原子力

文化の灯を絶やさない

「社会派講談師」が斬る 原発事故とコロナ

「社会派講談師」が斬る 原発事故とコロナ

2021.06.10

歴史もののイメージが強い、講談の世界で、戦争や原発事故をテーマにした数々の作品を上演し「社会派講談師」として活躍している神田香織さん(66歳)。

 

先行きの見えないコロナ禍の中、講談の語りの力が、苦難を乗り越える助けになると信じている。

「ホットスポットがたくさんあるんですよ」

「ここは計画的避難区域に指定すべき場所じゃないんですか?」

「なんで低いところばかり測っているんだ。いいかげんにしろ」

震災10年を迎えたことし3月、東京・文京区のホールで行われた講談。

時折、リズミカルに机をたたく張り扇の音と共に、講談師の神田香織さんの威勢の良い声が響き渡っていた。

この日は、神田さんと同じ福島県の出身で知人のノンフィクション作家、黒川祥子さんが、原発事故後の除染のあり方を問うたルポ『心の除染』の一部を、講談として上演した。

冒頭のやりとりは、原発事故の後に、伊達市が開いた「特定避難勧奨地点」制度についての住民説明会で上がった住民の声だ。

制度は、地点を細かく区切って線量の高い場所に住む世帯の税金や医療費を優遇するものだが、優遇を受けられる世帯と受けられない世帯との間で分断を生んだと、批判された。

この日、講談の後に行われた黒川さんとの対談では、伊達市が「ガラスバッジ」と呼ばれる線量計を市民に配って個人個人の被ばく線量を測定し、研究者が論文化したものの、本人の同意を得ていなかったとして論文が撤回されたことなどが紹介された。

講談と言えば、歴史にちなんだ物語を独特の調子と小道具を使いながら読み上げる伝統話芸のイメージが強いが、その中で、神田香織さんは戦争や原発事故をテーマにした数々の講談を上演してきた。「社会派講談師」と呼ばれることもある。

神田さんは、福島県いわき市の出身。

当初は演劇の道を志し、勉強として講談を習い始めたが、芝居と朗読の要素を併せ持つ講談の魅力に引きつけられ、講談師になった。

戦争の悲劇をテーマに、そして原発事故

「戦争」を自分のテーマにしようと決めたのは、友人と訪れたサイパンで、太平洋戦争の際に米軍に追われた日本兵や民間人が身を投げたバンザイ・クリフなど、戦争の爪痕を目の当たりにしたことからだと言う。

その後、原爆を題材にした漫画「はだしのゲン」、チェルノブイリ原発事故で引き裂かれた家族を描いた「チェルノブイリの祈り」、そして横浜の米軍機墜落事故を描いた「哀しみの母子像」など、数々の社会派作品を演じてきた。

戦争によって引き起こされる悲劇。

原発事故は、まさに、繰り返してはならないと自分が強く訴えてきたことが現実となったと感じた。しかも、ふるさとの福島で起きた。衝撃は大きかった。

インタビューの中で、神田さんは、事故の1か月後、4月26日のチェルノブイリ原発事故の日に合わせて、東京で行った「チェルノブイリの祈り」の上演のことを振り返った。

「最初はやめようと思いましたが、やろうという話になって、泣きながらやったんですけど、立ち見で皆さん真剣に聞いてくれました。この話は、『未来にはこういう事故も起きる』ということを訴えているのですが、(そういうことが起きないために、というメッセージを込めて)講談の中で『未来の物語、これをもって読み終わり』と、締めくくるんです。そのときにものすごく複雑な気持ちになりました。ああ、悲劇は防げなかった、という屈辱感のようなものを感じだんです」

原発事故への関心が高まり、しばらくは、「チェルノブイリの祈り」を上演してほしいと、地方からも声がかかり、各地で上演した。

そして、2014年には、福島の原発事故で自主避難した母子の姿を描いた「ふくしまの祈り」を制作、上演した。

しかし、風向きは変わっていった。

事故から3、4年後。

東京五輪の招致が決まると、福島への関心が急速に薄れていくように感じた。

「まだ瀕死の状態で倒れている病人がいる中で、その家族なのに、海外旅行に行こうなんてウキウキしているというような、そんな感じがしました。復興資金とかマンパワーとかがどんどん引き上げていっちゃう」

コロナ、そして家族

福島の記憶がどんどん忘れ去られていくことに危機感を抱いていた神田さんだが、去年の新型コロナウイルスの感染拡大で、その空気が変わるかもしれないと感じているという。

日本全国で見えないウイルスとの闘いが始まったことで、「もしかしたら、原発事故の後の放射能の恐怖におびえた人たちはこういう気持ちだったのではないか。想像力のある人たちには分かってもらえるようになっていきているという実感があります」

「原発事故では、大変な思いをしてきた人がばい菌扱いされたり、放射能がうつると言われたりした。コロナでも同じように、医療現場で頑張っている人に心ない言葉が浴びせられたりしている」

実は、神田さんは、原発事故後の10年、自身の生活では綱渡りが続いていたという。

大震災と同じくして、体調を崩した家族の世話をする必要が生じ、毎年、新作を一本作ろうという目標は実現できなくなってしまった。

これまで自分が、人に元気を与える立場だったのが出来なくなった。

逆にお客さんに励まされ、人のつらさ、家族のありがたさを改めて実感したという。

ようやく作品作りに打ち込めるようになったのはことし。

いま、9月の公演に向けて、新作の制作を進めている。

原発事故で被災した高校生の話だ。

高校生は、8歳の時に福島県いわき市で被災し、自主避難した東京で壮絶ないじめにあった。

福島出身であることを隠しながら過ごす自身のアイデンティティーに悩むなか、ローマ法王に手紙を書いて相談したところ、バチカンに呼ばれた。

高校生は、法王との面会で勇気を得て、力強く、人生を歩み出す。

神田さんは、「壮絶ないじめを、彼なりに乗り越えた。その体験は非常に普遍性がある。コロナでも自殺が出ているし、これから、ますます格差社会になるなかでこの子の体験を知って、死ぬのをやめる人も出てくると思う。本当に希望になる話です」と、目を大きく見開いて語った。
 

神田さんは、コロナ禍でしばしば現れる「自粛警察」についても、次のように話した。

「人と変わったことをやると村八分にあうみたいな戦争中の雰囲気がいまもある。あの戦争できちんと反省して民主主義を自分たちで育んでいくことができていれば、いまのこの閉塞感はなかったのではないか」

戦争や原発事故などの教訓を歴史から学び、ひとりひとりが知識と理解を持つこと。

それは、コロナ禍を乗り越えていく時にも大切なことだ。そのために、生の声をリアルに伝えることが出来る講談の力を最大限生かしていきたいと思っている。

かつては、周囲や世間から、社会的なネタはやってはダメだという雰囲気を感じていたという神田さん。最近は、お客さんから、ほかの人と違う香織さんならではのネタを聞きたいよ、とよく言われるようになった。

「若い講談師の中に、自分なりの社会派の講談を作って上演する動きもでてきている」と、うれしそうに話す神田さんの表情は、希望にあふれているように見えた。

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