
娘の死を知ってからも、娘に向けてメッセージを送り続けていた父親に出会いました。
日本人2人を含む159人が亡くなった韓国ソウルのイテウォン(梨泰院)で起きた群集事故。
遺族たちは亡くなった家族のことを忘れないでほしいと声を上げ始めています。
(ソウル支局 長砂貴英・長野圭吾)
公開された犠牲者の名前と写真
群集事故から四十九日となった2022年12月16日、氷点下となったイテウォンの事故現場前には、大型のスクリーンが設けられ追悼集会が行われました。
スクリーンに次々と映し出されたのは、159人の犠牲者のうち遺族が提供した79人の若者たちの生前の写真でした。

遺族のメッセージとともに1人1人の名前が読み上げられ、犠牲者の友人も含むおよそ300人が、事故で亡くなった若者たちに思いをはせていました。
韓国政府は「遺族感情に配慮する」として、犠牲者の氏名や年齢などを現在も公表していません。公開を望まない遺族がいる一方で、「犠牲者を忘れないでほしい」という遺族も大勢います。追悼集会はそうした遺族たちを中心に行われました。
「ウンジー!」
娘の写真がスクリーンに出ると、声を上げた人がいました。
ソン・フボン(宋厚峰・60歳)さんです。

24歳の娘、ウンジ(恩枝)さんを亡くしました。

事故のあと、現場のイテウォンにどうしても来ることできなかったといいます。
ソン・フボンさん
「現場に来ると気持ちが崩れそうでした。四十九日となりましたが、私はいまも娘がそばにいるように思います。娘を守ってあげられなかった。本当に本当に父として無念でなりません」
あの日 通じなかった電話
「アンニョン!(こんにちは)」

生前、ウンジさんが旅先の海をバックに撮影しソンさんに送った動画です。
ウンジさんは去年春に旅行会社に就職したばかりでした。家族旅行が好きで、両親といっしょに海外旅行にもよく行きました。

ソンさんは、あの日ウンジさんがイテウォンにいたことを知りませんでした。
事故の直前、仮装した幼なじみたちと撮ったこの写真が、最後の姿となりました。

ソンさん
「事故当日の夜、わたしは早く寝たのでニュースを見ていませんでした。妻もそうでした。娘はその日、妻に別の場所に買い物に行くと言っていたそうです。だから帰って来ていなくても、どこかで友達と寄ってから帰るのだろうという気持ちでした。それが翌朝になって、『イテウォンで大勢が圧死する事故が起きたが、娘は大丈夫か』と、親類から電話がかかってきたのです。妻が娘に電話しましたが通じませんでした」
「警察から連絡があって、妻と親類と3人で車に乗り娘のもとに向かいました。妻は気を失いかけていました。自宅から娘が安置された葬儀場までかなり距離があって、3人で涙を流しながら行きました。その時間はとても長く、どうやって運転してそこまで行ったのかも思い出せません」
受け取った「死体検案書」。
そこには、死亡場所「道路」、死因「圧迫による心肺停止」と短く書かれていました。

ソンさん
「友達の話では、娘のいた場所の前で7人ほどが倒れて、娘も倒れ、さらに娘の上に10人ほどが倒れたそうです。力があれば人々を押して上に登って来たでしょうが、小柄で力がないからそのまま圧死したのです」
娘に送ったメッセージ

ソンさんは事故のあとしばらく、通信アプリで亡くなったウンジさんのアカウントにメッセージを送り続けていたことを明かしてくれました。そこには、次のように記されていました。

「ウンジ、そこは温かくて安らかなのかな。温かくあってほしい。あの夜、押し寄せる死の恐怖の中のあなたに気づかず、お父さんはそれも知らずに寝てしまった」
「イテウォンの冷たい道路の上で、胸を押しつぶす酷い圧迫感に君の小さな心臓は、はじけそうに膨らみ、押し寄せる恐怖の中で『助けて』と母を父を呼んでいた君を思うと、私たちの胸は張り裂ける。生命と運命をつかさどる神様がいるならば、神様が変えてくれるならば、お母さんやお父さんがその場所にいよう。愛する娘、ウンジ、ごめんなさい、ごめんなさい。お母さんとお父さんを許して」
真相を知りたくて
娘の葬儀後、ソンさんはこの事故は本当に防げなかったのかと考えるようになりました。
しかし、ほかの遺族とつながりを持ちたくても、政府は犠牲者の名前を公開しておらず、手がかりは何一つありません。わらをもつかむ思いで、生まれて初めて報道機関に連絡をとると、弁護士団体が遺族どうしの集まりをつくろうとしていることがわかりました。
事故から3週間後。事故の真相究明や警察・行政機関の責任追求を求める遺族会が結成され、ソンさんも加わりました。

ソンさん(記者会見)
「イテウォンの惨事は安全を軽視した国による間接的な殺人だと思います。遺族の気持ちをくんで、私たちの子どもたちの死が無駄にならないように協力してください」
韓国警察庁の特別捜査本部は1月13日、当時の現場の状況や事故が起きた原因などについての捜査結果を発表し、1平方メートルあたり最大で12人を超える過度な密集で大勢が命を失ったことが明らかになりました。

そして、多くの人出が予想されながら、安全対策が不十分だったと結論づけ、現場を管轄する警察署の当時の署長や自治体のトップなどを逮捕しました。
娘を温めてあげたい
イテウォンにはいま、遺族会が中心となって作った献花台が設けられています。ソンさんは献花台を訪れ、ウンジさんの写真をカイロで温めていました。

最愛のわが子を失った現実と向き合いながら、事故の真相究明や再発防止を求めていこうと心に決めています。

ソンさん
「一日も早く政府が遺族の苦しみを癒やす措置を取ってほしい。それが私たちの望みです」