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「ささやかでも、ヒーローになれる」カズオ・イシグロが語る「生きる LIVING」

「ささやかでも、ヒーローになれる」カズオ・イシグロが語る「生きる LIVING」

2023.03.07

2023年1月、アメリカ映画界最高の栄誉とされるアカデミー賞のノミネートが発表されました。

その中に意外な名前がありました。ノーベル文学賞受賞者で日系イギリス人の小説家、カズオ・イシグロさんです。

 

日本映画の巨匠、黒澤明監督の代表作「生きる」を原作にした映画、「生きる LIVING」の脚本を担当し、アカデミー賞の脚色賞(原作がある作品の脚本化が対象)にノミネートされたのです。受賞すればノーベル文学賞受賞者がアカデミー賞も受賞することになります。

 

なぜ、70年以上も前の映画を現代によみがえらせることになったのか。

イシグロさんがNHKの単独インタビューに答えました。

“大変な名誉”

ことしのアカデミー賞脚色賞にノミネートされた「生きる LIVING」。
1952年に公開された黒澤明監督の映画「生きる」が原作です。
脚本を担当した小説家、カズオ・イシグロさんは大の映画ファンとして知られています。

カズオ・イシグロさん

「ノミネートにはとても感激しています。私は仕事を終えると、妻とゆったりとくつろぎながら映画を見るのが楽しみなんです。私の仕事は小説を書くことですが、それと同時に映画ファンでもあります。映画が大好きで、もっと映画の世界に関わりたいと思ってきました。毎年多くの人がたくさんの映画を制作しているなかで、今回、アカデミー賞にノミネートされたことは大変な名誉だと考えています」

カズオ・イシグロさんとは

カズオ・イシグロさんは、1954年、長崎県で日本人の両親の元に生まれました。海洋学者だった父親が北海油田の調査に参加したことをきっかけに5歳の時にイギリスに移住し、成人した後、イギリス国籍を取得しました。小説家として「日の名残り」や「わたしを離さないで」などの作品を発表して人気を博し、イギリスを代表する作家の1人となりました。2017年、その功績が評価されてノーベル文学賞を受賞しています。

イギリスに渡って以来、イシグロさんは人生の大半をイギリスで過ごしてきました。
少年時代のイシグロさんにとって日本映画は自身のルーツとの重要なつながりとなっていました。黒澤監督の映画「生きる」と出会ったのも、そうした時でした。

幼少期のカズオ・イシグロさん

カズオ・イシグロさん
「最初に『生きる』を見たのは、11歳か12歳のころだったと思います。当時の私は、日本生まれでイギリス育ちの少年でした。1966年か67年の話ですが、そのころのイギリスで日本の映画を見るのはとても難しかったのです。それでも、BBCの教育チャンネルで、夜のかなり遅い時間に国外の映画を上映する時間があり、そこで初めて『生きる』を見ました。『七人の侍』もそこで見ましたね。小津安二郎監督の『東京物語』もそうです。こうした映画は私にはとても特別でした。日本映画は日本の文化や過去、(日本人である)両親の世界とつながる手段だったのです」

「生きる」に衝撃を受けた少年時代

黒澤明監督の「生きる」は、ある日突然、胃がんで自身の余命が短いことを悟るベテラン公務員の男性が主人公です。
市役所の職員として業務に追われ、空虚な日々を送る毎日。
突然、死を突きつけられた絶望。
男性がたどり着いたのは、残された人生の中で自分に何ができるのかを見つめ直すことでした。
男性は住民の陳情に向き合い、公園建設に奔走します。そして、その思いは周りの人たちにも影響を与えていきます。

主人公がブランコに乗って歌う有名なシーン
『生きる』4Kリマスター 4KUltra HD Blu-ray ©1952TOHO CO.,LTD.

この映画はイシグロさんの小説にも大きな影響を与えました。

カズオ・イシグロさん
「私が小説の中で探求してきたテーマと、『生きる』で描かれているテーマが非常に近いことが、今回、脚本を書くことにした理由です。幼い頃に見た作品ですから、実際には私の小説の方が映画に深く影響を受けていたということですが。『生きる』のテーマは、人生の展望、大事なものとは何か、自分の人生をどう生きるか、ということです。そこにあるのは、狭い社会に閉じ込められながらも、その人生をなんとか意味あるものにしたいと奮闘する人たちの姿です。作品から受け取ったこうしたメッセージは、私が小説を書き始めた当時から生かされていると思います。例えば、『日の名残り』に出てくる執事と、『生きる』の主人公には、非常に近い関係があると思います。これは決して偶然ではありません。『わたしを離さないで』でも、作中の社会の仕組みによって若者たちに死が間近に迫っていることに気づくという展開が、『生きる』と非常に似ていると言えるでしょう」

原作のメッセージをよみがえらせる

今回の作品は、第二次世界大戦後間もないロンドンが舞台。
主人公は原作と同じベテラン公務員のウィリアムズで、俳優のビル・ナイさんが演じています。

ビル・ナイさんは今作でアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされている
©Number 9 Films Living Limited

イシグロさんは原作の「生きる」を見て、喜怒哀楽をはっきりと出す表情豊かな主人公を、小津安二郎監督の作品で常に穏やかな微笑みを浮かべる笠智衆さんのような俳優が演じたらどうなっていただろうと、長年考えていたといいます。
そこで主演として頭に浮かんだのが、俳優のビル・ナイさんでした。ナイさんの演技は笠智衆さんをほうふつとさせるとイシグロさんは言います。ナイさんを通じて、原作とは異なる「寡黙で穏やかな英国紳士」というキャラクターを作り上げたのです。

さらにイシグロさんは「生きる LIVING」の脚本で、黒澤明監督が作品に込めた思いを今の社会によみがえらせるために何が必要かを考え、原作にはなかった要素として、新たなキャラクターを登場させました。

主人公の姿を間近で見ることになる新人の公務員、ピーターです。

アレックス・シャープさん演じるピーター
©Number 9 Films Living Limited

黒澤監督の「生きる」では、公園の建設に奔走する主人公を見て、同僚たちが次第に心を動かされていく様子が描かれます。しかし結局は、役所の中で仕事を押しつけ合う、以前と変わらない日常に戻ってしまうのです。

そうした演出にイシグロさんは、黒澤監督の人生観を垣間見ています。

カズオ・イシグロさん
「黒澤監督のものの見方で印象深い点が1つあります。それは『人生で英雄になることは可能だ。だが、それで名を残せる、賞賛されると期待してはいけない』という姿勢です。自分の良い行い、英雄的な行動を社会が認めてくれると思ってはいけない、あくまで自分のためにやるべきだというのです。これは黒澤監督の作品で繰り返し登場する考え方で、もちろん、『生きる』でも強烈に打ち出されています。『七人の侍』もそうです。アメリカでリメークされた西部劇版の『荒野の七人』と比べると、映画の結末がまったく違います。
黒澤監督は私たちを次のように戒めています。『称賛されるために何かをすれば失望することになる。ほかならぬ自分の満足のため、夢を実現するためにやるのだということを学ばなければならない』と。成功や失敗の判断基準はその人の胸の内にあり、他者の影響を受けないものだ、ということです」

一方、イシグロさんは今回の作品で、主人公の思いを受け継ぐ新人の公務員を描くことで、新たな時代の到来を予感させるようにしました。

公園建設のために奔走するウィリアムズとピーター
©Number 9 Films Living Limited

カズオ・イシグロさん
「暗く、悲観的な雰囲気をまとった黒澤版の『生きる』に対して、今ならもっと楽観的なムードの映画を作れるのではないかと思いました。この映画を制作していた時、黒澤監督は日本がその後、奇跡の経済成長を果たし、安定したリベラルな民主主義国家になることを知りませんでした。戦後間もない日本で、黒澤監督が非常に用心深く悲観的になるのも無理はなかったでしょう。(今回の作品の舞台は戦後間もないロンドンですが)私たちは、その後の日本とイギリスがどうなったかを知っています。そこで今回のストーリーには、より若い世代の人たちを登場させたいと思いました。主人公のような人物が残した遺産の恩恵を受ける世代の人たちです。小さな火花が、一部の人たちに火をつけ、それが現代にまで連綿と受け継がれているのです」

小説と脚本 違いはある?

「ノーベル文学賞」や、イギリスで最も権威ある文学賞「ブッカー賞」など、小説家として数々の賞を受賞してきたイシグロさんですが、映画の脚本については「まだまだ勉強中」だと言います。
小説を書くことと、映画の脚本を書くことに違いはあるのでしょうか。

カズオ・イシグロさん
「小説と映画の脚本の違いについて、私は確信を持って話せる専門家ではありません。それでも、これまでの経験からすると、ひとつ大きな違いがあります。小説を書いている時、作家は、脚本家であると同時に監督であり俳優でありセットデザイナーでもあるわけで、照明やカメラに至るまで、すべての役割を担っています。一方、脚本の場合、書き上げたあとは、チームにそれを渡すことになります。そのため、俳優や監督など、自分以外の才能ある人たちの力を十分に引き出すものでなくてはなりません。脚本だけで完結しているものを書くわけにはいかないのです」

さらに、今回脚本を書くにあたって、映画と小説では「記憶」を描くことに違いがあると気づいたといいます。

「映画というのは根本的なところで、記憶を描くのがとても難しい芸術なのだと思います。私たちが何かを思い浮かべる時、頭に浮かぶのは動いている映像ではないということと関わっているように思います。思い浮かべるのは、ゆっくりと移り変わる、静止した画像でしょう。そのため、映画の追想シーンを見てもしっくりこないわけです。ですから、脚本ではストーリー運びを“記憶”に頼りすぎると、危険なように思います。これは私が学んだことのひとつです。私は小説家として記憶や、過去を思い出す体験をずっと描いてましたが、映画の場合は、リアルタイムでストーリーが流れる方がずっといいようです。その反面、映画は『社会的記憶』が作られていく過程を見せることは非常に得意です。あるコミュニティーが、実際に起きた出来事をどう記憶に刻んでいくか、というところですね。法廷ドラマなどがいい例です。そうしたドラマでは、ある出来事についての矛盾する見解の中から、『これが実際に起きたことだ』という公式の記憶を社会が決める、そうした過程を描いていると言えます。黒澤監督の『羅生門』も、このテーマを描いた作品ですね」

なぜいま「生きる」なのか

今回、イシグロさんがこの作品の脚本に取り組んだひとつの理由は、世界のより多くの人たち、特に若い人たちに黒澤明監督の映画を見てもらいたいという思いでした。

カズオ・イシグロさん
「今の欧米の映画研究者は、『生きる』を映画史に残る、偉大な名作だと高く評価しています。でも、いろいろな人と話しても、見たことがないという人が多いのです。40歳以下でこの映画を見たことがある人はとてもまれです。私が大学に通っていたころ、学生の間でこの映画はとても人気がありました。でも、特定の層しか見ていなかったに違いありません。ですから、この偉大な黒澤映画を私たちの共通の記憶から消え去らないようにしなければ、というのが私の使命であり、動機のひとつでした。『誰もが知る名作があるから、その別バージョンを作ろう』などということではありません。この素晴らしい物語が消え去ってしまうという危機感がありました」

イシグロさんは、70年以上も前に公開されたこの作品のメッセージが、当時より一層複雑化している現代社会を生きるいまの人たちにこそ、必要なのではないかと考えています。

「特に若い世代では、『一生懸命働いているし、社会に貢献したい気持ちもあるけれど、自分がやっていることが現実世界とどうつながっているのかわからない』という悩みに直面している人が多いのではないかと思います。現代の社会は自分の貢献がどう役立っているのか、すべてがどういう仕組みになっているのかが非常に見えにくくなっています。
すっかりあきらめて、自分の働き手としての人生は、虚しくて空っぽだと認めるのは、とてもたやすいことです。でも、この映画が伝えているメッセージは、『そうじゃない、生きる実感を取り戻すべきだよ』ということです。力を尽くせば、自分の人生なんてささやかだと閉塞感を抱き、限界を感じていたとしても、それを意味あるものにして、充実した人生を生きる方法が何か見つかるはずです。
ささやかでも、ヒーローになることはできます。これは、私が最初に『生きる』を見たときに受け取ったメッセージでもありました。この『生きる LIVING』という作品が、現代社会で身動きが取れないと感じている人たちを勇気付けるものになればと、私は願っています」

第95回アカデミー賞は、日本時間の2023年3月13日に発表されます。

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