証言 当事者たちの声人の気持ちに時効はない~新人記者に届いた遺族からの手紙

2021年2月26日事件 事故

私はNHKに去年入局した新人記者です。警察担当をする中で去年10月、事件の遺族に初めて会い取材を始めました。10年前に起きたこの死亡ひき逃げ事件の時効は2月27日。遺族が語ったこの言葉が忘れられません。

「人の思いというのはずっと続いていくの」

(甲府局記者 神田詩月)

“サツ担当”の新人記者

東京での新人研修は、新型コロナウイルスの影響ですべてオンラインになりました。同期の記者とは一度も会わないまま研修を終えた私たちは、去年6月に全国の放送局にそれぞれ赴任し、私は甲府放送局に着任しました。

それからは日々、上司や先輩の指導を受けながら記者としてのスキルを磨く毎日です。もちろん新型コロナ関連の取材もありますが、私の担当は警察と司法。山梨県内の事件や事故、裁判を取材しています。

初めて会った事件の遺族

そんな私が初めて事件の遺族に会ったのは、去年10月のことでした。
10年前、甲斐市で起きた死亡ひき逃げ事件の慰霊式に被害者の両親が来ていたのです。

「自首してください」
母親の平野るり子さんが涙ながらに訴える姿を見ていると、胸が締めつけられました。

慰霊式に参列する母親の平野るり子さん

この事件の時効は、4か月後の2021年2月27日に迫っていました。
遺族の無念をなんとか伝えられないか、そして加害者や事件を知る人の心に少しでも届けられないか。そう強く思った瞬間でした。

私と同じ年齢で亡くなった被害者

亡くなった平野隆史さん

事件の被害者は、平野隆史さん。
亡くなったのは24歳のときで、偶然ですが今の私と同じ年齢です。

隆史さんは長崎県の大学を卒業後、東京に本社がある大手飲料メーカーに就職しました。そして配属された山梨県の工場で働き始めた2年目に帰らぬ人となりました。親元を離れて就職し、これまで過ごしたことのなかった地方に赴任したという点でも私と共通していて、自分と重ねてこの事件を考えるようになりました。

事件が起きたのは、2011年2月25日の午前3時50分ごろです。
自宅近くの国道沿いで隆史さんが倒れているのを通りかかった人が見つけて通報し、病院に運ばれました。しかし頭のけがの程度が重く、2日後の27日に亡くなりました。

これまでの捜査で、前日24日の夜に職場の送別会があり、同僚に自宅の前まで送ってもらったことは確認されていますが、なぜその時間に現場にいたのかは今もわかっていません。

警察は「黒っぽい普通乗用車が通るのを見た」という目撃情報や防犯カメラの映像をもとに現場を通った可能性のある県内外の車およそ3000台をリストアップし、衝突や修理の跡がないか調べたそうです。

でも該当する車両は見つかりませんでした。
山梨県警に取材したところ、捜査が難航した理由を次のように話しました。

「現場に車の破片などが残っていなかった。車種を特定できなかったことが捜査を難しくした大きな要因だ」

現場を訪れてみると

私はもう一度現場を訪れました。
合わせて5車線ある国道沿いで多くの車が行き交っていましたが、歩いている人はほとんどいません。

「交通事故発生。目撃者求む」と書かれた看板が立てかけられていたものの、どれほどのドライバーが看板を確認しているのだろうかと気になりました。

近くを通りかかった人に事件のことを尋ねましたが、「知りません」とのこと。
事件から10年近くたって、風化が進んでしまっている現実を改めて感じました。

遺族への電話取材 発信ボタンを押せず

慰霊式で会った母親のるり子さんは、佐賀県で暮らしています。

年に数回、飛行機や電車を乗り継いで6時間かけて山梨県の現場に通い、情報提供を求めてチラシを配り続けてきました。これまでに作成したチラシは4万枚以上に上り、自費で情報提供者への懸賞金も設けました。

2016年

私は新型コロナの感染状況を踏まえ、るり子さんに対面ではなく電話で思いを聞くことにしました。

でもなかなか発信ボタンを押せませんでした。未熟な自分が遺族にどれだけ向き合えるのか、何気ないひと言で相手を傷つけてしまったらどうしようと怖かったのです。第一声は何と言えばいいのか、どんな言葉で質問するのか、毎回、何度も何度も考えてシミュレーションしていました。

そんな私の電話にるり子さんは優しく答えてくれました。

時効が迫っていた去年は「なんとしても息子の無念を晴らしたい」と、例年よりも多く現場に足を運ぼうと考えていたそうです。しかし新型コロナの影響で思ったように活動できず、それが心残りだと話しました。

母親 平野るり子さん
「被害者支援団体から遺族として話をしてほしいという依頼もあったので、お話ししようと思っていました。ですが新型コロナで何にもできなかったです。だから悔いが残りますね。コロナで世界は異常事態ですが、そんな中でも時効とかは関係ないんですよね。関係なく時間が過ぎていったら時効になっちゃうんですよね。それがただ悔しいだけです」

通報すれば助かる命も “殺人と一緒”

人を死亡させた罪のうち、殺人や強盗殺人などの時効は2010年に廃止されました。

一方、死亡ひき逃げ事件には時効があります。

今回警察は、道路交通法の「救護義務違反」と刑法の「自動車運転過失致死」の容疑で捜査してきました。「救護義務違反」の時効は7年ですでに成立しているので、残るは2月27日に10年の時効を迎える「自動車運転過失致死」での立件を目指すしかありませんでした。

母親のるり子さんは次のように訴えました。

「通報して救護すれば助かる命もあるのに、それを放置するということは死んでもかまわないということなんです。だから殺人と一緒だと思うんです。今の法律は、被害者とか被害者遺族にとっての法律ではないんです。加害者の人権だけを重視しているように感じます」

るり子さんは毎日、隆史さんの分も夕飯を作って仏前に供え、その日の出来事などを報告しているといいます。ただ「安らかに眠って」とはどうしても言えないそうです。

母親 るり子さん
「いまだに息子が亡くなったのが信じられない気持ちで、晩ご飯は必ず家族と同じものを供えるんです。そのときに付けるろうそくの炎が揺れると息子が返事しているみたいに感じて。これからという時だったじゃないですか。やっと自分の足で歩き始めたばかり。本当に夢と希望にあふれているときに命を奪われて。誰かわからない人に命を奪われたというのは本人にとっても無念としか言いようがないと思うので、この10年、息子に向かって『安らかに』なんて言ったことはないです」

隆史さんの兄に会いに東京へ

るり子さんから話を聞く中で、隆史さんには2人の兄がいることを知りました。

お兄さんは事件のことをどう思っているのか。これまで取材に応じたことはなかったそうですが、情報が集まるきっかけになればと長男の慎也さんが話を聞かせてくれることになり、私は東京に向かいました。

兄 平野慎也さん

慎也さんは、穏やかな表情で取材に応じてくれました。末っ子の隆史さんは、慎也さんとは8歳離れています。るり子さんの話でも小さい頃はお兄さんたちが学校や習い事から帰ってくると遊んでほしいとねだっていたといいます。

兄 慎也さん
「やっぱり3男だからか甘えん坊でしたね。ずっとべったり遊んであげていました。今おいっ子がいるんですけど、ちょっと(隆史と)かぶるんですよね」

中央が隆史さん、右が兄の慎也さん

事件が起きた日のことを尋ねると、目に少し涙を浮かべているように見えました。そして言葉をかみしめるように話し始めました。

兄 慎也さん
「私は当時、神奈川県厚木市に住んでいたんですが、ちょうど出社するタイミングで母からの着信履歴が2つあるのに気付いたんです。これは何かあったなとすぐ電話して、病院に向かいました。弟は寝ているだけのように見えて、亡くなったときは実感がわかなかったです。実感がわいたのはやっぱり葬儀の最後に見送るときでしたね。弟に先に逝かれるというのは精神的にくるものがありました」

慎也さんは弟がなぜ命を失わなければならなかったのか明らかになってほしいと願っています。

兄 慎也さん
「あまり悲しい過去にとらわれず、明るく生きてほしいと隆史は願っていると思うので、そう思うようにしています。ただ、まだもやもやしているので、誰の運転、誰の車で隆史は死に至ったのかということだけでもはっきりすれば、少しは気持ちとして晴れるのかなと。心当たりがあるのであれば名乗り出て、話をしてほしいです」

人の思いというのはずっと続いていくの

私は再び、るり子さんに電話をかけました。

るり子さんもいま求めているのは、真実を知ること。
そして加害者からの心からの謝罪です。

母親 るり子さん
「いまはただ真実が知りたい。人の命を奪った罪を認めてもらいたい。 息子に謝ってもらいたい。もうそれだけです。時効になれば法的には区切りがつくとは思うんですけど、人の気持ちに時効はないんですよね。だから加害者の人は自分はもう無罪放免だって思うかもしれないけど、人の思いっていうのはずっと続いていくの。それを覚えておいてと伝えたいです」

私は自分の母親に「この事件を取材している」と話したことがあります。すると母は「もしあなたが同じ目に遭ったら、るり子さんと同じように必ず加害者を見つけ出そうとする」と言いました。これまであまり考えたことはありませんでしたが、親の子どもを思う気持ちというのは本当にすごいと改めて気づきました。

母親が隆史さんに宛てた手紙

るり子さんは隆史さんへの思いを手紙にして届けてくれました。

「隆史君へ
 あなたと会えなくなってもうすぐ10年だね。母さんは隆史が生きていたらとつい考えてしまいます。今でも「なぜ、隆史が死ななければならないの」と心の叫びを抑えきれなくなります。

あなたの悔しさ、無念を晴らすために親として精一杯のことをしたい、真実が知りたいと思い、情報提供を呼びかけてきました。でも、加害者にたどりつくことができず、時効を迎えようとしています。力及ばずごめんね。

あなたは母さんの手の届かない世界へ旅立ってしまったけど、私の愛する大切な宝物です。会えなくても、住む世界は違っても、あなたの幸せを切に願っています。 母さんより」

取材後記

私はるり子さんや慎也さんの思いを伝えるリポートをことし1月に放送しました。

最初は勇気が出なかったるり子さんへの電話も、放送前には自然にできるようになっていました。遺族の言葉はとても重く、私がたくさん説明するより遺族のひと言を視聴者に聞いてもらう方が事件の重みが伝わるのではないか。そのためにも取材者として相手に聞きづらいことも聞いていかないといけないと感じました。

いま担当している警察取材は情報が取れなかったり、取材先に嫌がられたりすることも多く、そのたびに「これは本当に必要な仕事なのだろうか」と自問自答することもあります。でも取材を続けるうちに、警察も報道機関も悲しい事件や事故が少なくなるようにと願う気持ちは同じで、しっかりと伝えていきたいと思うようになりました。

事件は2月27日の午前0時で時効となり、罪に問うことはできなくなります。

るり子さんはこうも話していました。

母親 るり子さん
「加害者が誰かわかっていたらその人を心の中で責めますよね、でも責める相手がいないじゃないですか。それが一番きついです。責める相手がいないから自分自身や近くにいる夫を責めてしまうんですよね」

時効を迎えても家族を亡くした人たちの苦しみに終わりは来ない。
今回の取材を通じて、その思いの大きさを実感しました。

記者としてこれからも事件や事故、災害の被害者や遺族を取材することがあると思います。
「人の思いはずっと続く」
この言葉を忘れずに取材を続けていきたいと思います。

  • 甲府放送局 神田詩月 2020年入局 県警・司法を担当
    大学時代は途上国の経済などを勉強 趣味はドライブと山梨のフルーツ狩り

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