルタ株は、感染力が強く、重症化しやすいとされていた。
西浦教授たちの数理モデルは、この局面でワクチンの接種のペースが2週間遅れると、感染者数は1000万人に上る可能性を示していたという。

西浦博氏
第5波がそれだけ危なかったということはあまり知られていないですよね。専門家の間では危機感を感じていたし、生きた心地がしなかった。

この分析結果は関係者で共有された。その後、ワクチンの接種が急ピッチで進み、実際の感染者数は100万人だった。

西浦博氏
政策の立案過程で数理モデルが貢献できたこと自体は画期的だった。
しかし、本来なら政策の実行前に数理モデルを使って妥当性を評価すべきなのに、そうではない使い方も多かったと思っている。ガラス張りの状態でリスク評価を行う体制が必要だが、その水準までうまく到達することはできなかった。
今回痛いほど分かったのは感染症疫学者自体が足りないということだ。次の世代につなげていくためには、魅力的な研究環境を作って状況をドラスティックに変えるべく、動かないといけない。

感染対策と社会経済活動のバランスは

長く続いた行動制限を伴う対策で、経済へのダメージも大きな課題となった。
新型コロナ対策にあたった政府の分科会のメンバーとして、経済への影響にも目を向けることの重要性を発信し続けたのが、行動経済学が専門の経済学者、大阪大学の大竹文雄特任教授だ。

大竹文雄氏

大竹文雄氏
法的な行動規制ができず、メッセージだけで行動変容をしてもらうしか政策手段がなかった時期だった。人びとに感染対策をしてもらうための行動変容が重要な政策課題になるので、行動経済学の知見を生かしてほしいということで(政府の分科会に)参加した。

大竹特任教授は、緊急事態宣言などが次々と出される中で、経済への影響に目を向けるよう、政府の分科会などの場で積極的に発言してきた。

大竹文雄氏
最初の緊急事態宣言の発出はしかたがない、当然だと思っていた。しかし、宣言が長引き経済への影響が深刻になる中で、その状況を続けるコストを医療関係者があまり考えていないことに驚いた。

大竹特任教授は、ほかの研究者とともに、感染状況と経済への影響を組み合わせた分析を行い、分科会で提言してきた。
例えば、若い世代では重症化のリスクが低い性質をもつとされたオミクロン株が流行の主流となった2022年3月には、行動制限を伴う対策は重症化リスクの高い高齢者や基礎疾患がある人など中心とし、リスクの高い人たちへの医療体制を守りながらも、経済の影響とのバランスをみながら判断する必要があるとする意見書を提出した。

大竹氏のまとめた意見書

大竹文雄氏
自殺や結婚、出生といった指標はあとになって分かるので、気付いたときには「そんなに大きな影響があったのか」という形になってしまった。
もっと早い段階で人文社会系の研究者、専門家が警鐘を鳴らすべきだったと思う。
世の中にはさまざまなリスクや価値観があるので、どのリスクを優先するのかっていうのは科学だけでは決められない。

次のパンデミックに向けて

コロナ禍で専門家たちは、それぞれの立場で数多くの壁に直面してきた。
こうした経験を糧に、次のパンデミックを乗り切るための備えが進んでほしい。

(2024年2月14日 NHKラジオ「マイあさ!」 3月25日 NHKニュースなどで放送)

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