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グリーン水素ウォーズ 北の大地はいま

グリーン水素ウォーズ 北の大地はいま

2024.03.25

北海道で、大手石油元売り会社がタッグを組み、再生可能エネルギー由来の水素を製造する新たなプロジェクトを立ち上げた。

脱炭素化の流れが加速するいま、次世代エネルギーとして期待される「水素」。技術で先行していた日本は欧米をはじめ各国との厳しい競争に晒されている。

日本は水素で主導権を握ることは出来るのか?最新の動きを北の大地から報告する。

(札幌放送局記者 黒瀬総一郎)

日本最大のグリーン水素製造構想が北の大地で

ことし2月、石油元売り大手の出光興産とENEOS、それに北海道電力の3社は新たなプロジェクトの立ち上げを発表した。

工場が集まる苫小牧市の周辺で、風力や太陽光などの再生可能エネルギーで発電した電力から「水素」を製造して、工場などに供給するサプライチェーンを構築しようというものだ。

再生可能エネルギーから作られる水素は「グリーン水素」と呼ばれる。

現在使われている水素の大半は、天然ガスや石油を燃やして作るため、製造時に二酸化炭素が発生し、「グレー水素」と呼ばれる。いっぽうのグリーン水素は、製造時にも使用時にも二酸化炭素を出さず、究極のクリーンエネルギーと期待されている。

3社の発表資料より

3社は国内最大となる年間およそ1万トン以上の製造能力を持つ水素製造装置を建設して、2030年代半ばには「グリーン水素」の製造を本格的に行いたいとしている。そして苫小牧市にある出光興産の北海道製油所や地域の工場にパイプラインを使ってグリーン水素を供給できる体制を目指すという。事前に行った調査では、地区には年間7万トンの水素の需要が見込めるという。さらに出光興産は「グリーン水素」と二酸化炭素を使って「合成燃料」と呼ばれる、飛行機や自動車用の次世代燃料の製造を目指すという。

「今後、国産グリーン水素の確保が大きな課題になるので確実に押さえていきたい。北海道での水素事業は、水素社会を作っていく一つの大きな金字塔になるのではなかろうか」(ENEOS水素事業推進部 大立目悟 副部長)

いわばライバルどうしの石油元売り大手が手を組むのはなぜか?そこには、世界的な脱炭素化の流れの中で、グリーン水素をめぐる国際競争が激化し、1企業では太刀打ち出来ないという危機感がある。

国際エネルギー機関の最新のまとめでは、グレー水素の製造コストは1kgあたり1ドルから3ドルなのに対して、グリーン水素は3.4ドルから12ドルと割高。グリーン水素を安く製造・供給出来る体制を作れるかは、次世代エネルギーの主導権を握れるかどうかを左右するのだ。

グリーン水素のサプライチェーン構築を目指す苫小牧市

実は、今回連携する3社は、国が導入予定の支援制度を活用しようとしている。化石燃料と水素の価格差を支援する異例のものだ。

国は、利用者が水素の価格が高くて使うのをためらう一方、供給側もどれだけ買ってもらえるか見通せないためサプライチェーンを作れないという、いわば“お見合い”状態が続くと価格が下がらないと見ていて、プロジェクト立ち上げの段階で支援を重点的に行うことで、その解決を図ろうとしている。

石狩湾の洋上風力発電所

北海道は、今後、洋上風力発電をはじめ再生可能エネルギーが拡大する見通しで、本州に一部を送電したとしても使い切れずに余る「余剰電力」が発生する見込みだ。「余剰電力」は価格が安いため、グリーン水素の競争力をさらに高めやすいと考えられているのだ。

北海道電力総合エネルギー事業部の富田隆之グループリーダーは、プロジェクトがうまくいくかは「価格につきる」と指摘した上で、安い電力をいかに調達し、システム全体でコストを下げられるかが重要で、水を電気で分解すると水素と酸素が生まれる原理を生かした「水電解装置」の技術開発にも期待したいと述べた。

世界の競争は水素ハブで

この日本の支援制度は、欧米の水素政策を強く意識したものだ。

このうちアメリカでは、バイデン政権がグリーン水素などクリーンな水素の普及拡大に向けて95億ドルの予算を計上したほか、巨額の税額控除も打ち出した。

バイデン政権は2021年、クリーンな水素の価格を10年以内に1キロ1ドルにまで下げ、一気に普及を図ろうという目標を掲げた。

その実現に向けた政策のひとつが、地域の中に水素の製造から輸送、貯蔵、そして利用まで、一貫したサプライチェーンを構築する「水素ハブ」の取り組みだ。投資を集中させることで、水素を安く製造したり、利用したりする技術を一気に開発しようという狙いがあり、去年10月、全米で7か所が選ばれた。

カリフォルニア 水素ハブ代表 アンジェリーナ・ガリテバさん

ハブの一つ、カリフォルニア州のハブARCHES(アーチーズ)のアンジェリーナ・ガリテバ代表は、NHKの取材に対し「水素ハブにはとても大きな可能性がある。今ある技術を商用化し市場に押し出すのだ」と意気込む。

カリフォルニア州では、多くのスタートアップ企業が水素産業に参加している。

このうち、水素の製造装置を開発する企業では、水素の製造コストを下げるため、水を電気分解して水素と酸素に分ける際の触媒の材料の研究をAIを使って進めている。

基盤となる技術は、カリフォルニア工科大学で10年あまり培ってきたものだ。本社の屋外には、開発した触媒で水素を製造する実証プラントが設けられ、複雑に入り組んだ配管の中では、生み出された水素が勢いよく泡立っていた。

水素製造実証プラント
水と電気から水素を製造する水電解装置
水電解装置で製造された水素の泡
スタートアップ企業 H2Uテクノロジーズ スティーブ・ウォレンバーグ最高執行責任者

コストを現在の10分の1に下げるべく、触媒材料を毎月約3万種類テストしている。AIだから出来ることで、水電解装置もいずれ半導体や太陽電池のような価格の劇的な低下が見込めるだろう。スタートアップ企業の成功にはタイミングが非常に重要で、長年温めてきた技術をまさに実用化する時が来たと実感している(スティーブ・ウォレンバーグ最高執行責任者)

アメリカの水素研究をリードしてきた、カリフォルニア大学アーバイン校のジャック・ブラウワー教授は、アメリカでの急速な水素政策の広がりについて「私からすれば遅すぎるくらいだ」とした上で、太陽光や風力などの再エネが拡大した故の一種の必然だと指摘する。

カリフォルニア大学アーバイン校 ジャック・ブラウワー教授

余剰電力の廃棄が増え、これ以上、再エネを増やすには、大量の貯蔵が欠かせなくなった。人々は電気自動車など電気として使うことで社会の脱炭素化をはかれることを目の当たりにした一方、大型の輸送や製鉄、重工業などでは電気よりも水素が役に立つことが理解されてきた。これは全世界的な傾向だ(ジャック・ブラウワー教授)

一方で、普及のための低コスト化に向けては、技術開発が欠かせないと指摘する。

現在、各国の水素支援策の多くはサプライチェーンのスケールアップを目的としているが、それだけでは、劇的な低コストは実現できない。スケールアップとイノベーションを同時に進めていかなければならない(ジャック・ブラウワー教授)

日本の水素コストは下げられるのか?

日本ではグリーン水素の製造コストを下げていくために、何が出来るのか。

北海道でも、水電解装置に用いる触媒の材料の研究が進められている。取り組むのは、北見工業大学と旭川高専の研究グループだ。

現在は触媒に主に希少な金属=レアメタルが使われ、コストが高くなる原因となっているが、研究グループは、レアメタルに代わる安価な原料を探し、「ニッケルCNO」と呼ばれる化合物を見いだした。「ニッケル」は豊富にあり、触媒を組み込んだセルと呼ばれる部品の価格を10分の1ほどに抑えられるという。レアメタルに比べ、分解の効率は劣るものの、風力発電のように出力が変動する電力でも安定して水素を生み出せることがわかったという。

水素を生み出すセル
ニッケルCNO。触媒の価格を安価に抑えられるという

開発を進める北見工業大学の小原伸哉教授は「実用化に向けては、触媒の化合物を作るだけでなく、それをシステムに組み込んでいくノウハウも重要だ。材料屋とシステム屋が連携する日本のものづくりの強みが生かせる」と話す。

一方で、小原教授は、日本での水電解装置の研究は欧米に遅れを取ったと感じるという。大学での研究職に就く前、自動車部品メーカーで、水素から電気を生み出す「燃料電池」の開発に携わっていた小原教授。燃料電池は日本が世界の研究をリードした。

北見工業大学 小原伸哉教授 

技術的には燃料電池と逆の原理で動く水電解装置の開発は可能なはずだったが、数年前まで国内での研究は少なかったと思う。欧米に比べて日本はまだ気候危機への危機感が乏しく、再生可能エネルギーがここまで急速に拡大し、余剰電力が発生すると読めなかったのではないか(小原伸哉教授)

北海道では、グリーン水素の普及に向けて、工場などでの大規模なサプライチェーンとは別に、地域での小規模な地産地消のモデルを低コストで作ろうという動きもある。

室蘭市での取り組み(宿泊施設の風呂・水素バーナー・ロードヒーティング)

室蘭市では、行政と企業が連携して、この冬から水素をさまざまな現場で利用する事業が行われている。市内の駐車場のロードヒーティングでは、水素を燃やすボイラーで熱湯を作り出して路上の雪をとかすほか、金属加工メーカーでぶ厚い金属を水素の炎で焼き切ったり、宿泊施設でお風呂を沸かすなどの用途で使っている。小規模でも利用者を増やすことで水素の需要を高めようという狙いだ。

ガス会社が既存の配送網で水素を運ぶ
水素吸蔵合金タンク

この事業を支えるのが、水素をプロパンガスと同じように利用者に届ける配送網だ。水素タンクは水素吸蔵合金と呼ばれる特別な技術で安全性を高めたもので、ガスボンベと同じような大きさだ。パイプラインなどのインフラを構築せずとも、おなじみのガスボンベの配送網を使って、コストを抑えようとしている。

プロジェクトを進める室蘭工業大学 亀川厚則教授

水素は製造場所から遠くに運んで使うのにはコストがかかるため、北海道のように各地に再エネがある場所では、その土地土地で地産地消する使い方もある。工業地帯のような大口で使うのに比べて、町中や家庭で使う際は、末端までの配送にコストがかかり、ラストワンマイルまで含めて製造コスト、技術、配送コストをトータルで考える必要がある(亀川厚則教授)

日本の歩むべき道は?

日本が今後、グリーン水素で主導権を握るにはどうすればよいのか。

国内の水素研究の第一人者で、国の水素政策の委員会で委員長も務める、九州大学の佐々木一成教授は、水電解装置の開発と社会実装を着実に進めて国内のグリーン水素市場を構築することで、課題を克服するべきだと主張する。

また、日本の技術を生かして、再生可能エネルギーが安い海外で安く水素を製造したり、日本とエネルギー供給の構造が似ているアジア諸国の脱炭素化をはかったりすることが望まれると話す。

特に、グリーン水素を巡っては、けん引役となってきた欧米では、政策を実行に移す段階で、投資判断に足踏みするケースが見られる一方、この半年、中国やインドの動きが本格化しているという。

九州大学 水素エネルギー国際研究センター 佐々木一成 センター長

日本は水電解装置の開発で出遅れたと指摘されるが、計画を立てて着実に実現する、いわばマラソンのような戦い方に強く、海外の動向を注視しつつ、開発と社会実装をぶれずに進めていくことが大切だ(佐々木一成教授)

そして、そのために大切なのが、グリーン水素に対する認識を社会が共有することだという。

特に、次世代を担うエネルギーが水素か再エネ電力かの二者択一のように語られるのは誤解で、あくまで水素は再エネ電力を補完するものだと強調している。

まず再エネを電力として使った上で、余った電力を水素に換えて、電化が難しい分野で脱炭素燃料として使うことでさらに再エネの導入を増やせ、エネルギーの輸入を減らすことにつながる(佐々木一成教授)

国内でも特に冬場の暖房などでエネルギーにかかる費用がかさむ北海道。

豊富な再エネを生かして、グリーン水素を製造し、環境にも経済にも良い循環を作り出せるのか、そして、国際競争で日本が主導権を握れるのか、注目していきたい。

(23年12月21日 国際報道2023、24年1月19日・2月20日 ほっとニュース北海道、24年2月14日 おはよう日本アイズオンで放送)

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