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推し研 あなたの知らない究め人

イボニシを拾う男

2021.12.27 :

その研究者は、波消しブロックの間を、足取り軽やかに歩き回っていた。

探しているのは「イボニシ」。巻き貝だ。

毎月2回、潮が引く大潮の日に通い続けてもう10年半になる。

 

水産学部出身の私は、知っている。

「イボニシ」と言えば、「インポセックス」。

メスのオス化現象だ。

生殖異常が環境問題の指標になると研究の対象になってきた。

 

その研究者は言った。

「事故が起きた国の研究者の責務だ」

 

まっすぐな視線。

いったい、イボニシから何がわかるのだろうか。

イボニシの冷凍庫

国立環境研究所内の冷凍保存施設(撮影 堀口敏宏さん)
茨城県つくば市にある国立環境研究所の巨大な冷凍施設。

ここには、およそ10万の「イボニシ」が冷凍保存されている。
冷凍されたイボニシ(撮影 堀口敏宏さん)
このほぼすべてを集めた、堀口敏宏さん。

生態系影響評価研究室の室長だ。
研究室では、万力が、ガリッと鈍い音を立てていた。

長さ2センチほどのイボニシの堅い貝殻を割り、中の身を取り出す。
調べているのは性別だ。

卵巣の成熟度合いを判別し、助手に伝えていく。

身はさらに極薄にスライスして、ガラス板に載せてプレパラートにする。

流れ作業が進んでいく。

「インポセックス」報告が世界を救う

貝の性別を調べる。

堀口さんは、この技能によって、世界の環境問題のルール変更に貢献した。

1980年代後半、大学院生だった堀口さんはある海外の論文を目にする。

ヨーロッパの海岸で、船底にフジツボなどの生き物が付着するのを防ぐための「防汚塗料」に含まれる、トリブチルスズと呼ばれる有機スズ化合物の一種が原因で、チヂミボラと呼ばれる肉食の巻き貝のメスがオス化しているという内容だった。

メスの貝にペニスが出来る「インポセックス」とも呼ばれる現象がみられるという報告だった。
「日本でも起きているはずだ」と、調べ始めた。

すぐに、愛知県水産試験場の知り合いから「バイ貝」が卵を産まない、メスにペニスが出来ているという知らせが入った。

現地に足を運ぶと、インポセックスは起きていた。
堀口さんは、その後、全国どこででも採集しやすい貝「イボニシ」を調べることにした。

全国調査を行い、「インポセックス」が日本の各地で深刻化していることを突き止めた。
イボニシのメス
日本では、1990年以降、行政指導によって、有機スズ化合物の使用が禁止されたが、国外では、使用が続けられていた。
船は世界各国を行き来するため、国際的な規制にしないと意味がない。

国際海事機構で新たな条約を作る必要があると、日本の環境省が動いた。

その理論武装をするために堀口さんが呼ばれた。

国際条約の制定には反対派も多く、議論は難航したが、2001年、日本などの提案を受ける形で、IMO=世界海事機関は、有機スズ化合物の船底塗料への使用を全面禁止する条約を採択した。

条約が発効する1年半前まで、堀口さんのイボニシ調査は17年あまり続いた。

イボニシとは

イボニシはアッキガイ科の肉食性の巻き貝、殻の長さは3センチほど。らせん状に巻いた貝殻の盛り上がった部分に、イボイボがついている。口から酸を出してカキやフジツボの殻を柔らかくして、紙やすりのような舌で穴を開けて、中の肉を食べる。北海道南部より南の日本沿岸、東アジアで、潮間帯と呼ばれる潮の満ち引きで水に浸かったり浸からなかったりする場所に生息する。岩場や消波ブロックなどのコンクリートの護岸、船着き場などで見つけることが出来る。筆者は、高校生の時、ハゼやヤドカリなどの磯の生物とともに部屋の水槽で飼育していたが、長生きはせず、気がつくと殻の中にヤドカリが入っていた。

原発近くのイボニシに異変!?

国際的なルールを変える議論に貢献してきた堀口さん。

だが、2年前、それを見つけた時の衝撃は、さらに大きかった。

福島第一原発のすぐ前に広がる海岸で、イボニシのメスが、冬になっても成熟しっ放しだったことが分かったのだ。
成熟したイボニシのメスの卵巣
通常、メスの卵巣は夏の繁殖期しか成熟しない。

その研究成果は、国際的な学術論文誌に掲載された。

「事故を起こした原発近くでイボニシの繁殖に異変が起きている」

こう言えば、センセーショナルに聞こえるが、堀口さんは、冷静だ。
「事実として言えることは、そういう現象が見つかっただけだ。何が原因なのかは、一つ一つの可能性を潰していかないと分からない」
福島第一原子力発電所近くの海岸
堀口さんが、原発の側の海岸に通い始めたのは、震災の半年後の2011年12月。

きっかけは、国の放射線医学総合研究所につとめる研究者からの依頼だった。

原発近くの海で行方不明者の捜索活動に当たった人の被曝量を調べる必要があり、イボニシの貝殻の放射性物質を調べたいという相談を受けた。

放医研の研究者が堀口さんを頼ったのは、堀口さんが「イボニシ」の研究で長年の実績を持っていたからだった。

「イボニシならいくらでも取れる」

堀口さんは、採集のため原発近くの海岸に向かった。

しかし、一匹もいなかった。

反公害の宇井純さんに憧れて

堀口さんは伊勢湾に面した三重県松阪市で生まれ育った。

釣りが好きで、海に関心を持った。

大学の水産学部の1年生の時に出会ったのが、「公害原論」という本。

水俣病を告発、反公害の活動家として知られていた宇井純さんが書いた。

水俣の実情を指摘した熊本大学医学部に対して、当時の東大医学部を筆頭とする日本の医学界が徹底的に攻撃していたことを批判する内容だった。
「宇井さんは東大が出てきたら気をつけろなどと、御用学者を徹底的に批判していた。こんな汚いことがこの世の中にはあるのか。そして、こんなに歯にきぬを着せぬ物言いをするすごい人がいるのかと驚いた」
水俣病では、人に症状が出る前に、猫や魚に異変が見られていた。

そうした生き物の変化をいち早く察知すれば、危険の芽を摘み取れるのではないか。

宇井さんを目標に、研究者の道を目指すことを決めた。

そして、沖縄にいた、宇井さんに手紙を書き、直接会いに行った。

自分の中の2つの立場

研究を通じて社会にも影響を与える中で、堀口さんは研究者としての2つの立場を学んだと話す。

ひとつが、研究者として現実に向き合うときは「虚心坦懐」であること。
現象を見つめて、そのメカニズムを調べる時には、思想や意見は、極力排除すべきという立場だ。

いっぽうで、その結果を、社会に公表する段階では、はっきりと意見を表明すること。
「専門家には中立という人がいるが、問題解決のためにははっきりと意思表明すべきだ。中立だという顔をしていると、権力側に利用される。自分は力が弱い側に立ちたい」
研究で得た事実を発表する際は、批判的な立場を隠さず、それ自体をとやかく言われても気にしない。

環境問題ではよく「予防原則」が語られるが、現実的には何か問題が起きてからでないと気付けないことがほとんどだ。
研究者として、小さな芽の段階で気づいた事実が、将来的に社会を救うことにつながる。

そのためには、研究者には、明確な意思表明や批判精神が必要だと、信じている。

イボニシを飼ってみる

福島の海の「イボニシ」の異変は、そんな堀口さんを、突き動かしている。

緻密な状況の把握が必要だ。

2012年の4月から8月にかけ、北は岩手から南は千葉まで太平洋沿岸の43地点を一斉に調査。

すると、福島第一原発に近づくほど、「潮間帯」と呼ばれる、海岸の水に浸かる場所に住む、貝などの生き物の種類数が減っていることがわかってきた。

原発を含む、福島県広野町から双葉町までのおよそ30キロの間では、イボニシをまったく見つけることができなかった。

海辺にすむイボニシは、卵からふ化した後の幼生期の2、3か月は、潮流に乗って流されるので、一度、いなくなっても、すぐによそからやってくるはずだった。

その後、福島県の南北から生息が確認され始め、原発に最も近い、大熊町の夫沢で生息が再び確認されたのは、震災から5年後、2016年のことだった。
夫沢のイボニシ
イボニシは、原発の周辺で、5年の間、なぜいなくなっていたのか。

事故で出た放射性物質の影響なのか、事故処理に使った薬剤の影響なのか、港湾工事の影響なのか、津波で流された物から流出する物質の影響なのか、それともやはり津波の影響なのか、原因は今も分からないままだ。

ただ、原発周辺だけで見られる現象だけに、堀口さんは、ひとつひとつ原因を探り当てる研究を進めている。
「生き物がいないという事実に、実感を持って向き合う。ふだん自然界の変化で起きない生物の変化が生じたから、原因があるわけで、原因を知りたいし、調べて記録に留めておくことは、事故が起きた国の研究者の責務だ。何が起きたのか。どのような環境変化が起きたのか。出来る限りの再現で確かめたい」
現在、計画しているのが、事故で放出された放射性核種を水に入れてイボニシを飼う実験だ。

これには、極めて手間がかかる。

容易に手に入る核種もある一方、研究機関の加速器で生成しないといけない核種もある。

堀口さんは、震災10年目のことし、国の原子力規制委員会にこうした核種を実験のため使用する許可を得た。

研究機関の加速器で生成してもらい、つくばの実験施設にどう運ぶか計画を練っている。

福島の海の謎・小型の生物の数が減っている

地道な調査は、意図せぬ発見をもたらす。

堀口さんは、震災後、福島の海でもうひとつ、興味深い現象を発見していた。

海に放出された放射性物質の魚介類への影響を調べようと、震災2年後から、毎年2回、底曳き網を使って、魚介類を採集、種類や大きさ、数をデータ化してきた。
この調査は、福島沖の9か所の毎回同じ場所で、網に入った生き物を全て調べる。

その結果、とれた魚介類の全体の重さはそれほど変わらないものの、一匹ずつ数えた場合の数は減っていることが分かった。

エイやサメといった大型の魚が増えた一方で、ヒラメやカレイは減少傾向に。

特に、小型の魚やエビやカニ、ヒトデやナマコの減少傾向が大きかった。

福島の海では、漁業の自粛が続き、魚は増えたと考えられてきた。

試験操業も進み、実際に全体の水揚げ量は増えていたが、震災後、小さい魚が減り、エビやカニがいなくなった」という感覚は、地元の漁業者も持っていた。

とりわけ小型の生物の数が減っていることは、福島の海で魚介類が繁殖し成長する営みが必ずしも順調にいっておらず、将来資源が減少する可能性もはらんでいるのだ。

ただ、ここでも、堀口さんは、あくまで冷静だ。

「操業自粛で大きな魚が増えて小型の生き物が食べられたのか、地球温暖化のせいなのか、緻密に調べないと原因は分からない」

堀口さんは、かつて、東京湾で、同様に魚介類が減少したまま増えない原因を長期間の調査で突き止めた。

そのときは、貧酸素水塊と呼ばれる、水中に溶け込んだ酸素が少ない水域が原因ではないかと推測された。

去年からは、東京湾で魚のエサになるなど、生態系にとって重要な役割を持っているエビやカニの幼生の動向を調べている。

小さな生き物のメッセージを読み解こうとする姿勢は、公害研究が原点になっている。
「処理水の放出など、福島の海に関心が高まる一方、驚くほどその実態は調べられていない。生態系全体を把握し、豊かな海を取り戻す処方箋を出したい」
堀口さんにとって、震災10年目は、まだまだ調査の通過地点だ。

闘う環境研究者

緻密な事実解明を目指す、堀口さん。

国立の研究所に所属しながらも、国に鋭い指摘を行うこともある。

ことし議論された、国の海の環境基準づくりでのこと。

魚介類の生息や繁殖に適した環境を作ろうと、海底の海水に溶け込んだ酸素の濃度を基準に盛り込む際、環境省は最低水準を「2.0ppm」として提案してきた。

しかし、それは堀口さんに受け入れられるものではなかった。2.0という数値だと、すでに「貧酸素」状態で、それを防ぐための環境基準値にはなりえない。

堀口さんたちの研究では、2.5を下回ると、生き物は死んでしまうレベルだった。

「生きられない基準を設けるのはおかしい」

環境省は、きりの良い数字を、というが、それなら、3.0だ。
「研究者として科学的根拠をもって言うこと。それが結果的に政府に一致していなくても、やむを得ない。どの立場であっても、国民のために尽くそうということは同じはずなので、事実に照らして話し合いをしていけばよりよい道が見いだされるはずだ」
いま、堀口さんが強く感じていること。

それは「環境問題」に対してみんながひとつの解決策にのみ突き進んでいくことへの違和感だという。

たとえば、「地球温暖化」対策について、二酸化炭素が諸悪の根源だとして、すべてを排除していくような行動は、本当に適当なのか。視野狭さく陥っていないか。

科学の世界で論理的にそこまで言い切れるのか。

一部の利権団体などの思惑で政策が左右されていないか。

事実がゆがめられていないか。
「政府も研究者もNGOもメディアも同じ方向を向いていく。ひとつの角度からみるのは危険で、角度を変えてみることが必要だ」
堀口さんが学生の頃、さまざまな環境問題があった。

しかし、みんながひとつの解決策に向かっていくことはなかったという。

見解の相違があっても、いろいろな議論が闘わせていた。

最近は、セミナーでも学会でも、質問をして激しく論争することが少なくなった。

みな、無意識に議論を避けているのではないかとも感じている。
「われわれのやるべきことは議論や判断の根拠となる確かな情報を提示していくことだ」

真実に近づくには

多種多様な情報があふれ、即座に消費されていく、現代社会。

堀口さんへの取材を通じて、感じることは、真実に近づくための情報は、容易には手に入るものではなく、誰かが責任感を持って追い求めなければならない、大変尊いものだということだ。

科学報道に身を置く自分としても、単に結果だけを伝えるのではなく、その研究の意味や背景、精神までも伝えねばならないと、襟を正される思いだ。



イボニシが、静かに語るもの。堀口さんは、原発横の海で、イボニシを拾い続けている。

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札幌放送局記者

黒瀬総一郎

2007年入局。岡山局、福岡局を経て2014年から科学文化部で海洋や天文のほか、サイバーセキュリティーやAI倫理、ネット社会の問題を中心に取材。また、全国の水辺を巡って、ウナギやサンゴなど、生態系の保全や資源管理に関する取材を続けてきた。2021年からは札幌放送局で、北海道の自然環境やデジタルに関する取材を進めている。川で取ってきたニホンウナギを、長年、自宅で飼育し、体長は80センチに(すでに死亡)。

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