医療

“ゲノム編集で双子誕生”の衝撃

“ゲノム編集で双子誕生”の衝撃

2018.12.03

「ゲノム編集」と呼ばれる技術で遺伝情報を書き換えた赤ちゃんが産まれたと中国の研究者が主張し、関係者に衝撃が走っています。事実であれば、「人類は初めて人類を改変した」ことになります。何が行われたのか、また、何が懸念されているのか、問題の本質に迫ります。

 

「改変された人類誕生」の衝撃

11月28日、香港で開かれた第2回ヒトゲノム編集国際サミットで登壇した中国・南方科技大学の賀建奎(が・けんけい)准教授。会場はアメリカやヨーロッパ、それに中国など各国から参加した研究者であふれ、多くのメディアも集まっていました。

賀建奎准教授

賀建奎准教授ははじめに「このような形での発表になったことをおわびします」とやや緊張した面持ちで話し始めました。

会場に集まった多くの人は、その後の核心部分の説明に聞き入りました。賀建奎准教授はサルを用いた研究のあと、ヒトに適用できるよう準備したうえで、希望者を募ってヒトの受精卵にゲノム編集を実施し、双子の「ルル」と「ナナ」という女の赤ちゃんが産まれたと主張しました。

改変したのはエイズウイルスがヒトの細胞に入り込む際に利用することがわかっている「CCR5」と呼ばれるタンパク質の遺伝子だとしています。このタンパク質は細胞の表面にあり、このタンパク質を変化させるとウイルスが感染できなくなるとされています。

賀建奎准教授は双子が誕生したあとに、遺伝子の中の狙っていない場所まで変化させていないか調べたほか、エイズウイルスに感染しないか、双子の細胞を使った実験で確認したと説明しました。また可能なかぎり将来にわたって健康状態を確認していくとしました。

分析結果だとする数値をまとめた表やグラフ、写真など数十枚をスクリーンに映しながら、説明を行いました。

技術の発達に伴って、遺伝子治療も行われるようになっていますが、次の世代に受け継がれる遺伝子の改変は、これまで行われたと報告されたことはありません。今回のことが事実であれば、人類を人為的に進化させたことにもなる、「改変された人類を初めて生み出した」ことになるのです。

厳しい指摘が相次ぐも…

その後の質疑では、中国の研究者の1人は「なぜ、あなたは一線を越えてしまったのか」と厳しい口調で問いただしました。

このほか「両親への説明や同意のとりつけはどのように行われたのか。専門の訓練を受けた人物は関わったのか」といった質問や、「将来にわたっての健康や心のケアは行えるのか」といった質問が出されました。

こうした厳しい意見の背景には、この研究がいわば秘密裏に行われたことへの不信感が感じられました。

賀建奎准教授は、技術的な側面には答えるものの、「治療を希望した夫婦には私が十分説明した」としたほか、「研究についてはさまざまな研究者に事前に相談している」などと、あいまいな答えに終始しました。

研究資金については「私の研究費ですべて行った」と答えましたが、このほかの詳しいことには言及しませんでした。

1975年にノーベル医学・生理学賞を受賞し、この日議長を務めた、デビッド・バルティモア博士は壇上で、「医学的にみてこのケースではゲノム編集を行う必要はなかった。透明性も確保されておらず、科学界の自己規制は失敗した」と痛烈に批判しました。

賀建奎准教授は、翌日に予定されていた講演はキャンセルし、その後はメディアの前から姿を消しています。

大きな謎…「本当に行われたのか」

最も大きな謎は「発表された内容は本当なのか?」という疑問です。論文は発表されておらず、産まれたとされる双子の詳しいデータも示されていません。受精卵を提供したはずの医療機関もどこなのか、はっきりとしていません。

何よりも関係者が疑念を抱いている理由の1つは、賀建奎准教授はこれまでゲノム編集の専門家としては知られていなかった点です。これまでに発表してきた論文は、ヒトのDNA配列を解析して病気との関係を研究するものなどでした。

日本ゲノム編集学会 山本卓会長

日本ゲノム編集学会の山本卓会長は「今回の騒動になるまで彼の名前は学会でも論文でも世界的にはほとんど知られていなかった。急いで彼の論文を調べたがゲノム編集に関する、際だった業績は見つけることができなかった」と戸惑いを隠しません。

賀建奎准教授とは

中国・南方科技大学の賀建奎准教授とはどのような人物なのか。

研究室のウェブサイトや地元メディアなどの情報では、1984年に中国・内陸部の湖南省で生まれ、2006年に中国科学技術大学を卒業。2010年にアメリカ・テキサス州のライス大学で博士号を取得し、カリフォルニア州のスタンフォード大学で研究を続けたあと、中国政府の、海外の研究者を好待遇で呼び寄せ、科学技術発展の担い手とする「千人計画」に選ばれて中国に戻り、2012年に南部・広東省深※センにある南方科技大学で、最年少で准教授に就任。遺伝子技術などに関する6つの企業の代表も務めていました。
※センは「土」へんに「川」

専門家でなくてもできるゲノム編集

このような遺伝子操作をゲノム編集の専門家ではない研究者が行うことができるのか。多くの専門家の見解は「遺伝子を改変する操作を行うこと自体は技術的には可能だろう。狙いどおりにできているかは、わからないが…」というものです。

そこには、この5年ほどでゲノム編集による遺伝子の操作が『劇的に簡単になった』という背景があります。

「CRISPRーCas9」(クリスパーキャスナイン)と呼ばれる手法の開発です。

この手法では、DNAを切断する酵素と、狙った配列を特定するためのRNAの断片を使用します。従来の遺伝子組換え技術と比べると数万倍から数十万倍の精度で狙った遺伝子を改変することができるとされているうえ、それまでよりもはるかに短い時間で行うことができるようになりました。

また、「CRISPRーCas9」を行うための酵素とRNAの断片は、ネットで業者に発注すれば、数万円程度で買うこともできます。

加えて、受精卵に注入する技術は、装置さえあれば大学院生レベルでもできると言います。これまでのように高い専門性や技術がなくても、ヒトの遺伝子操作ができるようになっているのです。

本当かもしれない…

一部のメディアは、賀建奎准教授の臨床試験の概要を記した文書があることを報じたほか、かつて在籍していたライス大学の教授が今回の件に協力していたとして大学が調査を始めたと発表するなど、「賀建奎准教授の主張は、あながち全くのうそではないのではないか」という見方もでています。

何が問題なのか?

中国の科学者たちや日本の医師会は「常軌を逸している」と非難する声明を発表しました。

何がそれほどまでに問題とされているのでしょうか。そこには重要な『安全性の課題』と深刻な『倫理的な問題』があるのです。

発展途上の技術 ~「健康への懸念」と「必要性」~

まず指摘されているのは、安全性の課題についてです。

「ゲノム編集」は技術的な改良が続いていて、従来よりも精度が格段に高くなったとはいえ、ヒトの受精卵に応用するには、さらに高い精度と検証が必要だと言うのです。

それは、ねらっていない別の遺伝子を改変してしまうおそれを否定できていないということです。

また別の懸念は、今回ゲノム編集で変化させたとされている「CCR5」についてです。受精卵で遺伝子改変をしているので、全身の細胞で「CCR5」がなくなっていると考えられますが、その影響は十分に解明されていません。

日本ゲノム編集学会はマウスを使った実験で、全身の細胞の「CCR5」が機能を失うと、インフルエンザに感染した時の死亡率が上昇するほか、特定の種類のウイルスに感染するリスクが高まると報告されているとしています。

今回の遺伝子操作によって、予想もされていなかった病気や健康問題を引き起こすおそれがあるのです。

さらに今回、行ったとされる「エイズウイルスの感染を防ぐ」という目的でゲノム編集を行う必要性にも疑問符がついています。

エイズ治療の専門家によれば、エイズの治療法は大きく進歩していて、今回発表されたケースのように、父親がエイズウイルスに感染している場合でも、投薬による治療が適切に行われていれば、血液中のウイルスは検出できなくなるほど減少し、子どもにウイルスを感染させることはないとしています。

つまり、安全で確立した治療法がすでにあるのに、必要がないゲノム編集をしたと指摘されているのです。

倫理的問題“人類の改変”

加えて倫理的な問題もあります。

もし、今回生まれたとされる双子が将来、パートナーを得て子どもをもうければ、ゲノム編集の影響はその子どもにも受け継がれることになります。

受精卵の遺伝子を改変すると、世代を超えて影響する可能性があると考えられています。何世代も後に地球の環境や社会情勢が大きく変わったとき、遺伝子の改変が悪い影響を及ぼすことがないのか、予測することは極めて困難とされています。

私たち人間は「人為的に人類を改変することに責任がもてるのか?」という課題が突きつけられているのです。

人類の改変の先にあるもの

もし、受精卵のゲノム編集が医療の現場に応用されれば、今は治すことができない遺伝性の重篤な病気の治療法として、希望を与えるものになる可能性があります。

その期待が大きいだけに関係者は、社会の理解などを得ながら慎重に臨床応用すべきだと考えてきました。そこには考えなければいけないことがあるからです。

遺伝性の重篤な病気の治療に実績をあげれば、その後、徐々に慢性の病気にも応用されていくかもしれませんし、さらに、肥満の体質改善や、病気の予防のためなどとして、応用範囲が広がっていくかもしれません。

その先には、目の色や高い知能など、親が望む特徴をもつよう改変する「デザイナーベビー」を生み出すような未来につながりかねない懸念があるのです。

どこに『超えてはいけない一線』があるのか、私たちが見極め、ルールを作り上げることができないまま技術の応用だけが進むのは危険だと考えられています。

問われる科学研究

今回の出来事は科学研究の根本的な問題を提起しています。「科学の発展とその応用は、本当に人類のためになるのか」という問いです。

「原爆の開発」などの事例を通して、この問いに科学者はどのように答えるのか、問われてきました。遺伝子操作をめぐる技術については、これまでこの問いかけに答えようとしてきた歴史があります。

遺伝子組換え技術が確立してから間もない1975年。当時の第一線の研究者が世界中から集められて国際会議が開かれました。「アシロマ会議」と呼ばれています。

自分たちが手にした遺伝子組換え技術で、地球の生態系を壊してしまうのではないかと当時の研究者が自主的に科学を規制しようとした試みでした。

その精神は「カルタヘナ議定書」と呼ばれる国際的なルール作りの基礎となり、いまも世界中の遺伝子組み換えのベースとなっています。

ゲノム編集でも、ヒトの受精卵に行うことを規制しようと、2015年に、国際会議が開かれました。

第1回ヒトゲノム編集国際サミット(2015年)

場所はアメリカ・ワシントン。「ヒトゲノム編集国際サミット」として、ゲノム編集の研究をけん引する世界中の研究者と倫理学者を集めてルールについて話し合いました。

その結果として出されたのは「現時点では、ヒトの受精卵にゲノム編集が行われて、臨床の現場に応用されることは無責任だ」という見解でした。つまり、現時点でゲノム編集をしたヒトを誕生させることをしてはいけないという強いメッセージでした。

しかし、その「ヒトゲノム編集国際サミット」の第2回目が香港で開かれるのに合わせるかのように今回の発表が駆け巡ったのです。

規制はあったのに

第1回の「ヒトゲノム編集国際サミット」と前後して、各国でもルール作りが進められてきました。

▽アメリカではゲノム編集をヒトの受精卵に行う研究に連邦政府の資金を投入することが禁じられています。

▽イギリスでは受精卵をゲノム編集する基礎的な研究は認めるものの母体に戻して子どもを誕生させることは制限されています。

▽日本でも2019年4月を目指して、ヒトの受精卵に対するゲノム編集は、生殖医療の向上に役立つ基礎研究に限って認め、母体に戻すことは禁止するなどとした指針の作成が進んでいます。

▽中国でも国の指針でゲノム編集した受精卵から子どもを誕生させることは禁止されていました。

▽ドイツとフランスではそもそも法律でヒトの受精卵にゲノム編集を行うことは禁止されています。

それでも防げなかった…いま、求められていること

しかし今回の一件は、こうしたルールは十分に機能しないおそれがあることを示しています。一刻も早く、今回の発表が真実なのかどうか検証することが求められています。

そのうえで、もし事実であれば、今後はどのようなルールが必要なのか、徹底的な議論と対策を行うことが必要になります。

第2回ヒトゲノム編集国際サミット(今年)

ヒトゲノム編集国際サミットは3日間の日程の最終日に、「研究者は開かれた場で議論し、人々の理解を得ながら、共通の規制や基準を作る役割を果たすとともに、国際的に登録する仕組みを作るよう働きかけていく必要がある」と声明をまとめました。

各国の規制を超えた、世界共通のルールを定めることができるのか、新たな課題に直面しています。

「双子の将来」と「私たちの未来」

今回、ゲノム編集をした受精卵から誕生したとされる双子は、今後どのような人生を歩むことになるのか。

ヒトゲノム編集国際サミットの中で、質問として「将来、双子の子ども自身がゲノム編集を施されたと知ることになるのか」と尋ねられたのに対して、賀建奎准教授は「今の段階では答えられない」と応じました。

誕生したとされる双子は将来、今回の件を知ったときにどのように感じるのか。それを考えたうえで、この技術の使い方や私たちの未来像を描く必要があります。今回の出来事は科学研究の根本的な在り方に問題を提起しています。

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