
「ベラルーシはプーチン氏の共同侵略者になってしまった」
ロシアの隣国ベラルーシで民主化運動を率いてきたスベトラーナ・チハノフスカヤ氏の言葉です。
3年前の大統領選挙で“ヨーロッパ最後の独裁者”とも呼ばれるルカシェンコ大統領の対立候補として注目を集めたチハノフスカヤ氏。
ロシアによる軍事侵攻を一貫して支持するルカシェンコ政権とどう対じしていくのか。国外での活動を余儀なくされているチハノフスカヤ氏に祖国への思いを聞きました。
(国際部記者 高須絵梨)
チハノフスカヤ氏とは?
スベトラーナ・チハノフスカヤ氏(40歳)は2人の子どもの母親で、もともと政治経験はありませんでしたが、3年前の大統領選挙で直前に拘束された夫に代わって立候補しました。

「政治犯の解放」や「公正な選挙」を訴え、強権的なルカシェンコ政権に不満を抱く国民の支持を集めましたが、結果はルカシェンコ氏の圧勝。
“選挙に不正があった”と訴える人々の先頭に立ち、大規模な抗議活動を繰り返しました。これに対して政権側は治安部隊を使って徹底的に弾圧、チハノフスカヤ氏は隣国リトアニアに拠点を移し活動を続けています。
8月で大統領選挙からちょうど3年となる中、NHKのインタビューに応じたチハノフスカヤ氏にその思いを聞きました。

※以下、チハノフスカヤ氏の話。
身の危険を感じることは?
私は2020年からいつも恐怖と不安の中で暮らしています。
ベラルーシの人々、政治犯、そしてもちろん家族を思っての恐怖です。ルカシェンコ政権はあらゆる手段を使って自らの権力を守ろうとしていて、私や私のチームはたびたび危険にさらされています。

私たちは周りでKGBやロシア連邦保安庁のエージェントが活動していることを知っています。
私にはすでに何度か「夫が刑務所で死んだ」というメッセージが送られてきました。私たちに関するプロパガンダが拡散され、さまざまな嘘が国営テレビから拡散されています。
政権側が自分たちの利益のために、どれだけ人をおとしめることができるのかと驚くこともありますが、私たちは立ち止まりません。
そもそもなぜ亡命を決意?
「国を離れるか、あなたの子どもたちがあなたなしで育つことになるかだ」と言われました。
国を離れなければ、私は何年も何年も刑務所に投獄され全く何もできなくなるということです。
私にとってとても困難な決断でした。なぜなら私は、人々が私に投票したことを知っていたからです。
ですが、あのとき、私の心の中では“母親としての自分”が“政治家としての自分”に勝ったように感じられました。
私の夫はすでに刑務所にいて、私は子どもたちの面倒を見なければなりませんでした。それで、投獄されて闘争を続ける可能性が一切なくなるよりも、外国にいて国のためにせめて何かできる可能性がある方がいいと決断したのです。

子どもはいま、私と一緒にリトアニアで暮らしていますが、私の両親と、夫の母親はベラルーシに残っています。彼らのことをとても心配しています。
私の活動や、夫のせいで圧力がかかる可能性があるからです。ですが、両親にベラルーシを離れるよう強いることはできません。故郷ですから。
そして、介護が必要な祖母や祖父がいます。いつも不安とともに暮らしていますが、出国を強いることはできないのです。
なぜ“母親としての自分”が勝ったのか?
私の長男は障害を抱えています。
2020年までの10年間、私はこの子が社会に適合できるよう彼のリハビリをしていました。そして私は、息子には母親の愛情こそが必要だということが分かっていました。
母親として、年下の娘はもちろんですが、特に息子に対する責任を負っています。母親が注意を向けることが欠かせないのです。
10年間、毎日、息子の面倒を見て彼が回復するように取り組んできました。
トンネルの向こうの光は見えませんし、うまくいくかどうか分かりません。毎日息子に向き合う日々でした。
ただ、この経験がいまとても役に立っています。
ベラルーシの状況も、私たちがいつルカシェンコ政権に勝つことができるかわからないからです。それでも、自分の目標を達成するために毎日根気強く働かなければならないということはわかるのです。
拘束されている夫との連絡は?
私はすでに3年、夫と話ができていません。
夫は2020年5月から刑務所にいます。ルカシェンコ氏は、大統領選挙に立候補したというだけで、選挙開始前に夫を拘束してしまいました。

そしてこの3年間、2020年の秋に一度、電話があっただけです。
以前は弁護士が訪問して「子どもたちは元気か、彼の母親は元気か」といった私からの情報を伝えていました。子どもたちが彼に手紙を書くこともできましたし、彼からも子どもたちへの手紙が届いていました。
ですが、弁護士が最後に彼のもとを訪問できたのはことしの3月9日です。その後、弁護士は拘束され、免許をはく奪されてしまいました。
夫から子どもたちへの最後の手紙も3月に届きましたが、それから4か月、私には彼について何の知らせもありません。
彼が獄中で死亡したという情報が出回ったあと、政権側は短い動画を公開しました。
私は自分の夫だと分かりました。とても疲れ果て、彼らしくありませんでしたが、でも生きていて、屈服していませんでした。
いま、受刑者たちは世界や家族から完全に切り離される、外部との接触を断たれた状態になっています。政権側は、受刑者たちが「みんな自分たちのことを忘れてしまった。見捨てた、自分たちを裏切った」と考えるようにさせたいのです。
政治犯の意志をくじくことができないので、このような卑劣なことをしているのです。
軍事侵攻後のベラルーシの現状どう見る?
私たちは、ベラルーシが主権を急激に失っているのを目にしています。
ルカシェンコ氏はロシアの核兵器をベラルーシに配備し、同時に私たちの土地にロシアのプレゼンスを定着させています。
そして今、ワグネルの戦闘員がベラルーシ中を自由にかっ歩しています。
ワグネルの戦闘員が私たちの国で何をしているか分かりませんが、私たちは彼らの“栄光”を知っています。私たちは彼らの犯罪を目にしたのです。

ルカシェンコ氏はベラルーシを完全なロシア依存に追い込んでおり、ウクライナに対する戦争でプーチン氏の共同侵略者となったのです。
侵攻前後でベラルーシは変わったか?
侵攻開始直後、ベラルーシでは反対運動が行われました。
およそ10万人がデモを行い、1000人以上が逮捕され、殴打され、拷問を受けました。
これはベラルーシの人たちがウクライナに対するロシアの戦争を支持しておらず、独裁者たちがベラルーシ人のこの考えを変えさせることはできないという明確なシグナルです。

ベラルーシ人は、ルカシェンコ氏が政権に留まるためだけに私たちの国をロシアに売り渡しているということを理解しています。
すべての民主国家の人々がウクライナをできる限り支援していますが、ベラルーシの人がこのような支援をすれば、刑務所に投獄される危険性があります。
ウクライナ軍に寄付した20ユーロのために5年の実刑を科された人や、ウクライナ語の歌を歌っただけで2年の実刑となった若い女性もいます。
いま、ベラルーシ国内でウクライナ支持のためにウクライナの国旗を掲げた人は数年の実刑を科されます。
いま受刑者になるのは、ルカシェンコ政権に反対している人だけでなく、この戦争でウクライナを支持しようとしている人も同じなのです。
ウクライナ支援 どのような活動を?
私たちは積極的にウクライナの利益を代弁しています。
ロシアの侵略に対抗するための兵器が必要だということなら「兵器をください」、NATOに加盟する必要があるということなら「NATOに加盟させてください」などと、ウクライナが求めるものをすべて与えるよう要請しています。

なぜなら、いまウクライナは自分たちの土地のためだけに戦っているのではないからです。
彼らはロシアの帝国主義的野心と戦っているのです。
政治的弾圧から逃げて外国にいるベラルーシの難民は、ウクライナから逃れてきた母親と子どもたちを支援しています。
なぜなら私たちは、子どもを連れてカバン1つで国から逃げ出すということがどういうことか分かっているからです。

私たちは迫害から逃れ、ウクライナの人たちは爆撃や暴力から逃げています。私たちはお互いのことを理解しています。
もちろんいまはウクライナに注目が集まっていて、私たちは全面的にウクライナを支持しています。
ただ、私は、ベラルーシのことも忘れられないように、「私たちはウクライナを解放したが、ベラルーシは?」、「何ということだ、ベラルーシのために戦いましょう」となるように取り組んでいます。
ルカシェンコ政権はクレムリンの傀儡となりました。
ですが、ベラルーシは1人の人間のものではありません。ベラルーシは、ヨーロッパの一員となること、民主的な未来を望む人々のものなのです。
ベラルーシの変革実現できるか?
私たちに「これは実現できない」と言う権利はありません。
なぜなら、ベラルーシでは数百万人が政権の人質にとられ、数千人が刑務所にいます。私たちの目標はその全員を解放することです。

もし私たちが「すみません、これは実現不可能です」と言ったら、この闘争を続けるために自らを犠牲にした人々を裏切ることになります。
家族を取り戻し、自分のルーツのある家に帰ることができるのは、私たちがルカシェンコ政権に勝利し、祖国を取り戻すことができたときだけだと認識しています。
私たちは、自分の子どもたちが、私たちの国で育ち、独裁者から解放され、戦争から解放され、自分たちの権利が尊重される世界で育つことを望んでいます。
子どもたちは、親たちがまさにベラルーシのための闘いにその身をささげているのを見ています。
ベラルーシ国内の民主主義がどれほど重要か、どれほど大きな代償によってこれが得られているか。子どもたちの目の前に、自分の持つものを大切にすることがどれほど重要なのか、その実例があるのです。
孤独を感じることはありますし、親族や知っている場所が恋しくなることもあります。ですが、その気持ちが憤りに変わり、立ち止まって「私は疲れた、私にはもうできない」と自分に言わせないエネルギーに変わるのです。
「目標は見えている。着々とそれに向かって進んでいるじゃないか」と。