2022年12月5日
ウクライナ ロシア ヨーロッパ

ひまわりは枯れたけれど ウクライナの希望は消えない

本格的な冬が訪れているウクライナ。

夏の間、鮮やかな黄色の花を咲かせていたひまわりは秋になって立ち枯れ、そしていま、ひまわり畑は一面白い雪に覆われています。

ひまわりが枯れていく様を見ると暗く悲しい気持ちになりましたが、実は枯れたひまわりこそ、“希望のシンボル”だというのです。

(ウクライナ現地取材班 別府正一郎)

ウクライナで増え続ける戦死者

首都キーウの中心部にある聖ミハイル修道院。黄金のドームで知られる、キーウを代表する場所のひとつです。
この修道院の青い外壁の一面には、たくさんの顔写真が並べられています。

ロシア軍から国を守るために戦い、戦場で死亡したウクライナの兵士たちです。


顔写真には名前とともに、生年月日と亡くなった日付も記されています。中には19歳で命を落とした若い兵士もいます。

「追悼の壁」と呼ばれるこの取り組み。
2014年のロシアによる一方的なクリミア併合以降、ウクライナ東部での戦闘で多くの戦死者が出たことを受けて遺族が中心になり始まったということです。

なぜひまわりがシンボルに?

この「追悼の壁」には大きなひまわりが描かれています。
説明文によりますと、このひまわりには24枚の花びらがあり1枚1枚がウクライナの24の州を表しています。

一番下のちぎれた花びらはロシアに一方的に併合された南部のクリミア半島。
折れ曲がった2つの花びらはロシア軍が一部を占領する東部のルハンシク州とドネツク州を意味します。

「8月29日」は特に多くの兵士が命を落とした日として書かれています。
2014年ドネツク州の町にあったひまわり畑は多くの兵士が身を隠して戦う場所であると同時に、多くの遺体が集められる場所にもなっていたということです。

このことから、ひまわりが「追悼の壁」のシンボルになったと説明されています。

“黒い棒”立ち並ぶ 秋のひまわり畑

キーウを少し離れるとあちらこちらに広大なひまわり畑があります。
夏の間、鮮やかな黄色の大輪の花を咲かせ太陽に向かって力強く伸びていました。

しかし、秋になると花は黒く枯れてうなだれるように下を向いていました。

幹も“黒い棒”のようになりました。

9月も後半になると、畑には冷たい雨があたって冷えた空気が流れ込み、短い秋はあっという間に通り過ぎていきました。

激戦地で出会った不思議な光景

反転攻勢を進めるウクライナ軍は9月に東部ハルキウ州のほぼ全域を解放。

10月にドネツク州の要衝リマンを奪還したのに続き、11月には南部ヘルソン州の州都ヘルソンも解放しました。
そのヘルソン州に隣接するミコライウ州。

9月下旬に訪れたときに不思議な光景に出会いました。

戦闘の激しさを示すようにうち捨てられたロシア軍の軍用車両や撃墜されたヘリコプターが集められ展示されている場所。

その軍用車両の一部に枯れたひまわりが、あたかもそこに生えてきたかのように置かれていたのです。

誰がどのような理由で置いたのかは分かりません。

「反転攻勢続けるしか選択肢はない」

反転攻勢が進む中、ウクライナ軍の犠牲もさらに増え続けています。

キーウにある「追悼の壁」ではすでに新しい顔写真を貼るスペースが確保されています。

ウクライナ軍は反転攻勢を続ける姿勢を鮮明にしていて、今後もウクライナの兵士が戦死することが、覚悟されているのです。

ブチャにしても、イジュームにしても、ロシア軍を撤退させて初めて、ロシア軍の支配下で行われていた非道な行為が白日の下にさらされました。
占領が続いている地域では今も残虐行為が続いているのではないかと懸念されています。

人々は「領土を解放しない限り平和は訪れない。抵抗を続けるしか選択肢はない」と言い切ります。

これに対し、ロシア軍はウクライナのインフラ施設を狙ったミサイル攻撃を強めています。11月15日には90発以上が撃ち込まれました。
市民にも犠牲が出ているほか、電気、水道、暖房、インターネットが寸断されるようになっています。

しかし、軍事専門家は「ウクライナ国民の戦意をくじくロシア側のねらいははずれ、現実には国民のロシアへの反発を強めているだけだ」と分析します。

希望が詰まった 枯れたひまわり

枯れたひまわりにしても、決して悲しみや犠牲を表しているのではありません。
「追悼の壁」の説明文を読み進めるとこう書いてありました。

「ひまわりの真ん中の部分はウクライナの国民を表しています。
種はぎっしりと詰まっているため、ぽろぽろと落ちません。
これがひまわりの力なのです。
幹も簡単には折れません。
種は最後には地面に落ちますが、そこから新たなひまわりが育ち次の収穫をもたらします」 

“団結と再生の力”こそを、ひまわりは象徴しているというのです。

確かに枯れて黒くなったひまわりの真ん中には種が隙間なく詰まっていました。
そしてその種からはひまわり油がつくられ、世界中に輸出されています。

枯れるのは弱いことではありません。
枯れるからこそ、その後、前に進むことができると教えてくれているようでした。

再び、冬がやってきた

11月17日。
キーウに初雪が降りました。

キーウ(2022年11月)

ウクライナ各地では気温がどんどん下がっています。
最近はキーウでも、最高気温が氷点下になっています。

戦時下の厳しい冬が続く中、キーウ近郊のひまわり畑も一面雪に覆われました。
しかし、その雪の下で、ひまわりの種は力を蓄え、再び大きな花を咲かせる準備をしています。

取材後記

ロシアによる軍事侵攻を受けて、私がウクライナでの現地取材を始めてから、延べ120日を超えました。

これまでイラク戦争やシリア内戦それにソマリアなど、中東やアフリカの紛争地を取材してきましたが、ウクライナは初めての地で手探りのスタートでした。

突き動かされるように取材を続け、気がつけば、凍てつく冬から春、夏、秋と季節は一巡し、再び冬になっています。

実は時間の感覚がなく、毎日何をしていたのか、手帳を見ないと思い出せないのが正直なところです。

それでも、最初は悲しいものにしか見えなかった枯れたひまわりが、今では“希望のシンボル”に思えるようになったことは確かです。

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