2022年8月12日
ジェンダー アフガニスタン

タリバンから逃げた私が負った責任

「映画づくりをしてきた私は殺されると思った」

こう話すのはアフガニスタンの映画監督サハラ・カリミさん(36)です。

女性の人権問題などをテーマにした作品を数多く手がけてきました。

しかし2021年8月15日、タリバンが首都カブールに進攻したあの日を機に、祖国からの脱出を余儀なくされました。

あの日、どんな思いで母国を離れ、今何を思うのか。詳しく話を聞かせてもらいました。
(ヨーロッパ総局記者 古山彰子)

※この記事は2021年10月14日に公開したものです

サハラ・カリミ監督
1985年、アフガニスタンに隣接するイランで、アフガニスタン難民の両親のもとに生まれる。

10代前半でイラン映画に子役として出演し、作品が国際映画祭に出品されたことをきっかけに、16歳でスロバキアに移り住み、映画を学び始める。

2012年、母国のアフガニスタンに生活の拠点を移して映画製作を始め、女性たちがおかれた状況や人権問題を扱ったドキュメンタリーなどを手がける。

自らの作品づくりにあたる一方、アフガニスタン国営の映画製作会社の代表を務める。

8月16日、アフガニスタンを出国。現在はイタリアに滞在。

あの日、脱出を決断した際の心境を教えてください。

サハラさん
タリバンが進攻してくると分かったとき、真っ先に思い浮かんだのは、私の兄の娘たち、私のめいっ子たちのことでした。
これまで、私は彼女たちに本を与え、教育してきました。
「あなたたちは自由で、独立した個人なんだよ。強い女性になれるんだよ」と励ましながら。

彼女たちは多くの本を読んで育ったので、とても賢いのです。
タリバンが進攻してきたら、これまで映画づくりをしてきた私、それに彼女たちも殺されてしまうかもしれない。タリバンは私を逮捕し、家族に暴力を振るうかもしれません。
だから、逃げることを決めました。

決断して脱出するまでにほとんど時間がなかったのでは?

タリバンが首都カブールに進攻した翌日(2021年8月16日)に国を離れました。

すべてのことが数時間以内に起きました。身の回りのものを持ち出す余裕もなく、パソコンとハードディスク、教育関係の資料だけを持ち出しました。

過去9年間のアフガニスタンの暮らしをスーツケースにおさめるなんて無理でした。それは、洋服とか、財産とか、そういうものだけではありませんでした。

祖国に対する感情、これまでの努力、それに夢。今まで成し遂げてきたことすべてです。

洋服は、持ってきませんでした。そういうものは、また買えばいいのです。住む場所だって、借りればいいのです。

でも、そうやって逃げた先は、私の故郷ではありません。

2021年8月15日にサハラさんが撮影した動画

国を離れる際に動画を撮影し、SNSに投稿したのはなぜですか?

荷物をまとめるため家に帰る道中、ふと思ったんです。「世界は私たちに起きていることに気付いているのだろうか?」と。

私たちアフガニスタン人は、1996年から2001年にかけて、タリバンの悪夢を経験しています。

タリバンは市民を殺害し、女性を排除しました。世界に、こうした状況を知ってほしいと思いました。

めいっ子たちと兄、2人のアシスタントを連れてカブール国際空港に行き、インスタグラムに映像を投稿しました。8月15日以降、多くの知識人や教育を受けた若者がアフガニスタンを去りました。

空港で何が起きていたか、あなたも映像を見ましたよね?

タリバンが権力を掌握するまでのアフガニスタンは?

テロや戦闘もありましたが、多くの人たち、特に若い世代は以前よりも進歩していました。

この5、6年は、特に女性の教育、社会や政治への参加が進んでいました。女性の政治リーダーも生まれました。

私自身も、女性として初めて、国営の映画製作会社の代表になりました。以前ではありえなかったことです。経済的に自立した女性も増えていました。

一方、政権内にはさまざまな問題が常にありました。とても根深い汚職の問題です。

でも、若い世代はそうした現状を変えようと努力してきました。

アフガニスタンで、女性をテーマに映画を製作してきましたね。

私は学生時代、ヨーロッパでとても恵まれた暮らしができました。
学業で成功し、多くの賞をもらい、製作した映画を持って、多くの国際映画祭に特別ゲストとして招かれました。

ベネチア国際映画祭でパネルディスカッションに参加(2021年9月)

それでも私は2012年にアフガニスタンに移り住み、そこでゼロから映画づくりを始めました。
多くの困難に直面しました。女性を軽視する社会でした。
とても孤独に9年間映画をつくり、ほかの映画監督の手助けをし、さまざまなことと闘い続けてきました。

苦労の連続だったと思いますが。

アフガニスタンで女性の映画監督であること、高等教育を受けていることで、日々多くの困難に直面してきました。
でも、幼いころから私にとっての一番のロールモデルは、女性だからという理由で困難や制約を抱えながらも闘っている女性たちです。

これまで、ヨーロッパ、アジア、アメリカ大陸など、世界の異なる場所の強い女性たちのストーリーを追いかけてきました。
彼女たちの姿を私のフィールドでも反映させたいと思っています。

大変な環境の中でも映画製作を続けてきたのはなぜですか?

私は映画の力を信じています。
私は女性なので、女性監督という視点でも、ストーリーを伝えなければなりません。私は、女性のストーリーを伝えるのがとても好きなのです。

特に、女性の、自分自身との向き合い方、社会や家族との関わり方についてです。
これまで撮ってきた代表作3作品の主人公は全員女性で、女性の問題を取り上げています。「アフガニスタンの女性」というと、いつも、ヒーローか、被害者か、どちらかの視点で語られてしまいます。

でも、その間にいる女性たちの、もっとたくさんのストーリーが実際にはあります。より普遍的な女性たちのストーリーを伝えなければと思うのです。

映画であれば、そうした女性たちの姿をより深く、彼女たちが抱える問題に焦点をあてて、伝えられると思っています。

実際、ごく普通の暮らしをする人たちに焦点をあてた作品を発表していますね。

はい。
たとえば、もし閣僚だったり、政治や経済を率いる要職に就いていたりしたら、アフガニスタンに変化をもたらすことができますよね。
でも実は、低いポジションにいると思われがちな女性たちであっても、名の知られた人、要職に就いている人よりも力を持っていることもあるのです。
問題を根本から解決するのは非常に難しいことです。
一番いいのは、家族単位で変えていくことです。

私の映画では、ごく普通の女性たちの姿を見てもらえるようにしています。彼女たちの小さな決断が、家族にとって大きな変化をもたらし、一つ一つの家族が、社会に変化をもたらすことができるのです。

そうした作品を、これまで積極的に国際映画祭に出品してきましたね。

私の仕事は、単に映画を作ることだけではないんです。
人々の意識を高めることも仕事だと思っています。
自身のことを人権活動家だとも思っています。
国際映画祭のような場所でこうした映画を上映することで、アフガニスタンの女性が直面する問題はとても普遍的なものだということを世界の人たちに伝えられます。
世界には、アフガニスタンの女性が抱える問題はブルカの着用を強要されるかどうか、それだけだと思っている人もいると思います。
でも、そんなことは小さな問題なんです。
もっと感情的で心理的な問題、経済や社会の課題が多くあるのです。
国際映画祭には多くの人たちが来ますので、そういうアフガニスタンが抱える現状を見てもらうよい機会なんです。

今後の活動について教えてください。

アフガニスタンの現状を伝える新しい映画の製作を始めています。

悲しんでいる時間はなく、今は闘わなければなりません。困難な状況下でも私は助かることができたので、それはつまり、ほかの人たちに対する責任もあるということです。
住む場所を失いましたが、もっとたくさん仕事をしてもっと強くならなければなりません。

永遠に悲しみ続けている時間はないんです。

国際社会には何を求めますか?

世界のリーダーは、簡単にタリバンを承認すべきではありません。民主的な社会を受け入れるよう圧力をかけてほしいです。

21世紀のいま、過去20年間に数々の悪事を働いてきた犯罪者とテロリストの集団であるタリバンは、私たちのリーダーにはなれないのです。

タリバンを認めることは、アフガニスタンだけでなく、他の国にとっても危険なことです。アフガニスタンが、テロリストたちの温床になってしまうかもしれません。

タリバンは、人権、女性が教育を受ける権利、表現の自由、報道の自由といった、民主的な価値観を受け入れ、憲法を重んじるべきです。

若い世代はタリバンを恐れているし、受け入れていません。タリバンは、政治や経済などさまざまな分野の知識を持った若者が必要だと理解すべきです。

サハラさんは2021年9月、イタリアで行われたベネチア国際映画祭の会場で、記者の私に1時間あまりにわたって話を聞かせてくれました。

彼女のことばから感じられたのは、生きて助かることができた自分が負ったほかの人に対する責任感、もっと強くなって映画を撮り続け、新たな作品を通してアフガニスタンの現状を伝え続けるのだという、揺るぎない使命感と覚悟でした。

絶望を乗り越えて、前へ前へ進まなければともがくサハラさんのことばと姿に触れ、国際社会は絶対にアフガニスタンを置き去りにしてはならないと強く感じました。

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