文化

「生きやうとして生きられず」

「生きやうとして生きられず」

2023.10.03

こんな文章に、ふと目がとまった。

 

「僕は日本一の幸福者

 如何なる困難にも打ち克って吃度(きっと)幸福にする覚悟で居りますれば

 何卒よろしく」(漢字はママ)

 

末尾には「最愛の妻へ」ということばも添えられている。

 

この手紙の日付は、1944年11月20日。

太平洋戦争末期だ。

 

私は驚き、そして好感を持った。

戦況が厳しくなるなかで、どうにかして自分の思いを伝えたい。

そうした若者の姿が浮かんできたからだ。

 

しかし、「きっと幸福にする」という誓いは、空に散った。

戦争が、その命を、散らした。

「義烈空挺隊」と隊員の手紙

新藤勝少尉と妻の房江さん

手紙を書いた男性は、新藤勝少尉、当時28歳だった。
相手は11月3日に結婚したばかりの妻・房江さん。
2人は恋愛結婚だったという。

新藤少尉の手紙(昭和19年11月20日)

新藤少尉の出身地・宮崎県川南町は、日向灘に面し、温暖な気候と豊かな自然に恵まれている。
今も町内に残る30メートルほどの高さの給水塔は、空挺部隊が落下傘の降下訓練をする際の目標にもなったという。

この空挺部隊が、のちに編成される「義烈空挺隊」の母体になった。

1944年7月、サイパン島が陥落した。
アメリカ軍による日本本土への空襲が現実となった。
サイパン島の飛行場を取り戻し、空襲を阻止しようと編成されたのが「義烈空挺隊」だ。
空挺部隊の隊員と、諜報活動を行うための陸軍中野学校の出身者で構成された。
任務は、敵が支配するサイパンの飛行場に強行着陸し、駐機しているB29爆撃機を破壊すること。

新藤少尉が結婚したのは、義烈空挺隊が編成される直前だった。
自分の所属する空挺部隊に、敵のまっただ中に飛び込む、特攻のような任務が与えられるとは、思ってもみなかっただろう。

従軍カメラマン・小柳次一

カメラマン・小柳次一

新藤少尉の手紙は東京・新宿区の平和祈念展示資料館が所蔵している。
学芸員の高倉大輔さんによれば、もとは陸軍から嘱託を受けたカメラマン、小柳次一という人物が持っていたものだという。

小柳は、従軍カメラマンとして、中国やフィリピンなどで数多くの写真を撮影した。
そして、出撃前の義烈空挺隊の様子も克明に記録していた。
写真の多くは、終戦時に焼却処分されたというが、小柳は、そのうちの一部を自宅に保管していた。

戦後になると、小柳は隊員の遺族と連絡を取り、家族同様に交流したという。
1975年には、川南町に住まいを移し、晩年を過ごしている。
新藤少尉が妻に宛てた手紙も、遺族から小柳に託されたものだと考えられている。

その数は、半年ほどの間に27通。
手紙を最初に読んだときの印象を、学芸員の高倉大輔さんは次のように話している。

平和祈念展示資料館 高倉大輔 学芸員

(平和祈念展示資料館。高倉大輔さん)
特攻で出撃した人が残した記録の多くは、勇ましいものです。
覚悟を決めて、国のために死んでいくという。

しかし、新藤少尉の手紙は少し違いました。
妻や家族への思いが素直に表現されている。
実は、多くの人たちが、心の中に新藤少尉のような気持ちを秘めていたのではないかと思いました。

「御国に捧げた体」~手紙の変化

「義烈空挺隊」の隊員たち   撮影・小柳次一

義烈空挺隊のサイパン島への出撃は1944年12月24日とされた。
このとき、すでに戦闘機で敵の艦船に突っ込む「特攻」は始まっていた。

最初の手紙からは1か月ほどしかたっていないが、新藤少尉の手紙にも変化が現れている。

(新藤少尉の手紙より/1944年12月14日)
武人の妻なら例へ一夜の誓でも覚悟は出来てゐる筈と僕は信ずる
今更女々しい事は申し度くないが
毎日床に就いてはあの頃の事を思ひ浮べて淋しい日を送って居ります
一日も早く飛んで行きたい気持だが御国に捧げた体 国家に申訳ない
僕の心中お察し下さい

この手紙も、「最愛の妻へ」ということばで結ばれている。
一方で、自分勝手な行動を取るわけにはいかないという悩みも、にじみ出ていた。
おそらく、作戦について知らされたのだろう。

しかし、戦況の悪化によって、サイパンへの出撃は中止された。

さらに、年が明けた1945年2月にはアメリカ軍が硫黄島に上陸。
いったんは、そちらが攻撃目標となったが、1か月後には再び中止。
日本本土への空襲が激しくなり、各地が焼け野原となるなかで、隊員たちは演習を続けざるをえなかった。

先は見えないままだった。

「義烈空挺隊」の出撃

出撃前に握手を交わす  撮影・小柳次一

1945年4月1日。
アメリカ軍が沖縄に上陸し、制空権を奪われると事態が動き始める。
占領された飛行場を取り戻すために、義烈空挺隊は沖縄に向かうことになった。

そして、1945年5月24日。
義烈空挺隊の隊員136人と、輸送に当たる32人が沖縄に向けて出撃した。

最後の手紙

新藤少尉の“最後の手紙”(1945年5月21日)

新藤少尉の最後の手紙の日付は、5月21日。
出撃の僅か3日前だ。

(新藤少尉の手紙より/1945年5月21日)
僕にとっては楽しい楽しい意義深き日々でした
当地での生活を身に 胸に抱いて元気に征きます

戦死の公報が入るまでは元気で戦ってゐるのだから又決して犬死は致しません故 ご安心下さい

人間の命は計り知れないもの 生きやうとして生きられず死しやうとして死せるものでもない
(手紙の破損している部分の文字を一部、補っています)

そして、自分が持っていた房江さんの写真を、送り返すと告げている。

寫眞も共に敵地にと思ひ居りましたが
余りにも可哀想だから送りますれば
決して変に取らない様

自分と一緒に、あなたの写真が焼けることになってはかわいそうだ。
だから送り返すけれど、変な誤解はしないようにと説明している。

新藤少尉の優しい人柄を感じさせる最後の手紙。
こんなふうに締めくくられている。

では何時迄も元気でね
僕も元気で征きます

結婚して半年ほど。
2人が直接、会えたのは僅か3日間だけだったという。

「義烈空挺隊」の運命

それぞれの故郷に向けて頭を下げる  撮影・小柳次一

5月24日午後6時50分。
隊員など14人ずつが、爆撃機に乗り込んだ。
そして、およそ750キロ離れた沖縄に向けて飛び立った。

カメラマンの小柳次一は、出撃直前の義烈空挺隊の隊員たちの姿を撮影している。

隊員たちは、ふるさとの方角に向けて、それぞれ頭を下げた。

「世話になった、自分には必要ないものだから」と、自分の食料を整備兵に渡す隊員もいた。

持っていたお金を、「国防のために」とすべて献金する姿もあった。

爆撃機に乗り込んだ新藤少尉(右)

爆撃機に乗り込んだ直後の新藤少尉の姿もある。

笑うと、柔和な表情が浮かびそうだ。
しかし、その顔は、固く引き締まっている。
小柳は、どんな思いでシャッターを切ったのだろう。

義烈空挺隊の隊員たちを乗せて出撃した爆撃機は12機。
このうち4機は、エンジンの不調などで引き返した。

夜間飛行を続けて沖縄にたどりついた8機のうち、7機は対空砲火などで撃ち落とされたとみられる。
僅か1機だけが、アメリカが占領する飛行場に強行着陸した。
アメリカ軍の発表によれば、地上に降り立った隊員たちは33機の飛行機を破壊したという。

ただ、8機に登場していた隊員たちは、誰も生きては帰らなかった。
新藤少尉も…

(平和祈念展示資料館・高倉大輔さん)
結婚したばかりの妻を残して出撃するときの気持ちはどんなものだったのだろうとか、本当は死にたくなかったのだろうなとか、そんなことを思いました。

新藤少尉を含む若者の未来は、戦争によって絶たれてしまったのです。

今、戦争の影が徐々に近づいているとも言われます。
戦争がひとたび起きれば、あとには、やはり悲劇しか残されない。
戦争を起こさないようにするために、どうすればよいのか、多くの人に考えてほしいと思います。

企画展「義烈空挺隊員と家族の片影」

死を目前にしたとき、新藤少尉は何を考えたのだろう。

国のことだろうか。
妻のことだろうか。
それとも、人間の命についてなのか。

新藤少尉の手紙や、小柳次一の写真を集めた展覧会は、平和祈念展示資料館で2024年1月14日まで開かれる。

この内容は、R1の「NHKジャーナル」でも放送します。
https://www.nhk.jp/p/nhkjournal/rs/L6ZQ2NX1NL/
▽10月5日(木)午後10時~10時55分 
特集「義烈空挺隊 “特攻”と 残された手紙」
(聴き逃し:放送後~10月12日(木)午後10時55分)

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