文化

恐竜を大好きな少年 君に“僕”の声は届いたか

恐竜を大好きな少年 君に“僕”の声は届いたか

2022.03.10

国立科学博物館の真鍋真副館長は悩んでいた。
大きな要因は新型コロナウイルス。
利用者と博物館との距離が離れてしまったのではないか。
そんなふうに心配している。

 

取材をする側の私(筆者)も、実は悩みっぱなしだ。
今、伝えるべきこととは何なのだろう?
人々が必要とする情報を本当に届けられているのだろうか。

 

ただ、これからずっと忘れてはならないと思う取材もある。
それは、直接は会うことがなかった、真鍋さんとある少年との、短いけれども深い交流についての話だ。

コロナ禍での博物館は

国立科学博物館 真鍋真副館長

恐竜研究の第一人者として知られる真鍋真さん。
数多くの展覧会や、NHKスペシャルなどの番組を監修し、恐竜に関する著作もたくさんある。
いつもにこやかで穏やかな人だが、長引く新型コロナの影響には悩まされているという。

(真鍋さん)
“3密”を避けるために、多くの博物館で入館者数を制限し、事前予約制を取り入れました。
研究員やボランティアが展示室で解説するというスタイルは控えなければならなくなったし、解説映像を流すタッチパネルに触れてもらうこともできなくなりました。
本来は、いつでも立ち寄ってもらえるのが博物館だったのですが、そうした姿はあまり見られなくなりました。

情報発信への模索

画像提供:国立科学博物館・凸版印刷株式会社

情報発信は、研究などと並んで博物館の生命線だと言っていい。
2021年1月、真鍋さんたちは、ある取り組みを行った。
国立科学博物館、北海道大学総合博物館、むかわ町穂別博物館、それに群馬県立自然史博物館の4施設と凸版印刷が協力して、恐竜などの骨格標本をレーザー光線でスキャン。
そのデータを使って精巧な3Dモデルを再現し、インターネット上で公開したのだ。

「ディノ・ネット デジタル恐竜展示室」HPより

「ディノ・ネット デジタル恐竜展示室」というサイトでは、ティラノサウルスやトリケラトプスなどの立体モデルを見ることができる。
真鍋さんたちは、このサイトの内容を取り入れたオンライン講座も開き、研究者と恐竜ファンがチャットを通じてやり取りをする試みが行われた。

恐竜のことが大好きな「虎くん」

加瀬武虎くん(=虎くん)

これだけでも興味深い話だと私は思った。
しかし、真鍋さんがオンラインやリモートの重要性を強く意識するようになった背景には、もっとほかの出来事があったのだという。

きっかけを作ったのは1人の小学生。
名前は加瀬武虎くんだ。
みんなからは「虎くん」と呼ばれていた。
母親の慶子さんによれば、虎くんは4~5歳のころから恐竜が大好きだった。
自宅は恐竜グッズであふれ、驚くほどたくさんの恐竜の名前を知っていた。

虎くんと病気、そして真鍋さん

2019年、虎くんは脳腫瘍だと診断され、千葉大学医学部附属病院に入院した。
当初は外出などもできたが、腫瘍が広がり、治療は難しくなっていった。
そうしたなかで2020年4月、慶子さんは、医師を通じて真鍋さんを紹介してもらった。
真鍋さんは、次のように振り返る。

(真鍋さん)
恐竜が大好きで、そのことを支えにしながら一生懸命、治療を続けている。一方で、病棟にいる自分より年下の子どもたちに対しては、恐竜の絵を描いてあげたり、『治療をもうちょっと頑張ろう』というメッセージを届けたりして励ましている、そんな子だと聞いていました。

ただ、恐竜のことをもっと知りたくて博物館に行きたいと思っても、感染症の心配などがあって、なかなか出かけられないと。

僕は病気を治療することはできません。
でも、恐竜が好きなのであれば何かをできるかもしれない。
そんなふうに思いました。

「恐竜が虎くんの支えになれば」

真鍋さんは、病院に許可をもらったうえで、国立科学博物館に虎くんを招こうと考えた。
しかし、新型コロナウイルスの影響で実現せず、真鍋さんが病院を訪問することも難しかった。

このため真鍋さんと虎くんは、携帯電話のビデオ通話機能を使って話をするようになった。
虎くんは、たくさん質問をしてきたという。

目を輝かせる虎くんを、もっと楽しませることはできないだろうか。
真鍋さんは、その方法を探っていた。

「遠隔操作ロボット」への期待

NPO法人「ミルフィーユ小児がんフロンティアーズ」 井上富美子さん

そんな真鍋さんに協力を申し出たのが、千葉で活動するNPO「ミルフィーユ小児がんフロンティアーズ」だった。
NPOの理事長、井上富美子さんはみずからも小児がんの息子を育てたことがある。
そうした経験を基に、これまで25年にわたって小児がんの子どもや、その家族を応援する活動を続けてきた。

井上さんは導入したばかりの「遠隔操作ロボット」を虎くんのために活用できないかと考えた。
ロボットは1メートル50センチほどの高さでモニターやカメラを備えている。
下の部分に車輪がついているため、Wi-Fiを介して操縦することも可能だ。
国立科学博物館に派遣すれば、虎くんは病院に居ながらにしてロボットを動かし、館内を移動することができる。
大好きな恐竜の標本を見て回りながら、モニター越しに真鍋さんと会話することもできるはずだ。

ロボットで博物館を探検しよう

ロボットを通じて子どもたちに話しかける真鍋さん 画像提供:ミルフィーユ小児がんフロンティアーズ

2020年6月、国立科学博物館に「遠隔操作ロボット」が搬入された。

千葉大学医学部附属病院の1室には、小児がんの子どもが集まった。
子どもたちは、パソコンを通じてロボットを操縦した。
博物館の中をどんどん移動させていく。

真鍋さんは、恐竜の展示スペースで子どもたちを迎えた。
そして、モニターに映し出された一人一人の子どもに向けて、ゆっくりと丁寧に、恐竜の魅力を伝えていった。

子どもたちは笑顔だった。
中には画面を通して恐竜のフィギュアを真鍋さんに見せてくれた子もいた。
一緒に入院している仲間のためにと、虎くんがプレゼントしたフィギュアだった。

虎くんの真鍋さんへの「質問」

画像提供:ミルフィーユ小児がんフロンティアーズ

このとき、虎くんの容体は悪化していた。
ベッドに横たわり、意識はほとんどなかったという。
ただ、母親の慶子さんは、事前に虎くんから真鍋さんへの質問を預かっていた。

「発掘で部分的な化石しか発見されていないのに、なぜ恐竜の種類まで分かるのか」

「ブラキオサウルスの鼻が目より上についているのはなぜか」

専門家でも簡単には、分かりやすく回答できない質問だ。

「恐竜について知りたい!、でも図鑑や絵本には答えが載っていない」
だから聞きたいんだという、虎くんの熱意が込められた質問だとも、真鍋さんは感じた。

(真鍋さん)
虎くんは、本当に恐竜のことが好きで、興味があって、なぜだろうと思っている。
だけど自分で図鑑や本を調べても分からなかった。
だからこそ、僕に聞きたかったんだろうと思うんです。
質問を聞いただけで虎くんの一生懸命さが感じられました。
ベッドの上の虎くんに僕のことばが聞こえているのかは、分かりませんでした。
でも、虎くんの耳に、少しでも僕の声は響いているのではないか。
いや、響いてほしいという願いを込めて、精いっぱい説明をしました。

虎くんが亡くなったのは、その3日後だった。

自宅にはまだ、真鍋さんが送った本が大切にしまってあるという。
虎くんの母親の慶子さんは、こんなふうに振り返る。

(加瀬慶子さん)
本当に、真鍋さんには優しく見守ってもらいました。
真鍋さんは今でも時折、連絡をくれます。
こうした形でつながっていられるのは、虎のおかげでもあります。

小児がんの子どもを支援するために

国立がん研究センターによれば、国内では年間2000人から2500人の子どもが小児がんだと診断されるという。
白血病や神経芽腫などさまざまながんがあり、早期発見は容易ではない。
ただ、成人のがんに比べて薬や放射線による効果は高いとされ、現在ではおよそ70から80%が治るようになってきたということだ。

元千葉県こども病院血液腫瘍科部長 沖本由理さん

一方で、治療のために長く入院する子どもは少なくない。

元千葉県こども病院血液腫瘍科部長の沖本由理さんは、「ミルフィーユ」の井上さんの協力を得ながら、子どもたちの治療に当たってきた。

治療が続くなかでも、子どもたちにはいろいろな遊びや行事を体験させ、これからの生活に必要なあいさつやお礼の表現について知ってもらいたいという。

沖本さんは、ロボットの活用にも期待を示す。
少しでも子どもの日常を生き生きとしたものにするために。

(沖本由理さん)
子どもは常に、成長と発達を続けています。
遊びの中から学んでいくのですが、医師や看護師には相手になってあげる時間が足りません。
子どもの不安を取り除き生活を支援する専門家や、病棟内で活動する保育士がもっと増えればよいのですが、まだ多くはないのが実情です。
治療に要する1年間、ずっと入院が続くと、子どもたちは閉じ込められたままで長い時間を過ごすことになります。
そうしたなかでロボットを操作して疑似体験でも外に出かけることを想像してみてください。
それは、子どもたちにとって、どれほど楽しいことでしょうか。

人と人がつながるということ

画像提供:バーチャル恐竜博物館

真鍋さんは、これまで、できるだけ多くの人に博物館に集まってもらうこと、そして同じ空間で一緒に展覧会を見たり、語り合ったりしてもらうことが、いちばん大切だと思ってきた。
しかし、虎くんとのふれあいを通じて、リモートやオンラインで生まれる新しいつながりにも大きな可能性があることを実感した。

そうしたなかで、ことし1月に始まったのが「バーチャル恐竜博物館」という取り組みだ。
博物館の持つデジタルデータをネットで広く公開する。
同時に、日本と世界の専門家が参加して対話を行い、一般の人たちと知識を共有する。
「ディノ・ネット デジタル恐竜展示室」のような取り組みを、さらに国際交流にまで広げようという試みだ。

真鍋さんとシン・リーターさん  画像提供:バーチャル恐竜博物館

初回の配信では、「ドラえもん」が大好きで、みずから発見した恐竜の足跡化石に「ノビタイ」という学名をつけた中国地質大学(北京)の研究者、シン・リーターさんと群馬県立自然史博物館をつなぎ、最新の研究成果を紹介した。

(真鍋さん)
何か気になることがある。何か知りたいことがある。
それをきっかけに、人と人はつながることができます。
ネットを通じて交わした会話から、新しい興味や関心、疑問、謎が生まれてくる可能性もあります。
例えば、恐竜のような古生物のことを一緒に考え、その絶滅の経緯や進化について学びながら、現在や未来の地球に思いをはせることは、とても大切なことのように思えます。

生物に国境がないように、研究や興味にも国境はありません。
つながっているということ。
そこには、希望のようなものを感じ取ることができると思うんです.

それぞれの今は

さて、最後に少しだけ、取材させてもらった人たちの今の様子をお伝えしたい。

「ミルフィーユ小児がんフロンティアーズ」の井上さんは、ロボットを使って、子どもたちに外の世界を体験してもらう取り組みを続けている。
子どもたちは、ロボットを操ってショッピングモールで買い物をしたり、水族館を楽しんだりした。
次の目標は、ロボットを学校に派遣することだという。
「だって子どもを元気づけたいから」と、井上さんは力強く話す。

医師の沖本さんは、定年退職のあと、小児がんの子どもたちが「おうちに帰りたい」と望んだときに対応できるよう、在宅医療の手伝いを始めた。
子どもたちの親の支援にも当たっている。
そして、千葉にも「こどもホスピス」を立ち上げようとしている。
できるかぎり、子どもたちの「生」を支えたいと考えている。

虎くんが制作した恐竜の版画

虎くんの母親、慶子さんの周りでは、恐竜=虎くんになったそうだ。
恐竜を見ると、「あー、虎だ」と言ってくれるという。

家の片づけをしていたら、虎くんが制作した1枚の版画が出てきた。
大きな口をあけ、しっかりと大地を踏みしめる。
虎くん、本人を思わせるような姿だ。

慶子さんは、こんなメッセージをくれた。
「本当に虎は大きな希望を遺してくれたな~とつくづく思います。私は何もできませんが、子どもたちが笑顔で元気になれるようにと思っています」

虎くんと真鍋さん

真鍋さんは、いつもどおり笑っている。
とにかく、リモートでもできることに取り組んでいる。
ただ、新型コロナウイルスの感染が終息して、子どもたちと会えるのなら、また、会いたいと思っている。

私はと言えば、そんな真鍋さんのそばには、いつも、虎くんがいるように感じている。

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