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「マリウポリを奪還し、再び我々の旗を打ち立てる」
「すべてのウクライナ人が自由になるまで我々は戦い続ける」
こう話すのは、侵攻当初に東部マリウポリの製鉄所を拠点に、ロシア軍に徹底抗戦を続けた「アゾフ大隊」(当時)のメンバーです。
一時はロシア軍の捕虜となった兵士。
ついに始まったウクライナの反転攻勢で、再び最前線に立とうとしています。
なぜ、彼は武器をもって戦い続けるのか。NHKのインタビューに答えました。
(キーウ取材班 小林雄)
話を聞いたのは「アゾフ旅団」歩兵部隊長
首都キーウで2023年6月14日にインタビューに応じた「アゾフ旅団」の下士官、アナトリー・イエホロフさん。歩兵部隊の隊長の1人として、キーウ州内で若い兵士の訓練をしながら、出動命令を待っています。
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「アゾフ旅団」はロシアによる軍事侵攻当初、東部の要衝マリウポリなどの防衛に関わった準軍事組織「アゾフ大隊」が元になっていて、内務省傘下の部隊として前線で戦っています。
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イエホロフさんは2015年に当時の「アゾフ大隊」に入り、2022年5月のマリウポリでの戦いにも参加。最後まで製鉄所の地下に立てこもり抵抗を続け、投降後は4か月にわたってロシア軍の捕虜となりました。捕虜交換で解放された後、再び部隊に戻り、任務に就いています。
※以下、アナトリー・イエホロフさんの話
反転攻勢開始 兵士たちの士気は?
私たちは2014年に東部ドンバス地域でこの戦いを始めました。はじめはウクライナの分離主義者との戦いでした。
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しかし、そのころからロシアとの戦争になると覚悟していました。私たちはそのために準備をしてきましたし、この反転攻勢はウクライナにとっての大きな転換点になると思います。私たちにとって、この100年で最も重要な戦いとなるでしょう。ですので、兵士たちはやる気に満ちていますし、士気もこれ以上ないほど高いです。
アゾフ旅団の任務は?
あらゆることです。その時々によって変わるのです。防御担当の部隊が攻撃の任務を負うこともありますし、1日のうちに任務が変わることもあります。ロシアの侵攻初期はマリウポリが最も厳しい戦場でした。
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しかし、いまはザポリージャ方面も、マリウポリ方面も、バフムト方面も、どの戦線が最も厳しく危険かとは言えなくなっています。
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どこも同じく困難な戦場なのです。我々が展開している方面では、いまはまだ偵察部隊による前哨戦が始まったという段階です。まだ大きな進展はありませんが、これからもっと大きな戦いの情報が入ってくるでしょう。
あのマリウポリでの激戦 降伏時の気持ちは?
私たちは上官の命令には絶対に服従します。上官は通称レディスと呼ばれた男で、いまはトルコにいます。
彼の命令で銃を置くとき、だれも反論しませんでした。彼がいなければあそこまで持ちこたえることはできなかったからです。あの時、我々が持ちこたえることで、ウクライナ軍は時間を稼ぐことができました。
私はいまも彼に戻ってきてほしいと思っています。彼こそ、いま始まった「反転攻勢」に必要な男です。
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製鉄所内に立てこもると決まったとき、そこが私の『最期の場所』になると思いました。覚悟はできていました。あとはできるだけ多くのロシア兵を殺すだけだと。
5月に投降し、製鉄所の外に出て捕虜になったときには、この世で最悪の人間たちに捕らわれたと思いました。
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マリウポリで戦い、製鉄所に立てこもった3か月間と、ロシアの捕虜になった4か月間を比べたら、マリウポリで徹底抗戦した3か月間のほうがよほどマシでした。
4か月の捕虜生活、拷問などは?
常にありました。私はオレニウカというところに捕らえられていましたが、まず、食事を減らされることです。豚のほうが良い食事をしています。
ただ、オレニウカで私が受けた拷問はまだ軽いほうでした。尋問の際に殴られるという程度でしたが、ドネツクの収容所では、もっとひどかったそうです。電気を使ったり、首を絞められたり、想像できるあらゆる拷問が行われていたようです。
我々はすでに本拠地であるマリウポリを失っていたので、隠すことなど何もありませんでした。それでも彼らは、彼ら自身の罪を我々になすりつけるために、拷問を繰り返したのです。
例えば、「劇場に爆弾を仕掛けたのはお前だろう」という風にです。市民が殺された事案を、すべて我々のせいにしようとしたのです。殴られ拷問され、自白調書にサインさせられるのです。
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それと、生活環境を良くするということで、200人ほどの捕虜が、ある建物に入れられたことがありました。ロシア兵はその建物を爆破したのです。少なくとも60人が死んだと言われています。行方不明になっている者も多く、犠牲者はもっと多いはずです。多くのけが人も出ました。
そのうちの何人かは捕虜交換で解放されましたが、何人かは手足を失ったまま、いまも捕虜となっています。もはやけがによって戦闘員ではなくなった人たちは、捕虜交換ではなく、すぐに解放されなくてはなりませんが、彼らはまだ捕らえられたままです。
それでも、なぜ私が部隊に戻ったかといえば、私にとってアゾフは軍隊と言うより大きな家族だからです。彼らは兄弟であり、戦友だからです。
多くの仲間がまだ捕虜に?
そうです。彼らはとても非人間的な扱いを受けています。ロシア軍はジュネーブ条約の決まりなど守っていません。長い時間が過ぎました。もう1年以上も600人を超える仲間が捕らえられています。アゾフ大隊のメンバーというだけで、彼らはほかのウクライナ兵よりもひどい扱いを受けます。ロシアのプロパガンダでは、アゾフを「ナチ」と呼び、ウクライナの非ナチ化を進めるとしています。
ですから、彼らは去年、24000人もの兵力を投入してマリウポリを攻撃したのです。
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そして、そのマリウポリでの戦いのせいで、ロシア軍はザポリージャやドニプロなどのほかの戦線で前進をすることができませんでした。
彼らはアゾフの部隊をよく知っています。解放すればすぐさま隊に戻り、戦闘に復帰すると考えているんです。ですから、彼らを捕虜交換で解放することに、二の足を踏んでいるのです。
いまの「アゾフ旅団」の兵力は?
旅団の兵力規模は7000人です。マリウポリが陥落したあと、生き残ったメンバーやロシアから解放されたメンバーは合わせて600人~700人ほどでした。現在いるそのほかの6300人ほどは、みんな新規に募集した若い兵士です。ですから、訓練が必要です。
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一部の部隊はすでに前線に配備されていますが、我々のようにまだ訓練を続けている部隊もあります。アゾフは訓練を十分に受けていない兵士を前線には出しません。そうさせないための罰則もあります。
アゾフの規律は厳しいです。私が以前、若い兵士と一緒に昼食を食べたとき、炊事場にこんな注意書きが貼ってありました。「皿もきれいに洗えないやつは前線でロシア軍と戦いに行けないぞ」と。
アゾフの中では前線に行けないのはとても恥ずかしいことです。前線に行って初めて一人前と認められます。
今後の反転攻勢で必要なものは?
我々はこれまで様々な戦いを経験し、失敗からも教訓を学んで準備を進めてきました。まだ足りないものがあるとすれば、装甲車です。アゾフ旅団では特に戦車が必要です。こうした兵器は消耗品です。
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攻撃には防御側の3倍の戦力が必要と言われています。戦闘を繰り返すごとに、戦車や装甲車はダメージを受けていきます。まるでナイフの刃の部分のように、切れ味が悪くなっていくのです。
それにロシアは人口1億4000万の大国です。兵力の点でも我々を上回っていることを忘れてはなりません。
アゾフ旅団にとっての反転攻勢の目標は?
私たちの悲願は、マリウポリを奪還し、再び我々の旗を打ち立てることです。これは私たちにとって重要なことなのです。たとえ直接、奪還をするのが我々の部隊でなくてもかまいません。奪還することが私たちにとっては大切なのです。そして、それは中間的な目標にすぎません。
最終的な目標は、ウクライナの領土すべての解放です。自由で豊かな国を取り戻すことです。すべてのウクライナ人が自由になるまで、我々は武器を取って戦い続けます。
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ロシア兵は1年あまり前は、プロフェッショナルで優秀でした。長期間、訓練も受けた兵士たちでした。しかし、いまはそうした兵士は200人か300人ほどで、あとはほとんどが素人の動員兵たちに取って代わられました。
ウクライナ兵が時間を追うごとに強くなっていったのとは逆に、ロシア兵はどんどん弱くなり、まがい物の軍隊になっていったのです。
私たちは勝つでしょう。そのことを世界に示すときだと思っています。