文化

“破滅の無頼派” 西村賢太が残したものは 玉袋筋太郎 尾崎世界観 田中慎弥が語る

“破滅の無頼派” 西村賢太が残したものは 玉袋筋太郎 尾崎世界観 田中慎弥が語る

2023.04.28

去年2月、54歳で急逝した芥川賞作家・西村賢太さん。

 

家族の犯罪により一家離散、15歳で日雇い労働に就き、独り東京を放浪。

孤独を抱えながらもペンを手にし、自らの人生をモデルにした「私小説」を書き続けました。

 

酒飲みで女好き。すぐに人を罵倒し、時に手もあげてしまう。

それでも小説だけを信じ続けた。

そんな“破滅の無頼派”の物語に「救われた」という声が、作家の没後も多く聞かれます。

 

西村賢太さんの生きた道、そして残したものを見つめる「ETV特集」が4月29日(土)に放送されます。

親交の深かった玉袋筋太郎さん、影響を公言する尾崎世界観さん、芥川賞作家の田中慎弥さんらのことばを、放送に先だって紹介します。

(NHK名古屋 河合哲朗)

「今、こんな生き方できねえから」

ことし2月、石川県七尾市の西光寺。
西村さんが眠る墓には、大好きだったたばこと甲類焼酎のボトルがいくつも供えられていました。

この1年、全国から熱心な読者が七尾まで訪れて、墓前に手を合わせているのです。
年代もさまざまな人たちが、その物語に「救われた」と語ります。

読者
「情けない人生を歩んできたけど、西村さんの小説からは“許されてる”ような感じがする」
「こんな自分でも生きてていいんだなって、励まされた」

一周忌の法要には、担当編集者たちに加え、生前親交のあった玉袋筋太郎さんの姿もありました。

玉袋筋太郎さん
「芸人のほうが今、こんな生き方できねえから。やっぱりすげえなって…。やりたいんですよ、賢太みたいな生き方。でもできない」

“玉さん”もそう語る、西村さんの生き方、どんなものだったのでしょうか。

「東京生まれ。中卒。」

「1967年、東京都生まれ。中卒。」

西村さんの著書のプロフィール欄は、決まってこの一文で始まります。
「芥川賞」の文字は本人の希望で記載しなかったといいます。

西村さんが書くのは、自身をモデルにした「私小説」。
主人公の名前は「北町貫多」。
「西村賢太」のいわば分身のような存在です。

写真提供 文藝春秋

貫多が小学5年生の時、父親が起こした性犯罪をきっかけに一家が離散。
母と姉と共に逃げるように土地を離れました。
中学卒業と同時に家を出て、15歳から日雇い仕事に就きます。

「根が意志薄弱」な貫多は、現場でのけんかや家賃の滞納を繰り返しては、東京を独り転々とします。

鶯谷、三畳間・家賃8000円。
雑司が谷、四畳半・1万2000円。
飯田橋、四畳半・1万5000円。

「ふと貫多は、そう云えば自分には友人も恋人もいないことが改めて思い起こされてくる。(略)貫多と云えば日々ひとりぽっちで、久しくそのような普通の楽しみとは縁遠くなっている」

「苦役列車」(新潮社)より

私小説に救われ 私小説を生きて

当時の西村さんの支えとなったのが、1人の作家でした。
大正期の私小説家、藤澤清造。

貧困にあえぐ生活を赤裸々につづり、性病の果てに精神を患い、42歳の冬に芝公園のベンチで凍死するという非業の死を遂げた文士です。

西村さんは、「暗い青春の鬱屈と怒りが充満」するこの藤澤清造の私小説に「泣きたいほどの共感」を覚え、その生きざまが「冴えない自分の人生」の「唯一の道標」となったと記しています。

写真提供 文藝春秋

藤澤清造の“没後弟子”を自称し、自らも“生き恥”をさらす私小説家となることを決意した西村さん。

貧しい労働の日常と、世間一般の“幸福”への嫉妬。
愛に飢えながらも、大切にすべき相手を傷つけてしまう身勝手な行動。
私小説家として生き、小説にすがりついた日々。

54歳までの生涯を、北町貫多の物語に託して描き続けました。

玉袋筋太郎「絶滅危惧種 滅びちゃったんだな」

一周忌、寺の本堂での法要が終わると、西村さんの思い出話が始まりました。
参列者が口々に語るのは、生前の西村さんの破天荒っぷりでした。

缶ビールと日本酒の1合瓶がいくつか空いた頃合いで、玉袋筋太郎さんに話を聞きました。

西村さんとはお互い東京出身の同学年。
自然と気があい、それぞれの行きつけの飲み屋で痛飲したこともたびたびだったとか。

玉袋筋太郎さん
「初対面の人には、ものすごい慇懃(いんぎん)無礼で来るんだよね。『玉さん』って読んでくれるから、おれも『賢太先生』で。でも飲んでると『さん』がとれて『おい、玉!』になって、おれも『賢太!』になって。そうなるともう大変ですよ」

酔いが進めば決まってけんかになるそう。
きっかけはだいたい、互いの褒め合いなんだとか…。

「『あんたすげえよ、芥川賞まで取って』『いや、お前の生き方もいいよ』から始まって、『おれのほうがお前のこと好きだ』とかよくわかんなくなって、『うるせえなばか野郎』って取っ組み合い。笑 で、3日後に手打ち式。おれがカステラ、向こうがバームクーヘン持ってきてたって、よくわかんねえよな、飲んべえのくせに。それがワンセットで繰り返しね」

西村さんに振り回された自分たちのことを“被害者の会”と呼びながらも、その身勝手さが魅力でもあったといいます。

玉袋筋太郎さん
「彼が世に出た作品は『苦役列車』かもしれねえけど、乗ってるわれわれとしては暴走列車だったよ。乗りたかねえよな普通。でも乗っちゃうんだよ。危ねえ危ねえって言いながら。あの乗り心地、よかったっすね。今のご時世、本当に“絶滅危惧種の肉食恐竜”だった感じするよ。でもそれはやっぱ滅びちゃうからね。ああ滅びちゃったんだなって思うね」

”被害者の会”の面々

尾崎世界観「鮮やかに描く負の感情」

2011年の芥川賞受賞後、西村さんは、自身の日常を日記形式で綴る作品も書き始めます。
以来、この「日乗シリーズ」は亡くなるまで書き続けられ、読者から親しまれました。

例えば2018年の「日乗」はこんなふう。

七月十一日(火)
午後二時起床。入浴。のち、二時間弱サウナ。
夜、買淫。まあまあ当たり。
帰途、喜多方ラーメン大盛り。汗、滝の如し。
(略)
缶ビール一本と、月桂冠の、冷蔵庫で冷やしたのを五合。

『一私小説書きの日乗 堅忍の章』(本の雑誌社)より

時には、担当編集者への悪口や、飲みの席でのけんかまで。
人気作家となってからも自分自身をさらし続けました。

この日記作品を密かに愛読してきたのが、ミュージシャンで小説家の尾崎世界観さん。
もともとは小説からのめり込みましたが、なぜだかこの日記作品にひかれるのだといいます。

尾崎世界観さん
「自分にとってはお守りみたいな感じで。活動がうまくいかなくなった時に読むことが多かったですね。『こんなところまで書くんだ』ということまで、赤裸々に書いているのが魅力的なんですけど、それだけじゃなくて、西村さんの“さみしさ”みたいなものも伝わってくるんです」

尾崎さんが特にひかれたのは、他者への嫌悪など“負の感情”についても冷静な筆致でつづる表現力だったといいます。

「自分も嫌いな人って多いんですけど、実は好きな人よりも嫌いな人の方が力になってくれたりするんです。この人に負けたくないとか、この人を見返したいとか。
でも、嫌いな気持ちってものすごく強い気持ちなので、塗りつぶされてしまうんですよね。ボールペンでいうと、インクが出過ぎちゃって細かい線が引けないみたいな感覚があるんですけど、西村さんはすごく細い線で怒りというものを書けるんです。こんなに鮮やかに負の感情を相手にぶつけることができるんだなって、発見が多かったんです」

実は尾崎さん、西村作品を愛読してきたことを、西村さんが亡くなるまで、あまり公言していなかったといいます。

尾崎世界観さん
「なんか、好きって言いたくない気持ちがあって。なんなんでしょうねこの感じ。誰かと共有したくない、誰かに知ってもらわなくてもいいっていうか。やっぱり“人がバレてしまう”というか、『西村さんが好きってことはこういう人なんじゃないか』って思われてしまう、それくらいの作品なんだと思うんです。人が一瞬でバレてしまう作品」

田中慎弥「いまだに分からない あの人が」

今回、同じ作家として親交のあった田中慎弥さんにも話を伺いました。

西村さんの翌年、2012年に芥川賞を受賞したことで2人の対談が組まれてから交流が始まり、それからは新宿の文壇バーなどでたびたび共に時間を過ごしたといいます。

田中慎弥さん
「自分とはスタイルも生き方も全然違ったんだけど、違うなりにどこか、同じ時代で並んで闘ってるっていう意識があったんです。危なっかしい生き方をしてる人ではあったけど、死にそうには見えなかった。でもそれ自体、彼にだまされてたのかもしれないですね。だから今は『ああ、本当にいなくなっちゃうんだな、人って』って気持ちで」

デビューから一貫して、自身をモデルにした私小説を書き続ける西村さんに、こんなことを聞いたこともあったといいます。

「私は、西村賢太が書く私小説以外の小説を読んでみたいと思ってたんで、書くわけないってわかってたけど、『ほかのは書かないの?』って聞いたんですけど、『作家は変わっちゃだめなんだ。変わるような作家じゃだめなんだよ』って言ってましたね」

写真提供 文藝春秋

田中さんは、私小説にこだわり続けたことこそが西村作品の魅力であり、同時に、西村さん本人を苦しめていた面もあったのではないかといいます。

「私自身、小説を書くときは“田中慎弥”の心理を書かないようにしてるんです。今書いている主人公の気持ちを書かなきゃいけないと思うんです。そこが西村さんは『これは自分なんだ』っていう意識があった。それが西村さんのいいところだったし、逆に言うと貫多以外の人物の気持ちを描写することは『してはならん』と思ってたんじゃないでしょうか。だからあのスタイルには、“快楽と苦しみ”があったんじゃないかな。

やっぱり“演じてた”って気がするんです。『自分と貫多』『貫多と自分』っていうありもしない距離を無理やり設けて、その間を行ったり来たりしながら書いて、演じてた。“北町貫多”という存在は西村賢太でもあり、西村賢太でもない。だから出口も入り口もなくて、抜け出せないですよね。そうすると、ときには主人公と闘う、自分と闘わなきゃいけなくなっちゃいますよね。自分と喧嘩すると、その拳の持って行き場がなくなるわけです。苦しいはずなんですよ。苦しくないっていうことはないですよ」

田中慎弥さん
「わかんないんですよ、あの人のこといまだに。で、わかったところで、どうしようもないんです。西村さんは『おれのこと探るのなんか野暮だよ』って思うだろうしね。小説が残っているわけだから『おれのことが知りたかったら、おれが書いたものを読め』って。

文字通り“孤高の人”っていうか、直接しゃべってても、彼とは小説とか文学の深い話にならないんですよ。こっちも聞きたいことを聞けなかった。突っ込んだ小説の話なんかをもっとすればよかったですね」

「ETV特集」では西村賢太さんの歩み、その私小説を愛読してきた読者の人生との重なり、そして最後まで向き合い続けた編集者たちが語る実像を紹介します。

2023年4月29日(土)午後11:00
ETV特集「魂を継ぐもの〜破滅の無頼派・西村賢太〜」(Eテレ)


※再放送 2023年5月4日(木)午前0:00

https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/RP43PM96MX/

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