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牧野富太郎とタンポポ 道ばたに咲く花に見た“したたかな”生存戦略とは

牧野富太郎とタンポポ 道ばたに咲く花に見た“したたかな”生存戦略とは

2023.04.28

連続テレビ小説「らんまん」。

 

主人公のモデルは、植物学者・牧野富太郎。日本に生育する木々や草花を調べて学名をつけるなど、日本の植物分類学の基礎を築いた“草分け的存在”だ。

 

この牧野富太郎はおよそ100年前、ある植物についての予言を残している。

 

「やがて、あまねく日本全国に広がっていくであろう」。

 

その植物とは“タンポポ”だ。桜の開花と同じころ、私たちの足元で春を彩る。

 

予言の根拠は何だろうか。調べていくと、タンポポの“したたか”とも言える生存戦略が見えてきた。

朝ドラ主人公のモデル“牧野富太郎”

ことし4月に始まったNHKの連続テレビ小説「らんまん」。

物語の主人公は、ただひたすらに愛する草花と向き合い続けた天才植物学者で、神木隆之介さんが演じている。主人公のモデルは“日本の植物分類学の父”とも言われる、牧野富太郎だ。

新年度スタートの「らんまん」。モデルは植物学者の牧野富太郎。未発表資料や知られざる功績はないだろうか。

さっそく生い立ちから調べてみることにした。

肖像画像:高知県立牧野植物園

生まれは高知県。植物の知識を独学で身につけ、上京後、出入りを許された東京大学理学部の植物学教室で、植物分類学の研究に打ち込んだ。

日本人として国内で初めて新種に学名を付けるなど、1500種類以上の植物を命名。94年の生涯で収集した標本は、実に40万枚に及ぶと言われている。

日本の植物分類学の基礎を築いた“草分け的存在”。

「これほどの人物なら誰もが知っている身近な植物に関する資料や記録が残されているのではないか」。

「らんまん」が始まる春に見頃を迎える植物から調べることにした。

サクラは去年、先輩記者が「サイカル研究室」でソメイヨシノを特集済み。ソメイヨシノ その起源を探る旅

あとは、ウメ、ツツジ…。

無作為に思いを巡らすなか、ふと浮かんだのが“タンポポ”だった。

このあたりから調べてみよう。詳しい人物を探すことにした。インターネット検索で、なんとなく「タンポポ」「調査」と入力してクリック。

すると、「タンポポ調査・西日本実行委員会」の文字が。

早速、電話で問い合わせると、事務局の木村進さんから興味深いキーワードを聞くことができた。

生物を担当する高校教師でもある木村進さん タンポポ調査歴はおよそ半世紀に及ぶ

「牧野富太郎は、外来種として知られる『セイヨウタンポポ』が日本全国に広がることを、いまから100年以上も前に“予言”していたんですよ」

牧野富太郎とタンポポ。予想以上のスピードで結びついた。
さらに尋ねていくと“予言”が記された資料も「残っている」という。

木村さんに紹介されたのが「高知県立牧野植物園」。

“予言”が記された資料をこの目で確かめるため、牧野富太郎の地元・高知へと向かった。

牧野富太郎が残したタンポポの“予言”

高知県立牧野植物園には、牧野富太郎が私財を投じて収集した欧米の学術書などの蔵書や植物画などの貴重なコレクションおよそ6万点が保管されている。

「牧野文庫」にある膨大な蔵書

収蔵庫の奥から出して見せてくれたのが、探し求めていた“予言の書”だった。

「植物学雑誌」 資料収蔵:高知県立牧野植物園

白い手袋で丁寧にそのページを開いてくれた。

「植物学雑誌」 資料収蔵:高知県立牧野植物園

明治37年(1904年)に発行された「植物学雑誌」。

「日本のたんぽぽ」という表題で2ページにわたって記述されている。

「植物学雑誌」 資料収蔵:高知県立牧野植物園

「年ヲ逐テ其地域ヲ擴グベク(中略)、我邦全土ニ普ネキニ至ラン」。
(意味)
「年々その分布を広げるべく(中略)、あまねく日本中に広がるであろう」。

牧野富太郎は確かに“予言”を残していたのだ。

さらに読み進めると、札幌で「セイヨウタンポポ」が繁茂していることも報告していた。

国立環境研究所に問い合わせたところ「セイヨウタンポポ」は北海道から遠く離れた四国・九州まで、全国で分布が確認されているという。

“予言”はずばり的中していた。

100年以上先の未来を言い当てることができたのはなぜか。植物園の職員でタンポポの調査にも関わっている藤川和美さんに聞いた。

高知県立牧野植物園 藤川和美 広報課長

「当時、植物分類学をやるうえで西洋の書籍は必須で、牧野博士はそれらを読み込むなかで、セイヨウタンポポの存在を知っていたはずだ。道ばたに咲いているタンポポの変化を見逃さなかったのは、植物の特徴を詳細に観察する牧野博士だからできたのではないか」

「外来種」「在来種」「固有種」 違いは

予言的中は確認できたが、気になったのはわざわざ「“セイヨウ”タンポポ」と書いている点だった。

日本に長く生育しているタンポポではないのか?外来種なのか?
いろいろと疑問がわいたので、図鑑や専門書を手に取った。

そもそも、タンポポなどの種はもともと分布している地域などをもとに「在来種」「固有種」「外来種」などと呼ばれる。それぞれ次のように定義されている。

「在来種」…昔からいた生き物で、その地域の生態系と密接に関わっている種。
「固有種」…特定の国や地域にしかいないもの。日本にしかいなければ日本の固有種。
「外来種」…もともといなかったのに海外など別の地域から持ち込まれた種。

関東には「カントウタンポポ」。

関西には「カンサイタンポポ」。

東海には「トウカイタンポポ」。

在来種だけでもさまざまな種類があり、異なる名前が付けられている。

シロバナタンポポ(高知市)

これは白色の花を咲かせる「シロバナタンポポ」だ。「花は黄色」というタンポポへの固定観念も打ち砕かれた。

このほか、標高2000メートル以上の高地にしか分布しない希少なタンポポなど固有種も多く、日本は世界でも有数のタンポポ大国に数えられるという。

外来種も種類は複数。さらに「セイヨウタンポポ」と在来種が混じった「雑種」まで存在することを知った。

タンポポの見分け方 注目するのは“裏側”

在来種と外来種、それぞれ1種類ずつだろうと思っていた私。次に知りたくなったのは、その見分け方。

20年以上タンポポを研究している保谷彰彦さんに連絡を取った。

保谷さんを取材するため向かったのは東京・八王子市。タンポポはあちこちに咲いていた。

保谷彰彦さん タンポポを20年以上研究

「注目してほしいのは、タンポポの『花』ではなく、その“裏側”にある『総包(そうほう)』と呼ばれる部分」

花と総包の位置関係 黄枠内が総包(図鑑には“総苞”と表記)

外来種はこの部分に「反り返り」がある。なければ「在来種」の可能性が高いそうだ(※一部の「雑種」では「反り返り」のない例外の報告も)。

花の部分も違いが分かりやすい。外来種は花が密集、形も整っている。それに比べて在来種はまばらな印象。

種子の数も、外来種は在来種の2倍ほど。


(保谷さん)
「つぼみを比べても、外来種は濃い緑色、在来種の場合は全体的に淡い傾向がある」

外来種の生存戦略 “分身の術”

さらに保谷さんは、「セイヨウタンポポ」が全国に広まったのは、その生存戦略にあると教えてくれた。

在来種タンポポの花に止まるハチ(東京都八王子市)

花を咲かせる植物の多くは「受粉」を経て種子を作っている。自由に動けない植物が「受粉」するには、花粉の運び手となる昆虫などの手助けが欠かせない。

ところが。

空き地に外来種が群生する様子(東京都世田谷区)

外来種のタンポポは「受粉」を必要としない。単体で数を増やせるのだ。まさに“分身の術”。

そのため都市部でもどんどん数を増やせるという。舗装された道路脇や整備された公園などで見かけるタンポポに外来種が多いのはそのためだ。

(保谷さん)
「人間が開発した場所に単独で入り込んだとしても、子孫を残せるので、ひとりで増えていくことができる」

一方、在来種のタンポポは、花粉の運び手となる昆虫のほか、同じ在来種の仲間が必要。都市部などに多い、緑地が少ない環境は数を増やすのに適していない。

外来種の広がりは、日本の都市化を象徴しているように思えた。

在来種にも生存戦略 “地の利”を生かす

在来種はこのまま減り続けるだけなのか。諦め半分で調べていたところ、在来種が増えた場所があり、意外にも大規模な都市開発が行われた場所だという。

大阪府堺市内 奥に見える集合住宅が泉北ニュータウン

大阪市に隣接する堺市にある泉北ニュータウン。11万人が暮らしている。

案内してくれたのは、牧野富太郎の“予言”について教えてくれた「タンポポ調査・西日本実行委員会」の木村進さんだ。

1975年の「栂・美木多駅」周辺  画像提供:泉北コミュニティ

泉北ニュータウンがある一帯は、開発前の1960年代には丘陵地帯に里山や田畑が広がり緑が多い地域だったが、ニュータウンの造成とともにその大部分が失われ、舗装された道路や集合住宅などに置き換わっていった。

およそ半世紀にわたって行われたタンポポ調査資料を説明する木村進さん

木村さんは、自然環境の変化を身近な植物を通して調べようと、大学生だった1975年から仲間とともにタンポポの調査をはじめ、5年ごとにおよそ半世紀にわたって記録をとり続けてきた。

これは堺市で行われた調査結果をもとに、タンポポの在来種と外来種の割合を地図に落とし込んだもの。

濃い緑色は、外来種の割合が25%未満を示す。

黒枠内が泉北ニュータウンのあるあたり  外来種の割合ごとに色分けしている

1975年のグラフでは泉北ニュータウンのあたりは緑色で、在来種のタンポポが中心だった。

ニュータウン開発後から外来種が増え始め、2005年の調査では、外来種の割合が50%以上のオレンジ色に変化し、外来種が優勢になったことが見て取れる。

都市化によって外来種が増える。これまでの取材を裏付けるデータだ。

ところが。

黒枠内が泉北ニュータウンのあるあたり  外来種の割合ごとに色分けしている

さらに15年後の2020年に行われた最新の調査では、多くの地点が再び緑色に。外来種の割合が50%を下回り、1度は減った在来種の割合が再び増えていた。

なぜだろうか。

木村さんはある場所に案内してくれた。

泉北ニュータウンにある西原公園の雑木林

泉北ニュータウンにある区役所に隣接する公園。歩みを進めると、雑木林とため池が視界に入った。

(木村さん)
「ここは、本来の堺市の丘陵地にあった雑木林。開発のときに伐採を免れて残っている」

雑木林とため池の間に咲いていた在来種(カンサイタンポポ)

木村さんは、在来のタンポポは開発前からの自然が残るこの場所で生き延びてきたのだと考えている。取材で訪れた際にも、在来種のタンポポをいくつも目にした。

泉北ニュータウンの現在

ニュータウンの開発からおよそ半世紀という時間の経過も、在来種の割合が増える後押しになったという。植栽された場所では木々が大きく育っていた。

泉北ニュータウンで見つかった在来種(カンサイタンポポ)のまわりで見かけた虫たち

かつて造成されたエリアでも、ヨモギやスイバなどさまざまな在来種の植物が生い茂り、花粉を運ぶチョウなどの虫たちの姿も見た。開発前の地域の生態系が戻りつつあるのだと木村さんが教えてくれた。

泉北ニュータウンで群生していた在来種(カンサイタンポポ)

在来種のタンポポは種子が比較的大きく、そう遠くには飛ばない。保谷さんは「仲間がいるところから離れると子孫を残しにくくなるからだ」と話していた。

また四季のある日本に順応しており、生育に支障が出かねない暑い夏の間は葉っぱを落として地下部分だけになり、秋になって新しい葉を出し始めるという。年中葉っぱを茂らせる外来種とは異なり“地の利”を生かした生存戦略をとっているのだ。

かつて大規模な都市開発が行われたこの場所で、“分身の術”で数を増やす外来種と、“地の利”を生かして仲間とともにエリアを広げる在来種。それぞれの生存戦略の違いをはっきりと感じ取ることができた。

あとがき

肖像画像:高知県立牧野植物園

取材のきっかけは牧野富太郎だったが、身近なタンポポから“したたか”に生き抜こうとする植物の生存戦略など、多くを学んだ。

そして、現在のタンポポの広がりは、外来種と在来種の対決構図ではなかった。

外来種の植物の専門家、芝池博幸さんが話していたことが印象に残っている。

茨城県つくば市にある 農業・食品産業技術総合研究機構 芝池博幸 研究領域長

「日本では、人口減少に伴って宅地が減っていくことが予想され、長期的にみると、日本各地で同様に在来種のタンポポが増えてくることはあり得る。泉北ニュータウンの事例は生態系の変化の先駆けを捉えたものなのではないか」

タンポポ以外の草花や木々にもそれぞれ同じような生存戦略があるかもしれない。牧野富太郎が、生涯にわたって植物に情熱を傾けた理由の一端をかいま見た気がした。

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