
「自分をいじめた加害者が、幸せに生活している姿を見て悔しかった。これがまともな世界なのか」
男性は、中学・高校時代を通じて、いじめを受けてきたといいます。
2023年4月、韓国政府は驚きの“いじめ対策”を打ち出しました。
「いじめの加害記録を大学入試の合否判定に反映させる」というものです。
いじめ(学校暴力)の件数がこの10年で3倍に増える中、加害者厳罰化へと舵を切った韓国。
その背景を取材しました。
(ソウル支局 長野圭吾 / おはよう日本 三宅響)
韓国 いじめ加害記録を大学入試に反映へ
4月。韓国政府は11年ぶりにいじめの総合対策の全面的な見直しを発表しました。
「被害者の保護強化」「学校の対応力向上」とともに強く打ち出したのが、「加害者の厳罰化」でした。
韓国政府のナンバー2、ハン・ドクス(韓悳洙)首相は自ら会見の場に立ち、強い口調でこう述べました。

ハン首相
加害生徒にはいじめの責任を必ず負わせます。いじめの対価は必ず払うという認識を学校現場に根付かせるようにします。
厳罰化の1つが、「いじめの加害記録を大学入試に反映させる」ことです。
韓国の小学校から高校では、学外に設けられた審議会などを経て、いじめ加害者への処分を決定します。
処分は9段階で、最も軽い1号は被害者への書面による謝罪。このほか6号が「出席停止」、7号は「クラス替え」、8号「転校」で、高校生にはさらに重い9号「退学」の処分があります。

処分の記録は、在学中の成績や個人情報を記載する「学生生活記録簿」に残されます。
現在もこの記録簿を重視して選考する大学では、いじめの記録が合否に反映されています。

新たな方針では、2026年からすべての大学入試で加害記録を合否に反映するよう義務づけます。
学歴社会が色濃く残る韓国において大学入試に影響を与える意味は大きく、すでにソウル大学など韓国を代表する大学が、義務化に先んじて実施を表明しました。
就職にも加害記録 影響も

記録の保存期間も延長されます。
現在、出席停止やクラス替え、転校などの処分記録は卒業後2年間、保存されています。
しかし実際には、出席停止とクラス替えは、卒業前に本人が反省したと認められれば学内での審議を経て削除されてきました。
今回この保存期間を卒業後4年間に延長。
安易な削除を防ぐために、削除には“被害者の同意が必要”と加えました。

韓国教育省は、記録の保存期間を4年にすることで就職など大学卒業後にまで不利益が及ぶという警戒心を高めることが狙いだとしています。
いじめの加害者となり重い処分を受けると、その影響は大学や就職、そして人生全般にまで及ぶ可能性があるというわけです。
なぜ加害者は罰せられないのか
いじめの被害者たちは、こうした政策をどう受け止めているのでしょうか。
当事者の1人に話を聞きました。

ソウルから車で2時間ほどの地方都市で育ったイム・ホギュンさん(任鎬均・23)は、中学校と高校で同級生からいじめを受けてきたといいます。
イムさんにとって、学校とはどんな場所だったのでしょうか。

イムさん
「地獄でした。毎日毎日、いじめを受けていたので。
高校に入学すると、名前順に座らされ、隣に座った生徒にいじめられるようになりました。初めの頃はあいさつを交わしていましたが、時間が経つにつれて、不愛想で気が弱そうに見える私はターゲットになりました。
最初は軽くたたき暴言を吐いていましたが、私の反応が面白くなかったのか暴力につながっていきました」
担任の教師に相談したこともありましたが、学校の対応は席替えだけにとどまり、解決にはつながりませんでした。
イムさんは中学生の時に発症したうつ病が、高校2年生の時に悪化。3か月間、入院せざるを得なくなりました。
3年生の時には、いじめの被害者が集まる教育施設で6か月過ごしました。
一方、イムさんをいじめた生徒は卒業まで処分を受けることはなかったといいます。
イムさんが通っていた高校の卒業アルバムです。

在籍したクラスのページを開いても、知っている生徒は誰もいないといいます。
イムさん
「3年生の時に違う教育施設に行っていて、同じクラスの生徒が誰なのかも知りません。みんな初めて会ったような。クラスの記憶はないです」

(記者:加害者はどの人ですか?)
「この人です」
(記者:彼はイムさんをいじめたことを覚えていると思いますか?)
「正直、覚えていないと思います」

イムさん
「いじめは1人の人間を奈落につき落とす行為で、いじめで自殺してしまう人も多いです。でも加害者は何ごともなかったかのように暮らしています。それ相応の処罰を受けるべきではないかと思います」
広がる いじめ加害者への社会的制裁
いじめ加害者の厳罰化が必要だという認識は、ここ数年の間に韓国社会で急速に広がってきました。
アイドルやスポーツ選手、捜査機関の要職に指名された人物の息子。こうした人たちが学生時代にいじめで処分を受けた記録が公になり、これまで築き上げてきたキャリアを一瞬で失うケースが相次いでいます。
そのきっかけの多くは、被害者からの告発によるものでした。
いじめ対策の責任者で韓国教育省のオ・スンゴル(呉承杰)責任教育政策室長は、加害者厳罰化の意図をこう説明しました。

オ室長
「被害者はかなりの精神的なトラウマを抱え、日常への復帰には相当時間がかかります。その反面、加害者は軽い処分が終われば学校生活に戻ります。同じ空間にいることで被害者はかえって加害者を避けて自ら転校するとか、より深いトラウマに陥っていきます。こんな状態が社会の正義にかなっているかと、問題提起しているわけです」
イファ(梨花)女子大学が2023年3月、19歳から59歳の男女1500人を対象に行った世論調査では、「いじめの加害記録の大学入試への反映」に、91.2%が賛成と回答。こうした政策が「いじめの予防につながる」との期待からです。
どこまで背負う いじめ加害の烙印
しかし、加害者への一方的な厳罰化は根本的な解決にならないと訴える人もいます。
いじめの当事者たちのサポートにあたるNGOでカウンセリングを行っているチョン・スンフン(鄭承訓)さんです。

チョンさんには、加害者となった生徒の保護者から相談がメールで寄せられます。

実はチョンさん自身の子どもも中学3年生の時にいじめの加害者になったことがあります。
その経験から、加害者と時間をかけて話しながら、いじめの重大さに気づかせようと取り組んできました。
行き過ぎた厳罰化は、加害者の更生の機会を失わせると感じています。
チョンさん
「加害者もそのことで処分を受けるわけですよね。さらに受験にまで影響させると、いじめ加害者の烙印を成人になっても背負ったままになります。反省させ社会の一員としての生き方を教育してあげることこそが、いじめの総合対策の目的ではないでしょうか」
訴訟の拡大は何をもたらすか
別の問題を指摘する人もいます。
いじめをめぐる裁判に数多く携わってきた教育問題専門の弁護士、ハン・アルムさんです。

被害者・加害者の双方から相談を受けるハン弁護士。
最近は小学校でのいじめの相談も増えているといいます。
ハン弁護士
「中学・高校での学校生活や勉強に大きく影響すると心配する保護者が多くなり、いじめを見過ごさない傾向にあるようです」
韓国では、いじめをめぐって教育機関を訴える行政訴訟がこの3年間で2倍近くに増えました。

ハン弁護士によると、その6割以上が処分の執行停止や軽減を求める加害者側からの訴えだといいます。
いじめの記録が大学受験に反映されるようになれば加害者側からの訴訟がさらに増加し、むしろ被害生徒が回復するまでに時間を要してしまうと指摘しています。
ハン弁護士
「いじめにおいては、被害者の保護が優先されなければなりません。訴訟になると、加害者と被害者の間での問題解決が長引くことになります。被害者が日常生活に戻ることに集中することが真の被害者保護だと思いますが、訴訟を続けざるを得ない環境になるのは問題だと思います」
世界は日本は 加害者への対応
いじめの加害者への対応は、他の国ではどうなっているでしょうか。
海外のいじめ問題に詳しい香川大学大学院教育学研究科の金綱知征教授への取材から、いくつかの国での対応を整理しました。

フランスは去年、被害者が自殺や自殺未遂に至った場合には、加害者の年齢によっては禁錮10年の刑事罰などを科すことにしました。
アメリカは州ごとに対応が違いますが、停学や退学などの処分をとることが多いということです。
一方で日本は、おもに学校内で対処する状況が続いているといいます。

金綱教授
「日本ではいじめは教育問題。校内の子どもたちの関係性がこじれたときに出てくる問題だという捉え方なんですね。学校の中で教師が解決すべき問題であって、仮に警察に投げてしまう場合、教育に対する責務を放棄することになるのではないかというのが根強くありました」
また、いじめ加害者への対応についても、学ぶ権利が保障されていることもあり「出席停止」などの措置はほとんど行われていない現状があるといいます。
そうした中、文部科学省は2023年2月、重大ないじめ事案は速やかに警察に相談・通報するよう通達を出しました。 金綱教授は、サイバー空間でのいじめの広がりなど学校だけで対処できない領域では、警察などと連携することは避けられない状況になっていると指摘します。
金綱教授
「特にネットのいじめ問題だと学校が解決できる部分は少なくて、警察に頼らざるを得ないことがたくさんあります。専門的な知識・スキルを持った人にそういう部分は頼っていこうじゃないかと、いわゆる連携体制が整備されていくことは必要かなと思います」
だたし金綱教授は、加害者厳罰化がいじめの抑制に効果的だという研究報告はまだなく、むしろ加害者に自らの行為と向き合わせる矯正教育などの方法も含め、慎重な検討が必要だとしていま す。
いじめを許さない社会へ
世界各国で試行錯誤が続く、いじめをなくす取り組み。取材の中で、ある被害者の言葉が印象に残りました。
ソン・グノさん(孫根鎬・24)は、ソウル市内でトレーナーをしています。

格闘家としてリングに上がることもあるソンさんですが、実は小学5年生の頃、深刻ないじめにあっていました。
当時、旧正月に親戚からもらったお金を同級生に取られるようになりました。
断ると暴力が始まりました。
教師や友人は気づいても傍観しているだけで、ソンさんは自宅から遠い中学校に入っていじめから逃れることができました。
その後、ボクシングを習って体力をつけましたが、今でもあの時の恐怖を忘れることはできないといいます。
ソンさん
「いじめはだめだ、ということを当たり前のことにしてほしいです。
例えば路上喫煙は今では誰もできないくらい社会のムードが変わったじゃないですか。いじめをしたアイドルはようやくテレビに出られなくなりました。
今回の加害者の厳罰化が単なる加害者への報復ではなく、いじめは間違っているということを社会に根付かせることにつなげてほしいです」