科学

H3ロケット エンジニアの苦闘の舞台裏

H3ロケット エンジニアの苦闘の舞台裏

2022.04.22

日本の宇宙開発を担う大型ロケット開発が国家プロジェクトで進められています。
その名は「H3ロケット」。
JAXA(宇宙航空研究開発機構)と三菱重工が中心となって開発していて、現在のH2Aよりひと回り大きく、歴代で国内最大のロケットです。
それでいて、打ち上げコストは半分程度の50億円を目指します。
しかし、エンジンの開発に難航し、当初の打ち上げ予定は2020年度でしたが、2回、延期されています。
この春から開発試験が本格的に再開し、次の打ち上げ時期を決めるための終盤の試験が始まりました。
ここに至る過程で何が起きていたのか、開発の舞台裏に迫りました。

9秒で緊急停止したエンジン試験

H3ロケット打ち上げCG 画像提供:JAXA

去年10月、エンジンの開発状況を確認する重要な試験が行われようとしていました。
すでに当初の2020年度の打ち上げを延期して、2021年度中の打ち上げを目指していて、残りの期間は半年と迫っているなかでの試験です。

JAXAの種子島宇宙センターにエンジンの燃焼試験用の施設があり、新型エンジン「LEー9」が据え付けられていました。
JAXAや三菱重工などのエンジニアおよそ40人がコントロール室で準備を進めます。
そのコントロール室の中央の後ろで全体を見渡す1人のベテランエンジニアがいました。
JAXAの岡田匡史さん、H3ロケットの開発プロジェクトを率いる責任者です。

エンジンを35秒間燃焼させて必要なデータをとる計画です。
カウントダウンと「燃焼開始」というアナウンスが流れると、エンジンのごう音と衝撃が200メートルほど離れたコントロール室の中にも伝わってきます。


燃焼中のエンジンと炎

「1,2,3・・・」とカウントアップされる音声が響き、エンジニアたちはそれぞれの役割に集中して身動きする人もいません。
その中で、コントロール室の後方の一角から声が響きました。
「アウト!」「カットオフ!」。
エンジンを緊急停止するボタンが押されました。
35秒の試験を行うはずでしたが、9秒での中断でした。

直後にデータを検討する会議が開かれました。
エンジニアたちが集まり、すぐに見ることができるデータで初期的な解析を行います。
JAXAと企業の担当者の間では、事態の深刻さをあらわすやり取りが行われていました。

JAXA担当者
「もう少し詳しいデータを確認してから、今後の開発方針を正確に判断した方がいいと思いますが、どうでしょうか?」

企業担当者
「まだ詳しいデータを見ていないので、断言はできませんし、感覚的なものですが、試験をもう一度行う状況ではないと思います」

注・画像はJAXA担当者

「スケジュールを守る」と「リスクへの対応」のはざまで

この時、判断が難しい状況が起きていました。
エンジンには「ターボポンプ」と呼ばれる、燃料を送り込む機器が2つあります。
この機器が2つとも振動していることが確認されたのです。
振動が大きくなるとエンジンが壊れ、打ち上げの失敗にもつながります。

2つのうち、ひとつのポンプの振動は明らかに対処が必要でしたが、もうひとつのポンプの振動は大きいものではなく、深刻なトラブルかどうか評価が難しいものでした。
両方のポンプに大きな改良などの対処をするとなると、開発スケジュールが大幅に遅れる可能性があります。
プロジェクトは選択を迫られていました。

JAXA 岡田匡史 H3プロジェクトマネージャ
「H3ロケットは、今後の日本の宇宙開発を支えるという非常に重い使命を背負っています。そのため、『開発には時間がかかってしまう』という言い訳が許されないという側面もあり、2回目の打ち上げ延期は何とかして避けたいと思っていました。ポンプを少し改良すれば打ち上げられるかもしれず、結構悩んでいました」

プロジェクトが最終的に下した決断は「延期をしてでも2つのポンプを確実に仕上げる」というものでした。
2回目の打ち上げの延期がことし1月に発表されたのです。

JAXA 岡田匡史 H3プロジェクトマネージャ
「片方のポンプで確認された振動は深刻なトラブルかどうか微妙なものでしたが一点の曇りもない状態で打ち上げることが重要だと思いました。H3ロケットが、20年運用された場合、100号機まで打ち上げられることになります。100回の打ち上げの中で、1度もこの振動が原因で失敗することにならないようにしたいと考えました」

工業製品の品質には一定の「ばらつき」があり、部品同士の「ばらつき」の状況によっては、深刻なトラブルの発生につながることがあります。
1号機や2号機の打ち上げを成功させるだけであれば、気にしなくてもいいことも、20回、50回と打ち上げを積み重ねることを前提にすると見過ごしてはいけない事象があるというのです。

教訓を受け継ぐエンジニアの「心得」

この決断の背景には過去の苦い経験がありました。
それは、23年前のH2ロケット8号機の打ち上げ失敗です。

この失敗の原因もターボポンプが壊れたことでしたが、ポンプに特殊な現象が起きることは開発の段階から確認されていたというのです。試験を繰り返しても壊れなかったことからリスクは小さいと判断されていました。
岡田さんは、当時、若手エンジニアとしてこのエンジンの開発に関わっていました。
そして、この教訓を生かすため、18年前、ひとつの文書の作成に携わりました。それは「ロケットエンジニア心得」という9ページの文書です。

「ロケットエンジニア心得」

はじめに「ロケット開発は過酷な挑戦」という書きだしから始まります。
その中で、H2ロケット8号機やH2Aロケット6号機の失敗の原因の解析の中で、トラブルの兆候をとらえていたことを踏まえて、「開発途上の危険な兆候に対処できなかったことが残念」と振り返っています。
そして「リスクには厳格に対処せよ」として、「リスクの解決に対して甘い判断は禁物」だといさめています。

いま、H3ロケットの開発は、JAXAや三菱重工など数百人体制で進められていて、若手エンジニアも多数参加しています。
プロジェクトに参加するJAXAの若手エンジニアは「心得」をどのように受け止めているのか。

JAXA H3プロジェクト総合システム担当 杉森大造さん
「リスクに対する判断を誤ると、打ち上げに失敗するということが書かれていて、残された文書の思いを生かすことができるかどうかは我々にかかっていると思っています」

JAXA H3プロジェクト総合システム担当 西田侑加さん
「打ち上げに失敗すると原因究明や対策、次の打ち上げ計画に大きな支障が出ると聞いていてます。先輩たちが培ってきた失敗しないための知見は、我々が全面に吸収し、実行していかなければいけない」

完成に向けて再始動したエンジン開発

ターボポンプに設計の変更が加えられ、2022年3月、およそ半年ぶりにエンジンの燃焼試験が行われることになりました。

燃焼試験中の岡田さん

「燃焼開始」の音声とともにエンジンの燃焼が始まります。
5秒、6秒と燃焼時間を知らせるカウントが積み上げられていきます。
そして、前回の試験が終了した9秒を超え、燃焼はおよそ35秒間行われました。

ポンプの振動は、一定程度、抑えられていることが確認されました。
プロジェクトのメンバーの表情も明るく、結果は良好だったと話していました。

JAXA 岡田匡史 H3プロジェクトマネージャ
「いい滑り出しでした。打ち上げまでの道のりとしては9合目を過ぎたところで、残りはロッククライミングだという状態です。プロジェクトメンバー全員で、歯を食いしばって進んでいくつもりです。いま、これからが本当の勝負だと思っています」

「ロケットエンジニア心得」にはロケット開発を行うエンジニアの精神性が記されています。その中には「ロケットの未来を考えよ」という言葉があります。忙しい中でもロケットがどのように使われて、社会にどのように貢献していくか考えることの大切さを伝えています。

JAXA 岡田匡史 H3プロジェクトマネージャ
「この『ロケットの未来を考えよ』という言葉は、私だけでなく多くのエンジニアたちが胸に秘めていると思います。私が想像している未来というのは、いま開発中のH3ロケットやその先に開発される別のロケットが、私たち人類の発展につながるというものです。こうした未来を想像することが、つらいこともある開発の中での楽しみでもあります」


H3という国家プロジェクトという重圧の中で「スケジュールを守ること」と「高い信頼性を確保する」という難しいバランスが迫られる開発現場。
「心得」によって「生き方」にも似た教訓を受け継ぎながら完成を目指すエンジニアたちの姿がありました。

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