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「初めてサイレンが鳴ったのは夜でした。突然、お母さんに起こされて避難したので怖かったです」
こう話すのは、13歳の少女ヤーナさん。ふだんから2人の妹の面倒をよく見ていて、この日も2人と近所の公園でボール遊びをしていたといいます。
ヤーナさんが暮らすのは、ウクライナ西部の都市リビウの中心部から車で20分ほどにある住宅街。
家の中を見せてもらうと、リビングの手前には床下収納がありました。
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はしごを下りると、高さ1.5m、広さは5m四方ほどの空間が広がっていて、床下収納というよりは「地下室」と言ったほうがしっくりきます。
この「地下室」、ソビエト時代のなごりで、食糧不足だった当時は、保存食を地下にためていたのだそうです。それが今、ロシアからの攻撃から身を守るシェルターとして使われているというのです。
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地下室にはピクルス、トマトペースト、大量の飲料水が備えられ、パスポートや医薬品などを詰めた緊急持ち出し用のバッグもありました。
「地下シェルターは、自宅の近くにはなく、小さい子どもたちを連れていくのは難しいんです」
ヤーナさんの母親ハリーナさん(37)はこう話しました。
ハリーナさんと3人の娘たちは、防空警報が鳴ると、同居する両親とともに地下に避難し、警報が解除されるまでじっと待つのだと説明しました。
ハリーナさんに緊急持ち出し用のバッグの中身を見せてもらっていると、その中には子どもたちの教科書もありました。
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今回の攻撃で3人の娘が通う学校は2週間休みになったということで、新型コロナウイルスに続いて、軍事侵攻によっても学ぶ機会が奪われていました。
「サイレンが鳴ったとき、本当に“戦争”が始まったのだと衝撃を受けました。国際社会が結束して、早くこの悪夢のような日々を終わらせてほしいです」
※この記事は、2022年4月29日に公開したものです。