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「私はたまたまろう者というだけで俳優です」アカデミー助演男優賞 トロイ・コッツァーさんに聞く

「私はたまたまろう者というだけで俳優です」アカデミー助演男優賞 トロイ・コッツァーさんに聞く

2022.05.26

ことしのアカデミー賞で作品賞に選ばれた映画「コーダ あいのうた」。

耳が聞こえない両親や兄と暮らす、高校生の娘が主人公の作品です。

この作品の父親役で、聴覚に障害がある俳優としては初めてのアカデミー助演男優賞を受賞したのが、アメリカ人俳優のトロイ・コッツァーさんです。

ろう者の俳優として映画界に思うこと、そして作品に込めたメッセージを語りました。

拍手が小さい授賞式?

ことし3月に開催された、アカデミー賞授賞式。

トロイ・コッツァーさんの助演男優賞受賞が発表されても、会場に響く拍手の音は控えめでした。
というのも、会場に集まったハリウッドの名だたる俳優や監督、映画関係者たちは、こぞってスタンディングオベーションで両手をひらひらとさせていたからです。

この手をひらひらさせる動きは、アメリカ式の手話で拍手を意味しています。

拍手の音は控えめでも、ろう者の俳優、コッツァーさんに対する大きな祝福が会場を満たしていました。

トロイ・コッツァーさん

94回目を迎えるアカデミー賞の長い歴史の中で、ろう者の俳優が受賞するのは今回の作品でも出演していたマーリー・マトリンさんが1987年に主演女優賞を受賞したのに続いて2回目。助演男優賞は、初めての快挙です。

スピーチで、コッツァーさんはこう呼びかけました。

「この賞は、ろう者のコミュニティー、『コーダ』のコミュニティー、障害者のコミュニティーに捧げられたものです。いまがその時なのです」

“コーダ”とは

今回の作品のタイトルにある「コーダ(CODA)」とは、「Children of Deaf Adults(耳が聞こえない親に育てられた耳の聞こえる子ども)」の略語です。

「コーダ あいのうた」

この映画は、家族の中で唯一、耳が聞こえる高校生の少女が主人公です。
漁師の父と兄をサポートし、家族に手話の通訳者として頼られる毎日を送っていましたが、あるとき歌の才能を認められ大学への進学を夢みるようになります。
しかし、耳の聞こえない家族には、娘の歌への思いを理解することができません。

家族を助けるために一緒に暮らし続けるのか、歌の道に進むために家を出るのか―。

アニメと映画に魅せられた少年時代

NHKの単独インタビューにオンラインで答えたコッツァーさん。
はじめに、アカデミー助演男優賞に選ばれたことについて聞きました。

「私はとても恵まれていると思います。これまで、ろう者の俳優として多くの犠牲を払い、難しい選択を迫られ、経済的にも不安定なことも多く、35年以上頑張ってきました。でも、その選択が自分をこの旅路に導いてくれて、アカデミー賞を受賞するというすばらしい結果につながりました。まるで博士号を取得したような気持ちです。肩の荷が軽くなって、新しい人間になったような気がしています。この先どうなるのか楽しみです」

そもそもなぜ、コッツァーさんは俳優を目指したのか?
そこには、少年時代に見た2つの作品の影響があったといいます。

「子どもの頃、猫とネズミが追いかけっこをする『トムとジェリー』というアニメを見ていました。この作品にはセリフがありませんが、キャラクターのアクションと視覚的な情報で、ろう者の自分でも楽しむことが出来ました。当時の私は、アニメのエピソードを覚えておいて、翌日学校に行くスクールバスの中で、ほかの生徒たちに手話を使って説明していたのです。まるで、バスの中で演劇をしているようでした。ろう者の子どもたちは、わくわくして私を見てくれました。そのリアクションが忘れられないのです。
もう1つが『スター・ウォーズ』です。70年代特有の特殊効果やライトセーバー、レーザーガン、ロボットたちが次々に登場して、視覚的な表現の量に圧倒されました。28回も繰り返し作品を見ました。
映画作りの世界に憧れて、役者になりたいと思うようになったのです」

手話に限界はない

コッツァーさんのインタビューは、アメリカ式の手話を使って行われました。
手話は専門の通訳者がその場で英語に訳してくれますが、何よりも印象に残るのが、コッツァーさんの表情の豊かさです。
アメリカ式の手話を知らなくても、コッツァーさんの手話からは何かが伝わってくるような気がしました。

アカデミー賞でも高く評価されたコッツァーさんの演技。
どのように作り上げていくのか、聞いてみました。

「聴者の俳優と共演するときは、まず脚本を読んで、セリフを言う時のイントネーションがどんな感じか、どう声が揺らぐのかを俳優から聞き出します。そのうえで、その声のトーンと合うような手話をしようと心がけました。そしてニュアンスをシームレスに捉えるために、俳優たちと一緒に演技を作りあげていきました。手話と口語、あるいは話し言葉がシンクロするのは、とても楽しい作業でした。
私は、たまたまろう者でもあるというだけで、どんな役でも演じられる俳優です。自分に限界があるとは思われたくありません。手話というのは本当に豊かな言語です。文字で書かれたものよりも、はるかに多くの情報を伝えることができます。それは、音声言語を超えることだってある。私は何年にもわたって手話で演技をしてきましたが、自分が手話で表現していることを英語に訳すことができないことも多いくらいです」

この映画は大きな1歩

これまでの映画では、ろう者の役を聴者の俳優が演じることが多かったといいます。
しかし、「コーダ あいのうた」では、ろう者の役を、実際にろう者の俳優が演じました。

主人公の母親役は、ろう者として始めてアカデミー賞の主演女優賞を受賞したマーリー・マトリンさん。
兄の役は、アメリカの手話演劇の劇団「デフ・ウェスト・シアター」でキャリアをスタートしたダニエル・デュラントさんが務めています。

母親役を演じたマーリー・マトリンさん

そして、コッツァーさんが演じたのは、漁師として精力的に働き、時には仲間と下品な冗談を言い合い、そして、愛情深く娘と向き合う、そんな父親の姿でした。

コッツァーさんは、ろう者の俳優たちが演じたことが、この映画のポイントの1つだといいます。

「耳が聞こえる俳優がろう者の役を演じているのを見て、説得力がないと感じていました。観客は、手話というのはただ手を動かせばいいと思っているかもしれませんが、もちろん、それは間違っています。私はそこに限界を感じていましたし、その限界をはねのけなければならないと考えていました。この映画のおかげで、私たちはついに大きな1歩を踏み出して、ろう者の文化がどんなものなのかを聴者の方々に見せることが出来るようになりました。人は誰でも、その人の言語と文化を持っています。私たちろう者も人間であり、おなじように言語と文化を持っているのです」

この作品がテーマにした「コーダ(耳が聞こえない親に育てられた耳の聞こえる子ども)」は、幼いときからろう者とともに過ごし、それでいて耳が聞こえる聴者でもあります。コッツァーさんは、ろう者と聴者をつなぐ存在として、「コーダ」の主人公が描かれた意味は大きいと言います。

「コーダは、聴者とろう者の両方の世界、両方の文化を1つに繋げることができます。この作品からコーダという存在がなかったら、昔ながらの『ろう者はかわいそうだ』とか、あるいはろう者を被害者だとして描くことが、この先30年続いていたかもしれません、この作品が、やっとその誤解を打ち壊すことができたと思っています」

音のない世界

コッツァーさんが、映画の中で最も印象的だと語ったシーンがあります。
それは、高校の合唱部のコンサートで、主人公が歌を歌う場面です。

コンサートの場面

歌の途中で、映画から一切の音が無くなるのです。

コンサートの聴衆は、主人公たちの歌声に感動している様子ですが、私たちは、しばらくの間、耳の聞こえない家族たちと同じ目線で、娘の歌声を「見つめる」ことしかできません。

「あの瞬間は私にとって、とても美しいものでした。たった30秒間だけでも、映画を見ている人が実際にろう者の経験を共有できる瞬間だからです。ろう者であることがどういうことなのかを説明するのはとても難しいことです。多くの人が、このシーンを見て、音楽が聞きたい、何かが足りないというかもしれません。しかし、このシーンは、耳の聞こえる映画の観客たちが音のないの世界を知ることになる30秒間なのです。
皆さん、30秒間、音がなくても平気ですか?落ち着かないと感じませんか?もしそう感じるのだとしたら、それがろう者が感じている世界です」

これからの映画人に向けて

アカデミー賞の受賞後、コッツァーさんのもとには次々と仕事の依頼が来ているということで、ハリウッドの変化を感じているといいます。今回の受賞を機に、世界中の人たちが、ろう者と一緒に仕事をしたいと思って欲しいと考えています。

「世界中でものづくりに携わっている人たちに型にはまらない考え方をして欲しいと思っています。すばらしい物語がたくさんあって、それを届けることのできる才能あるろう者の役者がたくさんいるのだから。今回の受賞で、これまでの境界線を押し広げ、たくさんの人々が自由に創造性を発揮して、物語を作っていくことができるようになればと願っています」

最後にコッツァーさんは、映画や舞台の世界を目指す人たちなどに対して、こう呼びかけました。

「私が願っているのは、特定の人たちだけではなく、すべての人に作品を楽しんでもらうことです。すべての人の心に届くような普遍的な物語を探し、それを最良の形で伝えられる方法を見つけることが大切なのです。人間は人間です。ろう者だけ、聴者だけ、難聴者だけというような考え方はせずに、さまざまな人がいるということ、人間であるということについて考えて欲しい。映画の中での正しい表現とはどういうものなのかを考え、ともに物語を作り、語っていきましょう」

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