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文化
2023.12.26
「戦争が、終わったんだ」
映画のパンフレットには、そんなふうに書かれている。
ただ、その映画から浮かび上がるのは、戦争がもたらす、底の見えない苦しみ。
そして、ほのかに映し出される一筋の希望。
塚本晋也 監督が、最新作「ほかげ」に込めたのは、深い“祈り”。
戦争の悲劇が二度と繰り返されないようにという、息苦しくなるほどの、切実な願いだ。
映画『ほかげ』の舞台は、終戦直後の「闇市」。
夫と子どもを戦争で失った「女」は、かろうじて空襲から焼け残った居酒屋で暮らしている。
体を売ることを斡旋され、絶望が彼女を覆っていた。
物語は、「戦災孤児」が、居酒屋に盗みに入ったことから動き始める。
ストーリーが進むにつれて、若い「復員兵」や、孤児と一緒に“旅”をする「テキ屋の男」が抱える心の闇、そして、戦争が人の心に残した深い傷痕が、あらわになっていく。
(塚本晋也 監督)
もともと闇市というものにひかれていました。
幼いころ、渋谷駅のガード下を通ると、ガラクタを並べて売る人や傷痍軍人の姿がありました。
いつからか、その暗がりの、闇の奥をのぞいてみたいという気持ちが芽生えたんです。
そうしたなかで、10年近く前から、この国が戦争に向かっているのではないかというキナ臭さを感じるようになりました。
戦争を描くことで、戦争について知ってもらいたい。
こんなことは、起こしてはいけないんだという思いを伝えなければ、と考えるようになりました。
塚本監督は、1960年1月1日生まれ。
堀江謙一さんの「太平洋ひとりぼっち」を読んで冒険に憧れた少年は、1989年、体が鉄に浸食されていく男の運命を描いた「鉄男」で劇場映画デビューを果たした。
それ以来、塚本監督は、製作、監督、脚本、撮影、照明、美術、編集、そして劇場での音の響きにまでこだわり抜く姿勢を貫き、国際的にも高い評価を受けてきた。
俳優としての活躍もめざましい。
マーティン・スコセッシ監督の「沈黙-サイレンス-」での壮絶な演技は、見る者の胸を深くえぐった。
そんな塚本監督を突き動かしたのが、戦争への不安。
そして、日本は誤った方向に向かってしまうのではないかという危機感だったという。
戦後70年を前に、長い間、温めてきた大岡昇平の小説「野火」の映画化に取り組むことになった。
大岡昇平の「野火」は、第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島を舞台にした戦争文学の傑作だ。
飢餓と過酷な戦闘が、主人公の兵士を次第に追い込んでいく。
極限状況に置かれた兵士が体験する“人肉食”について触れた部分は、人々の間に物議を醸した。
映画『野火』の製作にあたり、塚本監督は、実際に戦争を体験した人たちの取材を重ねた。
(塚本晋也 監督)
戦闘で命を落とした人もいるけれど、実は多くの人が飢えて、あるいは病気で亡くなったんです。
話を聞かせてくれた人は、飢えをしのぐために何でも食べたと言っていました。
自分の血を吸ったヒルを食べるのは当たり前で、傷にわくウジさえも食べかねない。
水牛は肉だけでなく、角や骨まで食べたと話していました。
どうしても食べられないヒヅメの硬いところ以外は食べ尽くしたと。
本当の飢餓状態になると、人は人でいられなくなり、“動物”になる。
敵、そして、友軍でも違う班であれば、食べ物に見えてくることがあったそうです。
塚本監督が『野火』で描いた状況はすさまじく、目を覆いたくなるほどだ。
しかし、“その後”については描かれなかった。
塚本監督は、改めて「ほかげ」という作品で、戦争が人の心に残すトラウマに向き合うことになる。
塚本監督が次に挑戦したのは、初の時代劇だ。
映画『斬、』の舞台は、幕末の江戸近辺にある農村。
浪人の都築杢之進は、農家の手伝いをしながら木刀で剣の腕を磨いている。
そこに現れるのが無頼者の集団で、状況は一気に不穏さをはらんでいく。
杢之進は、技術は高いが実際には人を斬ったことがない。
京都の動乱に参加すべく、杢之進を誘い、「人を斬る」ことを迫る人物を塚本監督自身が演じている。
実は、この映画は、時代劇に舞台を借りながら、現代の日本が抱える大きな課題がテーマになっている。
人を斬るのか、斬らないのか。
相手が自分を斬ろうとしているのか、判然としない。
しかし、先に斬らなければ、自分が斬られてしまうかもしれない。
専守防衛を掲げる日本。
しかし、実際には“武力”を持ち、状況によってはその行使も可能だとしている。
敵から攻撃を受けるかもしれないという、緊迫した状況に置かれたとき、どの段階なら相手を斬ることができるのだろうか。
(塚本晋也 監督)
なかなか答えの出ない問いを作品に込めました。
ただ、大切なのは、考え続けることだと思います。
戦争をしたくてむずむずしている人たちはいるでしょう。
あるいは、戦争したいとは思っていなくても、武器をたくさん売りたいとか、持ちたいとか。
ただ、ひとたび日本が戦争に巻き込まれれば、戦場に行くのは、行かされるのは、決して“えらい”人たちではなく、僕らです。
本当にそうした状況になってもよいのか。
考えなければならないと思っています。
塚本監督が、『ほかげ』を構想したのは、2020年。
もとは、『野火』に続く大作を準備していたそうだ。
しかし、コロナ禍の影響で、なかなか企画は進まず、少し“こぢんまり”とした作品を製作することになった。
そうしたなかで起きたのが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻だった。
監督は、「底が抜けてしまった」ような感覚を覚えた。
今どき、こんな異常なやり方があるのか。
戦争はこんなふうにして、突然、始まってしまうものなのか。
そして、国際社会は、それを止めることができないのか。
自分の常識を一気に飛び越えてしまうような事態を目の当たりにした。
『ほかげ』には、日本を戦争へと進ませないための「祈り」を込める。
その決意は、このときに固まった。
塚本監督は、次のように話す。
(塚本晋也 監督)
日本では、戦争について、ヒロイズム、例えば自己犠牲の尊さのようなものを交えて描かれることが多いと思います。
そして、戦争の被害者となることの悲劇を強調して描かれることが多い。
ただ今回、僕が大切にしたのは、「戦争の持つ“被害の面と加害の面”を均等に描く」ということでした。
戦争で被害者になる恐怖は、耐えがたいものでしょう。
ただ、一方で忘れがちなのは人を殺してしまうことの恐ろしさだと思うんです。
そして、それは日本でも、ほかの国でも起きうることです。
第2次世界大戦から時間がたち、今の若い人たちは、戦争がどんなものか、実感を持てなくなっていると思います。
もちろん僕自身も、戦争を経験していません。
戦争や戦後すぐのことを学ぼうと、本や資料を読みあさりました。
監督の“学び”は、当然のように、『ほかげ』にも生かされている。
息苦しさを感じるシーンが、映画の全編を通底音のようにして流れる虫などの声とともに、描かれていく。
(塚本晋也 監督)
いろいろな資料を読むうちに、戦争で、“最初に”人を殺すことにはハードルがあることを知りました。
ただ、一度、人を殺したとき、腹がズドンとすわるような感覚を覚える。
それからは人を殺せるようになるというような証言をする人がいたそうです。
しかし、問題はそれからです。
戦争が終わったあと、“人を殺した”という記憶を、ずっと抱えたまま過ごす人は少なくありません。
ベトナム戦争でもそうでした。
元兵士が抱える心の病、PTSDが日本の兵士にもあったということは、これまで、ほとんど知られていませんでした。
戦争後遺症が、兵士の家族にも影響を与えていくこと。
そして、そのあとも連綿と影響は続いていくということを、描かなければならないと思いました。
11月25日は、『ほかげ』の公開初日だった。
9月のベネチア国際映画祭、革新的な作品を集めた「オリゾンティ部門」で最優秀アジア映画賞を受賞したこともあってか、東京・渋谷の映画館は満席だった。
舞台あいさつには、塚本監督のほか、NHKの連続テレビ小説「ブギウギ」でも主演を務めている趣里さん、そして実力派の俳優・ダンサーとして活躍する森山未來さんたちが登壇した。
(趣里さん)
憧れの塚本映画に出演できて、本当にうれしく思っています。
監督のメッセージ、祈りがぜひ1人でも多くの皆さんに届きますように願っています。
(森山未來さん)
さまざまなシチュエーションで終戦を迎えた人たちが負った傷。
映画の登場人物は、身体的なものだけではなく、精神的な傷も抱えています。
ただ、やはり生きるということに対しての貪欲さとか、生をちゃんとつかみとろうとしたまっすぐさは、意識しながら演じました。
(塚本晋也 監督)
ちまたでは、新しい戦前じゃないかとかいう言説が出回るようになり、だんだん不安な世の中になってきました。
そうしたなかで、なんとか自分たち、一般の人々が戦場に行かないでも済むように、という祈りを込めて、戦争の悲惨さを感じてもらえるような映画を作らなければならないと考えました。
この祈りのような気持ちが少しでも多くの人に伝われば、と思っています。
監督の、こうした思いは、どのように受け止められたのだろうか。
上映の直後に、観客に聞いてみた。
戦争というものは、人間の心の大事な部分をめちゃめちゃに壊してしまうんだなって。
登場人物は、全員が何かしら、表面上は明るくふるまっていても、心の大事なところが破壊されている。
その姿がすごく胸に痛い。
『ほかげ』という作品を見て、何か自分が変わったなって思いました、
これからも忘れないように、その思いをつないでいけるようにしたいなっていうふうに思います。
ただ感動して消費してしまっていいものではないなと思います。
今の、世界で起きていることともつながり、絶対にひと事にしてはいけないと感じました。
今、家族を持っている、あるいは家族がいたことのある人、あるいは将来、家族を作る人、そういう人たち、すべてに見てほしい映画です。
シベリア抑留を体験し、広島の原爆で弟を亡くした画家で詩人の四國五郎。
彼も平和について考え続けた1人だ。
長男で、塚本監督と親交のある四國光さんは、次のような感想を寄せてくれた。
(四國光さん)
父も「何を話しても、戦争の話になってしまう」と言っていました。
父がこだわっているのではなく、「どこまでいっても、戦争がうしろからずるずるとついて来る」んだと。
戦争によって体に傷を負う、心に傷を抱える。
戦争から逃げ切ったと思った人間にも、遺族にも、戦争はついて回る。
戦争に巻き込まれた人間にとって、戦争に終わりはない。
これが、『ほかげ』を貫く強靭なテーマではないでしょうか。
ウクライナ、そしてイスラエルとハマスの衝突…
今も、戦争は続き、世界の各地で、犠牲者の数が積み重なっている。
しかし、塚本監督は、亡くなった人たち、一人ひとりに思いを寄せる。
本当は、数で犠牲者を語ることはできないはずだと。
夢や希望、家族、大切な人、複雑に絡み合い、人は生きている。
それを破壊し、葬り去るのが戦争ではないか。
映画「ほかげ」の中で、「戦災孤児」は次のことばを口にする。
「戻って来れなかった兵隊さんは 怖い人になれなかったんだよ」
優しければ、戦場から戻って来ることができない…
そんなことが、あっていいはずはない。
塚本監督は、「戦災孤児」のたくましさに“祈り”を込めた。
彼が生き抜こうとする姿、そして生き抜けるような社会が実現することに一筋の希望を託す。
そして今、全国の映画館を回りながら、その“祈り”を伝え続けている。
塚本監督はR1の「NHKジャーナル」に出演します。
https://www.nhk.jp/p/nhkjournal/rs/L6ZQ2NX1NL/
▽12月28日(木)午後10時~10時55分
「スペシャルゲストと振り返るこの1年 ~塚本晋也さん~」
(聴き逃し:放送後1週間まで)
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