2023年4月14日
国連 ウクライナ

「日本の思いは届いている」国連職員 青山愛さんが伝えたいこと

「現地ですごく感じるのはウクライナの人たちに日本の支援、日本の人たちの思いが届いているということ」

こう話すのは、ロシアによる軍事侵攻が続くウクライナでUNHCR=国連難民高等弁務官事務所の「報告担当官」を務める、青山愛さんです。

アナウンサーだった青山さんが、国連職員としてウクライナに入って1年。現地でいま何を思っているのでしょうか。話を聞きました。

(国際放送局World News部 記者 古山彰子 / カメラマン 松本弥希)

国連「報告担当官」としてウクライナへ

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった去年2月24日。

青山さんは、UNHCRの本部があるスイス・ジュネーブにいました。

侵攻開始直後から、緊急支援チームの一員としてウクライナの国内外に避難する人たちへの支援にあたり、去年4月以降はウクライナ国内に拠点を移して仕事をしてきました。

侵攻開始直後、日々状況が変わる中で、なんとかウクライナの人たちの力になりたいと、必死だったといいます。

UNHCR=国連難民高等弁務官事務所 報告担当官 青山愛さん

青山愛さん
「ロシアによる軍事侵攻が始まった当初は、いろいろな情報を集めてアップデートを1日3回送る作業を毎日やっていました。電話が鳴りやまず、一日中、パソコンのある机の前から動けないという状態が3か月間続きました。
ウクライナで何が起きていて、どんな支援が必要なのか。多くの人が情報を求めている一方、現地のスタッフ自身も避難する中でどうやって情報を集めればいいかもわからないぐらい混乱していたのです。
当時は本当に人手が足りなくて、報告担当官として情報を伝えるという仕事もしながら、人手が必要なところは何でもサポートするというような状況でした」

ウクライナで直面した戦争の“現実”

民放のスポーツキャスターなどとして活躍していた青山さん。

2017年に退社しアメリカの大学院への進学などを経て、2020年からUNHCRの職員としてジュネーブで働いていましたが、実際に戦争が起きている場所で仕事をするのは今回が初めて。

侵攻開始直後は精神的に余裕がなくなることもあったといいます。

青山愛さん
「ウクライナで何が起きているのかをすべて把握するのが私の仕事だということはわかっていました。どこがロシアの攻撃を受けたのか、そこで何人の人が亡くなったのか、どんな悲惨な状況になっているのか、常にそうした情報を聞き、目にしてきました。
報告担当官としての仕事を全うするために、当時はそこで亡くなった人がどんな人だったのか、犠牲になった一人ひとりのことについて考えることはなるべく避けていました。そうしないと自分の感情をコントロールできなくなるぐらい、つらく、厳しい情報に日々接していました」

ウクライナの人たちへの物資提供の準備をする青山さん

変化する現場の状況や要望をまとめ、何が求められているのか、資金を拠出する各国や関係機関などに伝える報告書を毎週つくっている青山さん。

当初は感情移入することを意図的に避けていましたが、いま報告書をつくるときに心がけているのが、なるべく支援の現場、現場のウクライナの人たちの思いが見える報告書にすることです。

青山愛さん
「数字だけでは見えない支援の実態とか、目に見えないインパクトというものがあると思っていて、できるだけそうした部分を伝えられるように意識しています。
『何個物資が届いた』ということだけではなくて、『その物資のおかげで、凍えていたけれど、冬を少しでも暖かく過ごせるようになった』とか、『マットレスが届いたことで床に寝なくてもよくなり、そのことは私にとって小さな尊厳だった』などといった一人ひとりの声をきちんと伝えたいと思っています」

支援受けても癒えない傷も

ロシアによる軍事侵攻から1年となったことし2月。

青山さんは首都キーウから車でおよそ1時間ほどの場所にある、コロリウカという村を訪れていました。

キーウ近郊の村 コロリウカ

軍事侵攻直後にロシア軍による攻撃を受けたコロリウカでは、村の半分以上の地区が何かしらの被害を受け、5軒に1軒の住宅がロシア軍の攻撃で全壊。

UNHCRはこの1年、ロシア軍の攻撃によって被害を受けた住宅の再建や修理のための支援を続けていて、コロリウカでもこれまでに40軒ほどの修理が終わったということです。

青山さんはこの日、ロシア軍の攻撃で自宅が被害を受けたニナ・ジンチェンコさん(73)を訪ねました。

ニナ・ジンチェンコさん

ロシア軍が迫ってくると、攻撃を恐れて自宅の敷地にあった地下室に身を潜めて過ごしていたというジンチェンコさん。

地上から砲撃の音がたびたび聞こえる中、寒い地下室で時間が過ぎるのをじっと待っていたといいます。

攻撃がおさまったあと地上に出ると、長年暮らした自宅の窓や壁、天井も破壊され、住み続けるのが難しい状態になっていました。

去年11月に、UNHCRの支援を受けて壁や窓の修理を終えたジンチェンコさんですが、いまも心には深い悲しみを抱えています。

軍事侵攻が始まった直後の去年3月、ウクライナ北部での戦闘で29歳の孫が亡くなったのです。

亡くなったジンチェンコさんの孫(右)

孫の写真とともにウクライナの地図を大事に保管していることに気づいた青山さんが「お孫さんが亡くなった場所を毎日、地図で見ていらっしゃるのですね」と声をかけると、ジンチェンコさんは大切な孫を失った悲しみを語り始めました。

ジンチェンコさん
「毎日、孫が亡くなった場所を見て、祈っています。それしかありません。
プーチン氏には、ここにきて自分が何をしたのか見てほしいです。
自分が破壊したもの、そして私たちの子どもの墓を見て何を思うのでしょうか。私たちが感じている恐怖や痛みを感じることはあるのでしょうか」

「日本の思いはウクライナの人たちに届いている」

ロシアによる軍事侵攻が続く中、国連では、ことし支援を必要としているウクライナの人は1760万人にのぼると推計しています。

日本からも、キーウ近郊の仮設住宅で暮らす人たちのための大型の発電機が供与されるなどしていて、UNHCRを通した国別の支援額では日本が世界で3番目に多くなっています。

日本の支援で設置された発電機

ただ、戦闘が続く東部などでは人道支援の物資などを届けているものの、十分な支援を行き渡らせるのは簡単ではありません。

さらに、ジンチェンコさんのように支援を受けることができても、癒えることのない傷を負った人たちも多くいます。

軍事侵攻から1年となり、ウクライナへの支援や関心が先細りすることも懸念される中、青山さんは日本の人たちにこれからもウクライナで起きていることに関心を持ち続けてほしいと考えています。 

青山愛さん
「ウクライナは日本からとても離れていて、遠い国で起きていることに関心を持ち続けるのは大変なことですし、自分たちの支援が本当に届いているのか、わからないかもしれません。
ただ、現地ですごく感じるのは、日本の支援、日本の人たちの思いがちゃんと届いているということです。私が現場に行って日本人だとわかると、『本当にありがとう』とウクライナの人たちからよく声をかけられます。
軍事侵攻から1年、2月24日で1年になったからといって何かが改善するわけでもなく、この戦争の悲惨な状況は明日も明後日も続いていくし、生活が壊されてしまう人もいると思います。
毎日でなくても、何かのタイミングでウクライナで起こっていることに思いを馳せる、そういうきっかけを、私がここから何か伝えることでつくれたらいいなと思っています」

取材を終えて

私(記者)はおととし、ヨーロッパ総局(パリ)の特派員として取材でスイスのジュネーブに出張する中で、UNHCRで働いていた青山さんと知り合いました。

ロシアによる軍事侵攻以降もメッセージのやりとりで不安ややりがいなど、その時々の心境を飾ることなく知らせてくれていた青山さん。

同世代の日本人である青山さんがウクライナで支援の最前線に立ち、どんな世界を見ているのか。それを知りたいと思い、今回取材を申し込みました。

「ウクライナへの支援を始めたばかりの頃は数字の向こう側にいる人の姿を想像するのが辛かった。それでも一人ひとりがどのような状況に置かれ、何を失い、どんな支援が必要かを伝えることが大切だと、今は感じています」と話してくれた青山さん。

ウクライナから遠く離れた日本の人たちがこれからもウクライナの人たちに心を寄せ、戦争の終結を願い、支援を続ける。その一助となるような仕事を、私たちも取材を通じて続けていきたいと思いました。

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