
「大統領は衝撃を受け、ぼう然としていました」
ゼレンスキー大統領の最側近、ウクライナ大統領府のイエルマク長官のことばです。
ロシアが核による威嚇を続ける中、ゼレンスキー大統領は被爆地・広島を訪れ何を感じたのか。電撃的なG7広島サミットへの参加はどのように実現したのか。
広島滞在中、常に大統領と行動をともにしていたイエルマク長官がその舞台裏を語りました。
(社会番組部ディレクター 木村和穂 / 国際部記者 松本弦)
※以下、イエルマク長官の話。
電撃的なG7サミット参加 舞台裏は?
直前まで広島への訪問を実現できるかどうか分かりませんでした。
私たちに対して、多くのパートナーから支援の提案がありましたが、その中からフランスの飛行機を選びました。アメリカもサウジアラビアも提案してくれました。

誰に対しても失礼な態度を取りたくないので、ここでは多くの国から支援の申し出があったと言わせてください。
しかし、広島までの時間、ロジスティクスを考えた上で、フランスの飛行機がもっとも便利だとみんなで判断しました。その時の決断はわれわれのパートナーと一緒に決めたことです。

ウクライナはいま、たくさんの友人に恵まれて幸せです。友人やパートナーたちによる多くの支持を受けていることは幸せです。
なぜリモートではなく対面に?
私たちはどんなときも、できることなら直接会うことがよいと思っています。
実際に、ゼレンスキー大統領が直接会うことによって、多くのリーダーたちとの個人的な友好関係が生まれています。

直接会うことが、信頼関係を作るうえでより効果的だと思っています。ご存知のようにウクライナはいま戦っていて、反転攻勢の準備もしています。
大統領府長官としては、このような対面での会談を企画し実現することは大変です。
それは第1に、大統領の安全を考えなくてはいけないので難しいのです。
しかし今回は、こうした会談を実現することができて幸せに思っていますし、実現できたことには大きな意味があります。
日本の全面的な努力によってそれが可能になりました。日本には感謝しています。
地球を半周し、わずか2日弱の滞在で、できることとできないことはありますが、それでも大きな成果を挙げることができたと思っています。
各国首脳と相次いで会談 特に大きな成果は?
この日本の広島でのサミットで、インドとの重要な会談が実現できたことです。グローバルサウスの国々の中でインドは大きな存在です。
このG7のサミットのことを、私たちは一生忘れないでしょう。

モディ首相との会談ではゼレンスキー大統領が正確に戦況を伝え、私たちのプラン「平和のフォーミュラ(公式)」についても伝えました。
そして、「平和のサミット」に参加して欲しいとインドに呼びかけました。非常に建設的な会談でした。
モディ首相のウクライナ訪問を実現しなければなりません。ゼレンスキー大統領がインドに行くことも大切です。それらがウクライナとインドをより近づけることにつながります。
国と国の関係は、何十年もかけて築かれていくものですが、今は、戦争中で時間がありません。普通ならば何年もかけてするべきことを、私たちは非常に短い期間で行わないといけません。
ゼレンスキー大統領は、不可能と思われていたことを可能にすることを続けています。
原爆資料館で何を感じたか?
私たちは1時間ほど滞在し、強烈な印象を抱きました。

そして、素晴らしい女性から話を聞きました。
その女性は悲劇の目撃者であり本当に特別な方で、説明のはじめにウクライナの話から始めてくれました。
「ウクライナのニュースをずっと見ている」と話してくれました。気持ちのこもったことばで、当時何があったかを話してくれました。

本当に心に残る話で、世界がどれだけ壊れやすいものなのかを実感しました。とても印象的でした。
ウクライナは、チョルノービリ原発の事故と、いまの戦争を経験しています。
ロシアは今回、まずチョルノービリ原発を占領し、いまはザポリージャ原発を占領しています。われわれは大きな悲劇の一歩手前まで、何度も立たされました。
ザポリージャはチョルノービリの6倍の被害になります。それはウクライナだけのリスクや問題ではないのです。全ヨーロッパ、全世界に影響を与えます。
当時ここで何がおきたのか、世界は広島をみるべきです。
ゼレンスキー大統領はなぜ“黒い服”に?
なぜ大統領がふだんのカーキ色の服から、黒い服に着替えたのか。あの場所にはより適切だと思ったからでしょう。

大統領は、あの場で見たもの、聴いたものに衝撃を受け、ぼう然としていました。
大統領は歴史の知識が豊富ですが、実際にあの場所で悲劇を経験した女性がみずからのことばで、温かく、人間味あることばで、ありのままを話してくれたことが深く印象に残りました。
大統領が対面での訪問を大切にしたのは、日本の国民に敬意を払いたかったからです。
原爆で亡くなった人にも、生き残った人にも、大統領は気持ちを伝えたかった。「私たちは日本国民とともにその痛みを分かち合っています」と伝えたかったのです。
広島で見聞きしたことはその後も私たちの心に残り続けました。
帰りの飛行機でも大統領と私は「同じ悲劇が二度と起きないよう、可能なことにも不可能なことにも取り組んでいかなければならない」と語り合ったのです。
広島で印象に残ったことは?
日本の人たちの非常に温かい態度。ベストを尽くそうとしている姿勢。
みんなが快適で安全でいられるように、ひとつひとつのささいなことにまで気にかけてくれます。
広島で唯一堪能できたのは、ホテルからの美しい景色だけでしたが、空港からホテルに向かう途中、たいへん多くの広島の人たちがウクライナの国旗をもってわれわれを出迎えてくれたことに心を打たれました。

日本のみなさんに感謝したいです。私たちは非常に温かく迎えていただきました。
大統領がホテルを後にするとき、従業員の方が全員、ロビーに集まって拍手で見送ってくれました。
親友や家族にあったような気持ちでした。日本国民はとても温かいです。
日本の歴史や文化を尊敬しており、日本を訪問することを夢見ていました。実際に日本を訪問し、さまざまなことを見て、感じ、私のこの思いは間違っていなかったとわかりました。
ウクライナをこれだけ支援しサミットを実現させるために力を尽くしてくれた日本の皆さんに感謝したいです。
ウクライナと日本はいまも友好関係があり、私たちの関係やパートナーシップはこれからも発展していくと確信しています。
取材を終えて
イエルマク長官は、ゼレンスキー氏が大統領に就任する前から顧問弁護士として支えてきた文字通りの“最側近”です。大統領府のスタッフによると、2人が公務の合間に交わす会話は「幼少期からのベストフレンド」のようだといいます。

気心の知れたイエルマク長官の話からは、公式の声明などではつかみきれない、G7に臨むゼレンスキー大統領の心の内やニュアンスが伝わってきました。
中でも長官が強調していたのが、ロシアの伝統的な友好国であるインドのモディ首相と直接会談できたという成果、そして、その場を提供するなど調整役を果たした議長国日本に対する感謝でした。
ウクライナにとってG7サミットは“ロシア寄り”とも映る国の首脳と対話し、自国の立場を直接伝えるまたとない機会になったと思います。

そして日本にとっても、ウクライナを支え続けるという方針を先頭に立って打ち出したことで、終わりの見えない戦争に苦しむウクライナを支援していくという決意を確認する節目にもなったといえます。