
「女性にとって、暮らしやすい国に変わるかもしれない」
全国各地で次から次へと女性たちが街頭に繰り出し、連日行われた抗議デモ。気がつけばその期待は失望に変わっていました。
彼女たちが立ち上がった理由、その決意と失意に耳を傾けてみました。
(テヘラン支局長 土屋悠志)
22歳の女性の死の衝撃
きっかけは1人の女性が亡くなったことでした。
22歳のマフサ・アミニさん。去年9月、彼女は「ヘジャブ」と呼ばれるスカーフのかぶり方が不適切だとして警察に逮捕され、その後、急死しました。
政権側は病死だと発表しましたが、警察による暴行があったのではないかと疑う人々の怒りが一気に爆発したのです。

アミニさんが亡くなったのは、イスラム教に基づいた統治が行われている中東のイラン。
女性は公共の場でヘジャブの着用を義務づけられています。自宅を出て外出する前に、女性はヘジャブをかぶらなければならないのです。
しかし、アミニさんの死をきっかけに、街頭に連日繰り出した女性たち。次第に意識も変わっていったといいます。

「この国が変わるかも」興奮した女性たち
首都テヘラン近郊に住むヘディエ・ライスザデさん(24)。
取り締まりを恐れてデモに参加こそしませんでしたが、このデモによって社会が変わるのではないかと、大きな期待を寄せるようになりました。
実際、目に見える変化があったといいます。
デモが広がると、ヘジャブのかぶり方などを取り締まる「風紀警察」の姿が街から消え、ヘジャブをかぶらなくても外を歩ける状況が一時的に生まれたというのです。

ライスザデさん
「はじめは特別な期待をしていませんでした。しかし、人々がデモに参加するため毎日通りに出るのを見ているうちに、何かすごいことが起きている、これが続けば国が大きく変わるかもしれないと期待するようになりました」
「女性の権利だって主張していい」 デモで気づいた思い
変化を期待したということは、当然、何か強い不満を抱えていたのだろうと思い、聞いてみると、意外な答えが返ってきました。そうではないというのです。
ライスザデさん
「女性がヘジャブをかぶるのは当たり前のことでした。外出するとき、街の至るところに風紀警察がいるため、いつもびくびくしながら歩いていましたが、そういうものだと思い込んでいたのです。
しかし、デモが始まってから、自分がこの国でどれだけ権利や自由を持っていない存在だったのかを自覚しました」
つまり、このデモをきっかけに、もっと自分たちの権利を主張してもよいのではないかと気づかされたというのです。
デモが広がった背景には、女性の権利から経済の状況まで、もともと人々が抱えていたさまざまな不満があると指摘されていますが、彼女のように、デモによって意識が変わったという人も、少なからずいるのかもしれません。
期待から失望へ
しかし、女性たちの期待どおりにはなりませんでした。
政権側はデモが暴動に発展して一線を越えたとして、多くの参加者を逮捕するなど、徹底的に抑え込みを図りました。
ノルウェーに拠点を置く人権団体「イラン・ヒューマン・ライツ」は、治安当局によってデモの参加者530人以上が殺害されたと指摘しています。さらに参加者に対する死刑判決も相次ぎ、その死刑が実際に執行され始めると、デモは沈静化していきます。
ことしに入ると、政府高官から改めてヘジャブの着用を強く求める発言が続き、一度はヘジャブを外して街を歩くようになった女性たちの多くが、またかぶるようになっていきました。
こうした状況に、ライスザデさんは気を落としています。

ライスザデさん
「日を追うごとに状況が元に戻りつつあるのを見て、憂うつになっています。
銀行に行くときなど、何をするにも、ヘジャブを強いられるのはとても息苦しく、心がつぶれる思いです」
求めていたのは「自分のことを自分で決める自由」
彼女はヘジャブをかぶることそのものを反対しているわけではありません。宗教心にしたがって自分の意思でかぶっている人も多くいるからです。もちろん、かぶる人を責めることはありません。
彼女にとって大事なのは、ヘジャブをかぶるか、かぶらないかではなく、それを強制されるか、自分で決められるか、ということでした。
「自分のことを自分で決める自由」が奪われていること、そして、それが女性だけに強いられていることが理不尽だとして憤っているのです。

女性が再び標的に 女子生徒が吐き気や呼吸障害
失意の中にある女性たちに、追い打ちをかけるような事件が起きました。
イラン各地の女子校に通う生徒たちが、吐き気や呼吸障害、しびれなど、有毒物質が原因とみられる症状を相次いで訴えたのです。その数は1000人以上にのぼりました。
こうした事例は去年11月から地方都市で報告されていましたが、ことし3月、首都テヘランにまで広がったことで混乱はピークに達しました。
政権側は、事件に関わったとされる複数の人物を逮捕したと発表していますが、背景ははっきりしません。
市民の間からは、若い女性たちがデモで大きな役割を果たしたために標的にされたのではないかと疑う声もあがりました。彼女たちのしたことをよく思わない、過激な勢力が報復を行っているのではないかという見方です。

「誰も学校に来なくなった」 教師が語った内情
動揺した保護者たちは子どもを登校させないようになりました。
学校もまた、緊急の不審者対策など、対応を迫られる事態になりました。
教育現場でいったい何が起きているのか。学校への取材規制が敷かれる中、ある女子校の教師が教育現場の混乱ぶりを語ってくれました。

女子校の教師
「近くの学校でも毒物事件が起きると、不安が広がり、全校生徒およそ200人のうち、通学してくる生徒は10人余りに減りました。
そのため、全学年の子を1つの教室に集めた上で、教師たちがドアの前や校庭などで見張る体制を取りましたが、ついに1人も学校に来なくなりました」
ますます生きづらさを感じて
事件の真相はわかりません。
ただ、ライスザデさんは自分の国がますます女性にとって生きづらい社会になっていると感じています。
ライスザデさん
「事件の報告が相次ぐ中、学校に子どもを行かせないのは理解できます。
しかし、それでは女の子たちに勉強をさせたくないと思っている人たちの思惑通りです。こんな状況でどう対応するのが正解なのか、私にはわかりません」
イランでは、国外に移り住もうと考える若者が多くいます。
ライスザデさんもその1人です。オンラインの英会話講師として働き、お金を貯めるかたわら、外国語を勉強したり、移住に必要な手続きに詳しい弁護士に相談して情報を集めたりしているといいます。

ライスザデさん
「もちろん、自分の国を離れ、家族も友人もいない場所で暮らすのは寂しいことです。私だって、この国の状況がもっと良いなら、そんなことは考えません。
でも、女性にとって生きやすい国ではないんです。考え方も、着る服も、行動も、受け入れてもらえないと感じる以上出ていくしかありません」
今、イランでは街にデモを行う人の姿はなく、平穏な日常が戻っているように見えます。
しかし、人々の願いが実現してデモがなくなったわけではありません。
何も変えられなかったと失望する女性たち。彼女たちはこれからどこへ向かうのでしょうか。
