文化

戦時下のウクライナをゲームに プレーヤーとクリエーター、それぞれの決断

戦時下のウクライナをゲームに プレーヤーとクリエーター、それぞれの決断

2023.06.09

今も戦闘が続くウクライナで何が起きているのか。

 

人々の生活をドキュメンタリーのように追体験できるゲームが世界中に配信され、静かに人気を集めている。

 

なぜゲームなのか。

 

制作した現地のクリエーターに思いを聞いた。

 

(秋田放送局 志田陽一朗)

「Ukraine War Stories」 とは

「Ukraine War Stories」の起動画面

私(=記者)がこのゲームを知ったのは、2022年の12月だった。

いまのウクライナ情勢を題材にしていると知り、すぐにダウンロードした。

ゲームのタイトルは、「Ukraine War Stories」。

2022年11月、インターネットのゲームサイト「Steam」上で発表された。

プレーは無料で、英語のほか、日本語、ロシア語など、12の言語に対応している。

ジャンルは、「ビジュアルノベルアドベンチャー」。

イラストと音楽がついた小説を読むような感覚で進む。

場面ごとに表れる選択肢からどれを選ぶかによって、物語の結末が変わっていく。


「ホストメリ編」の冒頭

私はまず、「ホストメリ編」からプレーしてみた。

主人公は、妻と娘と暮らす高齢の男性、オレクシーだ。

物語は、2022年2月24日から始まる。

テレビを見ていたオレクシーの妻が、悲痛な声を上げる。

ロシアの侵攻を知ったのだ。

一方で、オレクシーは「ハッタリだ」と言って相手にしない。


「ホストメリ編」最初の選択肢

ここで、最初の選択肢が出てくる。ハッタリだと思う理由を選択するのだ。

私は「国連が黙っていない」を選んだ。

侵攻直前のころ、私は実際にそう考えていたからだ。

その後、オレクシーは爆発音で目を覚ます。

現実ではこの日、ホストメリにあるアントノフ空港に、ロシアのパラシュート部隊による攻撃があった。


何をすべきか、1つに決めなければならない

「私はなんと愚かだったのか」

オレクシーはそう後悔しながら、脱出の準備をする。

ここでも、選択肢が出てきた。

やりたいことをすべて行う時間はない。

私はここで、医薬品の確保をすることにした。

同時に、車で脱出するための燃料はあきらめることとなった。

結果として、医薬品のストックが増えた代わりに、オレクシーの心理状態が悪化した。


このように、持ち物や登場人物たちの心理状態に気を配りながら、プレーヤーは選択を繰り返し、ストーリーを進めていくこととなる。


毎日さまざまな出来事があり、そのたびにプレーヤーは選択を迫られる。

そうしていくうちに、オレクシーの心理状態を示す数値が「0」になった。

すると突然、以下のような画面が現れた。


ストーリーは突然終わってしまった

「ボリソウ家はホストメリの町と運命を共にした」

助からなかったということか。家族はどうなったのか。

途中で出てきた話は事実なのか。

様々な疑問に興味をかき立てられ、私は、「ホストメリ編」「ブチャ編」「マリウポリ編」という、3つのシナリオのすべてをプレーした。

なぜ、このような現在進行形の「戦争」を題材にしたゲームが作られたのか。

開発者に話を聞いてみたいと思った。


開発者たちが語る、戦時下のキーウ

ゲームを制作したのは、キーウにある「Starni Games」というスタジオだ。

制作に関わったスタッフたちは、いまもキーウで生活している。

リード・ゲームデザイナーのオレクサンダー・シエーニンさんと、CEOのイゴール・ティモシェンコさんに、オンラインでインタビューすることができた。


インタビューのようす(左:シエーニンさん、右上:ティモシェンコさん、右下:筆者) 爆風で窓ガラスが割れたときのため、窓には段ボールを積んでいるという

シエーニンさん
「キーウにはドニエプル川という大きな川が流れているのですが、空襲警報が鳴ると、地下鉄は川の両岸までで止まります。橋の上にいると、爆弾に当たるかもしれないからです。川の反対側に通勤する人は、空襲警報が解除されるまで仕事にいけなくなってしまいます。また、電気インフラへの攻撃によって、電力供給にも問題が発生しました。停電すると仕事ができないので、オフィスに発電機を置きました」

「キーウでは、生活は少しずつ元通りになってきていますが、前線に近い都市はまったく違う状況にあります。それらの都市には、もっと大変な思いをしている人たちがいるんです」

シエーニンさんは家族とともにキーウに住んでいるが、CEOのティモシェンコさんの家族は、イギリスに避難しているという。

ティモシェンコさん
「攻撃が続いていたころ、以前私の娘が通っていた幼稚園にミサイルが着弾しました。死傷者はいませんでしたが、そこで妻や娘が危険にさらされていると実感し、安全のために(イギリスに)送りました」

なぜこのゲームを作ったのか

ふたりにとって、ロシアによる侵攻が始まった2022年2月24日は「まるできのうのことのよう」だという。

シエーニンさん
「その日は、イゴール(注:ティモシェンコさん)から電話がかかってきて、それで目が覚めたんです。爆発音も聞こえました。彼は『戦争が始まったって知ってるか?』と言ってきました。イゴール自身も他の同僚に電話で起こされ、『ロシア軍の攻撃が始まって、爆発が起きている』と言われたんです。午前4時から6時くらいのことでした」

スタジオスタッフたちの通勤路にあるビル。2022年4月ごろ、ロシア側の攻撃を受けたという(シエーニンさん提供)

こうした状況の中、なぜキーウにとどまってゲームを作ろうと思ったのか。

侵攻開始から2週間ほど、スタッフたちは何をすればいいのかわからずに過ごしていた。

毎日のように爆撃を受けながらの生活など、誰も経験したことがなかった。

4月上旬、ウクライナ側がキーウを掌握したことで、状況が変化した。

ブチャやホストメリからロシア軍が撤退し、住民殺害などの戦争犯罪が明らかになったのだ。

そうしたなか、ティモシェンコさんがスタッフたちに「ゲームを作ろう」と呼びかけた。

ゲーム開発者としてみずから出来ることに全力を尽くすことが、国を救う最善の方法だと思ったという。

プレーヤー自らが操作するゲームであれば、ウクライナの人々がリアルタイムで経験していることを、世界中の人々と共有できる。


ティモシェンコさん
「ブチャやホストメリがロシアから解放され、ロシア軍の戦争犯罪が明らかになったあと、何をすべきかが理解できたと思います。ロシア軍がウクライナで何をしたのか話し合わなければいけない(と思ったこと)、それが引き金になりました。ウクライナの雰囲気や、起こっていることを感じてもらうために、プレーヤーにゲームを通して没入してもらいたいと(考えたんです)」

ゲームの制作は、2022年4月下旬にスタートした。

だが当初は、現在進行形で起きている戦争をゲームの題材とすることに、懸念を示すスタッフもいたという。


シエーニンさん
「倫理的にも非常に難しいテーマなので、バランスを取る必要がありました。プレーヤーが嫌悪感を抱いて、プレーをやめてしまうことは避けなければなりません。恐ろしい内容であっても、プレーを続けて結末を知りたいと思わせ、かつ、実際に起こったことの恐ろしさを軽減させないようにするのです。それが、物語がプレーヤーに与える印象のバランスをとるためのポイントでした」

そうした壁を乗り越えるうえで最も大切にしたのが、内容の正確性を高めることだった。

ストーリーは、実際の市民の証言を元にしている。

もちろん、ゲームである限り、プレーヤーを飽きさせないために、物語の脚色、多少の演出は必要になる。

しかし、可能な限り、事実に忠実に作り込むこと、そして、プレーヤーが、みずから題材が事実かどうか確かめられるような仕組みを用意した。



ゲーム内に設けられた「情報源」のコーナー

それが、ゲーム内に用意された「情報源」というコーナーだ。

取り扱われている出来事が事実かどうか、プレーヤーが出典をもとに検証できるようになっている。

取り上げられているのは、「ニューヨーク・タイムズ」などの報道機関による記事や、ウクライナの現地メディア、フリージャーナリストなどによって記録された現地住民の証言などだ。

それぞれの「ソース」はプレー中に起こるイベントに対応しており、プレーヤーはゲーム中のイベントと報告されている現実の出来事をつきあわせて確認できる。

シエーニンさん
「私たちは非常に注意深く行動しました。もし1つでもフェイクがあれば、物語全体が疑われ、信頼されなくなるからです。それは避けたいことでした。ですから、私たちの目標は、最も信頼できる正確な方法で、すべてのストーリーについて、疑いを持たれないように(情報を)提示することでした」

一方で、「情報源」コーナーの設置には、ロシア側のプロパガンダに対抗する意味もあるという。


シエーニンさん
「ロシアでは、テクノロジーが、教育や啓蒙、技術の進歩の代わりに、人々を欺くために使われている。これは本当に恐ろしいことです。世界で実際に起こっていることを正しく理解し、誤った考えや迷信、その他の誤った情報を持たないようにすることが、人々にとって本当に大切なことだと思うのです」

ゲームを発表することで、一刻も早くウクライナの役に立ちたい。

そうした思いで、開発は急ピッチで進められた。


世界各国からの支援

2022年11月18日、ゲームは正式に発表された。

開発の段階から、デモ版のテストプレイや翻訳のボランティアなど、世界中から支援があったという。



シエーニンさん
「ゲームのデモ版を公開したときに、日本のユーザーが翻訳のボランティアを提案してくれました。私たちには日本人のツテがなかったので、連絡をくれたときは、本当にうれしかったですね。さらに、他言語のボランティアチームも見つかりました。6、7カ国語に対応する予定だったのが、12カ国語になったんです。限られた時間の中で、世界中の人々がアクセスできるようになったことは、本当に嬉しいことです」

発表後一週間の全世界におけるプレーヤーのうち、30%以上は日本からアクセスしていたという。

日本での反響は、SNSを中心に広がったものだった。

正式発表の1か月前にはゲームのデモ版が発表され、それをプレーした日本のユーザーがツイッターで紹介した。

2023年5月現在、このツイートのリツイート数は1万3000件を超えている。



一方、好意的な反応ばかりが寄せられているわけではない。

プレーヤーと制作陣の交流のために設けられた掲示板では、ゲームの内容や、彼らが伝えるキーウでの被害の報告を否定する書き込みもあるという。


「Steam」内の掲示板への書き込み。投稿者は「このゲームはプロパガンダであり、公開されているのはおかしい」と主張している

ロシアの人々にも届けたい

ロシアの人々は、このゲームにどう反応しているのだろうか。

シエーニンさん
「このゲームは現在、ロシアではプレーできなくなっているんです。ロシアの法律に反しているため、ロシア国内からのアクセスは遮断しなければならないと、Steamの運営から連絡がありました。それでも、このゲームはロシア語に対応しています。ロシア以外の国にもロシア語を話す人がたくさんいるからです。また、もしロシアの人たちがこのゲームにアクセスできるのであれば、嬉しく思います。正しい情報、そこで起こっていること、目撃者の実際の印象などを知ることができるからです」

二度と繰り返さないために、ゲームを作る

2016年の初来日で、シエーニンさんは広島を訪れた(シエーニンさん提供)

シエーニンさんの祖父はモスクワに住んでいて、侵攻開始からは会えていない。

過去には日本にも、合気道を学びに訪れたことがあるが、当分訪れることはできないだろうと話した。


シエーニンさん
「私が一番感動したのは、広島です。もちろん慰霊碑も訪れましたが、壊滅的な被害を受けた街がにぎわっているのを見ると、本当に勇気づけられました。
キーウは、チョルノービリから90kmの場所にあります。私の祖父は、チョルノービリ原発事故の処理作業に参加していたんです。核の事故や放射能についてはよく知っていますし、チョルノービリの半径30キロは今も立ち入り禁止区域です。
広島への核攻撃による人々の苦しみは計り知れませんが、今はそれを乗り越えて、再び幸せに暮らしているんだと知って、嬉しかった。戦後、ウクライナの荒廃した都市が広島のように生まれ変わることを期待しています。広島は、日本人の不屈の精神をよく表していると思います」

「日本にはロシアとの領土問題もあります。チョルノービリと福島という、悲惨な事故の歴史もあります。ウクライナと日本は、こうした経験を共有し、助け合おうとしていると聞いています。日本とウクライナの歴史の中には、どこか似ているページがあると思います。だから、日本の人たちは、ウクライナを応援してくれるのかもしれませんね」

イゴールさん
「今あるものを失いたくはない。だから、会社を存続させ、面白いプロジェクトに取り組み続けたいし、これを発展させるために、あらゆることをやっていきたいんです。
日常生活に戻ると、自分の生活を自分でコントロールできるようになります。何をすべきかを決めるのは、プーチン氏ではなく、自分なんだと理解できるんです」

ゲームを通じて、彼らが最も伝えたいことは何なのか。

シエーニンさん
「第二次世界大戦後の歴史のモットーは、『二度と繰り返さない』だったと聞いたことがあります。それでも今、私たちは、多くの点でまったく同じ過ちを繰り返す人々を見ています。当時と似たようなことが起きているのです。だから私たちは、戦争がいかに恐ろしいか、なぜこんなことが起こってはいけないのかというメッセージを伝えようとしたのです」

取材後記:ひとりのプレーヤーとして

オンラインインタビューのあと、連絡を取るたびに、彼らはキーウの現状を市民の目線で報告してくれた。

「ミサイル攻撃があったので、きょうは在宅勤務にした」

「対空システムがほぼすべての攻撃を防いでくれている」

話を聞くたびに、彼らが戦火の中にいるということを実感させられる。

戦争の悲惨さを伝えたり、平和の尊さを訴えたりするゲームは、これまでに何度かプレーしてきた。

だが、現在進行形の戦争をテーマに、それもその当事者たちが作ったゲームをプレーすることは、初めての経験だった。

もちろん、単にゲームをプレーしただけで、戦争が終わることはないだろう。

だが、このゲームによって、ニュース記事や映像とはまた違った角度から、戦争の実態を知り、“体感する”ことが出来るのは確かだ。


「2度と繰り返さない」というウクライナの人たちの思い。

ゲームという形で世界中の人々の心の中に静かに広がっていけばいいと、願っている。



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