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「フレディは日本や日本のあらゆるものを愛していました」
イギリスのロックバンド「クイーン」のボーカルだったフレディ・マーキュリーさんが亡くなって30年あまり。その遺品の数々がオークションに出品されています。
ロンドン市内で公開されている遺品のうち、日本に関連したものはなんと200点以上。
大の親日家としても知られるクイーン、フレディ・マーキュリーの愛した日本とは?
(国際部記者 北井元気)
フレディ・マーキュリーの遺品が公開
1991年、45歳の若さで亡くなったマーキュリーさん。今回、オークションにあわせて公開されているのは、ロンドンの自宅で保管されていた遺品の数々です。
コンサートでマーキュリーさんが身につけた王冠や赤いガウンなどの衣装、それに、クイーンの代表曲の1つ「ボヘミアン・ラプソディ」のタイトルが書かれた自筆のメモなど、その数、およそ1500点に上ります。
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遺品を管理していた友人のメアリー・オースティンさんが「身辺整理」を理由に手放すことを決めた、とイギリスの公共放送BBCが伝える今回のオークション。
ロンドン市内にあるオークション会社では多数の遺品が公開されていて、こうした遺品が一般に公開されるのは初めてだと、オークション会社の担当者は話します。
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アジェティさん
「フレディが木版画を購入していたことや、オークションで日本の美術品を落札していたことは知られていますが、その全貌を見たことがある人はほとんどいません。
彼がどれほど熱心に日本の美術品を収集していたか、人々は気づいていなかったと思います」
日本を愛したフレディ・マーキュリー
クイーンが初めて日本を訪れたのは1975年4月。
アルバム「シアー・ハート・アタック」のリリースにともなうツアーで、2週間近くにわたって東京だけでなく、日本各地で公演を行いました。
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アジェティさん
「フレディは、日本のファンから熱狂的な歓迎を受けました。彼はファンがどれほど親切に、どれほど丁重に接してくれたかを実感したんです。
彼が滞在中に外に出れば、多くの人がフレディに気が付きました。しかし、日本のファンは道路の反対側にいて、彼のプライバシーを侵害することはなかったというエピソードもあります。
フレディはそうした出来事に信じられないほど感動したんです」
1985年までの10年間で、あわせて6回のツアーを日本で行ったクイーン。
その後、マーキュリーさんはプライベートでも日本を訪れ、各地の美術館やギャラリーで着物や帯、陶磁器、木版画、漆塗りのアンティーク家具などを大量に買い求めたといいます。
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アジェティさん
「1986年にプライベートで日本を訪れたときには、かなりいろいろな場所に行ったことが分かっています。
九州の美術館を訪れたり、輪島に漆器を買いに行ったりしているんです。フレディは日本や日本に関係するあらゆるものを愛していました。
唯一の例外は、彼が生の魚が嫌いだったということです。寿司と刺身は唯一食べませんでした。それを除けば、彼は日本文化と日本人が大好きでした」
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初公開の日本にまつわる遺品とは?
明治時代から20世紀初頭の日本のアンティーク木版画の分野では、イギリス最大級のコレクションを所有しているとも言われていたマーキュリーさん。
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数々の遺品の中でも特に目を引くのが、色鮮やかな着物です。
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アジェティさん
「フレディの着物に対する愛情は、日本美術に対する深い理解を物語っていると思います。
特にこの着物には強いこだわりを持っていました。彼がステージで動くと、長い袖がとてもドラマチックに見えるんです」
オークション会社では今回、遺品の中に日本関連のものが多く含まれていたことから「In Love With Japan」(日本に恋して)と銘打って、ほかの遺品とは別に、日本に関する遺品だけを集めたオークションも開いています。
アジェティさん
「フレディは美術学校に通っていたことがあり、ファッションにも精通していました。それが彼の日本美術特有の細かい技術への評価につながったのだと思います。
彼は日本の芸術の質の高さをとても評価していました。木版画も着物も漆器もたくさんあります」
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日本語の歌詞を含む楽曲を制作していたことでも知られるクイーン。
今回、オークションに出される遺品の中には、その歌詞をマーキュリーさんみずからが書き残していたメモもあるといいます。
アジェティさん
「今回出品されるもののなかには彼の書いた『ラ・ジャポネーズ』という楽曲の歌詞もあります。
手書きの歌詞はローマ字で書かれていて、彼の所有していた本の中には日本語の辞書もあったので、おそらく彼はこの辞書を使って日本語を調べ、ローマ字で書いたのではないでしょうか」
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「遠い国のあなたに魅せられて あまりにも美しい夢のよう」
「ラ・ジャポネーズ」のなかで、こうつづっているマーキュリーさん。
彼が日本を愛したように、死後30年以上がたっても、その人柄と楽曲は、多くの日本人の心に残り続けているように感じます。