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文化
2019.06.04
現在の大阪城の地下に眠る豊臣秀吉が築いた当初の「大坂城」の詳しい構造が大阪市立大学のグループの最新の地下調査で明らかになりました。これまで絵図などでしか確認されていなかった築城当初の大坂城の姿が大規模に確認されたのは初めてです。
これは4日、大阪市立大学大学院の仁木宏教授らの研究グループが発表したものです。
豊臣秀吉によって築城された当初の大坂城は大坂の陣に勝利した徳川幕府によって埋め立てられ、現在の大阪城はその上に築かれています。
しかし、大阪城一帯は国の特別史跡に指定されているため、発掘調査が難しく、当時の詳しい構造は図面や絵図で確認するしかありませんでした。
このためグループでは細い金属の棒を地中に差し込んで、その際の抵抗から地中の構造を推定する調査方法を使い、4年間かけて大阪城本丸のおよそ300地点を調べました。
その結果、天守がある本丸の3段構造の石垣の一部や、生活の場だった奥御殿と公務を行う表御殿をつなぐ橋とみられる跡などが確認できたということです。
こうした構造は築城当初の大坂城を描いたとされる図面とほぼ一致していたということで、実際の調査で当時の大坂城の遺構が大規模に確認されるのは初めてです。
仁木教授は「発掘調査が難しい中で絵図などに残されていたものが実際に確認できたことは大きな意義がある。今後は文化財を破壊しない方法を組み合わせてさらに調査を進めたい」と話しています。
今回の調査は「スウェーデン式サウンディング調査」と呼ばれ、もともとは地盤調査などに用いられてきました。
先端にドリルがついた直径3センチほどの細い金属の棒を地中に差し込み、その際の抵抗の強弱を測定することで地中の構造物の位置や形を推測することができます。
詳しく調べるためには多くの地点で調査を行う必要があり、今回の調査では4年間かけておよそ300地点に金属棒を差し込むことで、地下の石垣や構造物の状況が明らかになりました。
一方で地面を掘り起こさなくても地中の調査ができるため、今後、史跡に指定されている場合など、発掘が難しい場所での調査に役立つとして注目されています。
今回の調査結果について、大阪城天守閣の北川央館長は「歴史研究者にとって、築城当初の大坂城がどのような構造物であったか知る手がかりや方法は絵図以外にはほとんどなかった。徳川の時代とは異なる豊臣期の大坂城本丸の複雑な構造が確認されたことは非常に価値のある成果だ。文化財として保護されている場所での発掘調査は難しく、今回の調査手法は今後の研究でも参考になるはずだ」と話しています。