文化

幻の裸婦像-120年ぶり展示

幻の裸婦像-120年ぶり展示

2020.12.10

明治から大正にかけて活躍し、近代洋画の父と呼ばれた黒田清輝の師匠ラファエル・コランが裸婦を描いた「眠り」という作品が、神奈川県のポーラ美術館で開かれている展覧会「CONNECTIONS」で120年ぶりに公開されている。

「眠り」は1900年に開かれたパリ万博以来所在がわからなくなり、白黒の図録に残るだけで「幻の裸婦像」と呼ばれていた。

展覧会では黒田が「眠り」を参考にして完成させた作品も合わせて展示されている。

ふたつの作品を比較すると、当時、「春画」と見なされ、不道徳だと批判を受けていた裸婦を描いた作品の表現を、黒田が、日本に受け入れられるよう模索していた様子を読み取ることができる。

「近代洋画の父」黒田清輝とラファエル・コラン

左:黒田清輝の自画像 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 右:ラファエル・コランの肖像 ©Paris, Musée d'Orsay, Documentation

黒田清輝は、明治から大正にかけて活躍した画家で、明るい日光を取り入れた日本の洋画のスタイルを確立したことから「近代洋画の父」と呼ばれている。

17歳でフランスに留学したあとラファエル・コランに師事して印象派的な表現を学び、明治26年に帰国した後は美術団体の立ち上げや美術学校で教べんをふるい、日本の洋画界をけん引した。

黒田は、明治40年、裸の女性が草原の上に寝そべる様子を描いた「野辺」を発表。

ラファエル・コランが描いた「眠り」に構図がそっくりだったことから、「眠り」を参考にしたと考えられている。

黒田は「眠り」を明治33年のパリ万博で見たとされているが、その後、「眠り」の所在は不明に。

図録には掲載されていたものの、作品を実際に見比べることはこれまでできなかった。

「眠り」の発見

フランスで発見された「眠り」 撮影:三谷理華

「眠り」は、黒田が師事したラファエル・コランの作品で、裸の女性が草原に寝そべっている様子が描かれている。

1900年のパリ万博で展示されて以来、所在がわからなくなり、幻の裸婦画と呼ばれていた「眠り」を見つけたのは、日本人だった。

女子美術大学特任教授の三谷理華さんは、2016年から2017年にかけて、フランスのオルセー美術館にいた。

研究のさなか、ふとしたときに「スミス」という名前を聞く。

ラファエル・コランの弟子の名前がマドレーヌ・スミスだったことを思い出した。

1900年のパリ万博で展示された、「眠り」の所蔵者は「マダムスミス」と記録されていた。

同一人物ではないか。

調査を進めると、スミス家の美術品が、フランス国立図書館に寄贈されていることがわかった。

さらに、スミス=ルズエフ財団が運営するスミス=ルズエフ図書館が管理するようになり、2004年から国立財団に移管されていることまでわかった。

三谷が財団に対し、黒田が「眠り」を参考にして描いたとされる「野辺」の写真を添付して、手紙で「眠り」の存在について尋ねたところ、似たような絵が「ある」との返事が返ってきた。

日本の近代絵画の着想源として注目されていた重要な作品を、再発見した瞬間だった。

こうした経緯を経て、神奈川県箱根町にあるポーラ美術館が、パリ万博以来120年ぶりに「眠り」を一般に展示する展覧会を開催することになった。

黒田と裸体画論争

日本人が裸体画を眺める様子を描いた風刺画  出典:ジョルジュ・ビゴー フェルナン・ガネスコ著 「日本におけるショッキング」

「眠り」がなぜ日本にとって重要な作品なのか。

それは、日本で裸体画が受け入れられるきっかけのひとつになったからだ。

明治26年、黒田はフランスから帰国後、西洋美術の重要な主題のひとつの裸体画を日本に根づかせようと次々に裸の女性を描いた絵を発表していった。

しかし、明治28年、鏡の前で身支度する裸の女性を描いた「朝妝」が「風俗を乱すもの」として批判される。

この作品を当時の日本人が展示会で眺める様子を描いた風刺画には、ぽかんと口をあけた老人や熱心にスケッチする少年、顔を隠す女性や熱心に尻を見つめる男性など驚きの眼差しで見入る人たちの姿が描かれている。

下半身を布で覆われた「裸体婦人像」 明治34年

さらに、明治34年に発表した座る全裸の女性を描いた「裸体婦人像」では、展示された絵の上に警察が布をかぶせて下半身を隠したことから、世論を騒がせた。

これは「腰巻事件」と呼ばれている。

日本で反発を招いたふたつの作品に共通するのは、裸婦の体に下半身を覆うものがないこと、さらには体に密着するモチーフとして毛皮が描かれていることだった。

フランスで高評価を得たふたつの作品が日本の社会では受け入れがたいものであるとわかり、黒田やその門下生たちは、作品のなかで腰布を描くようになっていく。

こうした中で、黒田は、「眠り」を参考に「野辺」を発表。

裸婦表現が日本で受け入れられていく契機となっていった。

「野辺」に見る黒田の工夫

ポーラ美術館の展覧会  左:「野辺」 右:「眠り」 

師匠であるラファエル・コランの「眠り」を参考にして「野辺」を制作した黒田清輝。

「眠り」を発見した美術史に詳しい三谷特任教授は、2つの作品の比較から黒田が日本で裸婦表現を受け入れてもらうのに模索を重ねた形跡が読み取れると言う。

2つの作品は、上半身だけかかれた裸の女性が草原の上で寝そべっているという構図がほぼ同じだ。

「野辺」
「眠り」

しかし、「眠り」では女性が無防備に脇を見せながら熟睡し、私的で親密な空間をのぞき見ているような印象を与えるのに対して、「野辺」は、はっきりと目が開かれ視線は左手に持つ花に向けられている。

また、「眠り」ではフランスでしばしば描かれていた触感的な刺激で官能性を高める「毛皮」が腰にかぶせられているが、「野辺」では女性は腰のあたりで赤い布に右手を添えている。

さらに「眠り」では西洋人の白い肌が強調されて描かれている一方で、「野辺」は肌の色に黄色や茶色が混ぜられ、日本人を描こうとしていることがわかる。

黒田があえて下半身を描いていない絵画を参照し、肉体を強調せずに物語性や叙情性を持たせることで裸=不道徳という当時の社会的通念を乗り越えるような裸婦の表現を確立していったのではないかと考えられるとしている。

女子美術大学 三谷理華特任教授 

「作品の違いによって日本の裸婦表現の変化の節目が読み取れる。『眠り』は日本近代の洋画や裸婦表現を検証する上でとても重要な作品で、今後研究がより進むことを期待したい。また、ラファエル・コランは女性の肌の柔らかさの表現がとても上手だが、『眠り』はその中でも一番。ぜひ本物を見て欲しい」

美術館に運び込まれた「眠り」の状態をチェックする様子

裸体画という西洋美術の伝統を日本に根づかせる課程で様々な苦難を味わった黒田。

西洋的な裸婦像をそのまま描くのではなく、場面設定や、構図、腰布の存在など「裸婦の官能性を抑制する」ための細やかな創意工夫を図った。

展覧会を企画したポーラ美術館学芸員の山塙菜未さんは、「野辺」は、黒田の次の世代の若手の芸術家たちにとって、乗り越えるべき表現になっていったと話す。

黒田の弟子のひとり、萬鐵五郎は「草原に横たわる裸婦」を発表。

「野辺」を明らかに意識しながらも、赤い腰巻きをことさらに強調し、見る人を威圧するような裸婦の姿は、黒田の教えを受け入れた上で反抗心がかいま見える。

明治から大正にかけて、黒田が作り上げた日本の裸婦像は、若い芸術家に壊され、さらなる次の時代の美術が動き出す源流にもなっていった。

ポーラ美術館 山塙菜未学芸員

「2つの作品を見比べることで黒田が西洋的な裸婦像をそのまま踏襲するのではなく、日本独自の裸婦像の条件を模索し、細かい創意工夫を重ねたことがわかる。『眠り』が120年ぶりに公開でき、黒田の裸体画研究に新たな視座をもたらす可能性もでてきた。白黒でしか見たことがなかった『眠り』が目の前にあり、ふたつの作品を並べて展示することができて、『私はこれがやりたかったんだ』と素直に喜んでいます」

ポーラ美術館外観

展覧会「CONNECTIONS」は、2021年4月4日まで、神奈川県箱根町のポーラ美術館で開かれている。

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