
「この貨物船は、けさロシアから到着したばかりだよ」
ロシアは、欧米の制裁網をかいくぐり、一部の国と活発な取り引きを続けている。その拠点である港の1つで、今回、特別な撮影許可を得た。
そこで目にしたのは、ロシア国旗を掲げる貨物船の数々、笑みを浮かべながら私たちに手を振るロシア人とおぼしき作業員たち・・・。
“脱制裁”の最前線、ロシアと世界をつなぐカスピ海の港を取材した。
(テヘラン支局長 土屋悠志)
港に次々と到着するロシア船
私たちが訪れたのは、カスピ海の南岸にある中東・イランのアンザリ港。ふだんは、安全保障上の理由などから報道機関の立ち入りは厳しく制限されている。
数か月の交渉の末、イラン当局から特別に許可を得て、6月末に現地に向かった。

さっそく目に入ってきたのは、ロシアの国旗を掲げるいくつもの船だ。
私たちが取材を許されたエリアの中だけで、4隻のロシアの貨物船が停泊していた。

撮影していると、私たちに気づいて手を振る船員たちもいた。しかも、笑みを浮かべている。意外だった。
欧米の制裁を科された国どうしでの取り引きがこんなにも平然と、堂々と行われているとは思わなかったからだ。
港湾当局の担当者によると、朝、到着したばかりだという船が運んできたのは大麦だった。岸壁ではそれをクレーンでダンプカーに積み替え、貯蔵庫へ運ぶ作業が繰り返されていた。

“脱制裁” カスピ海ルートとは
カスピ海を臨むアンザリは、イランの首都テヘランから北西におよそ250キロの場所に位置する。
町の通りには南国風の街路樹が植えられ、水族館や土産物店などが建ち並ぶ。ビーチには家族連れの姿が見られ、ちょっとしたリゾート気分を味わえる。

目の前に広がるカスピ海は、日本の国土とほぼ同じ広さを持つ。
もともとはチョウザメの卵から作るキャビアや、豊富な埋蔵量を誇る石油資源などで知られる。

ロシアは、カスピ海を挟んでイランとは南北に向きあっている。
両国がともに欧米から制裁を受け、各国との取り引きが困難となるなか、このカスピ海ルートであれば、どの国も介さずに直接モノを送れる。そのため両国は「最も実用的な輸送路」として期待を寄せるようになった。
穀物・エネルギー 増える両国の取り引き
ことしに入り、イランはロシアからの穀物輸入を増やしている。イラン税関が公表している統計をもとに計算すると、ことし6月までの3か月間にロシアから輸入した穀物の量はおよそ74万トン。

前の年の同じ時期と比べておよそ1.5倍、侵攻前のおととしと比べると、およそ2.5倍に増えたことになる。
イラン当局もさらに貿易を拡大させたい考えだ。

ナザリ氏
「ことしはロシアから輸入するトウモロコシの量が増えている。大事なのは取引先であるロシア側の求めに応じることだ。そのための用意がある」
さらにエネルギー取り引きも活発になっているという。
公式の統計はないが、イランの業界団体トップは、NHKの取材に対し、去年からカスピ海ルートを使ってロシアからガソリンの輸入を始めていると明らかにした。
“ロシア市場に続々参入”「欧米制裁は商機」と見るイラン
港ではロシアへ向かうというイランの貨物船も見かけた。積んでいたのはトマトペーストと石油化学製品だった。

イランからロシアへの輸出額は、ことし3月までの1年間におよそ7億4400万ドルと、前の年に比べ、およそ1.3倍に増えている。
取材に応じた自動車関連機器メーカーは、欧米企業などが軍事侵攻でロシア市場から撤退したため、むしろビジネスチャンスが広がっていると言う。

ニクラバン副社長
「欧米によるロシアへの制裁は、私たちにとっては良い機会だ。ただ、ロシア市場に参入しようとする競合他社はイランにたくさんいるので、急ぐ必要がある」
ロシアが見据えるのはインド、中東各国
ロシアの視線は、イランの先にも向かっている。
その1つが、今や世界で人口が最も多くなったとされるインドだ。従来のスエズ運河を通る航路の距離が1万6000キロあるのに対し、鉄道やトラック、それにカスピ海の船を駆使することで、半分以下の7000キロに短縮できる形だ。これが「南北輸送回廊」と言われるルートだ。

さらに、イラン側の関係者はそろって「ロシアの今の関心は中東の湾岸諸国だろう」と指摘する。背景にはイランが、長年対立してきたサウジアラビアをはじめ、アラブ諸国と関係改善を進めていることがある。
イランの手を借り、ロシアから湾岸諸国へ自国産品を輸出しようという構想だ。イラン側も乗り気の構えを見せる。
新しい大使としてサウジアラビアに赴任することが決まっているイラン外務省のエナヤティ湾岸局長は「南北輸送回廊が湾岸地域とつながるとき、モノの流れはイランを通ることになる」と“物流ハブ”への野心を隠さない。
進むインフラ整備 鉄道でペルシャ湾へ
イランはインフラ整備にも積極的に乗り出している。
アンザリ港では船着き場の数を、ことしに入って2つ増やして22に。将来的には倍以上の45に増やす計画だという。
さらに、港の力を最大限引き出そうと進められているのが、港を国内の鉄道網と接続する線路の建設だ。

9月の完成を目指しているということで、この日も急ピッチで作業が行われていた。
完成すれば、この港からペルシャ湾までが鉄道でつながることになる。

ニアジ長官
「周辺国の地政学的な状況が、この港の輸送路としての役割をより重要にしている。この港を回廊に組み込むことで、イランは制裁に立ち向かうことができる」
軍事的な結びつきも? どうなる両国関係の未来
カスピ海の港は、商業取引にだけ使われているのだろうか。
欧米はことしに入り、イランがカスピ海ルートを使ってロシアへ、ウクライナでの攻撃に使われる無人機や弾薬などの兵器を送っていると指摘している。
イラン側は否定しているが、6月にはイギリスメディアが、両国が結んだ弾薬供与の契約書だとする文書を公開。その中で輸送路の1つとして想定されていたのが、私たちが取材したアンザリ港だった。
実は港を取材した日も、アンザリ港にはロシアのミサイル駆逐艦が寄港してニュースとなり、私たちも姿を確認している。「海軍どうしの交流を深めるため」とされるが、実態はわからないままだ。
イランはロシアとの蜜月を続けるのか?
ロシアにとっては、カスピ海ルートは、戦時経済を維持する上で「新たな生命線」とも言える重要な航路になりつつあるようにも感じた。
ただ、今後の両国関係は国際情勢に大きく左右される。
イランのメディアの中には「ウクライナ情勢次第で、ロシアのカスピ海ルートへの関心も変わる可能性がある。ロシアに頼り切るのは危険だ」と警鐘を鳴らすものもある。
欧米の制裁を回避するために活発化したカスピ海ルート。その将来は、軍事侵攻の行方とも密接に関係することになりそうだ。
