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2022年10月29日、密集した人々が道幅3メートルの坂道で転倒し、
150人以上が圧死などで亡くなった韓国・イテウォン(梨泰院)の群集事故。
犠牲になった人のほとんどは、20代・30代の若者でした。
亡くなった娘の人生を辿ろうとする、父親の姿を見つめました。
(ソウル支局 長野圭吾ディレクター)
時がとまったままの部屋
2023年9月、ソウル市内にあるイテウォン事故の遺族・ソン・フボンさん(61・宋厚峰)の自宅を訪ねました。
この日、亡くなった次女・ウンジさん(当時24・恩枝)の使っていた部屋を初めて見せてくれました。
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本や化粧品、衣類。壁には高校時代の写真や家族写真。ウンジさんが生活していた時のまま残していると言います。
ウンジさんがイテウォンに持っていったハンドバックです。
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事故の後、路上で見つかりました。
カバンの中には、財布や化粧品、イヤホン、その日使ったマスクがあの日のまま入っていました。
フボンさん
「ウンジが最期まで持っていたものなので、私たちは捨てられないんです。永久に保管しておこうと思います」
娘がイテウォンにいるとは思わなかった
フボンさんは、あの日娘がイテウォンに行っていたことを知りませんでした。
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その夜、仕事を終え早めに休んでいたフボンさん。翌朝、娘が帰宅していないことに気づいた時も、いつものように幼なじみの家に泊まっているのだろうと考えていました。
しかし、その時でした。
フボンさん
「地方に住むおじから、イテウォンで百何人かが圧死する事故が起きているがウンジは大丈夫か?と電話がかかってきたんです。携帯がつながらないので、警察にウンジの携帯の最終位置を問い合わせたら、イテウォンだと言われました。何か起きたのかもしれないと、嫌な予感がしました」
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フボンさんはすぐ警察に連絡しましたが、混乱の中、ウンジさんの状況はなかなか分かりませんでした。
きっと病院でケガの治療を受けているはずだと信じていたフボンさん。
しかし10時間近くたって警察から「似た子がいるので葬儀場に行ってほしい」と伝えられました。そこで、変わり果てたウンジさんを確認しました。死因は圧死でした。
フボンさん
「ウンジを失って1年になりますが、私だけでなくウンジの母親や姉までがいまだにウンジの死という柵の中に閉じ込められています。ウンジを守れなかったことにとても心が痛いです」
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“引き返そう” その直後の事故
ウンジさんの最後となった写真です。
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この日、ウンジさんと友人は仮装した人と写真を撮って楽しみたいと、事故の起きる30分前、イテウォンの路地を歩き始めました。
しかしあまりに人が多くて息苦しく、坂道を下って引き返そうとした時、転倒に巻き込まれました。
一緒にいった友人
「人がとても多くて体が密着して、アリが這うようにとてもゆっくりとしか進めませんでした。右往左往しながら『どうしよう~』と言っていたその時に圧力がかかってきました」
警察によると、ウンジさんが亡くなった坂道では、事故の前後、1平方メートルあたり、最大で10人を超える過度な密集状態になっていました。
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父と娘 広がっていった距離
韓国南部出身のフボンさん。就職のためにソウルに出て、同郷の妻と結婚。二人の女の子に恵まれました。
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1998年に生まれたウンジさん。子どもの頃から絵を描くのが好きでした。思春期になると友達との時間が増え、父と過ごす時間はどんどん減っていきました。
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ウンジさんは大学生の頃には、世界各国に旅行に出かけるようになりました。
同じ屋根の下に暮らしていても、SNSでのやりとりが増え、娘と深く話し合うことはなかったといいます。
フボンさん
「ウンジと一緒に生活してきた中で、妻も私も長女も、私たち4人家族は意見がぶつかるとか反目するようなことは特にありませんでした。
でもウンジを失ってから思うのは、もっと仲良くして「愛している」という温かい言葉をかけてあげなかったことが悔やまれてなりません」
たくさんの合格証 人生を切り開こうとしていた娘
亡くなる前は、ウンジさんの部屋に入ることのなかったフボンさん。
いま残されたものから、気づかなかった娘の姿を知るようになりました。
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本棚には、資格試験のため懸命に勉強した資料やノートが多数ありました。「コンピューターグラフィック」「情報処理技術」など9つの資格を取得していました。大学卒業後、希望する仕事になかなか就けない時期に取ったものが大半でした。当時、フボンさんは娘が何の勉強をしているのか深くは関心を払っていなかったといいます。
フボンさん
「やりたいと思っていることのために必要だと自分で考えて資格を取ったんじゃないかと思います。ウンジの夢、将来の夢とか、この世の中をどうやって生きていくべきかについて、父親としてあまりアドバイスしてあげませんでした」
イテウォンが好きだった娘
日記帳も残されていました。
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そこから、ウンジさんが事故の1年前からイテウォンに通うようになっていたことも初めて知りました。
2021年
10月7日 「面接試験の後、友達とイテウォンへ」
10月30日 「イテウォンでハロウィーン。人がものすごい」
12月25日 「イテウォンでクリスマス おしゃべりして写真撮って周辺を見物」
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あの日ウンジさんがイテウォンに行くことを知っていたら、伝えたかったことがあると言います。
フボンさん
「ハロウィーンに行ったことが悪いとは思いません。若者たちはイベントを楽しむ自由があるでしょう。ただ人がたくさん集まるような状況なら、道を歩く時にできるだけ気を付けてと言ってあげたかったです」
親友が教えてくれた 娘の姿
2023年9月14日。事故のあと初めてのウンジさんの誕生日です。
大好きだったマスカットのケーキを買ってソウル郊外にある墓地に行き、家族全員でお祝いをしました。
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この日フボンさん家族は、ウンジさんの親友3人と会うことにしました。その中には一緒にイテウォンにいった幼なじみもいました。もう心の負担を感じないでほしいと伝えたいと、事故後初めてフボンさんから連絡をとりました。親友3人が話すウンジさんの姿は、フボンさんにとって新鮮でした。
親友3人は、ウンジさんの普段の姿をフボンさんに教えてくれました。
ウンジさんの親友
「ウンジは好奇心旺盛で芯が強い子だった」
「将来はデザイナーになりたいと言っていた」
「お酒は飲まないのに、イテウォンの店の雰囲気が好きだった」
レストランやカフェであわせて4時間話を聞いたフボンさん、娘の知らない一面にまたひとつ触れました。
フボンさん
「ウンジがデザインをそこまで好きだったとは知りませんでした。楽しい時間を過ごしましたが、ウンジだけがそこにいなくて、ちょっと悲しい気持ちもありました」
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ウンジが好きだったイテウォンの街へ
事故から1年。
現場となったイテウォンの路地にフボンさんの姿がありました。
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娘が悲惨な死を遂げた路地に近づくことは、これまで避けてきました。
しかしいま、ウンジさんがどんな思いでこの町に来ていたのか知りたいと思ったのです。
フボンさん
「ウンジは家族の中でも外国の文化が大好きでした。たぶん、ウンジもそうした文化を楽しむためにイテウォンを去年だけでなく一昨年も訪れたんじゃないかと思います。ウンジを失って1年になりましたが、私たちはいつもウンジと一緒に生活しています」
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事故で突然断ち切られてしまった父と娘。
その空白を埋めようと、フボンさんは娘の姿を探し続けています。
取材後記
フボンさん
「生きている間に、より深い話、将来の話をしてあげたかったが、私が消極的でした。ウンジは私のそばに、永遠にいると思っていたからです」
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私はフボンさんのこの言葉を聞き、ふと我が子の顔が思い浮かびました。
子どもは成長とともに、日々どんな思いで過ごしているのか、どこで誰と過ごしているのか次第に分からなくなっていきます。
でもそれはごく自然なこととして、私も受け入れていました。
こうした当たり前の親子の関係さえも、深い後悔や悲しみの傷に変えてしまう。
それが事故で家族を失った遺族たちの現実だと感じました。