文化

冨永愛 笑顔の奥に秘めた決意

冨永愛 笑顔の奥に秘めた決意

2023.09.15

モデル・冨永愛さん。

 

10年余り前のアフリカで。

若い母親が、生まれたばかりの赤ちゃんを毛布で何重にもくるむ姿を目にした。

 

出産の場所は、その母親の自宅。

土間に薄い布を1枚、敷いただけで、当然、分べん台はなかった。

 

授かったかけがえのない命を、母親は、大切に、ぎゅっと抱きしめていた。

 

何かをやるべきだ。

そんな強い思いが、自分の中に生まれるのを感じた。

 

改善に向かっていることもあれば、まだまだだと思うこともある。

ただ、一歩ずつ進むことだけは、決して諦めはしない。

“冨永愛”の生き方

冨永愛さん

1982年生まれ。
母子家庭で育った。
子どものころから背が高く、中学生、高校生になっても身長は伸び続けたという。
今、彼女のすらりとした姿を見れば、うらやましいとも感じる。
しかし、それは繰り返されるいじめの理由にもなった。

周囲は、みんな、敵だった。
冨永さんの中に、“反発”が芽吹く。

いち早く自立することを考え、モデルに応募。
雑誌に掲載された制服姿の写真が注目され、その後、世界を舞台に活躍するようになった。

一度、体調を崩せば、誰かがそのポジションに滑り込む。
そうした厳しいモデルの世界を生き抜いてきた。
結婚と離婚も経験した。
支えになったのは、1人息子の章胤(あきつぐ)さんだったという。

失うわけにはいかないものがある。
さまざまな壁にぶつかったとき、自分の産んだ“命”が、彼女に力を与えた。

「大奥」に出演して

冨永さんにインタビューしたいと考えたのは、NHKのドラマ「大奥」がきっかけだった。

ただ、著作やネット上の記事を調べると、彼女が多くのことに挑戦している人だということも分かってきた。

取材を前に緊張し、そわそわしている私たちの前に現れた冨永さん。
口を開くと、気さくで、よく笑う人だった。

まずは、この質問から。
最初に「大奥」のオファーを受けたとき、どんなふうに思いましたか?

(冨永愛さん)
何の役かは聞いていなかったんです。
「どの役だろうな?」と思って原作を読んだのですが…

「これ、吉宗じゃねぇ!?」って(笑)
どう考えても、ほかに“トミナガ”のイメージに合う役がなくて。
いやいや、違うよな、将軍だしな。
いやいや、でも吉宗だよな。
ヤバいなって。

そして、頂いたのは予想どおり、吉宗の役でした。
もう、ずーんとプレッシャーが…

「吉宗」と向き合いながら

最初に押し寄せたのは、自分がこの役をこなせるのかという不安だったという。

冨永さんは、すぐに吉宗のことを学び始めた。
江戸時代の歴史をおさらいし、吉宗の伝記を読んだ。
紀州時代のことを知るために、和歌山も訪問した。
すでに乗馬の訓練は重ねていた。
いつかは時代劇に出演したいと考えていたからだ。

モデルとして数多くの舞台に立ってきた冨永さんにとっても、地上波でのドラマの主役は、初めての体験だった。

(冨永愛さん)
モデルという仕事は、割と一発勝負、瞬発力が大切です。
オーディションでは、部屋に入るためにドアを開けたその瞬間、僅か5秒のふるまいで勝負は決まってしまう。
その一瞬に、自分をどう見せるかという仕事だと思うんです。

でも、演技となると、そうはいかない。
撮影が進むなかでエネルギーを使い果たし、ろれつが回らなくなったこともありました。
きちんと準備をして、うまく力を配分することが大切でした。

「精神的なプロセスが目や口元に出る」

冨永さんが演じた、将軍・吉宗。
演技をするうえで、気を配っていたことはありますか?

(冨永愛さん)
監督からずっと言われていたのは、「受け止めること」の大切さです。
統治する人は、やはり、すべての人の意見、話をいったん受け止めるものだと。
そして、改めて自分のフィルターを通したうえで、ことばを発する、行動する。
そういった精神的なプロセスが、目や口元に出てくるんだろうなと思っていました。

ただ、本当に吉宗になれているのかについては、とても不安でした。
放送のときはテレビの前に座り、冷や汗をかいていたんです。

「御鈴廊下」を歩く“吉宗”

えっ、そうなんですか?
将軍が大奥に向かう際に出迎えを受ける「御鈴廊下」。
あの演技には、引き込まれましたけれど…

冨永さんは、「あれはね」と笑う。

(冨永愛さん)
現場に立ったときに、「めっちゃ期待されてるな、これは!」って思いました。

まさに、「江戸のランウェイ」みたいじゃないですか。
スタッフのみんなからも、期待の目で見られている。

プレッシャー、甚だしいわけですよ(笑)。

本当に100%以上の力を見せなきゃって、そんな意気込みで歩きました。

“セカンドキャリア”を支援したい

「大奥」の中には、もうひとつ、印象深いエピソードがある。

吉宗は、眉目秀麗な男50人を一度に“解雇”し、市中へと帰す。
“費用の節約”という意図はあっただろう。
一方で、彼らにはその先の未来がある。
“セカンドキャリア=第二の人生”を歩ませることも、吉宗は重要視したのではないか。

折しもこの7月、冨永さんは、みずから新たな会社を設立し、モデルなどのセカンドキャリアを支援すると発表した。

私たちは、吉宗の決断と、冨永さんの新たな挑戦を重ね合わせて質問した。
こじつけかもしれないけれど。

「それは、おもしろいこじつけですね~」と冨永さんは笑った。
そして、こんな話をしてくれた。

ほんの僅かな期間で終わってしまうというモデルとしての“寿命”。
どんなに活躍している人でも、やがて見向きもされなくなる瞬間が来る。
あとは、仕事を割りふってもらえなくなり、事務所からも追い出されてしまう。

「そうした状況を、なんとか変えたい」のだと、冨永さんは強調した。

(冨永愛さん)
やはり、人は何かしらの才能を持っています。

一度、その才能を開花させた人は、きっとほかの可能性も秘めている。
その可能性を探り、試して、サポートしてくれる事務所があってもいいんじゃないかと。

芸能界って、いろいろありますけれど、たった1つのキャリアを突き詰めたうえに、使い捨てされるようなことがあってはならない。

だって人間なんだもん、人権があるから。
会社を立ち上げた理由の1つには、私からのそうした問題提起もあるんです。

もちろん才能が開花する確率は、とても低い。
運もあるだろうし、自分のチャレンジや努力も大切。
ただ、サポートの力って、やっぱり大きいと思うんです。
少しでも、そんなことをできたらいいなと。

まだ、言えないこともあるんですよと、“上様”、いや、冨永さんは目を細めた。

モデルとしてのデビューから25年がたつ。
出産、子育てを経て、ランウェイに復帰した。

経験を重ねるうちに自分が受け取ってきたものを、少しでも返すことができたなら。
冨永さんの新たな挑戦には、そうした思いが込められていた。

「ジョイセフ」の“アンバサダー”として

アフリカ・ザンビアにて(2023年)

2010年、冨永さんは、あるチャリティーイベントに参加した。
企画したのは、現在の公益財団法人ジョイセフ。

「せっかく参加するのであれば、団体のことをきちんと知りたい」。
冨永さんは資料を取り寄せ、ジョイセフの取り組みについて学んでいった。

ジョイセフは、1968年に日本で発足した団体だ。
当初は、いわゆる「家族計画」によって一人ひとりの健康や人権を守る運動を国内で展開。
そのノウハウを生かして、開発途上国の女性と妊産婦の支援に取り組むようになった。
実際に駐在員を置いているケースは少なく、現地の団体と連携しながら、住民自身が学び、動いていくことを重視している。

当時、息子が5歳になり、出産や子育てを支援することの大切さを実感していた冨永さん。
その趣旨に賛同し、アンバサダー(親善大使)を務めることになった。

初めて訪ねたザンビアで

アフリカ・ザンビアにて(2010年)  ⓒジョイセフ

海外での実情を知りたいと考えた冨永さん。
ジョイセフのスタッフと初めて訪ねたのはアフリカのザンビアだった。

(冨永愛さん)
初めてのアフリカ大陸で、土の色も空気も雰囲気も、すべてが違うんですよね。

そうしたなかで、日本では当たり前に享受できる出産時の安全性・安心感が全くなかった。

2010年の当時、世界では出産や中絶などが原因で1日に1000人が亡くなっていた。
そのほとんどは、アフリカで起きたことだという。

冨永さんは、いったい、どんな現実を目にしたのだろう。

(冨永愛さん)
土壁で出来た、手作りのおうちに住んでいる。
大きな家族が、一緒に。

そこには、14歳から出産して、10人近く子どもを産み続けている24歳のお母さんがいらっしゃったりして。
「どこで出産したの」って聞いたら、家の土間で産んだって言うんですよ。
土を固めた床の、カーペットなんか敷いていない。
もちろん分べん台もない。
そこに薄い布を1枚敷いて、錆びたハサミを使って。
会陰切開するのか、もちろん、へその緒も切りますよね。

それは、死亡率も高くなる…と。

「私は何かをしなければならない」

アフリカ・ザンビアにて(2010年)  ⓒジョイセフ

ただ、母親が、生まれたばかりの子どもを何重にも毛布でくるむ様子も、冨永さんは目にした。

きれいな服を着せて、子どもの頭には毛糸の帽子をかぶせていた。

気温は28度もあったけれど。

(冨永愛さん)
暑そうだなとは、思いました。
でも、そうやってくるむほど、大切な命なんです。

つらくて、悲しくて、そんな状況もあるはずなのに、現地の人たちは元気で、幸せそうに笑っている、歌って、踊って。
生きていることを、とても喜ぶというか。

もし命を、もし自分が守れるのであれば、私は何かをしなければならない。
そんなふうに、強く思いました。

途上国で、母子を守るために

帰国した冨永さんは、メディアやSNSなどを通じて、途上国の母親や子どもたちを守ることの重要性を訴えるようになった。

「かわいそうだから」とは思わないようにした。
自分が上に立って、彼女たちを見下ろすようなことはしたくなかった。
ただ、当たり前に、命は大切なんだということを伝えていった。

ジョイセフは、これまでに海外の43の国と地域で活動してきた。
日本国内も含め、次のようなことの実現を掲げて取り組んでいるという。

自分の「性」に関することについて、みずからが決めることができ、幸せで、社会的にも認められていること。

妊娠したい人も、そうでない人も、産む・産まないに興味や関心もない人も、そして、性的な欲求がない人たちも、この世界に生きる人、誰もが心身ともに満たされ健康にいられること。

そして妊娠、出産、中絶について十分な情報を得られていること…

「マタニティーハウス」の重要性

アフリカ・ザンビアにて(2023年)

最初のザンビア訪問から13年。

この8月から9月にかけて、冨永さんは、再びアフリカを訪問した。

前回のザンビア訪問のとき、現地には1棟の「マタニティーハウス」の建設が計画された。

出産のために、自宅からクリニックに行こうとしても、荷台に乗せられて5時間、歩けば10時間かかるという村がある。

もし、出産前の妊婦を受け入れるマタニティーハウスがあれば、往復の負担を減らすことができるのではないか。
さらに、医療スタッフが近くに常駐していれば、マタニティーハウスで安全に出産することだって可能になる。

建設の資金には、日本から寄せられた寄付を充てる。
ただ、運営は、現地のスタッフが担うことが大切だった。
ザンビアの人たちが、自分たちでマタニティーハウスを運営できるようになれば、いつかは支援の必要性もなくなるはず。

それが、冨永さんたちの目標だ。

“男性の協力”も欠かせない

アフリカ・ザンビアにて(2023年)

そして、再び訪れたザンビア。
合わせて7棟のマタニティーハウスが建てられたことを、冨永さんは知った。
施設を活用することで、妊娠中や出産時に亡くなる人は、格段に減ったという。

さらに驚いたのは、男性が、女性の健康を守る活動に参加してくれるようになったことだ。
いわゆる「性教育」が根づいてきたことを、冨永さんたちは実感した。

(冨永愛さん)
女性の体の仕組みを分かっていないから、欲望のままに性交渉をして、子どもがどんどん生まれる。
毎年、出産することによって、女性の体への負担は積み重なっていく。

男性は学ばなければならない。
家族を守るためには欠かせないことなんです。

私たちが協力している地域では、男性の参加がとても多くなりました。
「自宅で産むのはやめよう、健診に行こう」と、言ってくれています。

ウガンダで感じた悲しみ、そして希望

ウガンダで、女性たちの話を聞いていく(2023年)

もう1か所、訪れたのは、ザンビアの北東に位置するウガンダ。
これまでジョイセフは、HIVへの感染や子宮頸がんを予防するための取り組みを進めてきた。

女性たちの状況は、厳しい。
しかし、徐々に変わり始めてもいる。

13歳のときに、家政婦として働いていた家でレイプされて子どもを産んだという女性。
現在、24歳だが、4人の子どもの父親は、すべて違うという。
妊娠が分かると、男たちは女性のもとから去っていった。
ジョイセフと現地のパートナー団体から支援を受け、性感染症や子宮頸がんの影響、そして避妊の大切さを学んだ。
今は、団体からアクセサリー作りを教えてもらい、それを売ることで収入を得ているという。

笑顔の女性たち(ウガンダ・2023年)

HIV陽性と診断された3人の女性。
それぞれが団体で研修を受け、今は一緒にチャパティの店を開いている。
チャパティは、小麦などをフライパンで焼いて作るパンの一種だ。
HIVが陽性だったとしても、今は薬があることを彼女たちは学んだ。
励まし合って、前向きに生きていくと、冨永さんにも誓った。

実は、今回のアフリカ行きには、息子の章胤さんも同行した。
章胤さんは18歳。
問題意識を深めた章胤さんが、自分と同じような若い世代に情報を発信してくれればと、冨永さんは期待している。

もちろん冨永さん自身の取り組みも、まだまだ、続いていく。

(冨永愛さん)
現地は、どんな様子だったのか。
そして、私たちは何を感じたのか。

いろんなところで、お話しをすることが、親善大使としての役割だと思っています。

今は、SNSというメディアを使って、自分でも情報を発信できるので、気になった人は、私のインスタグラムなどを見ていただければ。

やはり、皆さんに知ってもらうこと、考えてもらうこと、そして行動してもらうことが、いちばん大切だと思っています。

そのために私たちも取り組むので、まずは、知ることから、皆さんに始めてもらえるとうれしく思います。

冨永さんの強い意志と決意

新たな事務所の立ち上げも、そしてジョイセフでの活動も。
冨永さんの中には、1つの「芯」が通っているように思えた。

「上様」の笑顔の奥に秘められていたのは、何かの役に立ちたいという強い意志。
そして、ひたすらにまっすぐ進んでいくという決意だ。

ジェンダーの在り方やSDGsについて。
そして、さまざまな社会のありようについて。

改めて「上様」の話を聞きたくなったときには、そっと、そのお願いを、「目安箱」に入れてみたいと思っている。

冨永愛さんのインタビューの一部は、下記からお聞きいただけます。
(NHKジャーナル・2023年9月15日(金) 午後10:55配信終了)

https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=0045_01_3886641

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