
「ずっと離れることなく一緒にいようと決めました」
こう話すのはウクライナの女性です。兵士として東部の前線に向かった夫。
彼女は、安否を気遣い、毎日メッセージをやりとりしていました。
ただ、ある日を境に夫からの返信は来なくなりました。
(国際部記者 近藤由香利)
話を聞かせてもらったのは?
ウクライナ東部ドネツク州のクラマトルシクに住む、ビタリヤ・シネルリックさん(34)です。
美容師をしているビタリヤさんは、2021年の大みそかに、ウクライナ国家警備隊の兵士だったアルチョムさん(40)からプロポーズを受けました。

2人は、2022年の2月22日に入籍。4日後の26日に結婚式を挙げる予定でしたが、24日に、ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始しました。
そして、東部ハルキウ州の前線にいた夫アルチョムさんは、ロシア軍の空爆を受けて亡くなりました。
※以下、ビタリヤさんの話です
アルチョムさんはどんな人でしたか?
優しく、温かくて、明るい人でした。悪いところは一つもありませんでした。彼の友人たちも同じことを言うんです。
私たちは2年前の2020年から一緒に暮らし始めました。その前からお互いを知っていたのですが、ある日初めて2人きりでデートをしたら楽しくて。
その日から、ずっと離れることなく一緒にいようと決めました。
アルチョムは翌年の10月から2か月間、国家警備隊の軍事訓練で、装甲車の運転の指導を受け、その年の年末にクラマトルシクに戻り、大みそかにプロポーズされました。
そして、数字の“2”が並ぶ、2022年2月22日に入籍しました。この日はアルチョムが選びました。

26日には結婚式を挙げる予定で、私たちの両親や仲のいい友人たちもクラマトルシクに来て、レストランを予約してドレスもカメラマンも準備していたんです。
でも、24日にロシアがウクライナに軍事侵攻を始めて、アルチョムはドネツク州北部の町、スビャトヒルシクの部隊に配属されることになりました。
アルチョムさんとは、どうやって連絡を取っていましたか?
彼の安否が心配だったので、メッセージアプリやSNSを使って、毎日連絡を取っていました。
“既読”が付いたかや、ログインの状態は常に確認していました。
スビャトヒルシクに配属されてから3か月ほどたった5月中旬、ロシアによる攻撃を受けて、アルチョムは東部の都市ドニプロにある病院に入院したので、私は近くにアパートを借りて、毎日、看病しました。
彼は、けがはしていなかったのですが、爆風の影響で、めまいがするようになり、耳も聞こえづらくなり、目も見えにくくなりました。
また、入院した当初は、突然悲しんだり怒ったりするなど精神的に不安定な状態にもなっていました。
その後は徐々に体調が回復して7月に退院することができました。ただ、体の状態は万全ではなかったので、病院は次のような診断書を出してくれました。
「体が一部不自由なので、ストレスを受ける場面は避けて、武器を持たないように」
私は、アルチョムが戦闘地域に戻らないで済むと思って、とてもうれしかったんです。でも、退院してから間もない7月末に、ハルキウ州の前線に戻っていきました。

アルチョムさんが亡くなったことは、どうやって知ったのですか?
9月7日の朝、メッセージアプリを確認したら、彼がログインしていませんでした。
そんなことはあまりないので、「一文字でも書いて」「あなたがいないと生きていけない」などとメッセージを送り続けました。

でも、回答がないんです。返信がないまま、職場の美容室で仕事をしていると、昼くらいに国家警備隊から連絡がありました。
「けがをしたのかな」「どうしたんだろう」といろんなことが頭をよぎりました。不安を覚えながら電話に出ると、電話の向こう側の担当者は、こう言ったんです。
「7日、午前5時45分、空爆により亡くなりました」
こんなことを電話で伝えるべきじゃない。そう思って、私は「直接来てほしい」とお願いをしました。
その日のうちに、国家警備隊からの担当者2人と心理カウンセラーが美容室を訪れて、私は改めて彼の死を伝えられました。
アルチョムさんが亡くなったと聞いた時、どんな思いでしたか?
実は、彼が亡くなったという知らせを受ける前、彼は「ハルキウ州で、自分の部隊が戦っている集落をもうすぐ解放できる。いいニュースになるから、テレビを確認してね」って言われていたんです。
だから、彼が亡くなったと聞いても「何かの間違い。自分の目で確かめるまで信じない」と自分に言い聞かせて、彼が生きていると心から信じていました。
私はアルチョムの遺体を確認するため、ハルキウ市に向かいましたが、移動している間も、彼は生きていると、ずっと信じていました。
遺体安置所に着くと、担当者からは「遺体の状態があまりにもよくないですが、確認しますか」と言われました。
でも、自分の目で見ないと信じることができないので、彼の遺体を確認しました。
運ばれてきた遺体は、頭部がなくて、胴体には布がかけられていました。
でも、その手を見て、すぐにアルチョムの手だとわかりました。彼の体のどの部分を見ても、彼かどうかはわかるんです。
彼がいた部隊の担当者によると、部隊が活動していた場所が空爆され、アルチョムに加えて、司令官と仲間数人が命を落としたということでした。
そして、彼が死んでから2日後、その集落はロシア軍から解放されたと、ウクライナ軍が正式に発表したんです。
お子さんはいるのですか?
アルチョムには、前の妻との子ども、7歳になるマーシャがいます。アルチョムが亡くなってから5日後、彼の遺体はクラマトルシクに戻ってきて、葬儀を行いました。
マーシャは、父親の棺からずっと離れませんでした。棺に覆いかぶさって、ずっと泣いているのです。
マーシャの母親も葬儀に来ていて、「マーシャ、落ち着いて」と声をかけましたが、マーシャは「放っておいて」と言って、泣き続けていました。

マーシャにとってアルチョムは、とてもいい父親で、つながりも強かったので、マーシャは父親が亡くなったことを信じていない様子でした。
今、どんな気持ちですか?
私の魂は破壊され、もう力は残っていません。早くすべてが終わってほしい。それだけを願っています。

毎日、誰かの夫、父親、息子が相変わらず死に続けています。
ただ、私には、祖母、母親、11歳の娘がいます。家族を支えるため、生きていかなければなりません。
ロシアに対して、どんな思いですか?
ロシアは「ウクライナ人をナチスの支配から解放する」と、侵攻の目的を話しています。
でも、実際にやっていることは真逆です。私たちの普通の生活、住む家、大事な人たちを、奪っているのです。
今は、心に受けた傷がとても深いですが、いつかウクライナに平和が訪れることを、強く信じています。
