2023年10月4日
中国 中国・台湾

中国でノーベル賞作家「川端康成」ブーム いったいなぜ?

1968年にノーベル文学賞を日本人として初めて受賞した作家の川端康成。

受賞理由は「日本人の心の精髄を優れた感受性で表現する、その物語の巧みさ」でした。

その川端康成の名作の出版ラッシュがいま、中国で起きています。

代表作「雪国」の中国語版はすでに20以上の出版社が発売。空前の盛り上がりをみせる「川端ブーム」の背景には何があるのか。取材しました。

(中国総局記者 松田智樹)

中国で広がる「川端康成ブーム」とは?

北京の大型書店

中国の首都・北京の中心部にある大型書店を訪れると、入り口の目立つ場所にずらりと並んでいるのが、日本人初のノーベル賞作家・川端康成の小説です。

特に人気を集めているのが「雪国」です。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という有名な書き出しで知られる川端康成の代表作。

20以上の出版社がそれぞれ独自の翻訳家を起用して競うように発売しています。

「『雪国』は特に売れ行きが好調です。名作が時代の変化や現代の美意識にあわせて生まれ変わり、ロングセラーになっています」と話す書店の担当者。

客の話からもその人気の高さがうかがえました。

女性客
「ノーベル文学賞の受賞者だと聞いて、『伊豆の踊子』を読みました。映画やドラマも見て当時の日本を理解することができました」

男性客
「中国の有名な作家が川端康成の作品を手本にしていると聞いて、読んでみたくなりました。人物の表情や心の動きなど、繊細な描写に感動しました」

“パブリックドメイン大戦”勃発?

1937年に単行本として刊行された「雪国」がなぜいま、中国でブームを巻き起こしているのか。

その理由の1つは、川端康成の死後50年が経ったことで中国では著作権の保護期間が切れ、誰でも自由に出版できる「パブリックドメイン」になったことがあります。

中国で出版された「雪国」

著作権の保護期間は国によって異なり、日本ではこれまで、文学や美術の著作物の保護に関する国際的な条約などに基づいて、作者の死後「50年」となっていました。

しかし、TPP=環太平洋パートナーシップ協定の発効で法律が改正され、2018年に「70年」に延長されたのです。

一方、中国では著作権の保護期間は「50年」のまま。

1972年に亡くなった川端康成の作品は、日本ではまだ著作権の保護期間が続いていますが、中国ではことしから自由に出版できるようになったのです。

中国メディアの記事

中国メディアは「川端康成の死去50年後に“パブリックドメイン大戦”勃発」という見出しの記事を、色とりどりの表紙を並べた画像とともに配信。

中国で2021年からパブリックドメインになった三島由紀夫に続く日本の文豪の作品をどう売り込むか、出版業界がしのぎを削っていると伝えています。

小説家 三島由紀夫

「川端作品の美しさを伝えたい」

新しく出版された「雪国」については、出版社ごとに異なる翻訳家が担当していることも話題になっています。

若手翻訳家の1人、曹曼そう まんさんに話を聞くことができました。

翻訳家 曹曼さん

これまで15年間、翻訳家として活動し、夏目漱石の「吾輩は猫である」や三島由紀夫の「金閣寺」といった名作を手がけてきました。

大学で日本文学を学び、大学院では芸術を専攻。

川端康成の作品を翻訳するなかで、「秋に畳の上で死ぬ小さな虫のはかない命」や「冬の雪の白さ」など、日本の四季折々が色彩豊かに美しく、繊細な表現で描かれていることに魅了されたといいます。

曹さん
「川端康成の描写は深く、優雅で美しい言葉を使っています。
小説に描かれた世界観や背景を中国語の表現に落とし込むのは大変な作業ですが、とても興味深いです。自分なりの方法で作品の美しさを伝えたいです」

言葉の壁を乗り越えて「雪国」の魅力を読者に伝えるためには、日本の文化や言葉を丹念に調べる作業が欠かせません。

例えば、日本ではどのくらい雪が降るのか。

あまり雪が降らない山東省で育った曹さんは大雪を伝える日本のニュースを見て、「雪国」のイメージを膨らませたといいます。

また、麻織物の「縮(ちぢみ)」をつくるときに行われる「雪さらし」も、インターネットで検索して動画を見つけ、具体的な作業の工程を理解するとともにその色の鮮やかさに驚いたそうです。

日本に留学した経験がないという曹さん。

さらに「雪国」の翻訳作業にあたっていた期間は、新型コロナウイルスの感染拡大で、小説の舞台となった新潟県を訪れることすらできませんでした。

それでも何度も訳を練り直し、半年以上かけて翻訳を完成させたといいます。

翻訳家だけでなく編集者としても

曹さんは北京の出版社で編集者としても働く、いわば「二刀流」。本の出版にも携わっています。

本のタイトルや作者の名前を黒い文字で強調し、書店で陳列されたときに目立つように工夫。

20以上もある中国版の「雪国」の中から、どうやったら自分が翻訳した本を選んでもらえるか。デザインにも知恵を絞ります。

さらにオリジナルのブックカバーに加えて、新幹線の切符をイメージした「しおり」も制作。

しおり

読者に日本の文化も体験してもらおうとイベントで配布し、実際に改札ばさみで「しおり」を切るパフォーマンスも披露しました。

翻訳家 曹さん
「中国の読者は探究心が強く、名作を読むだけでは満足しません。その時代の文化や作者の思いも含めて読みたいという人が多いのです。
心の癒やしや美しさを表現する文学を求める読者も多く、伝統的な日本の美しさを代表する川端康成の人気が高まっているのだと思います」

「花が散るのは『きれい』か『残念』か」

日本大使館と協力して企画した川端文学のイベントには、20代、30代の若者を中心におよそ100人が参加。

曹さんもステージに上がり、みずから川端康成の魅力を紹介しました。

イベントの参加者
「川端康成の美意識は日本の文化に特有なものでしょうか。それとも、人類の共感を得られる普遍的なものなのでしょうか」

翻訳家 曹さん
「人類に共通する感覚だと思います。日本では、美しさを1つの言葉に正確に凝縮して、さらにその言葉を次の世代に伝承し続けているのです」

花が散るときに「きれい」と感じるのか、それとも「少し残念」と感じるのか。

散る瞬間をありのままに切り取り、永遠の美を追求するのが川端作品の特徴ではないかと説明する曹さん。

参加者からは「もののあはれ」や「無常観」といった言葉まで出て次々に感想や質問が寄せられます。熱い議論は2時間途切れることがありませんでした。

「雪国」が中国語に訳されると

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。

「雪国」のこの有名な書き出しを中国語にすると、漢字で23文字。

穿過県界長長的隧道、便到了雪国。夜晩的底色已経変白。(曹さんの訳)

中国語はひらがなやカタカナがない分、1つ1つの漢字に意味が凝縮されます。

書き出しのこの部分では、色に関する漢字だけで「雪」、「夜」、「晩」、「白」と4文字もあり、それぞれの色を鮮やかに対比させながら、読者を川端康成の「雪国」の世界に引き寄せていきます。

読み進めると、「紅」、「火」、「黄」、「星」など、色をイメージさせる漢字がさらにたくさん出てきて、想像の世界がどんどん広がっていくようです。

ブームの背景には“日本文化の蓄積”も

曹さんが翻訳した「雪国」はことし1月に出版され、5月には初版の2万部に続き、5000部が増刷されました。

曹さんが翻訳した「雪国」

今回の「川端ブーム」の背景には、曹さんのような翻訳家や出版社の努力に加えて、中国の人たちが日本料理やアニメなど、さまざまな日本の文化に長年触れてきた蓄積があるようにも感じます。

日々の暮らしや旅行で体験した日本について、その根底にある美意識や自然観を川端作品を通じてもっと深く理解したいという好奇心につながっているのかもしれません。

ただ、愛国教育を推進してきた中国では、歴史問題や東京電力福島第一原発の処理水の放出をめぐって、日本を批判する人たちも少なくありません。

日中平和友好条約が1978年10月23日に発効してからことしで45年。

日中関係は厳しい状況が続いていますが、文化を通じた相互理解の積み重ねが両国関係を下支えする役割を担っているのではないか。

中国で広がる「川端ブーム」を取材する中で、そう感じました。

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