科学と文化のいまがわかる
科学
2021.05.19
幸せを運ぶとも言われるコウノトリ。
一度、日本では野生のコウノトリは絶滅しましたが、人工飼育により復活し、各地に飛んでくるようになりました。
しかし今、傷ついたコウノトリが相次いで見つかっています。
ケガで左足を失ったコウノトリには“義足”を。
親が死んた子どものコウノトリには“育ての親”を。
コウノトリも幸せになってほしい、と願う人たちがいます。
野生復帰のプロジェクトの舞台となっているのが、兵庫県北部の豊岡市です。
市の鳥はもちろんコウノトリ。
駅は「コウノトリの郷駅」。特急列車も「こうのとり」。空港の名前も「コウノトリ但馬空港」。
豊岡市内には至るところに、コウノトリがあふれています。
私、田口はそんな豊岡支局で平成24年から8年間勤務しました。
コウノトリについて書いた原稿は70本以上。NHKの記者の中では最も長くコウノトリの取材を続けています。
地元では空を飛ぶ姿の美しさから、めでたいことが起こる前兆とされる「瑞鳥」として愛されているコウノトリ。
「赤ちゃん」を運んでくる鳥という印象も強いですが、実は厳密には違います。
ヨーロッパの伝承では、赤ちゃんを運んでくるとされているのは「シュバシコウ」。別名「ヨーロッパコウノトリ」です。
コウノトリとよく似ていますが、くちばしの色が赤く、別の種類の鳥です。
コウノトリはいったんペアになるとその絆は深く、子育ても一緒に行い、生涯添い遂げると言われています。
あのオシドリだって実は毎年ペアを替えていて、研究者の間では、コウノトリはオシドリ以上に「おしどり夫婦」だと呼ばれています。
コウノトリは江戸時代までは広く全国の里山に生息してきました。
しかし明治時代以降、乱獲や農業の近代化で急激に減少し、昭和31年には国の特別天然記念物に指定されました。
生息が確認されていた兵庫県では野生の鳥を保護して、飼育する取り組みを始めましたが、その後も数は減少。
昭和46年、日本の野生のコウノトリは絶滅してしまいました。
再び日本の空に、野生のコウノトリを。
その中心となったのが、豊岡市にある研究施設「県立コウノトリの郷公園」です。
研究施設で保護していたコウノトリや、海外から譲り受けたコウノトリを、人工飼育によって増やしていきます。
そして、平成17年9月、世界で初めて野外に放鳥しました。
去年6月、野生で暮らすコウノトリは200羽まで増えました。
現在、世界では2000羽と言われているので、およそ1割が“豊岡由来”なんです。
外でコウノトリが悠々と空を飛ぶ姿が見られるようになる一方で、傷ついたコウノトリも見つかるようになりました。
コウノトリは立つと1メートル、翼を広げると2メートル以上にもなります。
その大きさゆえに、ケガが絶えないのです。
放鳥が始まってからの16年間で野外で死んでいたのは50羽。ケガが確認されたのは97羽に達しました。
鳥獣対策のネットに絡まったり、電線や通信設備にぶつかったり、車に衝突したり。
全体の43.5%が人間の活動が原因となっていました。
ことし1月に保護されたコウノトリは、左足を半分失っていました。
どうやら国内で使用が禁止されている、トラバサミという小動物用のわなに挟まったものとみられます。
餌を食べることができずに衰弱し、コウノトリの郷公園に運び込まれました。
治療の結果、餌も食べられるようになり、右足で立てるまでに回復しました。
公園の獣医師、松本令以さんは義足を作ろうと考えました。
しかし、コウノトリの義足などありません。
松本さんは、自分で作ることを決意し、市内の100円ショップを数か所回ります。
おもちゃのバットや突っ張り棒など、軽くて丈夫な素材でなんとかこしらえましたが、まだ右足に体重をかけて立っていました。
「片足だけで自然界で生きていくのは難しい。公園の中で生活するにしても、右足だけに負担がかかり長生きできないと、考えたんです。しかし、先行研究はないですし、どんな素材がいいのか、義足そのものが必要なのか。全くわかりませんでした」
松本さんが窮状をSNSで訴えると、心強い助っ人が名乗りをあげます。
兵庫県三田市にある義肢装具士を養成する専門学校の教員たちです。
中心メンバーの川上紀子さんは「どうしてもコウノトリに義足を作ってあげたかった理由があった」といいます。
実は川上さんは、小学生のころ飼っていた愛犬ミミが交通事故で後ろ足が不自由になったことをきっかけに、義肢装具士を目指したのです。
川上さんにとっても今回が初めての動物向けの義足づくりです。
まずは人間と同じように切断した部分を石こうで型取りします。
さらに松本さんから標本を借り、コウノトリの骨格の構造を研究。
2週間かけて「コウノトリ専用」の義足を作りあげました。
足の切断面を包み込むような構造にし、衝撃を抑えるように中には柔らかさが異なる2種類のクッションを使用。
重さは157グラムと、松本さんが作った義足よりも50グラムほど軽量化できました。
4月6日。
川上さんの義足を初めてつける日です。
コウノトリに嫌がる様子はありません。
義足をつけた足をおそるおそる地面につけると、義足に体重をかけて立ち、行きたい方向に体を動かすことができました。
「頑張って歩く姿を見て、うれしかったです。コウノトリの観察を続けて、もっと軽くて丈夫な素材で義足を作りたいです」
親を失った子どものコウノトリを、代わりのペアに育ててもらうという試みも始まっています。
4月12日、兵庫県朝来市で3羽のヒナを残して、オスの親鳥が田んぼの水路で動けなくなっているのが見つかりました。
交通事故にあったとみられ、保護されましたが、2日後に死にました。
群れを作らないコウノトリは、オスとメスはペアで子育てし、1羽が餌を探し、その間、もう1羽が巣を守ります。
片親だけだとカラスやトビにヒナが襲われる可能性が高くなります。
そこで公園はヒナを保護し、園内で飼育している子育てのベテランペアに預けました。
初めての試みだということですが、無事に子育てをしていて3羽はなんとか命をつないでます。
秋ごろには放鳥し、野生にかえす計画です。
救われる命もある一方で、悲しい出来事もありました。
4月19日、私も何度も取材した、豊岡市の三江小学校の敷地にある巣で暮らしていたメスのコウノトリが死んでしまったのです。
送電線にぶつかったようでした。
グラウンドに設置された人工巣塔で、5年連続でヒナを巣立たせたという名物お母さん。
教室からも巣の様子がよく見え、子どもたちに大人気でした。
メスが死んですぐ、残されたオスが巣を離れたすきに、カラスに卵を持っていかれてしまいました。
子どもたちもがっかりした様子だったといいます。
私たち人間は、一度日本では絶滅した野生のコウノトリを、なんとかここまで復活させてきました。
しかしいま、コウノトリは人間の活動によって傷つき、手当てが必要な事態になっています。
食べ物を作るために仕掛けたわなやネットによって、暮らしを便利にするための電線や車によって、コウノトリが傷ついてしまっているのが実態です。
コウノトリの郷公園 獣医師 松本令以さん
「コウノトリが飛来すると豊かな自然環境がある証だと多くの人が喜んでくれます。一方で、コウノトリが増えると事故の数も増えていくと思われます。コウノトリが暮らしやすい環境が、人間にとっても暮らしやすい環境ではないでしょうか。どのようにコウノトリと人間が共生していけばいいのか、考えてほしい」
私たちを幸せな気持ちにしてくれるコウノトリ。
ともに暮らしやすい社会にしていくためにはどうすればいいか。
コウノトリは立ち止まって考えるきっかけを与えてくれているように感じています。