2023年3月31日
バルト三国 エストニア ウクライナ ロシア ヨーロッパ

【ショートコラム】ロシア系住民が明かす“二重の苦しみ”

ロシアと国境を接するバルト三国の1つ、エストニア。

軍事侵攻から1年となる2月に首都タリンを訪れると、「自由広場」と呼ばれる、エストニアの独立戦勝記念碑がある広場に面する建物にはエストニアの国旗とともに大きなウクライナの国旗も掲げられていました。

エストニアの首都タリン 「自由広場」

第二次世界大戦中の1940年に旧ソビエトに併合され、その後、半世紀にわたってソビエトによる支配を受けたエストニア。

1990年に独立を宣言した後もロシアの動向を強く警戒し、ロシアによる軍事侵攻が始まってからは他のバルト三国とともにウクライナへの軍事支援の議論を主導しています。

一方で、エストニアにはソビエト時代に多くのロシア人が移り住み、ロシア語を話すロシア系住民は人口の4分の1、およそ30万人にのぼります。

タリンにあるロシア正教会で話を聞いた中年の女性は「エストニアで暮らせなくなる」とビデオカメラでのインタビューはかたくなに拒みながらも、その複雑な思いを明かしてくれました。

ロシア系住民の女性

「戦争が始まって以来、SNS上や一部の政治家から『エストニアに住むすべてのロシアの人はウクライナの戦争に責任があり、ロシアとプーチンを支持している』などと言われていますが、それは真実ではありません。
誰も戦争を望んでいません。
さまざまな国の政府が自分たちの間で“ゲーム”を行い、その責任を市民に押し付けているのです」

ロシアへの強硬な姿勢を続けるエストニア。

その姿勢は、国内に住むロシア系住民に対しても向けられています。

閉鎖されたロシア領事館

軍事侵攻後の去年4月には、ロシアと国境を接し、ロシア系住民が人口の9割を占める東部の都市・ナルバにあるロシア領事館を閉鎖。

さらに9月にはロシア人の観光などでの入国を原則、禁止としました。

エストニア ロシア国境の橋

ナルバと、ロシアを隔てる幅100メートルほどの川には橋が架かっていますが、現地を訪れた2月、エストニアとロシアの間を行き来する人や車はほとんど見られませんでした。

その影響は、言語政策にも及んでいます。

エストニアにはロシア語で教育を行う学校も多くありますが、政府はこうした学校にもエストニア語での教育を義務化し、来年から段階的に導入していくことを決めたのです。

ロシアとの関係が悪化の一途をたどる中、教会で話をしてくれた女性はロシアに住んでいる娘への影響を心配していました。

ロシア系住民の女性

「私の娘はロシアの大学を卒業し、ロシアで仕事を見つけ、戦争前はすべてが順調でした。
しかし今は『なぜウクライナを支持するのか。エストニア人はロシアが嫌いなんだろう。みんな死んでしまえ』などと知人からも言われ、ひどい扱いを受けているそうです。
ロシアにいる娘に会いにいってやりたくても、今はビザを取るのも難しくなり娘に会いに行くことすらできません」

「私たちは二重の苦しみにあるのです。
エストニアではロシア系の住民がすべての責任を負わされる一方で、ロシアではウクライナに大きな援助をしているエストニア出身の私たちは罪を着せられるのです」

ロシア系の人たちが多く訪れるロシア正教会の司祭も、ロシア系住民の苦しみについて話してくれました。

ロシア正教会 イゴール・プレコップ司祭

「ロシア系住民はロシアに暮らす家族に会えないなど、さまざまな制約を受けています。
ロシア正教だという理由で『プーチン大統領を支持している』などと中傷されることもあります。
ウクライナへの侵攻の責任は、侵攻を決定した人やそれを支持する人たちのみが負うべきではないでしょうか」

ソビエトの支配から独立し30年が経つエストニア。

自由で開かれた経済は大きく成長し、言論の自由も保証されています。ロシア系住民でも若い人たちはエストニア語を学ぶ人も多いといいます。

しかし、ロシアとヨーロッパの「決別」がいっそう深まるなか、着実に「脱ロシア」を進めてきたエストニアでは、これまで両方の社会を行き来し、国家の“狭間”で暮らしてきた人たちが、誰にも言えない思いを抱え、苦しんでいました。

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