STORY

「逆境でも届けたい」
サーローさん描いた映画と2人の女性

2021.05.24 :

長引くコロナ禍で、上映の延期や中止など、映画には厳しい状況が続いています。
そんな中でいま、ある被爆者の半生を描いた自主制作のドキュメンタリー映画の上映が全国各地の映画館で続いています。

厳しい時代だからこそ、逆境を生きてきた被爆者を描いた映画を多くの人に届けたい。
制作者とこの映画を支えた若者、2人の女性の思いを取材しました。

 

自主制作映画 「ヒロシマへの誓い」

「ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに」。
13歳の時に広島で被爆し、姉や甥、そして多くの級友を失ったカナダ在住の被爆者、サーロー節子さんの半生を描いています。
自主制作の映画でことし4月から、全国各地の映画館で上映されています。

サーローさんは、89歳のいまに至るまで、世界各国で被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴える活動を続けてきました。
国際交渉の場でもそのスピーチの力で外交官を動かし、2017年、国連で「核兵器禁止条約」が採択されるのに貢献、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンがノーベル平和賞受賞を受賞した際には、授賞式で被爆者として初めてスピーチしました。

映画では、1950年代にアメリカで被爆体験を語ったときに受けた脅迫や、まわりの無理解を乗り越えてきた姿、そして、サーローさんの活動の原動力となっている、自分のまわりの人たちの人生や未来を奪った核兵器に対する「怒り」が描かれています。
(サーロー節子さん)
「日本のみなさんに1人の被爆者として、そして多くの被爆者の代弁者として、その思いをみなさんに聴いて欲しいと思うんです。一発でひとつの街が崩壊し、何十万という人が一瞬にして焼き殺されて、溶かされて。そういうことがなんで許されますか。私とともに怒りを覚えてください」

核問題に関心がなかった被爆2世の女性が制作

竹内道さんとサーローさん
映画は自主制作で、上映が実現するまでには紆余曲折がありました。
そもそも制作をしたのは、広島出身でありながら、核兵器の問題に関心がなかった女性です。
竹内道さん。
高校卒業後にアメリカの大学に留学し、そのまま現地の広告会社に就職。現在もニューヨークでコンサルタントとして働いています。

実は、竹内さんは被爆者の母を持つ被爆2世で、原爆が投下されたとき、祖父は広島赤十字病院の院長として被爆者の治療にも当たっていました。しかし、その時の体験について母や祖父から詳しい話を聞く機会はなく、核兵器や平和に対する意識は高くなかったといいます。

転機となったのは、10年ほど前。
ニューヨークで、被爆体験の証言会を続ける団体から通訳を頼まれたイベントでサーローさんと出会ったことでした。たまたま同じ高校出身というつながりもあった彼女のことばや思いに深く共感しました。
その後、サーローさんの活動をサポートするなど付き合いを重ねる中で、彼女の活動を記録すべきだと考え、サーローさんの半生を追ったドキュメンタリー映画の制作を決意したのです。
(竹内道さん)
「サーローさんって太陽のような方で、エネルギッシュで明るくて行動力があって、みんなが惹きつけられる。それと同時に、あまり外には出さないけど、夜遅くまでスピーチの練習したり勉強したりすごい努力をされているんです。それを見れば、見習おうという気持ちになりますよ。ただ映画作りは初めてで計画も予定もなく、どうなるんだろうって思いながら、ともかく一生懸命追っかけましたね」

制作に立ちはだかった困難

竹内さんは、同じようにサーローさんの活動に共感したアメリカ人のテレビプロデューサーの女性とともに、2015年に映画作りをスタートしました。
サーローさんを追いかけ始めると、この間、サーローさんのまわりで核兵器廃絶をめぐる動きが加速していきます。
2015年、核の“非人道性”に焦点を当てたNPT再検討会議。
2016年10月、核兵器禁止条約の交渉開始が決定。
2017年3月、国連本部で核兵器禁止条約の交渉開始。
2017年7月、国連本部で核兵器禁止条約採択。
2017年10月、ICANのノーベル平和賞受賞決定。
2017年12月、ノーベル賞授賞式でサーローさんスピーチ。

竹内さんたちは、初めての映画制作だった上、めまぐるしく起きる出来事にも翻弄されました。

さらに途中で資金難にも陥り、日米でクラウドファンディングを行って、なんとか資金を確保しました。
(竹内道さん)
「ドキュメンタリー作るのは初めてのことで、やり方も分からず、どうなるんだろうって思いながらともかく一生懸命追っかけたっていうとこですかね。計画も何もなく、本当に見切り発車でした」

自分が語ることへの葛藤

見切り発車だったという映画の撮影・制作。
それでも竹内さんにとっての「一番の苦労」は別のところにありました。

作品では、サーローさんと語り合う中で被爆2世というアイデンティティを大事に感じるようになった竹内さんが、被爆した祖父や母が語らなかった体験を発見していく様子が記録されています。
この、自分が制作する映画への出演を決意することが「一番の苦労だった」というのです。

アメリカでは、ほとんどの人が核兵器の問題や被爆者について知りません。最近では、唯一の被爆国、日本でも関心が薄れています。サーローさんの活動を記録するだけでなく、関心のなかった竹内さん自身が映画に登場することで、核兵器の問題に関心を持っていく様子を映画を見る人が追体験でき、共感してもらえるのではないかと、制作パートナーから言われたのです。

しかし、竹内さんは、母や祖父の体験を自ら知ろうとしなかった自分が語る資格があるのか、最後まで思い悩みました。
それでも、サーローさんの生き方に影響を受けて実際に行動した人間がいたことを示す意味でも出演すべきだと説得され、出演を決意したのです。

映画に登場することにもなった竹内さんの様子は、観客の心を動かしたようでした。上映後、「竹内さんの姿に感動した」「自分も動かないといけないと思った」といった感想が相次いだのです。
(竹内道さん)
「私自身が映画に出てくることについてはすごく抵抗感があったんですが、それでも私のストーリーに共鳴をしてくれた方が多かった。すごいよかったってみんなに言われて、ああやっぱりそうだったんだって、そのある種話に立体感ができたっていうね、っていう意味でよかったなって」。

2人の思い受け継ぐ若者

竹内道さんと倉光静都香さん
ようやく2019年に完成した映画。
竹内さんたちは、北米各地、そして日本で開かれる映画祭に出展して、広く見てもらいたいと考えていました。

しかし、コロナ禍で映画祭は各地で中止。
日本での上映もなかなか決まりませんでしたが、共感してくれた人たちの熱心な働きかけで、2021年春、全国各地のミニシアターで上映が決まったのです。

この間のPR活動に一役買ったのが、若い世代の女性でした。
竹内さん、サーローさんと同じ高校の卒業生で広島出身の倉光静都香さん(24)。

これまで核廃絶や平和問題にそれほど関心が高くなかったといいますが、2人との出会いによって考えが大きく変わったといいます。
きっかけとなったのは、去年アメリカに留学した際に知り合いの紹介で竹内さんと出会い、完成したばかりの今回の映画を見せてもらったことでした。映画に描かれた、核兵器禁止条約の採択に至るまでサーローさんが感じてきた悔しさと計り知れない努力、それに、サーローさんに触発されてみずからも家族やルーツを知ろうと動いた竹内さん。倉光さんは強く心を打たれたといいます。
「何か手伝わせて欲しい」とその場で竹内さんに直訴し、日本での公開に向けたPR担当を任されたのです。

全国各地から同世代のメンバーを募り、核廃絶や平和に関心がない人たちでも映画を見たいと思ってもらえるような発信を目指しました。
これまでPRの経験はなく、手探りで始めた取り組みでしたが、SNSで映画館とタイアップした投稿を行ったり、ポップな手書きイラストを沿えてサーローさんのことばを発信したりするなど、若者らしいアイデアと行動力を発揮しました。
新型コロナウイルスの影響で、できる活動は限られましたが、倉光さんたちの発信に反応する人たちも少しずつ増えていったといいます。
(倉光静都香さん)
「この問題が全体的に関心高まり、人々の意識が向くべきだと考えています。故郷の広島で過去に何が起こったかということは知らないといけないし、話さないといけない。被爆地である『ヒロシマ』に興味がなかった人にどうやって自分ごととして見てもらえるか、琴線に触れさせることができるかを深く考える機会になりました。被爆者の方々が年々少なくなる中、被爆体験がない私が被爆者の拡声器の役割を果たしていきたい」
映画を通じて、サーローさんの思いは、世代を超えて受け継がれています。
(サーロー節子さん)
「長年私たちがこういう運動やってきたっていうのも、若い人たちの将来を確保するためにやってきたんですよ。若い人たちに待っている将来が、それが核兵器によってなくなる可能性もあるんですよ。だから自分の将来、自分の子どもたち孫たちの将来を確保するために、今の若い人たちが責任を持って立ち上がらないとならないっていう自覚ができると思うんですね。そういう自覚をみなさんに持って欲しいと思います。これは遠い過去の話じゃなくて、今現在1人1人の命に関わることなんだと、われわれがその当事者なんだと、人様のことじゃないんだと、それを実感してもらわないといけないですね、若い人たちに」

これからを担う若者たちを中心に、社会全体で核廃絶に向けた動きが進んでいくことをサーローさんは期待しています。

「今の若い人たちは核廃絶や平和の問題なんて考えないと言う人もいますけど、私は若い人たちが興味関心がないっていうんじゃなくて、そういうことを考えなきゃいけないような環境を大人が提供していないんじゃないかと。それが学校の先生であり、父親であり母親であり、おじいさんでありおばあさんであり、みんながそういうことを問題視して日常の会話として口にすることができるようになれば、若い人たち動くはずです。現にそれをわれわれは目にしています。ですから私は非常に若い人に対する希望、信頼を持っているんです」

コロナ禍で作品が上映できるかどうか不透明な状況の中でも、映画の公開を信じて動き続けた竹内さんと倉光さんの姿勢に、逆境を生き抜いたサーローさんの人生が重なって見えました。そして、76年前の悲劇を繰り返さないために被爆者のことばや思いを伝えていく覚悟を感じました。

ご意見・情報をお寄せください

科学文化部記者

富田良

平成25年入局。金沢局を経て平成28年から長崎局で勤務し、原爆を中心に戦争関連の課題や文化財をめぐる問題点などを取材。令和元年夏から科学文化部で文芸や学術などを担当

富田良記者の記事一覧へ

記事の内容は作成当時のものです

STORY一覧に戻る