小さなチョウ、ふるさとへ帰る
〜対馬と東京・1000キロ結んだ命のリレー〜

2023.06.16 :

日本海に浮かぶ長崎県の対馬。晴れた日には対岸の韓国が遠望できる国境の島だ。その地理的位置から「陸橋の島」とも呼ばれ、様々な動植物が朝鮮半島から対馬を経ていまの日本列島に渡ってきたと考えられている。固有の動植物も多く、島の空港の名前にもなっているツシマヤマネコはその代表格として名高い。
小さな昆虫にも対馬の豊かな生物多様性を代表する種がいる。「ツシマウラボシシジミ」というチョウだ。しかしこのチョウはいま、島のごく限られた地域にわずかに残っているに過ぎず、「日本で最も絶滅に近いチョウ」のひとつとなっている。
このチョウを守るため、10年間にわたって対馬と、1000キロ離れた東京とを結んで続けられてきた命のリレーを取材した。

ツシマウラボシシジミとは?

ツシマウラボシシジミ
ツシマウラボシシジミは翅を広げても2センチ程度の小型のチョウだ。「ウラボシ」とは「裏星」のことで、翅を閉じたときに後ろばねの裏面に見える黒い斑点が名前の由来となっている。

日本国内では対馬にしか生息しておらず、お隣の朝鮮半島でも見つかってない。対馬から遠く離れた台湾や中国南部の福建省がもっとも近い分布域になっている。

この小さなチョウが、どのようにして対馬だけに分布するようになったのか、謎も残されている。
対馬博物館 谷尾崇 学芸員
対馬博物館 谷尾崇 学芸員「対馬では、ツシマヤマネコをはじめとして日本でここにしかいない動物や植物、昆虫などが数多く見つかっています。ツシマウラボシシジミもそのひとつですが、見つかったのは日本のチョウの中では比較的最近の1954年でした。日本のチョウのほとんどは太平洋戦争前には発見されているので、戦後まで見つからなかったこと自体が対馬の自然の豊かさ、山の深さを物語っていると思います」
地元の愛好家によると、ツシマウラボシシジミはかつて対馬の北部で比較的普通に見られたという。しかし、2000年代から急速に個体数が減り始め、2013年に「日本チョウ類保全協会」が行った調査では、確認された生息地はたった1か所だけとなっていた。

調査に関わった東京大学総合研究博物館の矢後勝也講師は「このまま放置したら絶滅することはほぼ間違いない状態だった」という。
東京大学総合研究博物館 矢後勝也講師
減少した最も大きな原因として矢後講師が考えているのは、2000年代から島内で急増した「シカ」の影響だ。現在、人口2万7000人あまりの対馬市には、人口をはるかに超えるおよそ4万頭のシカが生息しているという。

なぜシカが増えるとチョウの生息がおびやかされるのか。

矢後講師「シカの個体数が増えすぎると、届く範囲の草木を裸になるまで食べ尽くし、林床の植生が回復しなくなってしまいます。ツシマウラボシシジミが急激に減少したころには幼虫が食べる草や、成虫が蜜を吸う花などがほとんどみられなくなっていました」
このままでは日本からツシマウラボシシジミが絶滅してしまう。

もう残されている時間は少ない。

2013年、矢後講師たちは思い切って「域外保全」に踏み切った。対馬から生きたチョウを持ち出し、遠く離れた場所で繁殖を続けるという大がかりな作戦を始めたのだ。

故郷を離れて1000キロ

足立区生物園
ツシマウラボシシジミの命をつなぐために繁殖を託されたのは、対馬から1000キロ離れた東京・足立区にある「足立区生物園」。巨大な温室で年間50種類、8000匹のチョウを飼育している、都内でも数少ない施設だ。

2013年、野外で採集されたツシマウラボシシジミがこの施設に持ち込まれ、域外保全プロジェクトがスタートした。
足立区生物園 水落渚 解説員
スタート当初から飼育・繁殖を担当してきた水落渚さん。大学では昆虫を専門に研究しながら、昆虫の同好会でも活動して昆虫の生態や飼育の知識を深めた自他共に認める「生き物好き」だ。

生物園に就職したばかりの水落さんがさっそく任されたのは絶滅寸前の貴重なチョウの繁殖。かかったプレッシャーの重さは想像に難くない、と思いきや、当初はそれほど気負いはなかったという。
水落さん「最初はツシマウラボシシジミのことは全く知らなかったので、『へえー』というくらいの気持ちでした。2年目、3年目と飼育を続けるうちに『ここで失敗したら絶滅してしまうんじゃないか』という重圧をようやく感じるようになりました(笑)」
淡々と話す水落さんだが、繁殖を続ける上では様々な壁が立ちはだかった。

チョウを繁殖させるためには、まずオスとメスを交尾させなくてはならない。

チョウを人工的に交尾させる手段としては、オスとメスを手に持って交尾させる「ハンドペアリング」のほか、「吹き流し」と呼ばれる筒状の網や、蚊帳のような大型の網に入れて交尾を促す方法などがある。

しかし、ツシマウラボシシジミは極めて小さなチョウのため、「ハンドペアリング」は難しい。水落さんらは大型の網での交尾も試みたが、思ったように交尾してくれなかった。
枝に止まったメスに求愛するオス(青)
繁殖を続ける上で徐々に分かってきたのは、オスが縄張りとして飛翔する一定の広さが必要だということだ。オスは、縄張りにほかのオスが入ってくると、すぐさま飛び立って追いかけ回す。一方、メスが縄張りにやってくると、その周りを飛ぶ「ホバリング」という飛翔に切り替わり、交尾を求める。

水落さんたちは、まずオスを温室の中に放ち、縄張りを確立したのを見計らって枝に止まらせたメスを近づけるという手順を考案。

当初は1日1ペアから2ペアを交尾させるのがやっとだったが、交尾の準備が整った成虫の状態を見極めることで、いまでは1日に5ペア程度の交尾を成立させられるようになった。
交尾させたメスは、小型のプラスチックのケースに幼虫の餌となる草と一緒に入れておくと産卵する。そうして得られたわずか1ミリにも満たない小さな卵は、細心の注意を払って管理する必要がある。

卵からかえった幼虫は、一匹一匹、個別の容器で飼育する。チョウの種類によっては複数の幼虫を同じ飼育容器でまとめて飼育することもできるが、ツシマウラボシシジミは幼虫同士が共食いをする習性があるため、個別に飼育しなくてはならないのだ。
系統識別用のオレンジの印が付けられている
さらに、同じメスから生まれたオス、メス同士を交尾させてしまうと、成長に影響が出たり、繁殖がうまくいかなくなったりしてしまうため、幼虫は親の系統ごとに別々に飼育するほか、羽化した成虫には小さな印をつけて、どの系統どうしを交尾させるかを管理している。チョウの繁殖を続けるのは、極めて手間のかかる作業なのだ。
さらに水落さんたちを悩ませたのが幼虫の「越冬」だ。ツシマウラボシシジミは幼虫の姿で冬を越し、春になって目覚めてさなぎになる。

ところが、この冬越し中に死んでしまう幼虫が相次いだのだ。繁殖を始めて2年目の冬を越すことができた幼虫は、わずか10%あまり。次の世代につなぐにはぎりぎりの数しか成虫にならなかった。

幼虫をいれた植木鉢の種類を、素焼きからプラスチックに変えたり、敷く土の種類やかぶせる枯れ葉の種類を変えたりといった試行錯誤の結果、冬の間、湿度を適度に維持できる環境を見つけ出し、ようやく安定して冬を越せるようになった。
水落さん苦心の「越冬セット」(写真提供:足立区生物園)
ことしは、越冬の成功率は90%近くになり、およそ260匹の成虫が羽化したという。
水落さん「越冬はかなり苦労しましたね。どういう条件が一番越冬うまくいくのか細かくデータを取って、駄目だった時は何が駄目だったかみたいなのを考えながらやって来ました。湿度がかかり過ぎても乾燥しすぎても幼虫は死んでしまいます。初期はほとんどの幼虫が死んでしまう中、どれだけ次の春につなげる幼虫を残せるかという戦いでした」
10年に及ぶ試行錯誤を経て、飼育技術が確立し、絶滅の危機は免れつつある。ようやく好転し始めたツシマウラボシシジミの運命。次なる課題は、ふるさと対馬にこのチョウが再び飛べる環境を再び作り出せるかだ。

里帰りへ 環境整備進める対馬

東京でツシマウラボシシジミの繁殖が続けられている間、対馬では里帰りの準備が進んだ。

中心になったのは対馬市自然共生課。生息環境の復元は、シカによって裸になってしまった森林の中に、シカが入れないように柵で囲ったエリアを作るところから始まった。

シカに食害され何も生えていない林床に、ツシマウラボシシジミの幼虫が食べる草や、成虫が蜜を吸う花を植えるなどした結果、ようやく島内の数か所に下草が生い茂ったエリアができつつある。
対馬市自然共生課 神宮周作係長
現在、対馬市役所でツシマウラボシシジミの生息環境の整備を担当する神宮周作さんは、これらのエリアを巡回し、柵の倒れたところはないか、周辺の環境に変化はないかなどを入念に見て回っている。倒木などによって柵が倒れると、すぐにシカが入って草を食べてしまうので、細やかなメンテナンスは欠かせない。
シカの食べ跡
神宮さんに同行して取材をした日にも、早速シカが保全エリアに侵入した形跡が見つかった。
対馬市自然共生課 神宮周作係長「発見が遅れて鹿が入ってきて食べ尽くしてしまうっていうような事が起きてしまうと、なかなか植物も回復しません。なるべくすぐに修繕するっていうことを心がけています」
足立区生物園から届いたチョウを放す
足立区での繁殖が始まってから、こうした保全エリアに再びツシマウラボシシジミを放す事業も並行して始まった。

幼虫やさなぎ、それに成虫などさまざまな成長段階で放しているが、安定して定着したところはまだわずか。一度、数が増えても、周りの木が伐採されて日照が増えたことで急激に数が減ってしまったり、食草の成長とチョウの産卵時期がずれたりしてうまく繁殖しなかったりすることもあった。

さらに、チョウは生息地を探して遠くに飛ぶこともあるため、保全エリアの外に飛んで行ってしまうと産卵できずに死んでしまう。これまでに数千頭の幼虫やさなぎ、成虫を放したが、思い描くように増えてくれないのが現実だった。
神宮係長「環境というのはどんどん変わっていくので、どうしてもいい環境を維持するっていうのは難しくて、最初はよくても1年、2年たつと、このチョウにとっては住みにくい環境になってしまうということも起こりえて、その中でずっと安定的に維持するっていうのは難しいというのが現状です。それにチョウって意外と移動していくんですよね。放したチョウがいい環境の周辺で留まってくれるかと期待していたのですが、なかなか留まってくれないと。そういう意味ではまだちょっとチョウの気持ちが分かってないのかなと思うんですけど(笑)。チョウの飛んでいった場所だとか、どこで卵を産んでいるのか、どういう植物をどういう時期に好むのかなど、情報をどんどん集めていくことで、保全に適した環境のヒントが出てくるので、そこを見逃さないようにしっかり観察してやっていくことが大事な仕事かなと思っています」。
市役所では大量の食草を栽培し、保全エリアに植え戻している
保全を進める上でわかったこともある。これまで、ツシマウラボシシジミの幼虫が食べる主要な食草は「ヌスビトハギ」というマメ科の植物だと考えられてきた。しかし、実際には1年に4回から5回ほど世代交代するあいだ、季節に合わせて近い種類の「ケヤブハギ」や「フジカンゾウ」などを使い分けているようなのだ。

また成虫の餌となる花も同様で、季節に合わせてさまざまな植物が花をつけていないと、餌が不足してしまう。

そこで、市ではこれらの植物をボランティアの手を借りながら市役所で育て、保全エリアに植えている。市役所の前庭には、まるで苗を育てる農家のように何百もの植木鉢が並んでいる。植物への水やりが神宮さんの日課だ。
ツシマアカショウマで吸蜜するツシマウラボシシジミ
希望も見えてきている。ある保全エリアでは、シカの柵を作ってからほどなくして、対馬にしかない希少な植物「ツシマアカショウマ」が生えてきた。人が植えたのではなく、何年も地下に残っていた根から再び芽を出したと考えられるという。この植物の花はツシマウラボシシジミの成虫にとっても重要な餌となっている。

今回の取材では、この花で蜜を吸うツシマウラボシシジミの姿も撮影することができた。
神宮さん「保全できているエリアはまだわずかですが、こうしたエリアをさらに増やしていって、生息地のネットワークを作ることができればツシマウラボシシジミも安定して繁殖できるようになると思います。一度失われた環境をもう一度作り直すのは非常に難しいことです。単純にそのチョウの餌となる植物があればいいというだけの話ではありません。ツシマウラボシシジミ自体が市の天然記念物として大事だということもありますが、このチョウが絶滅しかけているという事実を通じて対馬の環境の変化がよく分かるんです。チョウの保全を通して対馬の環境が今どういうふうに変わっているのか、どういう問題が起きているかというのを考えてもらおうと、保全に力を入れていきたいと思っています」

持続可能な保全のために

ツシマウラボシシジミの命をつなぐために、対馬や東京・足立区、それにチョウの保全団体の人々が10年以上にわたり努力を重ねてきた。

しかし、保全を主導してきた東京大学の矢後講師は一部の人たちが努力を続けることには限界があると考えている。いま思い描いているのは、地元の人たちが、ツシマウラボシシジミだけでなく、そのチョウが住む環境の価値を知り、自ら保全に積極的に関わる未来だ。
矢後講師「チョウだけを保護するのが保全の目的ではありません。チョウを守ることは対馬の自然環境を守ることにつながります。対馬の豊かな環境がもたらす生物多様性の恵みを、経済的にも感じてもらうことが、地元の方々が保全に関心を持つきっかけになるのではと考えています」
シイタケの「ほだ場」
矢後講師が目をつけたのが、対馬特産の「原木シイタケ」だ。「原木シイタケ」は、クヌギやコナラ、アベマキといった広葉樹を切り出した「ほだ木」にシイタケの苗菌を植えて育てる。菌床栽培のシイタケに比べて肉厚で、かみ応えのある弾力が特徴だ。

シイタケを栽培する「ほだ場」は湿度を維持するために川の流れる谷筋などに作られることが多いが、こうした環境はまさにツシマウラボシシジミの好む環境と重なる。さらに、シカやイノシシが入らないようにすでに柵で囲われていることも多く、新たに柵を立てる費用や手間がかからない。

そこで矢後講師は、シイタケのほだ場をツシマウラボシシジミの保護エリアにしつつ、シイタケに付加価値をつけて売り出す構想を進めようとしている。協力するのはツシマヤマネコの生息環境の保全に協力する水田を認定し、「ヤマネコ米」としてブランド化を行っている地元のNPO「MIT」だ。
矢後講師「シイタケを含む農業、原木を含めた林業、ひいてはその地域に住んでいる人たちとの共存共栄を図りながら、お互い発展しながらこのチョウを保全していく。さらには、チョウ自身がチョウの保全費用を賄う。そういう保全ができれば、持続可能なチョウの保全というのができるんじゃないかと考えています」
ことし5月、矢後講師とMITの代表を務める吉野元さんは、市が設けた保全エリアに近いシイタケ農家を訪れた。ツシマウラボシシジミの好む環境や幼虫の食べる食草について知ってもらい、保全への協力を得られるかどうかを調べるためだ。

訪れたシイタケ農家の春日亀隆義さんのほだ場は、シカ柵の効果もあって林床の植生が回復し、幼虫が食べる「ヌスビトハギ」も複数見つかった。ほだ場の面積も広く、保全エリアとしては理想的な環境だ。

ただ、課題もある。最も深刻なのは「後継者不足」。原木シイタケの価格はここ10数年ほぼ上がっていない一方、資材の値上がりなどでコストは増加している。また、菌床栽培と比べ、ほだ木を切り出し、菌を植えて並べるのは重労働で、高齢の農家には続けるのが難しい。
シイタケ農家 春日亀隆義さん
春日亀隆義さん「昔はこの集落では200軒以上がシイタケを作っていました。私も、親から『シイタケのおかげで学校に行けた』と言われたくらい重要な収入源でしたが、いまでは4軒しかシイタケ作りを続けていません。シイタケ作りには欠かせないほだ木も、シカがクヌギやアベマキの苗を食べてしまうせいで手に入らなくなりつつあります。とても若い人にシイタケ作りを継いで欲しいとは言えません」
矢後講師「農家の人たちも減ってますし、実際収入というのもそんなに大きくない。それをチョウの保全と結びつけてシイタケの付加価値を高めて農家の人たちが利益を得るような形でないと、このチョウの保全はできません。そういうところを、私たちが考えていかなければいけないと思っています」
一般社団法人MIT 吉野元 代表理事
一般社団法人MIT 吉野元 代表理事「対馬に住む人にとっては、自分たちの生業が成り立つというのが大前提なので、例えばツシマヤマネコやツシマウラボシシジミが、どう自分たちの生業にいい影響を与えてくれるのかっていう視点がすごく大事だと思います。ヤマネコ米もヤマネコを保全する農業を追求する事で応援する消費者が増えて、少し高くても買ってくれる。オーナー制度みたいに、高い会員制度でも参加してくれるっていう人が増える。それによって張り合いが出てくるっていうところがあるので、そこをちゃんと私たちも見える化をしていくっていうのが大事な役割になると思います」
シカ対策も課題だ(写真提供:一般社団法人daidai)
ツシマウラボシシジミを絶滅の淵に追い込んだ最大の原因、シカの個体数管理も重要だ。
シカやイノシシの皮をつかった工芸品や、肉を「ジビエ」として活用した地域振興を目指している対馬のNPO「daidai」の齊藤ももこさんは、駆除だけでシカの個体数を管理することは極めて難しくなっていると指摘する。

対馬全体で毎年、およそ1万頭を駆除しているが、自然に増加する個体数は駆除される数を上回り、顕著な減少傾向は見えていない。さらに、シカの駆除を行う狩猟者の数は高齢化に伴い減少し、継続的に駆除を続けていくことも厳しくなりつつある。

捕獲するだけでなく、シカやイノシシが餌を食べる場所になってしまっている耕作放棄地の解消や、里山の自然環境を維持することが必要になっている。
一般社団法人daidai 齊藤ももこ 代表理事
一般社団法人daidai 齊藤ももこ 代表理事「経済を伴う活動の中で、いかにちゃんと地域にも環境に優しいことをするかというのが重要です。シカの捕獲や、ジビエを使って、皮を作って製品を売る、耕作放棄地を解消するという活動をビジネスとして成立させ、続けていくことで、ツシマウラボシシジミや生態系そのものを守ることに貢献できるといいなと思って考えています。そのためにも、理念を行動に移す人を、どんどん育てていくことも大事かなと思っています」
齊藤さんたちは今後、対馬市などの情報提供を受けて、保全が進むエリアで重点的に駆除を行うなどして、保全に協力していきたいと考えている。

ツシマウラボシシジミの未来は

命のリレーが始まって10年。域外保全は、足立区生物園以外にも大阪や長崎の施設にも広がっている。しかし、域外保全はあくまで一時の緊急措置でしかない。水落さんたちが苦労して考案した交尾や越冬の方法も、かつては対馬の森で自然に営まれていたことだ。目指すべきはその対馬の豊かな環境を復元、一度失われた豊かな自然環境を人の手で復元するのは決して容易ではないことが、今回の取材であらためてわかった。
オガサワラシジミ(写真提供:東京大学総合研究博物館 矢後勝也講師)
チョウは人目につきやすく、環境指標のシンボル的な存在である。じつは、日本で危機に瀕しているチョウはツシマウラボシシジミだけではない。世界で小笠原諸島にしか生息していないオガサワラシジミは2018年を最後に野外での記録がなく、2020年に島外で飼育されていた個体群も途絶えてしまった。かつては本州の広い地域で見られたヒョウモンモドキも、今や広島県で保全されているエリアにわずかに残るだけとなっている。

ある地域で1種類のチョウが姿を消すことは、その地域の生物多様性の全体が危機に瀕していることを意味する。

チョウの保全を通じて、様々な生き物を育む多様な環境を取り戻し、次の世代に残すためには、一過性ではなく「持続可能」な活動が不可欠だ。10年にわたるツシマウラボシシジミの保全活動のその先に、答えはあるかも知れない。

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科学・文化部 記者

添 徹太郎

2005年入局。甲府局・神戸局を経て、2013年から科学・文化部に所属し、文芸・歴史・ポップカルチャー・ロボット・AI・感染症・再生医療など幅広い分野を担当。2019年から2022年夏までアメリカ総局(ニューヨーク)に勤務し、新型コロナパンデミック、民間宇宙開発などを取材した。現在は再び科学・文化部で医療を主に担当。蝶と音楽と飛行機が好きです。

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ネットワーク報道部

斎藤 基樹

平成13年入局。記者として沖縄放送局、科学文化部、和歌山放送局、ニュースデスクとして徳島放送局で勤務し、現在はネットワーク報道部デスク。幼少時から筋金入りの昆虫好きで、「ちょうちょ記者」を自称・他称していたが、このところ添記者にお株を奪われつつあり焦燥感を覚えているところ。お時間のある方はこちらの記事もどうぞ。
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