「猛省を促す」「反省してください」
殺人事件で2人の子どもを失った遺族に向けられたことばです。
ネット上の根拠のないデマやひぼう中傷。
そして、届かなかった公的支援。
悲しみに暮れる遺族は、さらに傷ついていました。
誰もがいつ事件に巻き込まれ、犯罪被害者になるかわかりません。
知ってほしい現実があります。
(長野放送局記者 髙田実穂)
2021年5月25日事件
「猛省を促す」「反省してください」
殺人事件で2人の子どもを失った遺族に向けられたことばです。
ネット上の根拠のないデマやひぼう中傷。
そして、届かなかった公的支援。
悲しみに暮れる遺族は、さらに傷ついていました。
誰もがいつ事件に巻き込まれ、犯罪被害者になるかわかりません。
知ってほしい現実があります。
(長野放送局記者 髙田実穂)
取材に応じてくれた、父親の市川武範さん(56)。
去年5月、長女の杏菜さん(22)と、次男で高校生の直人さん(16)を亡くしました。
あの日。
市川さんは、職場にいました。
午後11時すぎ。
職場から車で帰ろうとした市川さんの携帯に、長女の杏菜さんから電話がかかってきました。
「もしもし」
返事はありません。
ガチャンガチャン。
何かが壊れるような音が聞こえてきました。
何か大変なことが起きている。
急いで帰宅し、警察に連絡。
そこで目にしたのは、受け入れがたい光景でした。
玄関ドアを開けると、杏菜さんが壁に寄りかかった状態で倒れていました。
右手の近くにスマートフォンが落ちていて、助けを求めるさなかに襲われたとみられます。
室内の状況を確認しようと、靴を履いたまま部屋に上がると、寝室の入り口に倒れている直人さんの姿が目に入ります。
このとき2人とも、わずかに息があったといいます。
父親の市川武範さん
「杏菜はうなり声を上げていてまだ命がある、生きていると。直人も首に触れると脈があったんです。まだ助かるかもしれないと、急いで119番通報しました」
杏菜さんと直人さんは病院に搬送されましたが、助かりませんでした。
そして室内ではもう1人、家族以外の男が死んでいました。
2人を襲った暴力団員です。
そばには拳銃が落ちていて、2人を拳銃で殺害したあと、自殺したとみられています。
(警察は殺人などの疑いで書類送検。去年10月、容疑者死亡で不起訴)
書類送検
・刑事手続きの1つ。亡くなった杏菜さんと直人さん。
これはまだ幼かった頃の写真ですが、市川さんはこの笑顔が忘れられません。
2人とも人のことを思いやれる、仲のいい姉弟だったといいます。
市川武範さん
「杏菜は、家族思いでまじめな子、頑固で曲がったことが嫌いな子でした。次男の進学もあり、高校を卒業してからはアルバイトで稼いだお金を家に入れてくれていました。去年2月からは居酒屋レストランで働き始めたんですが新型コロナで休業になって、仕事が再開できると楽しみにしていたやさきでした」
「直人は、幼い頃から『人の役に立ちたい』とよく言っていました。とにかく優しい子で、遠足や校外活動で遅れている子がいれば一緒に登ってあげていたそうです。去年の大型連休には、『将来、ユーチューバーになって人を笑顔にしたいから動画投稿を許可してほしい』と頼み込んできたので、そういう夢があるならいいよと答えたんです」
長野県坂城町で起きた今回の事件。
警察などへの取材で明らかになった事件の構図です。
警察によりますと、事件の2日前、暴力団員は隣町のコンビニエンスストアの駐車場で、殺害された2人の兄の長男に対し、一方的に暴行を加えていました。
長男が同じ会社に勤務する暴力団員の元妻と話していたところ、突然襲われたそうです。
長男と暴力団員に面識はなかったといいます。
事件当日。
警察は、この暴力団員の逮捕状を取って行方を捜査していました。
長男は別の場所に避難し、自宅にはいませんでした。
ところが暴力団員は、金属バットで窓ガラスを割って市川さんの自宅に侵入。
その場にいた市川さんの妻によると、長男の名前を叫びながら拳銃を発砲し、何の関わりもなかった杏菜さんと直人さんを殺害したということです。
妻は命からがら近所に助けを求め、その間に暴力団員は自殺したとみられています。
悲しみに暮れる市川さんに追い打ちをかけたのが、周囲からのひぼう中傷でした。
「暴力団員に恨まれるようなことをしたのでは」「長男も暴力団関係者ではないか」
市川さんによりますと、ネット上に不確かな情報に基づく臆測やデマが広がったというのです。
自宅に匿名で届いたはがきには、市川さんや長男に対する一方的な非難のことばが並び、「猛省を促す」と締めくくられていました。
近隣住民から理不尽にどなられることもあったといいます。
市川武範さん
「お悔やみのことばもなく、『お前たちが悪い。規制線を張られてみんな迷惑している。謝って歩くのが当然だろう』とどなられました」
「“鬼”だと思いました。こんな時こそ助けになってくれるのが隣近所ではないのかと。残念で悔しくて、怒りがこみ上げてきました」
市川さんをさらに追い詰めたのが、生活への影響です。
直面したのが、住まいの問題です。
事件の生々しい痕跡が残る家に住み続けられないと、警察を通じて町営住宅への入居を希望しました。
しかし、叶いませんでした。
警察から聞かされたのは、「町の担当者に問い合わせたが、『暴力団員が関係する事件で、ほかの住民の安全が保証されない』という理由で断られた」という説明でした。
市川武範さん
「えっという感じでした。親戚も頼れないし、町から出て行けと言われているような印象も受けました。生活を再建するにも住まいが基になるので、非常に不安になりました」
経済的にも苦しい状況に陥りました。
事件のあと体調を崩した市川さんは、仕事を続けられなくなりました。
公的な経済支援は受けられず、犯罪被害者に対する国の給付金も受け取るまでに申請から5か月かかりました。
日々の生活費にも困るようになり、住めなくなった自宅のローンが重くのしかかります。
市川武範さん
「突然、犯罪の被害に遭った人が、なぜそこまで落ちた生活をしなければならないのか。被害者の生活を守るすべはこの国にないのだろうかと強く思いました」
なぜ市川さんは、必要な支援をすぐに受けられなかったのか。
取材に対して坂城町の町長は、支援するための条例がなかったことなどを挙げました。
「犯罪被害者基本法」では、国や自治体に被害者支援に取り組む責務があるとされています。
自治体の中には条例を制定し、迅速な見舞金の支給や公営住宅の優先入居、転居費用の援助、家事支援などを定めているところもありますが、坂城町には条例がありませんでした。
坂城町 山村弘 町長
「当時、町として市川さんに何もできないことがもどかしかった。見舞金を支給したくても、条例がないので支給する根拠がない」
「町営住宅への入居希望は、暴力団が関係する事件で再被害の可能性がないとは言い切れないので、町の担当者がしばらく町外の県営住宅に入れないかと警察に相談したもので、それが市川さんには『断った』と伝わってしまった」
「犯罪被害者基本法」の施行から16年がたちますが、被害者を支援する条例を制定している自治体は一部にとどまっているのが現状です。
去年4月時点で条例を制定していたのは、都道府県では全体のおよそ45%。
政令市以外の市区町村ではおよそ19%にとどまっています。
被害者支援に詳しい常磐大学元学長の諸澤英道さんは、条例の制定が進まない現状について、次のように指摘します。
諸澤英道さん
「日本の被害者支援の歴史は、警察が関わる刑事事件を中心に発展したことから、いまだに多くの自治体が『支援は警察が行うもの』と捉えていて、行政が果たすべき役割について理解が進んでいない」
「まずは事件のあと被害者がどれだけ厳しい状況に置かれるのかを知って、具体的な支援策を考える必要がある」
市川さんは、ことし3月、犯罪被害者に関するシンポジウムで自らの経験を語りました。
杏菜さんと直人さんの命を守れなかった父親としてできることを考えたときに、被害者が生きにくい社会ではいけない。つらい思いをする人がこれ以上出てほしくないという思いからでした。
今回の事件を受けて坂城町は、長野県内で初めて被害者支援条例を制定し、見舞金の支給などを行いました。
県も、犯罪被害者を支援できるよう条例の制定を目指して議論を始めています。
取材を通して知った市川さんへのひぼう中傷。そして乏しい公的支援。
それは、まるで社会が「犯罪被害者はひとりで立ち直ってください」と突き放しているかのように感じました。
誰もがいつ事件に巻き込まれ、被害者になるかわかりません。
そんなとき1人でも多くの人が被害者や遺族の気持ちをくみ取り、手を差し伸べる社会であってほしい。
そう強く願って、私はこれからも取材を続けていきます。
長野放送局記者
髙田実穂 2020年入局
警察・司法を経て現在は県政を担当
趣味:ドライブ、温泉巡り
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