証言 当事者たちの声“僕は殺人罪で訴えられた” ある医師の証言 

2021年5月7日事件

電話に出た男性は「僕は医師をやめるかもしれない。 もしくはやめないといけないかもしれない」と話し始めました。

「前任地の病院が僕を殺人罪で訴えたから」

電話の相手は、殺人容疑で書類送検されていた医師本人だったのです。
(松江放送局 記者 奥野葉月)

きっかけは、つぶやき

電話の3か月前のこと。

取材していた関係者がつぶやいたひと言に驚きました。

「病院の医師が書類送検された。殺人容疑で」

殺人…、しかも医師…。
殺人ならば重大事件なのに発表されていない。
なぜなのかと思いつつ大きな事件の情報をつかんだのかもしれないと緊張しました。

私(奥野)は記者になって2年目(当時)。
配属されたのは、島根県にある松江放送局。

職場と取材先の警察本部を自転車で行き来しながら、大きな事件も少なく、穏やかで住みやすい県に来たなあと日々感じていました。そのような中でつかんだ情報。

殺人事件もめったにないのに、それも医師って…、 しかもなぜ公表されていないの…。

島根県警察本部

この先の取材への不安と真実を明らかにしたいという高揚感が入り交じったそんな出発点でした。

取材開始

取材は、素朴な疑問を解消することから始めました。

今回のケースは島根県内の病院の医師による医療行為で患者が死亡したとされるもの。
その行為がなぜ殺人容疑なのか。殺人なのに逮捕されていないのはなぜなのか。

ある捜査関係者は、
「警察は逮捕したかったが検察との兼ね合いでできなかった。検察に書類を送り、検察が調べ直しているというウワサも聞こえてくる」と話し、警察や検察がすでにその医師に何度も面会を求めて患者が死亡するまでの経緯を詳しく聞いていることがわかってきました。

さらに取材を進めると、医師が「ある薬剤」を患者に投与した疑いがあるという情報が…。

それは、塩化カリウム

原液のまま投与すると心臓を止める作用がある薬剤でした。

そんな危険な行為をする医師が本当にいるのか…?
何か事情があるのではないか…?

疑問を抱えながらも医師本人を特定できず時間だけが過ぎていたとき、
同僚から「最近、○○病院を退職したという人がいた」という情報がもたらされたのです。

その病院は、今回の問題があったと聞いていた病院でした。

最近やめた人なら病院で起きたことを何か知っているかもしれない。
そう思ってその人物に電話をしてみると、

「殺人罪で訴えられている」と語り出したのです。

突然の告白に平静を装うのが精一杯でした。
しかし、できれば本人から直接言い分を聞きたいと思った私は、カメラの前で話をしてくれないかと申し込みました。

すると自分の主張を伝えたいという意図があったのか、医師はインタビュー取材に応じることになったのです。

医師が塩化カリウムを投与して亡くなったとされるのは終末期の高齢男性。

病院で何が行われ、どのような経緯があったのだろう。

男性の死亡から2年余りがたっていました。

医師の証言

男性医師はジーパンにジャケットというラフなスタイルで現れました。

カメラを前にしても緊張した様子はなく、
専門知識のない私にもわかるように丁寧にひとつひとつの質問に答えました。

記者

患者を担当するまでの経緯は?

平成29年10月、 80代の男性が重度の感染症で救急搬送されてきた。
 
私が主治医として治療にあたり、ひととき救命はできた。
しかし、栄養状態などは改善しなかった。

医師

11月下旬には家族と話し合い、点滴を減らすなど積極的な治療をやめる看取り医療に移行した。

亡くなる数日前には、助けられない状態だった。

患者が亡くなった日の状況は?

朝の採血の結果、腎不全が進行していて救命できないと判断した。

患者の妻と息子などに電子カルテの前で最終的な治療方針について承諾を得たというふうに記憶している。

医師

なぜ塩化カリウムを投与したのですか?

これ以上苦しんでほしくないという思い。

容器に入っている4分の1の量の塩化カリウムを患者の静脈に投与した。

心電図の波形から、投与が最終的に命を奪ったと言える。

本人・家族は同意したのですか?

(患者本人は)
意思表示ができるレベルではなかった。

(家族には)
亡くなる数日前、看取り医療に移行することは説明し、記録も残っている。

(塩化カリウムの投与については)
すっと亡くなる方法と少し待つ治療法があるというような言い方をしたんじゃないかなと思う。

薬剤名を言うことはふだんからないので、薬剤名は使っていなかったと思う。

踏み込んではいけない行為だったのではないですか?

塩化カリウムを選んだことは社会的には間違いなんだと思う。

一方で、患者と向き合ってきた医師としてやれることはやったし、 これ以上は無理だということも判断した上での行為だったので 患者さんやご家族を裏切ったという気持ちはない。

医師が科学的な立場で余命も含めて予測をして、もっと積極的に関わっていくべきだと思う。

インタビューは2時間におよびました。

記憶の鮮明さと理路整然とした説明に納得させられる部分はありましたが、医師の主張に違和感もありました。

塩化カリウムを薄めないまま静脈に投与するという行為は「医療行為としてありえない」危険なものであり、それは医師や看護師の間では常識だと聞いていたからです。

塩化カリウムの投与を「社会的には間違い」だと認めながら、なぜそれを選択したのか。

その行為に迷いはなかったのか。

淡々と説明する医師の姿からは感じることはできませんでした。

遺族の思い

宍道湖

もう一方の当事者である遺族はどう思っているのだろうか。

私は亡くなった患者の遺族を探しました。

そして妻や息子に会い、話を聞きました。

突然現れた記者の私に言葉少なだった遺族の1人は当初、次のように話していました。

遺族
事件のことは警察から聞いて初めて知った。
最初は裁判でもしようと思ったが、若い先生だったと思うし『先生のいいようにしてあげて』と刑事さんに言った。

蒸し返さなくていい。

2年も経って、しかも他人の私には当然の反応…

その一方で、言葉の節々から大切な人を失ったつらさややりきれなさをまだ抱えているのかもしれない、と感じてしまいました。

何度も家を訪ね会話を重ねる中で遺族の1人は、男性の人柄や亡くなったときの状況について少しずつ話してくれました。

旅行をするのが好きな人で、よく家族で国内各地の観光地に遊びに行っていた。事件のことを聞いたときは本当に悲しかった。医師から注射についての話はいっさいなく、納得していないし悔しくて許せない。

最期の日に病院にいたという別の遺族はこのように打ち明けました。

別の遺族
少しでも長く生きてほしいと思っていた。 塩化カリウムを投与するという説明を受けた記憶はない。

予想外の結末

松江地方検察庁

「塩化カリウムの投与」に家族の明確な同意があったとは言えないのではないだろうか。

そうであれば、検察は起訴に踏み切るのではないか。

医師が起訴されれば裁判に市民が参加する裁判員裁判の対象になる可能性がありました。

当然、社会的な関心も高まります。

そして医師の行為が罪にあたるのかどうかや遺族の思いが明らかになるはずだと思っていました。

一昨年度末の3月31日。

松江地方検察庁は臨時の記者会見を開きました。

配られた資料はA4の用紙1枚。

検察は医師について、不起訴処分にする、つまり医師を裁判にかけないと発表しました。

裁判を求めるかどうかは、検察官が決めることができますが、容疑者を不起訴にした理由を検察が会見を開いて説明するのは異例です。

理由について松江地方検察庁の広報担当者でもある次席検事は
「命を断絶させるおそれのある未希釈の塩化カリウムを医師が患者の静脈に注射したことは事実であり、非常に危険な行為だ」と話しました。

その一方で、「患者の死期が迫っていたことは否定できない。 医師が塩化カリウムを注射したことが原因で患者が死亡したとは言えない」と 殺人罪に問うための裁判を開くことを求めずに捜査を終えると述べたのです。

なぜ不起訴なのか。

家族の同意はあったのか。

何度も問いましたが、詳しい説明は最後までありませんでした。

不起訴に医師は…

検察の判断が示された後、私は再び医師にインタビューを申し込みました。

起訴されなくても許されない行為なのではないか、遺族の思いをぶつけたい気持ちもありました。

「自分は有罪になるだろう」と話していた医師。

不起訴という結果に安心した様子も読み取れました。

罪に問われないと聞いてどう思いましたか。

私の医療行為が患者の命を奪ったという部分だけを切り取れば、検察は私を起訴すべきだったと思うが、全体的な病状の経過や患者を取り巻く環境などを勘案して判断を下したのではないか。

遺族は『聞いていない』と言っています。本当に塩化カリウムの投与を理解していたと思いますか。

ご家族には、もう救命は難しいということを話した上で、苦痛除去についての提案をいくつかして、点滴で様子を見るか、あるいは呼吸を抑制するようなタイプのもので苦痛除去になればというふうにお話ししたと思う。

そして海外では、こういう方法があるとして、注射での死亡という話も情報として話したと記憶している。

実際にはその中で比較的危ないと言われている塩化カリウムを選んだ。
決して許されることではないことは認めているし、それが日本で認められる日が来るとも思わない。
ただ、私が説明した治療にご家族は比較的信頼をもって患者を預けてくれたと判断している。

「私が経験している一地方での医療を赤裸々にお話しして、“家族の死”というものを一緒に考える材料にしていただきたい」とも述べた医師。

検察の処分が出る前に医師は医療の第一線の現場から離れました。

専門家「現場で何が起きたのか議論すべき」

今回のケースについて、医療関係者のほか、複数の専門家にも取材しました。

日本医学哲学・倫理学会の副会長なども務めた富山大学の盛永審一郎名誉教授は次のように指摘しました。

富山大学 盛永審一郎名誉教授

富山大 盛永名誉教授
「患者が意思表示できないし、家族も明確な意思表示があったのかよくわかりません。
 
そうした中で、医師が勝手に患者の気持ちをくみ取って “やってあげる”というのは許されないことです

「検察は因果関係の観点から罪には問わなかったが、1人の医師の主観的判断でこのような行為をしてもいいとしておくのは非常に危険だと思います」

「塩化カリウムをなぜ打ったのか、打たざるをえない理由があったのか。現場で何が起こったのかを明らかにして議論すべきです」

また、医療倫理学などが専門で医療とケアに関するガイドラインにも詳しい東京大学大学院の会田薫子特任教授は、今回のケースを踏まえ、次のように話しました。

東京大学大学院 会田薫子特任教授

東大大学院 会田特任教授
「厚生労働省やさまざまな医学会のガイドラインでも、本人の意向を中心に家族など本人を大切に思う人の意向を聞きながら、話し合いを進めて合意に至ることがとても大切な考え方だと言われています」

「医学的に適切な情報を踏まえて、本人の価値観、人生観、死生観が尊重されるような意思決定を医師を含めた医療チームが支援していくことが大切です」

社会に投げかけられた問い

超高齢社会の日本。

いま、コロナ禍で多くの人が死と向き合っています。

身近な人が病床で苦しんでいる。
その傍らで治療にあたる医師を信頼して命を託しています。

今回の医師の行為への疑問、検察の出した結論への戸惑いは今も消えていません。

一方で、もし、医師が取材に応じていなかったら、こうした事実や背景があったことさえ知ることができなかったかもしれない、ということも考えました。

あの患者は、望んでいた最期を遂げたのだろうか。

医師の行為や判断は許されるものなのか。

たった1枚の資料とわずかな説明で終わっていい問題だったのだろうか。

その問いは今後も社会に投げかけられていくのだと感じています。

  • 松江放送局記者 奥野葉月 平成30年入局
    警察担当を経て浜田支局で島根県西部の取材を担当

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