「あまちゃん」というドラマは、格別だ。
登場人物の魅力、コミカルなストーリー、そして張り巡らされた伏線…
最初の放送からは、もう10年になる。
「もう一度、見たい」
そうした声が上がるなかで、ことし4月にBSで始まった再放送。
「あまちゃん」は再び話題になっている。
…ふと、考えた。
主人公のアキ役を務めた“のんさん”に、今だから聞けることがあるのではないか。
東日本大震災や、映画「この世界の片隅に」。
そして、“創作あーちすと”と名乗ることの意味について。
「あまちゃん」、再放送が話題に!

一応、NHKの“中の人”ではあるのだが、なぜ今、「あまちゃん」の再放送が実現したのか、その経緯などについては全く知らない。
まぁ、いいではないか。
だって、もう一度、「あまちゃん」を見られるのだ。
今度は、全話、録画している。
笑って泣いて、前を向こうと思わせてくれる。
そんな作品だと、知っているからだ。
インタビュー、聞きたいね。
やってみたいよね。
そんな話を同僚としているうちに、するりと、のんさんのインタビューが実現することになった。
まぁ、いいではないか。
だって、もう一度、「あまちゃん」を見られるのだ。
今度は、全話、録画している。
笑って泣いて、前を向こうと思わせてくれる。
そんな作品だと、知っているからだ。
インタビュー、聞きたいね。
やってみたいよね。
そんな話を同僚としているうちに、するりと、のんさんのインタビューが実現することになった。
「元気を与えられるドラマなんだと」
収録の日、薄紫色のワンピース姿で現れたのんさん。
少しだけ猫背のすらりとした姿。
その雰囲気は、大人びていた。
インタビューが始まると、笑顔で、そして、ときには考え込みながら答えてくれた。
まずは「あまちゃん」について。
再放送のことを、どう思っているのだろうか。
少しだけ猫背のすらりとした姿。
その雰囲気は、大人びていた。
インタビューが始まると、笑顔で、そして、ときには考え込みながら答えてくれた。
まずは「あまちゃん」について。
再放送のことを、どう思っているのだろうか。
(のんさん)
もう一度、見てくれる人もいれば、初めて「あまちゃん」に挑戦してくれる人もいて…
今も、元気を与えられるドラマなんだということについては、とてもうれしく思います、感動しています。
例えば、私、矢野顕子さんのことが大好きで、ずっと憧れていたんですけれど、ツイッターに、「おもしろかった、生きる楽しみが増えた」って書いていただいたんです。
それも、うれしくて。
もう一度、見てくれる人もいれば、初めて「あまちゃん」に挑戦してくれる人もいて…
今も、元気を与えられるドラマなんだということについては、とてもうれしく思います、感動しています。
例えば、私、矢野顕子さんのことが大好きで、ずっと憧れていたんですけれど、ツイッターに、「おもしろかった、生きる楽しみが増えた」って書いていただいたんです。
それも、うれしくて。
10年前と今。
のんさんの中に、何か違いはありますか。
のんさんの中に、何か違いはありますか。
(のんさん)
もちろん、懐かしいというのはあるんですが、今でも自分の姿を「役者」として見ちゃいます。
作品自体は、「やっぱりこんなにおもしろいんだな」っていうふうに、純粋に楽しんで見ているんですけれど、自分が出てきたとたん、審査する目になりますね。
私、「あまちゃん」に出演する前までは、自分のことを、“おとなしい役が似合う人”だと思っていたんです。
どちらかというと、太陽と月だったら、月の魅力のある役柄を演じていくぞ、みたいに思っていました。
アキちゃんは、最初は猫背の地味な女の子って言われたりしますけれど、どんどん“あまさん”に魅入られて、明るくなって、とぼけたことを言ったりして、かなり活発で行動力のある子です。
アキちゃんを演じていて、すごく楽しくて、毎日、この脚本にどうやってアプローチしようって考えていました。
自分の本来の魅力に気づかせてもらったという感じの作品でした。
もちろん、懐かしいというのはあるんですが、今でも自分の姿を「役者」として見ちゃいます。
作品自体は、「やっぱりこんなにおもしろいんだな」っていうふうに、純粋に楽しんで見ているんですけれど、自分が出てきたとたん、審査する目になりますね。
私、「あまちゃん」に出演する前までは、自分のことを、“おとなしい役が似合う人”だと思っていたんです。
どちらかというと、太陽と月だったら、月の魅力のある役柄を演じていくぞ、みたいに思っていました。
アキちゃんは、最初は猫背の地味な女の子って言われたりしますけれど、どんどん“あまさん”に魅入られて、明るくなって、とぼけたことを言ったりして、かなり活発で行動力のある子です。
アキちゃんを演じていて、すごく楽しくて、毎日、この脚本にどうやってアプローチしようって考えていました。
自分の本来の魅力に気づかせてもらったという感じの作品でした。
“東日本大震災を描くドラマ”
「あまちゃん」の放送が始まったのは、2013年。
東日本大震災の記憶が、まだ鮮明に残っていた時期ではないだろうか。
そうしたなかで、この作品は、震災と被災地のことを正面から取り上げた。
東日本大震災の記憶が、まだ鮮明に残っていた時期ではないだろうか。
そうしたなかで、この作品は、震災と被災地のことを正面から取り上げた。
(のんさん)
「あまちゃん」って、東北の大震災が起きる前から話が始まるじゃないですか。
もちろん“その日”は来てしまうんですが、朝から、こんなに底抜けに、明るく楽しいドラマを届けていたんだっていうことを、改めて考えさせられました。
放送が始まった当時は、“明るいことをやるのってどうなんだろう”という雰囲気が、日本中に漂っていたと思うんです。
でも、そうしたなかで、「あまちゃん」が東北を舞台にして、明るく元気に朝を始めていたっていうことが、すごく感慨深い。
そういう意味でも、あまちゃんに関わらせてもらって、本当にうれしいんです。
「あまちゃん」って、東北の大震災が起きる前から話が始まるじゃないですか。
もちろん“その日”は来てしまうんですが、朝から、こんなに底抜けに、明るく楽しいドラマを届けていたんだっていうことを、改めて考えさせられました。
放送が始まった当時は、“明るいことをやるのってどうなんだろう”という雰囲気が、日本中に漂っていたと思うんです。
でも、そうしたなかで、「あまちゃん」が東北を舞台にして、明るく元気に朝を始めていたっていうことが、すごく感慨深い。
そういう意味でも、あまちゃんに関わらせてもらって、本当にうれしいんです。
ただ、ドラマでも“その日”=3月11日のことは描かれる。
どのような思いで、のんさんは演じていったのだろうか。
どのような思いで、のんさんは演じていったのだろうか。

(のんさん)
放送の中でも、やっぱり、“その日”が来て、本当に胸が痛む場面はあります。
でも、そこからまた明るい「あまちゃん」になって、元気にドラマを盛り立てていく。
そのことにすごく興奮しました。
あまちゃんを演じる前に、東北の震災の被災地を訪問させていただいたんです。
そのときは、「自分がどういう感情を抱いたらいいんだろう」ってことすら判断がつかなくて…
「この場所にいなかった自分は、震災のことを、どう捉えたらいいんだろう」
分からなくて、答えが出なくて、 ひたすら戸惑っていたんです。
でも、「あまちゃん」を通じて、“そのシーン”を迎えながらも、明るく最後まで 突っ走るっていうのをやりきったときに、「あ、私は、少しでもみんなが笑顔になれるような、元気になれるような表現を貫いてやっていけばいいんだ」っていうふうに思えて、力が湧きました。
放送の中でも、やっぱり、“その日”が来て、本当に胸が痛む場面はあります。
でも、そこからまた明るい「あまちゃん」になって、元気にドラマを盛り立てていく。
そのことにすごく興奮しました。
あまちゃんを演じる前に、東北の震災の被災地を訪問させていただいたんです。
そのときは、「自分がどういう感情を抱いたらいいんだろう」ってことすら判断がつかなくて…
「この場所にいなかった自分は、震災のことを、どう捉えたらいいんだろう」
分からなくて、答えが出なくて、 ひたすら戸惑っていたんです。
でも、「あまちゃん」を通じて、“そのシーン”を迎えながらも、明るく最後まで 突っ走るっていうのをやりきったときに、「あ、私は、少しでもみんなが笑顔になれるような、元気になれるような表現を貫いてやっていけばいいんだ」っていうふうに思えて、力が湧きました。
「あまちゃん」撮影の裏話~第二のふるさと
宮藤官九郎さんが書いた脚本。
実は演じるほうにとってはハードルもあったという。
ただ、そのハードルが、撮影チームの結束力を強くしていった。
実は演じるほうにとってはハードルもあったという。
ただ、そのハードルが、撮影チームの結束力を強くしていった。
(のんさん)
届く脚本がいつもおもしろかったんです。
でも、「え、これをどうやって成立させるの」っていうシーンもたくさんありました。
なんていうか、破天荒、荒唐無稽な。
読んでいると笑っちゃうんだけど、自分がいざやるってなったときに、“え、どういうことだろう”って、びっくりするシーンもたくさんあって。
でも、現場に行くと、キャスト、演出家、ディレクターの皆さんが「こうやろう」というアイデアを持ち寄っていました。
それを間近で見ていると、とてもワクワクして、毎日、現場に行くのが楽しみでした。
届く脚本がいつもおもしろかったんです。
でも、「え、これをどうやって成立させるの」っていうシーンもたくさんありました。
なんていうか、破天荒、荒唐無稽な。
読んでいると笑っちゃうんだけど、自分がいざやるってなったときに、“え、どういうことだろう”って、びっくりするシーンもたくさんあって。
でも、現場に行くと、キャスト、演出家、ディレクターの皆さんが「こうやろう」というアイデアを持ち寄っていました。
それを間近で見ていると、とてもワクワクして、毎日、現場に行くのが楽しみでした。
そして、こんなエピソードもあると、のんさんは明かしてくれた。
(のんさん)
私、ポテトチップスが大好きなんです。
今はめちゃくちゃ制限していて、お肌のために気をつかっているんですが、ただ、撮影中には、行きつけのスーパーで、毎日、ポテトチップスを買っていたんですよ。
そうしたら、片桐はいりさんに見つかって、いつもポテトチップスを食べているっていうのがバレて、 プロデューサーにも伝わったりして。
「アキちゃんが、ポテトチップスしか食べてないみたいだ」って、周囲をざわつかせました(笑)。
それから地元のあまさんたちには、 実際に作品の中で潜っていただいたりしているので、すごくお世話になりましたね。
特にいちばんベテランのあまさん、とてもおもしろくて、いつも、某ハイブランドのサングラスをかけているんです。
方言も、私たちと話すときはちょっと柔らかくしてくれるんですけれど、ディレクターさんには容赦してくれないらしくて(笑)。
温かくて、みんなが家族みたい。
自分にとって、とても心強い 元気が出る場所。
本当に第二のふるさとのように思っているんです。
私、ポテトチップスが大好きなんです。
今はめちゃくちゃ制限していて、お肌のために気をつかっているんですが、ただ、撮影中には、行きつけのスーパーで、毎日、ポテトチップスを買っていたんですよ。
そうしたら、片桐はいりさんに見つかって、いつもポテトチップスを食べているっていうのがバレて、 プロデューサーにも伝わったりして。
「アキちゃんが、ポテトチップスしか食べてないみたいだ」って、周囲をざわつかせました(笑)。
それから地元のあまさんたちには、 実際に作品の中で潜っていただいたりしているので、すごくお世話になりましたね。
特にいちばんベテランのあまさん、とてもおもしろくて、いつも、某ハイブランドのサングラスをかけているんです。
方言も、私たちと話すときはちょっと柔らかくしてくれるんですけれど、ディレクターさんには容赦してくれないらしくて(笑)。
温かくて、みんなが家族みたい。
自分にとって、とても心強い 元気が出る場所。
本当に第二のふるさとのように思っているんです。
「逆に私がパワーをもらっている」

のんさんは、ドラマが終わったあとも東北訪問を続けている。
2016年、東北に上陸した台風10号で、岩手県久慈市などは大きな被害を受けた。
いても立ってもいられず、現地を訪問すると、まるで親戚の子が来たかのように迎えてくれたという。
2016年、東北に上陸した台風10号で、岩手県久慈市などは大きな被害を受けた。
いても立ってもいられず、現地を訪問すると、まるで親戚の子が来たかのように迎えてくれたという。
(のんさん)
いつも、自分が笑顔を届けようとか、元気を届けようとかって思って行くんです。
でも、逆に私がパワーと勇気をもらっている。
「頂いたエネルギーをもう一度、返すぞ」って、行くと、また元気をもらうから、終わらない。
こんなに受け入れてもらえる場所があるって、本当にうれしいことだなって毎回、思います。
いつも、自分が笑顔を届けようとか、元気を届けようとかって思って行くんです。
でも、逆に私がパワーと勇気をもらっている。
「頂いたエネルギーをもう一度、返すぞ」って、行くと、また元気をもらうから、終わらない。
こんなに受け入れてもらえる場所があるって、本当にうれしいことだなって毎回、思います。
映画「この世界の片隅に」

2016年に公開された映画「この世界の片隅に」。
戦時中の広島・呉を舞台に、日常生活の大切さが描かれた。
監督の片渕須直さんは、この作品の主人公・すずさんを演じるのは、「のんさん以外、考えられない」と話していたという。
一方、のんさんのほうにも、「すずさんを演じたい」という強い思いがあった。
戦時中の広島・呉を舞台に、日常生活の大切さが描かれた。
監督の片渕須直さんは、この作品の主人公・すずさんを演じるのは、「のんさん以外、考えられない」と話していたという。
一方、のんさんのほうにも、「すずさんを演じたい」という強い思いがあった。
(のんさん)
絶対、「自分がすずさんをやりたい」って思いましたね。
原作を読んだり、予告的に作られた映像を見せてもらったりして、絶対、いい作品になるって感じたんです。
「すずさんの役を逃したら、この先、こんな役には巡り合えないかもしれない」っていうぐらい、自分の中で、とても光輝いている役だったから、すごく燃えていました。
絶対、「自分がすずさんをやりたい」って思いましたね。
原作を読んだり、予告的に作られた映像を見せてもらったりして、絶対、いい作品になるって感じたんです。
「すずさんの役を逃したら、この先、こんな役には巡り合えないかもしれない」っていうぐらい、自分の中で、とても光輝いている役だったから、すごく燃えていました。
この映画に関わることで、のんさんには変化があったのだろうか。
(のんさん)
もちろん、戦時下の話なので、その時代に目を向けることの大切さ、考え方は、開かれた気がします。
あとは、この映画が当時の普通の生活に密着して描かれているので、すずさんたちがごはんをおいしいと思うとか、ちょっとしたことでトキメキを感じるとか、そういうことの大切さに気づかされました。
それまでは、ポテトチップスを毎日食べてるような人だったので(笑)、ごはんを食べて、お料理したものを食べておいしいって思うことの重要性を、あまり感じていなかったんです。
若かったっていうのもあるかもしれないですけれど、ちょっとおざなりになっていたんですね、ごはんを丁寧に食べるっていうことに。
すずさんを演じてからは、「ごはんがおいしいって、こんなにも幸せなことなんだ」って、実感できるようになりました。
もちろん、戦時下の話なので、その時代に目を向けることの大切さ、考え方は、開かれた気がします。
あとは、この映画が当時の普通の生活に密着して描かれているので、すずさんたちがごはんをおいしいと思うとか、ちょっとしたことでトキメキを感じるとか、そういうことの大切さに気づかされました。
それまでは、ポテトチップスを毎日食べてるような人だったので(笑)、ごはんを食べて、お料理したものを食べておいしいって思うことの重要性を、あまり感じていなかったんです。
若かったっていうのもあるかもしれないですけれど、ちょっとおざなりになっていたんですね、ごはんを丁寧に食べるっていうことに。
すずさんを演じてからは、「ごはんがおいしいって、こんなにも幸せなことなんだ」って、実感できるようになりました。
“あらがえない事態が起きたときに”
日常を暮らすことのかけがえのなさを実感したのんさん。
この映画のラストに込められた「希望」に、みずからの決意を重ね合わせる。
この映画のラストに込められた「希望」に、みずからの決意を重ね合わせる。
(のんさん)
「この世界の片隅に」のラストでは、すずさんが子どもを家に連れて帰ります。
そして、その子が来た途端にみんなが華やぐんです。
「うわ、シラミがいっぱいだ」って、「お風呂に入れるぞ」ってドタバタしてることがおかしくなってきて、みんなが和やかな雰囲気で笑えるようになって。
「あした、どうしよう」とか。
「この子にどんな服着せたらいいかな」とか。
そういうふうに命をつないでいくことに希望を感じる。
そのラストがすごく印象的で。心に残っていて。
だから、ずっと震災に対しても、自分が何をしたらいいんだ、何を感じたらいいんだっていうのが答えが出ないままではあるんだけれど、 自分ができることは、やっぱり演技をしたり、表現を発信したりしていくっていうことだと。
これからもみんなが笑顔になれること、元気になれること。
そんなポジティブなメッセージを発信していきたいなって思うんです。
「この世界の片隅に」のラストでは、すずさんが子どもを家に連れて帰ります。
そして、その子が来た途端にみんなが華やぐんです。
「うわ、シラミがいっぱいだ」って、「お風呂に入れるぞ」ってドタバタしてることがおかしくなってきて、みんなが和やかな雰囲気で笑えるようになって。
「あした、どうしよう」とか。
「この子にどんな服着せたらいいかな」とか。
そういうふうに命をつないでいくことに希望を感じる。
そのラストがすごく印象的で。心に残っていて。
だから、ずっと震災に対しても、自分が何をしたらいいんだ、何を感じたらいいんだっていうのが答えが出ないままではあるんだけれど、 自分ができることは、やっぱり演技をしたり、表現を発信したりしていくっていうことだと。
これからもみんなが笑顔になれること、元気になれること。
そんなポジティブなメッセージを発信していきたいなって思うんです。
コロナ禍で…

「のん」になって以降、俳優以外にも音楽、アート、それに映画の製作など、幅広い分野に活動の場を広げてきた。
そうしたなかで訪れたのが「コロナ禍」。
表現することにこだわってきたからこそ、歯がゆい思いもしたという。
そうしたなかで訪れたのが「コロナ禍」。
表現することにこだわってきたからこそ、歯がゆい思いもしたという。
(のんさん)
実は、2020年の2月29日に自分主催の音楽フェスを用意していたんです。
でも、「どうやらライブが危ない」ということになって、命とフェスの開催をてんびんにかけたときに、 どうしてもやるっていう理由を見いだせなくて、中止の決断をしました。
しかたのないことだとは思っていたんですけれど、いざ、スタッフや、一緒に演奏しているミュージシャンのみんなに伝える、というときに、とても口が重たくて。
「あ、こんなに悔しかったんだ」って、そのときに実感したんですよね。
ずっとモヤモヤしていてて、引っかかっている感じが。1年目、2年目はずっとあって。
それでも、どうにか自分が表現することで、 同じような人たちのモヤモヤを代わりに解消できないかと思って、頑張って活動することにしました。
もちろん、いちばんの動機としては、自分が演技をしているとき、音楽をやっているとき、アートをやっているときに、「これが自分だ」って思えるからこそ活動するっていうことがあるんです。
ただ、それを発信したときに、「自分も、こんなことをやれると思いました」とか、 「絵を描くようになりました」とかっていう声を頂いて。
「よかった、やっててよかった」って。
実は、2020年の2月29日に自分主催の音楽フェスを用意していたんです。
でも、「どうやらライブが危ない」ということになって、命とフェスの開催をてんびんにかけたときに、 どうしてもやるっていう理由を見いだせなくて、中止の決断をしました。
しかたのないことだとは思っていたんですけれど、いざ、スタッフや、一緒に演奏しているミュージシャンのみんなに伝える、というときに、とても口が重たくて。
「あ、こんなに悔しかったんだ」って、そのときに実感したんですよね。
ずっとモヤモヤしていてて、引っかかっている感じが。1年目、2年目はずっとあって。
それでも、どうにか自分が表現することで、 同じような人たちのモヤモヤを代わりに解消できないかと思って、頑張って活動することにしました。
もちろん、いちばんの動機としては、自分が演技をしているとき、音楽をやっているとき、アートをやっているときに、「これが自分だ」って思えるからこそ活動するっていうことがあるんです。
ただ、それを発信したときに、「自分も、こんなことをやれると思いました」とか、 「絵を描くようになりました」とかっていう声を頂いて。
「よかった、やっててよかった」って。
「Ribbon」と“創る人”
コロナ禍の中で、のんさんはある映画を“創った”。
舞台は、卒業制作展の中止を余儀なくされた美術大学。
表現することの大切さを、映画の中に込めた。
舞台は、卒業制作展の中止を余儀なくされた美術大学。
表現することの大切さを、映画の中に込めた。
(のんさん)
私は ずっと役者であることは変わりないので、役者として、もっともっといい演技ができる人になりたいっていうのはもちろんあります。
それから、創っていくことも、とても自分の中で大事な軸で、演技と同じぐらい大事なものです。
コロナ禍のもとで、「Ribbon」っていう映画を脚本・監督・主演したんですけれど、その映画を創ったときに、「あ、私って、もう、どうやっても創りたい人なんだ」って、覚悟ができたんですね。
だから、これから表現者として、どんどんどんどん、よくなっていくっていうことも、もちろん目標に掲げていますし、ずっと創り続けていきたいなっていう気持ちがすごくあります。
やっぱり、役者だけをやっていたときは、脚本を書いた方のメッセージとか、監督が描きたいこととかを捉えて、どうやって自分がアプローチしたらいいんだとか、どう解釈したらいいんだろうっていう役割だったんです。
いざ、“創る人”になってみると、そのメッセージを発信する責任が、全部、自分にのしかかってきて、「あ、これ、こんなに大変なことなんだ」と思いました。
でも、一方で、自分が責任を持ってメッセージを届けることが、自分の性に合っているとも思いました。
大変なんだけど、「私は、この大変さを乗り越えたい人なんだ!」って、自覚したんです。
私は ずっと役者であることは変わりないので、役者として、もっともっといい演技ができる人になりたいっていうのはもちろんあります。
それから、創っていくことも、とても自分の中で大事な軸で、演技と同じぐらい大事なものです。
コロナ禍のもとで、「Ribbon」っていう映画を脚本・監督・主演したんですけれど、その映画を創ったときに、「あ、私って、もう、どうやっても創りたい人なんだ」って、覚悟ができたんですね。
だから、これから表現者として、どんどんどんどん、よくなっていくっていうことも、もちろん目標に掲げていますし、ずっと創り続けていきたいなっていう気持ちがすごくあります。
やっぱり、役者だけをやっていたときは、脚本を書いた方のメッセージとか、監督が描きたいこととかを捉えて、どうやって自分がアプローチしたらいいんだとか、どう解釈したらいいんだろうっていう役割だったんです。
いざ、“創る人”になってみると、そのメッセージを発信する責任が、全部、自分にのしかかってきて、「あ、これ、こんなに大変なことなんだ」と思いました。
でも、一方で、自分が責任を持ってメッセージを届けることが、自分の性に合っているとも思いました。
大変なんだけど、「私は、この大変さを乗り越えたい人なんだ!」って、自覚したんです。
「一緒に楽しんでください」
メッセージを発信することの大切さを改めて感じ、その責任をも自覚したというのんさん。
ことしは、音楽にも力を入れていくという。
インタビューの最後に、こんなふうに話し、笑顔を見せた。
ことしは、音楽にも力を入れていくという。
インタビューの最後に、こんなふうに話し、笑顔を見せた。
(のんさん)
6月に「PURSUE」っていうアルバムを出すんですけれど、英語で追求するとか、追い求めるっていう意味なんです。
ずっと自分を追求していくぞっていう決意表明をしました。
これからも頑張っていくので、一緒に楽しんでください。
6月に「PURSUE」っていうアルバムを出すんですけれど、英語で追求するとか、追い求めるっていう意味なんです。
ずっと自分を追求していくぞっていう決意表明をしました。
これからも頑張っていくので、一緒に楽しんでください。
「あまちゃん」の最終回で…
アキとユイの2人は、トンネルの中を走る。
日の差すほうへと。
今、のんさんの前にある“線路”は、その先もずっと続いている。
どこまでも。
いつまでも。
アキとユイの2人は、トンネルの中を走る。
日の差すほうへと。
今、のんさんの前にある“線路”は、その先もずっと続いている。
どこまでも。
いつまでも。
のんさんへのインタビューは、「NHKジャーナル」で5月23日に放送しました。
今回は、放送では盛り込めなかった部分も含めてお届けしました。
https://www.nhk.jp/p/nhkjournal/rs/L6ZQ2NX1NL/
「NHK人物録」でも、のんさんのインタビューや、出演動画を紹介しています。
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009070747_00000
今回は、放送では盛り込めなかった部分も含めてお届けしました。
https://www.nhk.jp/p/nhkjournal/rs/L6ZQ2NX1NL/
「NHK人物録」でも、のんさんのインタビューや、出演動画を紹介しています。
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009070747_00000