科学と文化のいまがわかる
文化
2021.07.01
明治時代にできた時計台。
いつしか“日本最古の時計台”と呼ばれ、観光パンフレットでも紹介されるようになりました。
ところがその歴史をひもとくと、実は「最古」ではありませんでした。
町の観光名所が大変な事態になってしまう。
さて、皆さんだったらどうしますか?
その時計台の名は「辰鼓楼」(しんころう)といいます。
木造で高さはおよそ13メートル。
兵庫県北部の豊岡市出石町にあり、出石城跡の石垣の上から、長年、町の人たちを見守ってきました。
今のような大きな時計が掲げられた姿になったのは、明治14年。
現存する日本最古の時計台として知られる、国の重要文化財、札幌市時計台が動き出したのと同じ年です。
市の教育委員会が建てた案内板には「札幌時計台とともに、日本最古の時計台として親しまれている」の文字が刻まれています。
観光パンフレットでも「日本最古」と紹介され、地元の人たちの自慢でした。
「辰鼓楼」の建物自体が建てられたのは、明治4年。
当初は、太鼓を鳴らして時を知らせる楼閣として建てられました。
「辰」は「時刻」を、「鼓」は「太鼓」を、そして「楼」は「建物」を意味しています。
そして、10年後の明治14年。
機械式の大時計が取り付けられ、今の時計台となりました。
城下町で開業していた医師が、みずからが大病を患ったときに多くの人が願掛けをしてくれたお礼に私費で取り寄せて、寄贈しました。
ことしは建物ができて150年、そして、時計が設置されて140年の節目の年。
時計を寄贈した医師のひ孫を招いて、式典も開かれるなど地元は盛り上がっていました。
「時計台は、いつから動き出したのだろう」
その謎が頭から離れなかった男性がいました。
出石名物の皿そば店の店主、渋谷朋矢さんです。
実は「辰鼓楼」の時計は明治14年の何月何日に動き出したのか、詳しい日付までは分かっていなかったのです。
毎年70万人が観光に訪れていた出石の町も、いまは新型コロナの影響を受けています。
渋谷さんの店も、一時休業を余儀なくされ、客は大幅に減りました。
地元の歴史や文化について調べることが大好きな渋谷さん。
時間ができたいまこそ、その歴史をひもとこうと考えたといいます。
渋谷朋矢さん
「時計が動き出した日が分からないから、記念日のイベントもできなかった。でもこれを調べることによって、コロナが収束したあとに役に立つのではないかと考えて。うちも創業以来の危機だけど、逆境の中だからこそと思ってね」
渋谷さんはまず、「出石町史」を調べました。
しかし、何も載っていません。
続いて新聞を調べようと地元の図書館を訪ねましたが、残念ながら収蔵されていたのは明治34年以降のもの。
明治14年の新聞は見つかりませんでした。
さらに時計を寄贈した医師の子孫にも問い合わせましたが、手がかりは得られませんでした。
町に2軒ある時計店を訪ねても「うちは明治時代には商売していませんわ」との答え。
最後の手段にと、町内会の広報紙に「情報を求む」と呼びかけましたが、全く反応がありませんでした。
しかし、ついに手がかりが見つかります。
渋谷さんが訪ねたのは、出石町内でいちばん古い弘道小学校。
出石藩の藩校の流れをくみ、およそ250年の歴史があります。
校舎はかつて、「辰鼓楼」の隣にありました。
「辰鼓楼の歴史を調べているんです。謎を解きたいんです」。
渋谷さんの突然の訪問に少し驚いた先生たち。
しかし、校長がひと言。
「うちに古い文書が残っている」
そう言って校長室の金庫から取り出したのは、明治時代の学校の日誌です。
全部で12冊あり、そのうち時計が設置された明治14年のものは2冊ありました。
1冊目は、1月から7月までの日誌。
そこには時計についての記載はありませんでした。
2冊目は、8月から12月の日誌。
それは、9月のところにありました。
九月三日
辰鼓楼ノ営繕、本日ヨリ取リ懸ル
九月八日
辰鼓楼、修繕落成ニ付、本日十二時ヨリ報鼓ス
「辰鼓楼」と「修繕落成」の文字です。
筆で書かれているため、渋谷さんは写真に撮って豊岡市の文化財室に確認してもらいました。
時計が動き出したのは、やはり9月8日と確認できたと連絡がありました。
140年ぶりの大発見。
しかし、渋谷さんは最初はどうしようと思ったそうです。
実は、札幌の時計台が動き出したのは8月12日。
「辰鼓楼」が動き出したのは、その27日後。
日本最古の時計台ではなくなってしまったのです。
渋谷朋矢さん
「時計が動いた日付が分かったことはよかったんだけれども、国内で2番目であることが確定しちゃいました。町内のみんながどう受け止めるか、ちょっと心配でした」
渋谷さんは、町の人たちに正直に「日本最古の時計台ではなかった」と伝えました。
町の人たちは驚きましたが「すごいね。よく調べたね」と、ねぎらったそうです。
「ああ、よかった。うそを言わなくて」
実は地元の但馬國出石観光協会の人たちは、案内板や観光パンフレットに「日本最古」と紹介されていても、そのウラが取れないため、いつも正直に「日本最古かもしれない」と明言を避けて答えていました。
これまで取材の問い合わせがあっても「わからないんです」と説明してきたそうです。
ようやく事実が分かった今、これからは堂々と「日本で2番目に古い時計台」と名乗っていくことにしました。
観光協会はコロナが収束したら9月8日にイベントを開こうとか、観光客には「国内最古“級”」と紹介しようとか、新たな構想を練り始めています。
また、兵庫県が監修しているPRマンガも今後、「日本最古」の表現をどうするか検討することにしました。
このニュース、ネットでも
「2番目であることを素直に言うなんて好感が持てる」
「史実がはっきりしてすっきりした」
といった好意的な意見が相次ぎました。
渋谷さんは、歴史を正直に伝えることで、「辰鼓楼」が話題になり町の雰囲気も明るくなったのではないかと感じています。
渋谷朋矢さん
「日付が確定してしまえば、先か後か、勝ちか負けかっていうことはないんです。札幌の時計台よりも早くても遅くても、辰鼓楼の値打ちは変わりません。日誌にも残していたということは特別な日だったに違いないはずですから」
一方、ライバルのおかげで、「日本最古」が証明される形となった札幌市時計台。
下村康成館長は喜ぶとともに、「辰鼓楼」にエールを送りました。
札幌市時計台 下村康成館長
「動いた日が分かったことは大変喜ばしいことだと思いました。辰鼓楼も貴重な建物であることには違いありません。町の歴史や人々の営みを知ることができる古い時計どうし、一緒に時を刻んでいきたいですね」
辰鼓楼が動き出した9月8日は、日本記念日協会に「いずし時の記念日」として登録されました。
そして、このほど新しいポスターも完成しました。
そこには正直に「日本最古年の時計台」と書かれています。
正直な時計台。これからも地域のシンボルとして町を見守り、正直な町の人たちとともに時を刻んでいきます。