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文化
2019.03.25
サザンオールスターズの“TSUNAMI”。シングルCDの売り上げが300万枚近くに達した平成を代表するヒット曲です。しかし、この曲。東日本大震災の被災地では、ラジオ局などで長い間あまり流されてきませんでした。内容は失恋の切なさなどを歌ったバラードで、タイトルだけが「ツナミ」です。でも、「津波を連想させる」「被災者がつらい思いをしてしまうのではないか」。こうした理由で被災地で聴く機会が少なくなってしまいました。しかし、震災から8年がたった今月初め。被災地の複数のラジオ局がこの曲を流したのです。“TSUNAMI”をめぐる人々の葛藤や思いを取材しました。
福島市の「ラジオ福島」でアナウンサーをしている大和田新さん(63)。震災が起きた日は夕方から生放送を開始。被災者に情報を伝え続けました。その後もみずから各地の被災者を取材し、被災地に寄り添った放送を続けてきました。
そんな大和田さんもここ数年、毎年3月11日が近づくと“TSUNAMI”をかけていいのか、思い悩んできました。
大和田さんは「聴いてみると、恋愛の曲、失恋の曲じゃないですか。決して災害、津波の歌じゃない。でも多くの方が津波で亡くなられていますから、なかなか、かけられないんです」と苦しい胸の内を打ち明けてくれました。
大和田さんがこの曲をかけられなかったのは、津波で家族を失った仲間の気持ちを推し量ったからだといいます。一緒に写真に写っているのは宮城県石巻市に住む佐藤敏郎さん(55)です。津波で、小学6年生だった次女を亡くしました。
佐藤さんは隣の女川町の「オナガワエフエム」でラジオ番組のパーソナリティーを務めています。
「オナガワエフエム」は震災直後から平成28年3月までは「女川さいがいFM」という名前で、災害時の臨時の放送局として活動していました。被災者を勇気づけ、生活に役立つ情報を提供してきました。
震災からまもなく4年になろうとしていた平成27年3月3日。佐藤さんの番組に、一通のリクエストが寄せられました。
「“TSUNAMI”を流してほしい」
佐藤さんはスタッフと話し合った結果、「リクエストに応じよう」という結論になり、CDを用意して番組の収録にのぞみました。
しかし収録が始まると、だんだん空気が変わっていきます。当日、スタジオに集まったリスナーの表情を見た佐藤さんは「かけていいのか」と迷い始めます。
震災では1万8000人余りが犠牲になっています。佐藤さん自身も娘を亡くしています。
悩み抜いた結果、この日、“TSUNAMI”は流しませんでした。
「きょうはちょっとまだ…ということですね。きっといつか『次はサザンの“TSUNAMI”です』という風に、この曲も流せるようになればいいなと思っています」
佐藤さんは当時の気持ちについて、「頭の中でも理屈としてはわかってるんですよ。これは別にかけても、なんてことはない。災害の歌でもなんでもないっていうのはわかっているんだけれども。正直な気持ちからすれば、かけたくなかったのかな。あの時はまだ時期じゃないと思ったのか。私自身の中でたぶんふんぎりがついていなかったのかなと思うんですよね」と振り返ります。
そしてリクエストにこたえられないまま1年余りが経過。翌年、平成28年3月26日の放送を迎えます。佐藤さんはこの日もCDをかけることはありませんでした。
そのかわり、みずからギターを弾きながら“TSUNAMI”を歌いました。スタジオに来たリスナーとともに。
佐藤さんは「みんなで歌って、ことばをかみしめたかった」と振り返ります。
佐藤さんのもとにはその後、リスナーからリクエストは寄せられませんでした。しかし震災8年を前にした、今月8日夜の収録。佐藤さんはみずから“TSUNAMI”を選曲し、かけたのです。
その理由について、「この8年を象徴するような曲だったので、かけました。実は解禁とか制限とかはなかった。いい曲ですよね、改めて。きょうかけたことで、たくさんの方がいろんなことを感じて下さるのかなと。それでまたみんなで考えていけばいいんですよ」と話していました。
「8年という時を象徴する曲」
時間の経過とともに、佐藤さん自身も新たな一歩を踏み出したのではないか。そう感じました。
一方、「ラジオ福島」の大和田新さんは震災の記憶が風化し始めていることを懸念していました。
平成29年12月と平成30年10月の2回にわたって“TSUNAMI”を番組でかけたことはありましたが、震災が起きた3月はまだありませんでした。
震災8年を迎えるにあたり、“TSUNAMI”をあえてかけることで、風化に少しでも歯止めをかけることができるのではないかと考えました。
そこで大和田さんは過去に取材で知り合った遺族に、メールで意見を聞きました。遺族からは次々に返信が寄せられました。
母親を亡くした福島県新地町の女性からのメールです。
「風化について、だいぶ懸念しております。311の時期だからこそ、かけてほしいです」
さらに同じ新地町の当時19歳の息子を亡くした男性からのメール。この男性はサザンオールスターズの大ファンで、亡くなった息子には桑田佳祐さんと同じ「佳祐」という名前を付けていました。
「震災の風化を心配しております。“TSUNAMI”を聞くことにより、震災のこと、佳祐(息子)のことを思い出して頂ければ幸いです」
いずれも大和田さんと同じように「震災の風化」を懸念する意見でした。
しかし違う意見も寄せられました。
娘を亡くした宮城県石巻市の女性からのメールは「この曲を好きな人も多いと思いますが、『津波』と聞くと胸がザワザワし、どことなく題名だけが、やはり聞きたくないと思ってしまいます」というものでした。
また家族3人を亡くした福島県大熊町の男性からは「いろんな人がいると思います。もしかしたら不謹慎と考えてるのは被災者以外の人かもしれないし…」というメールが届きました。
“TSUNAMI”をかけるべきか…。大和田さんはこのほか津波の被害を直接受けていない地域の人たちにも意見を聞きました。
仙台市太白区で開いた講演会では集まった人から、「遺族の方の考えが心配」とか、「どっちとも言えない、分からない」などの答えが返ってきました。
大和田さんは「いろんな意見があるんだなということを改めて感じました」と話していました。
そして迎えた3月9日。大和田さんの番組の生放送が始まりました。私もスタジオで、放送の様子を見守っていました。
「やっとの気持ちなんですが、この曲が”風化させない”というひとつのシンボルになってもらえると」
実は、桑田佳祐さんは震災から5年後の平成28年3月26日に「女川さいがいFM」が閉局するのにあわせて女川町を訪れ、スペシャルライブを行いました。
「女川さいがいFM」での“TSUNAMI”をめぐるそれまでの出来事を桑田さんが知ったためで、このときは佐藤さんたちの案内で女川町内の被災地などを見学したということです。
その3日後、「女川さいがいFM」は閉局しましたが、スペシャルライブの開催を受けて放送終了時に”TSUNAMI”がかけられました。
一方、スペシャルライブで桑田さんが歌ったのは「勝手にシンドバッド」や「波乗りジョニー」などで、“TSUNAMI”は歌いませんでした。
関係者によりますと、震災のあと桑田さんはライブなどで一度も、“TSUNAMI”を歌っていないということです。(平成31年3月25日現在)
今回の取材ではようやく“TSUNAMI”を聴けるようになった人、聴くことで震災を思い出すきっかけにしたいと考えた人、そして、やはり聴くのには抵抗がある人など、1つの曲をめぐり、さまざまな思いがあることを知りました。
この曲は失恋の切なさなどを歌ったバラードで、タイトルだけが「ツナミ」です。でも、一人一人感じ方は違います。また、時間の経過によって、感じ方や考え方が変わることもあります。震災の被災者も、そうでない人も。
震災から8年が経過し、平成という時代がまもなく終わろうとしている今。
「サザンの“TSUNAMI”。あなたは、どう思いますか?」