文化

瀬戸内寂聴さん 小説にささげた“いのち”

瀬戸内寂聴さん 小説にささげた“いのち”

2021.11.11

作家の瀬戸内寂聴さんが、11月9日、心不全のために亡くなりました。

 

僧侶としての活動でも知られた寂聴さんですが、その人生はいつも小説とともにありました。

 

99年の生涯で残した小説の数は、120作以上。

 

そして2017年、当時95歳の時、寂聴さんは、最後の長編小説となる『いのち』を書き上げました。

 

これに合わせて行ったNHKのインタビューでは、小説家として生きた生涯を振り返り、その思いを語っていました。

 

生きることとは“書くこと”

最後の長編小説『いのち』は、作家としての半生を寂聴さん自身の視点で回顧する、自伝的な作品です。

およそ2年半かけて書き上げました。

執筆を始めた時点で、すでに90歳を過ぎていた寂聴さん。

「書き上がらないかもしれない」と感じながら書き進め、体力的にもこれが最後の長編小説になると考えていたといいます。

瀬戸内寂聴さん
「『いのち』なんて題をつけたのはね、もう本当に、死ぬかと思っていたんです。年も年だしね。それから、病気はあまりしたことがなかったのに大病をしたでしょ。それで、『ああ、もう先も短いな』と思って、それでなんとなく『いのち』って題にしたの」

寂聴さんを執筆に駆り立てたきっかけの1つが、2014年に「胆のうがん」が見つかったことでした。

小説では、みずからの「いのち」を強く意識したという、この時の医師とのやりとりを、次のようにつづっています。

『胆のうにガンがありました、……どうします?』。

『取って下さい』。

とっさに鸚鵡返しに口をついて出た言葉は、自分の声なのに、自分の中の誰かが勝手に喋っているようだった(中略)まだ私は死ねないと思った。

(『いのち』より)

その後、闘病を経て、がんを乗り越えた寂聴さん。

小説を書き進めながらたどりついたのは、「自分にとって、生きることとは、書くことだ」という思いだったといいます。

瀬戸内寂聴さん
「私はね、出家していますから、命そのものには未練もないんです。でもね、自分としてはやっぱり小説を書かなければ自分じゃないような気がするの。病気の時にペンを持てなかったでしょう。その時、病気の痛みよりも、小説が書けない自分なら、もう生きていてもしかたがないって思ったもん。だからやっぱり、私にとって小説は“命”なのね」

“好き”には理屈がない

取材時、すでに95歳だった寂聴さん。

小説を書くことへの思いは、年を重ねても変わることがないと話していました。

瀬戸内寂聴さん
「95歳でこんなに書いた人はきっと初めてね。皆さん90歳ちょっとまででやめますけど、かっこ悪いと思うんでしょうね、いつまでも書くことが。でも私はかっこ悪いと思いません。思う人は思っておけと。私は書く。書きたいんだから。喜びなんだから。

自分の何かを表現する。それを誰かが読んでくれる。やっぱりそこでしょうね。自分1人で書いて、ただ置いておくんだったら別にどうってことないの。それを誰かに読んでもらって、自分を知ってもらいたいんでしょうね。つつましそうにしているけど、小説家は自己顕示欲ですね。

ただ“好き”なんですね。人間みんな『どうしてこんな人を?』っていう人を好きになることってあるじゃない。だけど理由は説明できないのね。“好き”には理屈がないの。だって、いまだに書きながら徹夜するんですよ。笑 ふーふー言いながら『なんでこんなことしなきゃいけないの』って、ちらっとは思うけどね。でも、やめようとは思わない。読むことも好きだし、今でも若い人の小説が出るとたいてい読んでいますよ。やっぱり若い人もライバルですから」

生れ変わっても小説家でありたい

この日、京都・嵯峨野の自宅「寂庵」で行ったインタビュー。

寂聴さんは時折冗談を交えながら、いつもの朗らかな明るい表情で語りかけました。

そして取材の最後、みずからが望む人生の“終わり方”についても尋ねると、笑顔でこう話していました。

瀬戸内寂聴さん
「ペンを持ってね、こうやって仕事していて、疲れてね、ガクって。そういう死に方がしたいの。朝になって秘書たちがやってきて、書斎に入ったら私は死んでいたっていう、それが理想なの。

そしてまたいつか生まれてくると思うんです。その時には、やっぱりまた小説家になって、売れないところから始めたいと思うの。こつこつと」

書くことに命をささげてきた寂聴さん。

小説『いのち』の最後の1ページは、次のことばで締めくくられています。

生れ変っても、私はまた小説家でありたい。それも女の。

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