文化

金田一耕助シリーズ「悪霊島」「仮面舞踏会」 横溝正史の新資料発見

金田一耕助シリーズ「悪霊島」「仮面舞踏会」 横溝正史の新資料発見

2022.04.25

江戸川乱歩とともに日本の探偵小説の歴史を開いたと言われる横溝正史。

「八つ墓村」や「獄門島」など、映画やドラマにもなった作品も多く、もじゃもじゃ頭によれよれのはかまでおなじみの名探偵が登場する「金田一耕助シリーズ」で、今も多くのファンを持つ。

その晩年の創作活動を知る新たな資料が複数、見つかった。

そこからは、これまでにない「本格推理小説」を生み出そうとする情熱、そして、呻吟とも言える苦悩の一端がかいま見えた。

 

横溝正史の新資料が出てきた!?

横溝正史は、1902年、兵庫県生まれ。ことしはちょうど生誕120年だ。

1921年、短編の探偵小説「恐ろしき四月馬鹿」でデビュー、その後、江戸川乱歩とともに日本の探偵小説をけん引していった。

代表作は、もじゃもじゃ頭によれよれのはかまでおなじみの名探偵が事件を解決する「金田一耕助シリーズ」だ。

横溝の創作に関わる多くの資料は、二松学舎大学が所蔵している。

日本の近代文学を研究している山口直孝教授が長年に渡って調査を行っていた。

ある日、かねてからの取材先だった、その山口教授から1通の手紙が届いた。

「横溝正史の軽井沢の別荘から1000枚を超える草稿が見つかりました」。

私は興奮を抑えながら返事を書いて、研究室に向かう準備を始めた。

晩年の活動を知る貴重な資料

二松学舎大学 所蔵

見つかったのは、特に、横溝の晩年の資料だった。

70歳を過ぎてから刊行された金田一耕助シリーズのひとつ、「仮面舞踏会」の自筆の草稿が650枚ほど。

そして、79歳で亡くなる3年ほど前に連載が始まった「悪霊島」の創作ノートや「死仮面」の手直しを加えた原稿用紙およそ500枚。

山口教授が特に注目したのは「仮面舞踏会」の草稿だ。

連載を中断した『仮面舞踏会』

「仮面舞踏会」は、長野県・軽井沢の別荘地を舞台に起こる連続不審死事件を名探偵・金田一耕助が調査する長編の小説。

1962年から雑誌「宝石」で連載がスタートした。

連載にあたり、横溝は「本格探偵小説を愛好下さる特殊な読者層の期待を裏切らないように、ガッチリとした構成を組立てていきたいと思っている」などと意気込みを記している。

ところが、この作品、翌年の2月、連載8回を終えたところで中断してしまった。

中断に際して横溝の言葉はなく、編集後記に「病状かんばしくないため休載」と記されている。

連載は、その後も再開されることはなかった。

山口教授は、連載の中断の背景に、当時のミステリー小説の流行があったと見ている。

60年代は、激変する社会状況と呼応するように、社会的な題材を扱い、よりリアリティーに重きを置いた松本清張をはじめとする、「社会派推理小説」が台頭した。

横溝が執筆していた「本格推理小説」の人気が下火になっていたのだ。

「宝石」1962年6月号より

「横溝は、松本清張などの台頭によって、どうも自分の書く小説が世間に望まれていないのではないかと意識することがあって、そうした気持ちが書くことを進めさせなかったと言っています。そうした中で執筆の依頼も来なくなって自然と新作を発表することが出来なくなっていった。この時期は、やはり作家にとっては苦しい時期、つらい時期だったのではないかと思います」

だがこの「仮面舞踏会」。

およそ10年後の1974年、突然、完成版が発表される。

連載が中断した作品が、10年もたって完成版が発表されることは、極めて異例だ。

なぜ10年もかけて作品を完成させたのか。

山口教授は、探偵小説をともにけん引してきた江戸川乱歩への思いがあったのではないかと指摘する。

二松学舎大学の山口直孝教授

「仮面舞踏会の連載を始めた時、横溝はすでに還暦だった。乱歩からは『還暦でなお長編の本格推理小説を書こうとしているから偉い』と言われていた。しかし、その作品の執筆をうまく進めることができなかった。そのことで乱歩に少し引け目を感じていた、申し訳なく思っていた。その後、横溝は乱歩が亡くなってから書き直しを思い立っている。そのことを考えると、やはり乱歩のことを意識しながら、乱歩に見せて恥ずかしくない、水準の高い作品に仕上げようと加筆修正をしていったのではないか。その一方で、書き悩んで、書きあぐねて立ち止まることがあった。乱歩が第1の読者として想定されていたので、執筆を促すこと、書きづらくさせていること、その両方に作用してたのかもしれない」

乱歩は、「仮面舞踏会」の連載が中断していた1965年に亡くなり、この年に横溝はこの作品の執筆に再度、取り組み始めている。

乱歩に見せて恥ずかしくない、水準の高い作品に仕上げようという思いがあったのだ。

完成した「仮面舞踏会」の冒頭には、「江戸川乱歩に捧ぐ」と記されている。

草稿から見える試行錯誤の跡

今回見つかった草稿は、1974年に出版される完成版に至った、試行錯誤の跡がいくつも見られる。

例えば、金田一耕助とともに事件の調査をする警視庁の等々力警部が登場するシーン。

東京の上野駅から軽井沢に向かう際にある人物を見かけて声をかける、重要な場面だ。

完成版では、物語の前半に挿入されているが、草稿では中盤より後になっていて、どの段階で鍵となる人物を登場させるのが適切なのか、悩んでいた形跡が見て取れる。

また、完成版ではこの場面の章題になっていて、重要な意味を持つ「箱根細工」の小筥(こばこ)が、草稿の同じ部分ではまだ登場しておらず、どのように読者にヒントを示すのがいいのか、横溝の模索が続いていたことが伺える。

さらに、雑誌の連載時から登場人物の設定を変更していたり、描写を補ったりしながらより魅力的に見せようと創意工夫をこらしていることもわかった。

読者の関心をそらさず、自然に次の展開、次の展開へといざなう綿密なプロット。

何度も加筆修正を行うことで、読者の期待に答えようとしていた。

還暦を過ぎてなお新しい物語を生み出そうとする横溝の情熱のほとばしりを感じた。

「草稿を見ると何回も書き直している様子がわかります。細かい表現を直し、伏線を書き足している。また、作品の中に、軽井沢に関係者全員が集まっていくという展開がありますが、全員が集まるためには、どういう順番で書いていくのがいいのか試行錯誤しています。横溝は多様なジャンルの作品が書ける作家なんですけれど、一番書きたいのは本格推理小説だった。年をとってはいくけれど、創作の意欲を衰えさせたくはないし、新しいものにも挑戦したい。体力的に執筆がつらくなる日もあったようですが、それに負けないように結果を出したいという思いはあったんじゃないか」

晩年の苦労伺える資料も

さらに、晩年の横溝の苦労がかいま見える資料も見つかった。

それは、「悪霊島」に関するノート。

小説「悪霊島」の登場人物の紹介や章ごとの概要など、作品を執筆する際の情報の整理のために作られたものだ。

推理小説は、事件が起き、そこにどういったトリックが使われているのか、読者に対してヒントを開示しながら納得ができる解決に導く、論理構成が重要な要素となってくる。

そういったプロットを記したノートやメモが出てくることは何ら不思議なことではない。

しかし、横溝の創作ノートが出てくることは、これまでほとんどなかった。

横溝は、こうしたメモをいっさい作らずに頭の中で全てを構築して執筆を行うという常人離れした才能を持っていたからだ。

見つかったノートには、登場人物の一覧や章題と主な内容、そして作品に登場する神社に関することなどが記されていた。

山口教授は、今回のメモに、横溝の老いを感じていた。

「作家によっていろいろなタイプがありますが、横溝正史という人はノートやメモを全く取らない人。記憶力が非常に良かった。頭の中で作品を完成させるまでは、基本的には何も書かず、全部頭の中で組み立てていた。
あれだけの登場人物と複雑な展開を、全部記憶だけですませていたということですから、
これはもう本格推理小説を書くために生まれてきた人だなという感じがします。
なのでこういったメモを作っているのは極めて珍しく、例外的なことです。
さすがの横溝正史も、少し記憶力に自信がなくなってきたということがあるようなので、それを補うためにノートを作ったようです。このノートにも備忘録程度のことしか記されていませんが、これまでの創作過程と比べると大きな変化です。作業の方法を多少変えてでも、新作を書く、新しい作品に挑んでいた。それも、簡単なものではなくて、より複雑で、現代的な状況も加味した小説を作ろうとしていた。横溝の仕事を知る上で、貴重な発見です」

晩年まで衰えることがなく続いた新しいことに挑戦しようという意欲。見つかったノートからは、完成作品からは知ることができない、格闘の跡を感じることができる。


そして今回、横溝の直筆のものと見られる墨書も見つかった。

二松学舎大学 所蔵

「論理の骨格にロマンの肉附けをし愛情の衣を着せませう」。

そこには、彼のオリジナルの言葉が、記されていた。

推理を巡らせる探偵小説の背骨となる「論理」。

読み手の興味をかき立てて止まない「ロマン」。

そして、人間の心を深く揺さぶる「愛情」。

私はこの言葉に、横溝と、その作品の全てが凝縮されていると感じた。

今回の発見を機に、いま一度、横溝の作品を読み返してみようと思う。

ご意見・情報 お寄せください