科学と文化のいまがわかる
文化
2021.10.06
コレラ、スペイン風邪、新型コロナ・・。
人類は、これまで幾度となく感染症の流行に直面してきました。
感染拡大によって繰り返された不安や葛藤、世相や暮らしはどう変化したのか。
時代を映す資料の収集が、大阪で続けられています。そこには、後世の人々が、同じようなパンデミックに直面したとき、それらの記録を役立ててほしいとの思いがあります。
今から100年前の大正時代。
その頃(1918年~20年)の光景は、いまを“鏡に映した”ように似ていたと言われます。
当時、世界中でスペイン風邪が大流行。
国内ではマスクの着用が盛んに呼びかけられ、多くの国民が、通勤・通学や仕事中などにマスクをしていました。
そんな1世紀前の人々の暮らしぶりを伝える、1枚のはがきがあります。
大正9年(1920年)に画家の男性が知人に宛てて描いたのは、黒いマスクをした家族の姿でした。
【私共では おやぢからちび迄 烏天狗の様な出立ちで外出して居ります為めか 一同頗る(すこぶる)壮健で御座います】
(原文まま)
外出する時には、そろいの黒いマスクで口や鼻を隠す。
“烏天狗”のような姿で、命を守っていたと伝えています。
スペイン風邪の流行から、時をさがのぼること40年ほど前。
これは、コレラの感染がまん延した明治13年(1880年)に、政府が発行した冊子です。コレラの予防法や、病に対する心構えが記される中、こんな指摘が。
【細民 病毒ノ畏ルベキヲ知ラズ 或ハ 隠蔽忌避シ】
貧しい人々の多くが、コレラ菌の恐ろしさを知らなかったり、逆に、その恐ろしさを知ったことで、差別や偏見を避けるため、病を隠して行動したりしていたことなどが書かれています。
こうした感染症に関する資料を集めているのが、大阪・吹田市立博物館の学芸員、五月女賢司さんです。
(五月女賢司さん)
「100年くらい前から、マスクをしていたり。差別を恐れて、病を隠したり。100年たっても150年たっても、人間というのは変わらない。案外似ているなと思います」
資料を通して、100年前の世相を知り、そこから、人間の変わらない本質に気づくことができたように、新型コロナと向き合う現代からも、100年後に伝えられることがあるのではないか。
五月女さんは、今はありきたりの紙1枚ですら、後世に残れば貴重な“文化財”になると考え、コロナ禍の暮らしの中から物や証言の収集を続けています。
例えば、政府が、マスク不足解消のため、全世帯に配布した「布マスク」。去年4月(2020年)のことです。
こちらは、「入店制限」の協力を呼びかけるポスター。
2020年の「新語・流行語大賞」の年間大賞にも選ばれた、「3密=密閉・密集・密接」を避けるため、大阪・吹田市の精肉店が店頭に貼り出した1枚です。
【暑くなっておりますが 終息への近道と思って、誠に心苦しいですが順番にお伺い致します】
(原文まま)
暑さの中で待つ買い物客へ、店主の心苦しさがにじみ出ています。
大阪・吹田市にある寺から寄贈されたのは、「食品庫」です。
1回目の「緊急事態宣言(2020年4月7日~5月25日)」のさなか、副住職が山門前に設置した、このボックス。寺が準備したり、住民から寄付されたりした食品を、誰でも持ち帰ることができました。
【給食と近所の子ども食堂が同時期に休止状態になったため、家庭でお腹を空かしている方がいるのではないか、近くの大学の学生はアルバイトが減少したうえ、実家に帰れず、不慣れな土地でお腹を空かしているのではないか。
また、元々ぎりぎりで家計をやりくりしていた方々が、今回の騒動で一気に困窮状態に陥っているのではないかと懸念を抱いたことなどが、“小さな食品庫”を置いたきっかけでした(副住職)】
(原文まま)
五月女さんは、資料だけでなく、その背景にある人々の思いも“保存”したいと、証言集めにも力を入れています。
“自粛警察”と呼ばれる行為の記録もあります。
大阪・豊中市の居酒屋から提供された、貼り紙です。
【しばらく休業してください!
テロ行為です!
いいかげんにしてください!
許せない!!!!!
ふざけるな!!!】
(原文まま)
営業を続ける店を非難する言葉。
この紙が店先に貼られたのは、去年(2020年)4月、緊急事態宣言を受け、店が時短営業を始めたやさきのことでした。
(店主・小林希望さん)
「言われのない怒りをぶつけられたんだなと。どんどん増えていくエクスクラメーションマーク(!)が、すごく怖いなと思いました。書いた人は正義感を持って書いたんだろうなと思いますが・・」
店主は、文言にとどまらない恐怖も感じていました。
それは、紙の裏側をみたときです。
びっしりと貼られた両面テープに、衝動的な感情ではなく、計画性を感じたと振り返ります。
資料そのものからだけではわからなかった、当事者の思い。五月女さんは、店主から直接、話を聞けたことで新たな気づきがあったといいます。
(五月女賢司さん)
「何が正義か、何が正解か不正解かわからないような時代で、それを表す、すごく変な表現ですけど“いい資料”なんですよね。10年後、20年後、100年後の人たちがそれぞれに感じる事はきっとあるんだろうし、自分の頭で考えて判断する、よりよい社会を築くきっかけになる資料や証言であったらうれしいなと思います」
それぞれの立場やその時の考え・感情で、“あいまいな境界線”を行ったり来たりするコロナ禍の日常。五月女さんは、ことし、集めた資料を展示する「巡回展」を開いています。(※2021年11月中旬まで、吹田市内を巡回中)
こうした資料を俯瞰してみることは、来場者に、新たな発見をもたらしているようです。
(来場者)
「今まだ(コロナ禍の)ただ中にありますが、展示を見ることでちょっと一歩ひいた、客観的な視点が自分の中につくられるのかな、と思いました。その視点を、今後に生かすことは大事だと思います」
最後に、もう一冊。昭和初期に発行された「衛生四十七話(昭和7年(1932年))」です。ここには、市民の衛生観念を向上させるための標語がまとめられています。
【油断の一日 治療の百日】
【夢愚か隠し立てすな悪病を 大流行のもとはそれから】
90年近く前から届く、変わらぬ教訓。
新型コロナの感染拡大で大きく変化するいまの社会を生きる私たちからは、100年後に向けてどんなメッセージが発信できるでしょうか。