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貧血かな?と思ったら… 急性大動脈解離 生死を分けたのは

貧血かな?と思ったら… 急性大動脈解離 生死を分けたのは

2023.04.17

「急性大動脈解離」という病名を聞いたことはありますか?
タレントの笑福亭笑瓶さん、「ベルセルク」で知られる漫画家の三浦建太郎さんも、この病気で命を落としました。
そんな「急性大動脈解離」を発症し、その後回復した1人のミュージシャンがいます。
日本を代表するロックバンド「ムーンライダーズ」のメンバーとして、日本のロックのれい明期から活躍してきた武川雅寛さん(72)です。
武川さんの生死を分けた鍵はなんだったのでしょうか。

あと2時間遅ければ・・・

2015年6月のある朝。
武川さんがいつものように自宅で妻と朝食をとろうとしていた時のことです。

「あれ?貧血かな?」

醤油差しを手に取った時にふと覚えた違和感。
痛いというより、ちょっと苦しい、貧血のような感じでした。
この日は札幌でソロツアーの公演があり、2時間後には飛行機で現地に向かう予定となっていました。休むわけにはいきません。「こんな体調だと飛行機に乗るのが大変だな」と思いました。
しかし、胸の苦しさはみるみるうちに強くなっていきます。ついに、立つことも出来なくなっていました。

「これはちょっとだめだ。救急車を呼んでくれ」

妻に救急車を呼んでもらい、15分後には病院に到着できました。このころ、武川さんの意識ははっきりしていて、医師に症状を説明しています。

「もしかしたら急性大動脈解離かもしれない」

医師は武川さんにそう告げると、すぐに手術の手配を始めました。地元の大きな総合病院でしたが、すでに別の手術が入っている場合など、急な手術に対応できるとは限りません。不安を感じつつ、医師のことばを待ちました。

「この病院で手術ができます」

――あぁ、よかった。

「それでは、先生、お願いします」

その言葉を最後に、武川さんは意識を失いました。武川さんの意識がはっきりとするのは、それから28日後のことでした。

武川雅寛さん

武川雅寛さん
「症状が出始めてから30分くらいは意識がありましたが、怖いというより、医者にお任せしますという感じで、結構落ち着いていました。あと2時間くらい遅かったら札幌行きの飛行機に乗っていたので、すぐに手術が出来ず、死んじゃっていたかもしれない」

急性大動脈解離とは

武川さんに下された診断は、当初の医師の見立て通り「急性大動脈解離」でした。
「大動脈」は心臓から送り出された血液が最初に通る太い血管です。
国立循環器病研究センターのウェブサイトによると、この病気は、層になっている大動脈の壁が何らかの原因で剥がれてしまい、その中に血液が流れ込んでしまう病気です。血管の壁の間に血液がたまってこぶのように膨らんでしまい、やがて破裂します。ほとんどの場合、何の前触れもなく、突然、胸や背中の激痛とともに起こるそうです。

国立循環器病研究センターへの取材を元に作成

特に上行大動脈という部分に解離が及ぶ場合は、1時間に1%ずつ死亡率が上昇するとされています。武川さんは、まさにこのケースでした。

原因としては、動脈硬化や高血圧、喫煙、ストレス、高脂血症、糖尿病、睡眠時無呼吸症候群、遺伝などのさまざまな要因が関係すると考えられているということです。

武川さんの場合、原因の中で特に思い当たる節はありませんでした。

武川雅寛さん
「血圧は、そんなに高めではなくて。130、高い時で140くらい。下は普通に70から80くらいでした。不整脈みたいなのがあったのかな?でも、それまで心臓内科とかに通院した事はありませんでした。大腿骨の手術とかはしたことがあるけど、このときは全く前触れもありませんでした」

14時間の緊急手術

緊急手術は午前11時に始まり、終わったのは翌日の午前1時でした。
この間、というより手術が決まってから28日後まで、武川さん自身に記憶らしい記憶はありません。
ただ、家族は14時間におよぶ手術の間、待合室で祈るように待ち続けました。
当時、病院に駆けつけたマネージャーが、そのときの不安な気持ちを語ってくれました。

武川さんのマネージャー
「奥様から『これから緊急手術です。彼の頑張りを祈るしかありません』というメールをもらったんです。病院に着くと、奥様と2人のお子さんが、手術が終わるのを待っていました。そのあいだ、何度も手術室から別の患者さん出てくるわけです。誰かが手術室から出てくると、はっとそっちを見るんです。また違った・・・という感じで。ようやく夜の11時半ぐらいに先生が出てきて『内出血があって、かなりの大出血でしたが、まもなく終わる予定です』と話してくれました。それを聞いているときのお子さんと奥様の顔が忘れられません。本当に真剣で、よろしくお願いしますという感じで、心の底から回復を祈る思いでした」

武川雅寛さん
「本人は意識がないので、気楽なもんですよ。かえって家族や周りの人のほうが、精神的にまいっちゃうんじゃないかな。生きるか死ぬかと言われて、見守るしかないわけだから。手術のあと、入院中にだんだん体からチューブが外れていくのを見て、ようやく安心しみたいです。自宅で妻がいるときに倒れたし、すぐに手術が出来る病院に運ばれたので、ラッキーだったなと思います」

『助かったんだな・・・』

手術は無事に終わりました。
しかし、麻酔から覚めても武川さんの意識はもうろうとしていました。

武川雅寛さん
「胸からお腹にかけて大きな傷口があって、咳やくしゃみをすると、ものすごく痛い。定期的に背中から麻酔が入っている状態でした。妻とは1日30分ぐらいしか面会できないんだけれども、全身防護服みたいなのを着ていましたね。あまり覚えていませんが、管とかを全部抜きたくてしょうがないんだけれども、抜いちゃいけないわけですよ。うっとうしい、煩わしいと妻に訴えていました。看護師さんとかには、なかなかそういうわがままは言えないから。もうろうとしていた時に見た夢なり、うつつなりをとりとめもなく話すから、頭が変になったんじゃないかと思われていました」

夢の中をさまようような28日間。
時折、目が覚めては、頭の中に浮かんだことをひたすら話していたようでしたが、武川さん本人はこの間のことをほとんど覚えていません。思い出すのは、今から思うと不思議な夢ばかり。
ようやく意識がはっきりしてきたころには、1か月近くの時が経っていました。

武川雅寛さん
「28日たって、だんだん痛み止めのチューブとかが体から外れてきて、ようやくそこで思ったんです。『助かったんだな』って」

武川雅寛さんと音楽

武川雅寛さんは神奈川県出身です。

1971年、20歳の時に鈴木慶一さんたちのバンド「はちみつぱい」に参加しました。担当楽器はバイオリン。「はちみつぱい」は「はっぴいえんど」(細野晴臣さん、大滝詠一さん、松本隆さん、鈴木茂さんによる伝説のバンド)などと並んで日本語ロックの先駆けとなります。また、かぐや姫の名曲「神田川」のレコーディングにはスタジオミュージシャンとして参加し、イントロの印象的なメロディーをバイオリンで演奏しました。

その後、バンドは「ムーンライダーズ」へと発展しました。武川さんは結成メンバーとして、バイオリンだけでなくギターやトランペットなどの楽器のほか、ボーカルやコーラスまで幅広く担当してきました。ムーンライダーズは2011年から約5年間、活動休止を挟んだ後、今も精力的に活動しています。

武川さんが病気になったのは活動休止中のことでしたが、この間も、ソロや他のミュージシャンのサポートで音楽活動を続けていました。音楽にすべてをかけてきた人生です。

武川雅寛さん
「ムーンライダーズのメンバーは相当びっくりしていたんじゃないかな。1か月意識がないし、もしかしてそのまま車椅子とか寝たきりとかになっちゃうんじゃないかと思ってもいただろうし。回復して、びっくりしたんじゃないかなぁと思います」

ムーンライダーズ

緊急手術から、意識がはっきりとしなかった28日間を経て、武川さんは一命を取り留めました。
家族は喜びました。自分自身でもようやく命が助かったという実感が湧いてきました。リハビリ専門の病院に転院して、リハビリに取りかかりました。

ところが武川さんは、体に想定していなかった変化が起きていることに気がつきました。
息苦しさと声のかすれが、いつまでたっても治らなかったのです。普通に生活する分には問題ありませんが、武川さんはミュージシャンです。ボーカルやコーラスとして歌うことも、トランペットを吹くこともあります。症状が続くようなら、今後の音楽活動にも影響が出る可能性があります。

武川雅寛さん
「喉の声帯を開いたり閉じたりする神経があるんだけど、手術の影響で、声帯が少し開いた状態になってしまったようで。耳鼻咽喉科の先生に聞いたら、手術で神経を治すと息は元に戻るんだけれども、音程のコントロールが難しくなるって言われて」

ミュージシャンにとって、音程が取りにくくなっても声を取り戻すのかどうかは、究極の選択のはず――。

武川雅寛さん
「また大手術になるし、面倒くさかったのでやらなかった(笑)。かすれた声でファルセットが出なくても、音域が狭くなっても、音程が悪いとバンドメンバーに迷惑がかかっちゃうからね。だから”2度目の声変わりだ”と勝手に自分で決めつけちゃいました。歌い方を変えたり、息継ぎの場所を変えたり、自分の考え出した方法でやればいい。ロックバンドはクラシックなどと違って、やりたいようにやっても許される世界ですから、全然苦労はなかったです。左手だけのピアニストの方もいるように、やろうと思えば、出来ることは何かしらあるんです」

音楽は、ロックは自由です。
テクニックやメソッド、超絶技巧を極めるのも音楽ですし、やりたいことをやって許されるのも音楽です。武川さんにとっての「できること」「やりたいこと」を始めました。

その時の1枚です。

病室でバイオリンを演奏する武川さん

入院着と車椅子でバイオリンを弾く武川さん。医師から許可をもらい病室でバイオリンを練習しました。手には手術の影響か、少ししびれが残っていました。
これが武川さんの音楽との向き合い方でした。

武川雅寛さん
「病院に白井良明(編注:ムーンライダーズのギタリスト、音楽プロデューサー)が来てくれて、お年寄りの前で、2人でセッションしたんです。リクエストを聞くと、みんなてんでバラバラなんです。演歌が好きな人からクラシックが好きな人、山田耕筰とかが好きな人まで、いろんなおじいちゃん、おばあちゃんがいました。しかも、それまで全然呼びかけに反応がなかった人でも、知っているメロディーを聞いたり、ジャーンという響きを聞いたりするだけでも、ぱっとこっちを見たり、反応したりするんです。音というのは先入観や知識がいらないし、すごく原始的なものだから、反応しやすいんじゃないかと思います」

日本のロックをけん引してきた1人である武川さんが、改めて触れた音楽の力でした。

そして退院へ

退院は手術からおよそ4か月後でした。
この間、リハビリを頑張りました。心臓のリハビリということで、病院の周りをただひたすら歩きました。発声のリハビリも真剣に取り組みましたが、声のかすれは少しましになったものの、元通りにはなりませんでした。ただ、トランペットの演奏にはそれほど影響を感じませんでした。それまで特に意識すること無く、歌うようなつもりで演奏していたトランペットでしたが、声を出すことと息を吐くことは違うことにも気づきました。

そして退院。
自宅でゆっくりと過ごす間もなく、仲間たちがどこからともなく集まってきました。

武川雅寛さん
「退院してすぐに、岡田徹君(編注:ムーンライダーズのキーボード担当。2023年2月14日没。)とかあがた森魚君(編注:フォークシンガー。「はちみつぱい」のメンバーと親交が深い)とかが、『どうしても待ってたんで・・・』とか言って、機材を持って家にレコーディングしに来ました。友部正人君(編注:フォークシンガー。武川さんがレコーディングなどに参加)は、僕が倒れたときに葬式には絶対行こうと思っていたらしいんだけど、退院したと聞いてすぐにライブに出してくれましたね(笑)」

退院早々の復帰となりました。

武川雅寛さん
「声はファルセットが出なくなったし、音域は半オクターブくらい低くなりました。低いほうが出るようになったので、デスメタルみたいな声は出るようになった(笑)。ただ、できない部分は自分がやり変えるというか、歌い変えればいい。キーを変えたり、歌い方を変えたり、ブレスの位置を変えたり、すごく短いブレスで歌っちゃったり。どんどん好きなように変えちゃって、それが許されるバンドですから大丈夫。恵まれていますね」

そして、しばらくの間、活動を休止していたムーンライダーズも再び活動が始まります。2016年に行われた活動再開後のステージには当然、武川さんの姿もありました。

左端が武川さん

武川雅寛さん
「みんなで僕が素敵に見えるような演出をしてくれて、曲だったり、構成だったり、いろいろみんなで考えるんだけど、それはすごく嬉しいし、なにより一番は楽しいってことだよね」

28日間を音楽に

びっしりと書き込まれた1冊のノート。
手術が終わった武川さんが、はっきりと意識を取り戻すまでの28日間に見た夢を記録したノートです。
そこに描かれているのは、人工呼吸器をつけた横顔や、猫にも車にも見える不思議な絵。

武川さんのノート

武川雅寛さん
「普通は夢って忘れちゃうんだけど、この28日間に見た夢は全部覚えているんですよ。時々目が覚めていたと思うんだけど、痛み止めの影響もあって、いきなりステージ衣装が天井から落ちてきたり、ジャック・ニコルソンが病室に酒を持ってきたり、そんな悪夢のような幻覚を見ていました。レコーディングのネタにしてやろうというスケベ根性で、意識を取り戻してから病室でノートに書き留めていたんです」

武川さんは、このノートをもとに制作したソロアルバムを2018年に発表しました。
タイトルは、「a journey of 28days」。一命を取りとめてから、意識を取り戻すまでの28日間の旅です。
かすれた声でささやくように歌うボーカルは、以前の伸びやかな歌声とは異なるものの、病を乗り越えたすごみを感じさせます。

「a journey of 28days」

武川雅寛さん
「大げさにいえば、28日間はこの世にいなくて旅に出ていた感じです。そのときの経験は面白かったから、アルバムにしようと。闘病日記みたいなものは、性格的に書けない。こんなに苦しかったとか、みんなも頑張れば大丈夫みたいなものは作れないんです。笑い飛ばしちゃえ、という方向にいっちゃいます」

「死ぬまで生きるしかない」

2023年2月、タレントの笑福亭笑瓶さんが急性大動脈解離で帰らぬ人となりました。笑瓶さんは、武川さんと同じ2015年に急性大動脈解離を発症し、治療を受けていました。同じ病気から復活し、活躍していた笑瓶さんの死は、武川さんにとっても大きなショックでした。
武川さんは最初の手術以来、たばこをやめ、健康にも気を遣っています。ただ、どこまで気をつければいいのかはよく分からないと言います。

武川雅寛さん
「急性大動脈解離は、朝に血圧が高い人がなりやすいと聞いたことがあるので、血圧はある程度自己管理したほうがいいと思いますが、個人差もあるし、いまは情報過多なので心配になり過ぎちゃいますよね。絶対に気にしたほうがいいけど、気にしすぎないのが1番良い」

「ムーンライダーズ」は、2026年で活動50周年を迎えます。
武川さんはそれまで活動を続けることを目標に、これまでと変わらず、ひたむきに音楽と向き合う日々を過ごしています。

武川雅寛さん
「病気になってから達観したりとか、悟りを開いたりとか、それは多分錯覚だと思いますよ。若いときは急に階段をあがるように演奏がうまくなっていったけど、みんないずれ衰える。そのときは階段じゃなくて、崖を転がり落ちるような感じだと思う。妻には、70歳を過ぎても音楽をやれているだけでありがたいと思いなさいと言われるけど、うるせえなぁと思いながら、確かにそうだと思います。何しろ楽しいことをしたほうがいいですよ。死ぬまで生きるしかないんです。偉そうなことを言うとね」

大動脈解離についてはこちら【NHK「健康ch」】でも詳しく紹介しています。

誰もがさまざまな病を経験します。
病気になったとき私たちを勇気づけてくれるのが先輩たちの言葉です。

シリーズ「病は“知”から」

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