STORY

俳優 宝田明 最後の出演作の“謎の書”

2022.10.24 :

頭の中に、一瞬、疑問符が浮かんだ。

 

戦後を代表する二枚目俳優として、数多くの映画などに出演し、ことし3月に亡くなった宝田明さん。その最後の出演作となった映画を見ていた時だ。

 

後半、宝田さんが出演するシーンの前で、突然、一枚の書(しょ)が映し出された。

そこに書かれていたのは「不戦不争」の4文字。

時間にしてわずか1秒ほど。映画のストーリーとも、つながりはない。

でも、妙に存在感がある、謎のシーンだった。

 

この書は、一体、何を意味するのか。

取材すると、そこには反戦を訴え続けた宝田さん、そして映画関係者の思いが隠されていた。

 

(首都圏局 鵜澤正貴)

名優・宝田明 最後の出演映画

「日光物語」のワンシーン
ことし10月14日、宇都宮市で上映が始まった映画、「日光物語」。

栃木県の日光を舞台に、スネオヘアーさん演じるカフェを営む中年男性と、武藤十夢さん演じる旅の若い女性が、一枚の紙に書かれたメッセージを手がかりに、ある謎に迫っていくストーリーだ。

といっても、サスペンスではない。
美しい日光の自然と、そこに根ざした地元の日常を切り取ったような、どことなく懐かしさを感じさせる人情物語だ。
その中で、ひときわ大きな存在感を放っているのが、俳優・宝田明さんだ。
役柄は、世界遺産にも登録されている輪王寺の最高位の「門跡」。
主人公の男性から尊敬され頼りにされる間柄で、時に主人公をたしなめながら、物語の鍵となる謎解きに関わる重要な役割を演じている。

宝田さんは、この映画の完成を見届けることなく、ことし3月、87歳で亡くなった。
結果として、この映画が、最後の出演作品となったのだ。

“反戦と平和” 原点は少年時代の実体験

2014年12月 NHK「ゆうどき」出演時
戦後を代表する二枚目俳優として、人気を博した宝田明さん。
1953年に俳優生活をスタートし、翌年「かくて自由の鐘は鳴る」で映画デビュー。
怪獣映画「ゴジラ」をはじめ、130本以上の映画に出演した。

映画以外でもミュージカルやテレビドラマに多数出演。ダンディーな紳士からコミカルな役どころまで幅広く演じることができる、まさに名優だった。

一方、反戦と平和に、強い思いを持っていることでも知られていた。

その原点は、旧満州で過ごした少年時代の体験だった。
11歳の宝田さんが旧満州で暮らしていた1945年8月、ソ連軍が満州に侵攻する。
混乱の中、宝田さんはソ連兵に右腹を撃たれてしまう。
激痛に苦しむ中、元軍医の男性に、はさみで傷口を切って弾丸を摘出してもらう過酷な体験をした。
その後、食料不足など厳しい状況のなか、列車などを乗り継ぎ、やっとの思いで両親や弟と日本に引き揚げたという。

宝田さんは、こうした体験をもとに、反戦と平和を訴える活動に力を入れてきた。
2006年から命の大切さを呼びかけるミュージカル「葉っぱのフレディいのちの旅」への出演を続け、全国からオーディションで選ばれた子どもたちとの舞台作りをライフワークにしていた。

さらに、晩年、自身の旧満州での戦争体験を語る場面も増えていった。
2014年12月、NHKの番組に出演した際には、戦後、日本に引き揚げたときに沈んだ気持ちを癒やしてくれたのが芝居だったというエピソードを明かした上で、次のような決意を語っている。
(宝田明さん)
「人間の犯した大罪は戦争だと思う。戦争をみずから犯してはいけないし、加担することがあってもならない。これからもそのメッセージを伝え続けていきたい」

予定になかった「不戦不争」の書

宝田さんが最後に出演した映画となった「日光物語」。
この映画のテーマは、反戦や平和を訴えるものではない。
時に笑え、時にしみじみするような、人情劇だ。

こうした中、後半の宝田さんの出演シーンの前後で、ワンカットずつ登場する「不戦不争」の書。映画のストーリーとも直結しないこの書が、なぜ、登場したのか。
映画の監督と脚本を担当した五藤利弘さんに取材すると、意外な事実がわかった。
この書は、宝田さんの直筆のものだった。
そして当初、映画に登場させる予定もなかったというのだ。
宝田明さん演じる門跡が書をかくシーン
映画のなかで、宝田さん演じる門跡が、主人公たちを前に筆をとり、メッセージを書くシーンがある。
主人公たちに、仏の慈愛の心を忘れず、相手を思いやる気持ちを大切にと伝える場面だ。

この撮影の前に、宝田さんが書いたのが、「不戦不争」だった。
台本で予定されていない文字だった。

実は、このリハーサルの前、五藤監督は、宝田さんに次回作で戦争を題材にした映画を検討していると伝えていた。宝田さんは自身の体験を伝えるとともに「次回作にも出ますよ」と話したという。そして、リハーサルで書いたのが、この4文字だった。
このときは、この書は映画で使われなかった。
その後、映画の撮影は去年12月にほぼ終わったが、宝田さんがことし3月に亡くなると、五藤監督は手元にあったこの書を5月に追撮し、あえて映画に登場させたという。
「日光物語」 監督・脚本 五藤利弘さん
「『不戦不争』ということばは、何かを僕らに伝えたかったのではないかと、すごく感じました。宝田さんが、そのことばを書いた紙をその場に置いていたんですね。何か感じ取ってくれって言われたような気がしました。僕の中で、宝田さんにこういうことを伝えてくれよって言われているような気がしたんですよね」

“夢を奪うのが戦争”

この「不戦不争」、宝田さんにとって、どんな意味を持っていたのか。
40年近く宝田さんの付き人を務めた俳優の岩崎浩明さんが、あるエピソードを教えてくれた。
宝田明さんの付き人を長年務めた俳優・岩崎浩明さん
「昔からサインを書く時、自分の名前と一緒に、『不戦不争』と書いていましたね。戦争体験者がどんどんいなくなってしまっているので、本人としては引き揚げた人たちの生き証人として、忘れられてしまうと困るから、後世に戦争はだめだと伝えていきたいというのは、常々、言っていました」
さらに宝田さんは、「戦争は人から夢を見ることすら奪う」と、語っていたという。
「僕が一番印象に残っているのは、人間誰しも夢を見ることはできると、それは平等に与えられた権利だと。ところが、戦争というものは、それすら奪ってしまう、頭からだめにしてしまうというのは、よく聞いていました。
いまの日本もいろいろ問題はあるかもしれませんけれども、とりあえず映画は撮れるわけだし、その映画を見に来てもらって、幸せになってもらえるっていうのは、本人としては、やりがいがあったんじゃないかなと思います」

共演者にも響いた、宝田明

「日光物語」の舞台あいさつ
映画の公開初日の10月14日、宇都宮市の映画館で、出演者たちが舞台あいさつをした。
五藤監督のほか、ダブル主演を務めたスネオヘアーさん、武藤十夢さんが登壇。
出演者たちは、同じ壇上に立つことがかなわなかった宝田さんの人柄、そして「不戦不争」の書について、思いを述べた。
(スネオヘアーさん)
「あれだけの文字は、思いがないと書けないものだし、ずっとそのことばをお持ちになって、生きてこられたんだろうなと思います。その上で、与えられた役をやるんだっていう熱量や執着は、現場にいたら、めちゃくちゃ感じて、ロックだし、パンクだなと思いました」
ダブル主演の1人、武藤十夢さん
(武藤十夢さん)
「初めて会った時は、やっぱりオーラがすごいので、ちょっと何か近寄りがたいというか、ドキドキしていたんですけど、実際こうやってシーンが始まってみたら、とても気さくで、いろいろアイデアを出してくれて、場の空気がものすごく楽しい感じになって、すごい方だと思いました。『宝田ワールド』に巻き込まれている感じですよね。とてもいい経験だったと思います」

「文字自体にはとても深い意味というか、宝田さんの強い思いがこもっているにも関わらず、よい意味で、あんなコメディーのシーンになってしまうんだなっていう。それがとてもおもしろいと思うのと同時に、皆さんに、映画を見たあとからでもよいですし、何回か見てからでもよいので、そういう意味も伝わったらいいんじゃないかなと思いました」

今の世にこそ、コメディーも

この映画を見て、もうひとつ、宝田さんに関して、気になるところがあった。
それは役柄だ。
輪王寺の門跡という役柄上、一見厳格に見えるが、チャーミングで温かみを感じさせるキャラクターを好演した。主人公にいたずらをして、笑いをとるシーンまである。
宝田さんと聞いてすぐ思い浮かぶような、ダンディーなイメージとは、少し違う役どころだ。
この点は五藤監督も気になり、宝田さんに、出演を引き受けた理由を聞いたそうだ。
すると、宝田さんは、今のような社会情勢でこそ、コメディーが必要だと語ったという。
(五藤利弘監督)
「こういうコメディーでよいんでしょうかと、遠まわしな感じで聞いてみたんですけど。
宝田さんは、コロナ禍などで社会が疲弊して暗くなっている時こそ、コメディーが必要じゃないかって話してくれたので、僕はそういう風に感じました」
映画を見終わった人たちにも、こうした思いは、届いていたようだった。
(20代女性)
「私のような世代からすると大御所でしたが、そこで笑いを持ってくるかみたいなところもあって、とても楽しかったです。どの人が欠けても成り立たない、あたたかいコメディーだからこそ、『不戦不争』という言葉の重みを感じられて、響くものがありました」
(50代男性)
「今はウクライナでロシアによる軍事侵攻が起きているような時代ですし、日本のコメディーの中からでも、『不戦不争』という宝田さんの思いが映画を通じて、みんなに知られ、よい方向に向かえばいいんじゃないかなと思います」
夢を見ることすら人から奪う戦争を憎んだ、宝田明さんの思い。
インタビュー取材の最後で、五藤監督は、宝田さんが、この映画に込めた思いを受け継いでいきたいと語っていた。
(五藤利弘監督)
「コロナ禍や世界情勢などから、宝田さんは、こんな時代だからこそ、こういう映画が必要だと言ってくれました。こういう時代に宝田さんが真剣にコメディーに取り組んだ姿から、少しでも何か感じ取ってもらえれば、うれしいです。僕も、宝田さんがこの作品に込めた思いをかみしめながら大切にしていきたい。僕らの世代が宝田さんの思いを引き継いでいかなければいけないと思っています」

取材後記

この映画の撮影が行われたのは去年12月。ロシアがウクライナに軍事侵攻する前でした。
宝田さんが亡くなる少し前にロシアの軍事侵攻が始まり、宝田さんは、ロシア軍が戦車で侵攻する映像を見て、戦後これだけ時間がたって、またあの時と同じようなことが起きるのかとショックを受けたと、岩崎さんに話していたそうです。
今も軍事侵攻は続き、世界は緊迫の度合いを増しています。
宝田さんがこの世界を見て、なんと言うだろうか、思いをはせずにはいられません。

宝田さんが、映画や「不戦不争」の書に込めた思いが、たくさんの人に伝わってほしい。
今回の取材を終えて、強く思いました。

鵜澤正貴の最新記事
ご意見・情報をお寄せください

首都圏局・記者

鵜澤正貴

2008年入局。

広島局などをへて、2021年から首都圏局。

戦争の記録を伝える取り組みなどを精力的に取材。

鵜澤正貴記者の記事一覧へ

記事の内容は作成当時のものです

STORY一覧に戻る