2022年12月16日
ウクライナ

バンクシーがウクライナに残したもの

「40歳くらいの男性が絵を描いているのを見た」

正体不明、神出鬼没のアーティスト、バンクシー。
11月、ウクライナの首都キーウ近郊で新たに7つの作品を制作したことを発表し、世界中のファンを驚かせました。
現地では続々と目撃証言も伝えられています。

ロシアによる攻撃がいまも各地で続く中、なぜバンクシーはウクライナを訪れ、作品を残したのかー。
その足跡をたどりました。

(ウクライナ現地取材班 北井元気)

バンクシー、ウクライナに現る

キーウ近郊のボロジャンカ

私たちが向かったのは、首都キーウから北西におよそ50キロにある、ボロジャンカ。ロシアによる軍事侵攻の直後から激しい攻撃を受け、多くの犠牲者が出た町の1つです。

一時、占領されていた町は4月に解放されましたが、およそ8か月がたったいまも攻撃の爪痕が至る所に残されています。

がれきの上で、逆立ちをしているような体操着姿の少女。11月、バンクシーが最初に制作を発表した作品です。
公式のSNSでは「ボロジャンカ、ウクライナ」とだけ記されていて、何を描いたものなのかは分かりません。

比較的大きな通り沿いにある集合住宅の壁に描かれたこの作品は、誰も存在に気づかずに通り過ぎてしまいそうなほど、ひっそりと影のようにたたずんでいました。

よく見ると集合住宅の壁にバンクシーの作品が

現地の人の反応は?

現地ではどのように受け止められているのか。近くで住民に話を聞いていると、作品の描かれた建物に住んでいたという女性に出会いました。

作品が描かれた建物に住んでいた女性

「この建物の9階に住んでいました。3月1日にロシア軍が町に入ってきて、兵士がマシンガンを使って建物に攻撃を始めたんです。窓はすべて破壊されました。そのあと戦車の隊列が入ってきて、さらに攻撃が続きました。あそこに空いている穴は、私の部屋があった場所です」

女性が指した先にあったのは、キッチンらしき場所だけがかろうじて残る焼けた部屋の残骸でした。

息子が暮らす近くの建物の地下に避難し、なんとか難を逃れたと話す女性。いまも避難先での生活を続けています。

「この絵についてどう思うか・・・。もちろん歓迎すべきことだと思います。だれかが作品を見ることで、なにかが変わるきっかけになるかもしれないので」

次に向かったのは、同じボロジャンカにある、車でおよそ5分ほどの場所。

通りから路地を入ると、部屋の中がむき出しになった建物や、攻撃によって大きく壊れ、廃虚のようになった集合住宅に囲まれるように、作品が残されていました。


描かれていたのは、柔道着を着た大人を投げ飛ばしている小さな子どもでした。柔道の愛好家として知られるロシアのプーチン大統領にウクライナが果敢に挑んでいる様子を描いたものではないかとされています。

作品を撮影していると、1人の男性が声をかけてきました。この絵を描いていたバンクシーを見かけたといいます。

絵を描いていたバンクシーを見かけたという男性

「1か月か、もっと前か・・・。昼ごろだったと思う。散歩していたら、彼がここで作業をしていたんだ。まさかそんなに有名な人だとは思わなかったから、直接顔は見ていないけれど、40歳くらいに見えた。背が高いわけでもなく、太っているわけでもない、そんな印象を受けたよ。周りにも人がいたけど、何人いたかは覚えてないな」

男性が暮らすのは、作品からほど近い集合住宅。本格的な冬を迎え、最高気温が氷点下となる日もあるなか、ロシアによるインフラ施設への攻撃の影響で、この地域でも断続的な停電が続いています。

「なんとか生き延びているが、なにもかもが足りていない。1日に4時間しか電気が使えない日もあるんだ。いま1番必要なのは電気と暖房だ」

作品の今後について尋ねると、男性は笑いながらこう答えました。

「絵ができて何が変わったかと言えば、見に来る人が増えたことぐらいだ。有名なアーティストの人が描いたものだろうから、ちゃんと守られるべきだと思うよ。しかしどうやって運ぶんだろうな。木の切れ端に描いてあれば話は簡単だろうけど」

多くの人が作品を好意的に受け止める一方、自分には関係がないと話す住民もいました。

「後ろに見える私の家は、戦争によって壊されたんです。こんな絵は私にとって何の意味もありません。私たちに必要なのは、平和と平穏な日常だけです」

謎に包まれたバンクシーの正体

さらに聞き込みを続けていると、バンクシーと直接ことばを交わしたという住民に話を聞くことができました。ユリア・パトカさんです。

「これが私で、これが娘のズラタです」

バンクシーが公開した制作風景などを収めた動画。このなかでバンクシーからインタビューを受ける地元住民として登場するのが、パトカさんです。

「10月30日のことでした。4,5人のグループで来ていて、彼はスプレー缶を使って1人で絵を描いていました。そのときは彼がバンクシーだとは知らず、一緒に写真さえ撮ってないんです」

10月30日はパトカさんの姉の誕生日。そのため、バンクシーを見かけたその日のことは強く印象に残っていました。

翌日、パトカさんが娘を連れて再び同じ場所を通ると、本人から直接声をかけられたといいます。

「ここでどんな生活を送っていたのか、どうやって被害を免れたのかを聞かれました。ずいぶん長く話をしたと思います。彼は私たちに、この作品がどう見えるかを何度も尋ねてきました。娘は『小さな子どもがお父さんを助けている』と答えていましたよ」

多くが謎に包まれているバンクシーとの出会いを、笑顔で語ってくれたパトカさん。しかし、かつて住んでいた部屋を案内された私たちが見たのは、いまだ戦時下にあるウクライナの現実でした。

パトカさんがかつて住んでいた部屋

ありとあらゆるものが粉々になって床に広がる室内。がれきのなかには、当時使っていた鍋や食器、それに子ども用の絵本などが残されていました。

「すべてが壊されました。でも、命を失うことと比べれば、大したことはないのかもしれません。少なくとも私たちは生きているのですから」

ユリア・パトカさん

「彼(バンクシー)は私たちに同情してくれていました。この場所で小さな男の子や女の子、家族が命を奪われ、両親を失った子どもたちが残されていることに。そして、作品を残すことで私たちを助けようとしているんだと思います。でも残念ながら、私たちは何も変えることができません。ただ必死に生きるだけです」

取材を終えて

オークションで30億円近い値がつくこともあるバンクシーの作品。今回、ウクライナでバンクシーが残した作品は全部で7点で、復興に向けた起爆剤になるのではと期待の声も聞かれました。

一方、話を聞いた人のほとんどは家族や友人を亡くし、住む家も壊され、避難先でも電気や暖房が使えない日があるなど、ギリギリの生活を送っていて「自分にとっては何の意味もない」「今はただ生きるだけだ」という声も多くのウクライナの人たちの本音ではないかと感じました。

公開した動画の中で「ウクライナの人たちとの連帯」を示しているバンクシーは、その後、新たなプリント作品の販売を発表し、売り上げはウクライナで支援を行う団体の活動資金に充てると明らかにしました。

このことからも、戦闘が長期化する中、現地に入り作品をいくつも描いて発信することで彼なりの支援を示したかったのだと思います。

日常を奪われたウクライナの人々の現状に目を向け続けること。バンクシーの作品は、私たちにそう訴えているのかもしれないと感じました。

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